FC2ブログ



→瀬戸内カヤック横断隊について←




←瀬戸内カヤック横断隊隊員の公開グループページはこちらのバナーから。

Latest Entries

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 塚本 健

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 塚本 健

行程編

【参加するきっかけ】
もうずいぶん前から、上関原子力発電所建設に反対してきた「虹のカヤック隊」のことは耳にしてきた。
ただその当時は、仕事や環境で動けない自分がいた。
いま、自分はライフワークとして沖縄県名護市辺野古に通っている。
辺野古に新しく造られようとしている米軍総合基地の建設を止めたいとの思いをもち、
年に4、5回のペースで、カヤックに乗って海の行動にでている。
カヤックの上から、抗議の声をあげることはもちろんのこと、
フロートやオイルフェンスを引き出したりする作業を止めるため、直接阻止行動をすることもある。
以前、隊長の原さんから、
「辺野古での抗議活動について、みんなの前で話をしてくれないか。」と声をかけていただき、
山口県光市でスライドを交え、辺野古のカヤックチーム「へのこぶるー」について話をしたことがあった。
横断隊としては、2年前の第十四次横断隊のときに、応援側としてはじめて関わることになった。
いつかは参加したいものだと、ずっと前から考えていたが、
当時まだまだ辺野古での弾圧は、目まぐるしく日替わりで変化していく状況であったし、
なにか辺野古で事態が急変した時にはすぐに駆けつけたいと、常にスタンバイしていた。
また、自分が次に目指していたアウトドアにおける目標は、
ヨセミテのEl Capitanでのビッグウォールを登攀することにあったので、
横断隊に参加するのはまだまだ先になるだろうとなんとなく考えていた。
2018年9月30日に沖縄県知事選挙が行われ、玉城デニーさんが当選した。
選挙直後の10月2日から、再び辺野古の現場に行くつもりだったが、台風が来たため中止にした。
辺野古の埋立工事もしばらくはストップするかもしれない。
職場環境においては、まだオープンして2年目の店だが、
スタッフ間の信頼関係もガッチリきまってきて、いい感じで巡航できるようになってきた。
なんだか偶然にいろんな条件が重なり、「横断隊に行ってこい」といわれたような気がした。
自分は重大な決断をする時は、いつもこうした直感に従うことにしている。
今から思えば、横断隊に導かれたのかもしれない。


【前日 2018.11.18(日)】西宮から小豆島への移動日
事前に白石島の原田さんからお借りしたカヤックをハイエースに積み込み、山陽道を西へ。
原田さんとは、2006年に開催された「第五回花崗岩選手権」というボルダリングコンペで白石島に訪れたときからの付き合いになる。
モンベルのフレンドフェアにも「あいらん堂」として何度も出店していただき、
連れ合いの真理もブースで、度々、楽しみながらお手伝いしたりしている。
日生港から小豆島に向かった。
日生港では、車に積んでいたカヤックが5mを超えていたため、車長6m未満での追加料金を徴収されかけたが、良心的な係員さんのはからいで、車長の長さである5m未満にしてもらった。
フェリーは1時間ほどで小豆島の大部港に着いた。
出艇地に向かう前に寄っておきたいところがあった。
それは、池田にある八木さんという製麺所さんだ。
20年前、吉田の岩場にクライミングに行ったときに、立ち寄った製麺所さんで、天日干しでお素麺をつくっておられる方だ。
海とお祭りが大好きな方で、お素麺を送ってくれたときには、海からやってくる御神輿の写真も一緒に送ってくれた。
あまりにも美味しかったので、毎年取り寄せて楽しませていただいている。
八木さんのご自宅周辺も新しく建物がたっていたが、20年ぶりにお孫さんに囲まれた八木さんと再会することができた。
「カヤックでこれから祝島を目指すんです。」と言ったら、この先の潮のことなどを話してくれた。
集合場所であるヘルシービーチへ到着。
出艇前夜、サポートの皆さんとともに第16次横断隊最初の焚き火を囲む。
ここで、初めて顔をあわす人も多い。
初めて横断隊に参加する一年生から自己紹介が始まる。
夜には雨が降り出した。


【1日目 2018.11.19(月)】小豆島から本島まで (リーダーは西原さん)
いよいよ出発だ。
離陸の際、まだスプレースカートも着けてないのに、うちの犬が艇のスターンに乗ってきて、
いきなり沈脱させられそうになったが、鳴く犬をなんとか振り切り、出艇した。
それが、見事なまでに惨めな醜態をさらす。
自分はいつも意気込んだときに、よく失敗する。
自分では失敗とは思ってないが、よくヘマをやらかす。
だいたい、1回目にやっちまう。
ヘマの第一ファクターは、完全なる準備不足。
初めて乗る艇に、初めて手にするパドル。これだけの長距離を漕ぐのもはじめてだ。
いろいろ探るが、いつまでたっても、水をキャッチする感覚がつかめない。
それでも、みんなに遅れてはいけないと、腕漕ぎ全開で漕いでたら、左肩にヅンヅンする痛みがはしりだした。
そして痛みをかばおうとすると、肘が下がる。
トップギアで坂道をこぎ登っているみたいで、腕が回せなくなる。
カヤックを走らせる感覚とは対局の、カヤックを引きずってるような感じで初日は終わった。
16時過ぎに本島に着陸。ほぼ無風だったが、初日からキツイ一日だった。
焚き火タイムと反省会。
西原さんからの報告があった後、ユージさんから最初の質問。
「今日、心が折れた人は?」とあり。
誰も手を挙げない。
次に「じゃあ、心が折れそうになった人は?」との質問あり。
その時焚き火を囲んでいた全員が、「そりゃ、塚本さんじゃろー」と思っていたに違いないが、
心優しい花ちゃんが「私、折れそうになりましたー。」と言ってその場を和ごましてくれた。
自分は、まだ意地をはって「折れそうにもなってませーん。」と強がった発言をたれ流していたが、翌日にはちゃっかりと折れそうになった。


【2日目 2018.11.20(火)】本島から小飛島まで (リーダーは工藤さん)
ちょっとは左肩の痛みも治っているかと、根拠のない期待をもって漕ぎ出したが、あまかった。
左シャフトを押すたびに、ヅン、ヅンと軋むように痛い。前日よりもひどい感じだ。
初日と同じく2列目を漕いでいたが、すぐに後方に遅れてしまう。
「塚本さん、くらいついていきましょう。」
「塚本さん、がんばりましょう。」
隊を前に進めるべく、幾度となくみんなが声をかけてくれるが、身体が動かない。
ようやく追いついたら、隊は出発し、また遅れるの繰り返し。
そうこうしているうちに、もうとっくの昔に乗り越えてきたと思っていた自分のネガティヴな一面が顔を出し始める。
だんだんとみんながかけてくれる声が、素直に受け容れられなくなってきたのだ。
とっくに絶滅したと思っていた悪い「つかもとたけし」の登場だ。
気づいたら、三澤さんが、そんな情けない自分の横についていてくれていた。
この日は、リーダーの工藤さんはじめ、みんなの心労具合は大変なものだったと思う。
自分が、今回の横断隊での最大の反省点を挙げるとすれば、こうしてネガティヴな面をさらけ出してしまったことだ。
隊全体のペースは上がらず、自分があまりにも遅れるために海峡横断の途中で休憩をとったりする始末。
昼休憩のときには、出発のときにちょっとでも素早く出れるようにカヤックを波打ち際に置いていたところ、大型船の引き波に持って行かれそうになった。
失態の連鎖。
この日の予定では、横山海岸まで、最低でも走島まで行く予定だったが、リーダーの判断でかなり手前の小飛島を目指すことになった。
終盤になって、最前列のリーダー工藤さんの横で漕がせてもらい、ペースを合わせてもらってなんとか小飛島着陸。
①自分のせいで、最終目的地である祝島まで行けないかもしれない…。
②みんな、がんばって日程をやりくりして参加してるのに、自分が原因でこの第十六次横断隊をぶち壊してはいけない…。
③明日も、調子を取り戻せなかったら、みんなに迷惑かけないように途中離脱も考えないといけない…。
④大口たたいて、10日間も休みもらって来たのに、ここでリタイアしたら、どんな顔して帰ったらいいのか…。
⑤五十手前にしてこの醜態。こんなんやったか俺は…。
などなど、この2日目は一日中そんなことに心を囚われながら、漕いでいた。情けない奇声もあげた。
最後、着陸の時には余程へばっていたのか、人生初の「降り沈」をする。
絶対そんなことするはずがないと思っていたことをやってしまったことのショック。しかし、この「降り沈」が自分への大きな警鐘となった。
こんなにエグゾーストしている状態では、なにかあった時に正しい判断ができないかもしれないとの危機感を感じた。
再乗艇にも手こずるかもしれない。全然、自己完結できてない。
自分を整えて、やり直そうと決意した。
ハッチに積んできた焼酎もこの日の一杯を最後に、軽量化のため海に流そうと思った。
この日の反省会では、心の内をできるだけ正直に吐きだした。弱いところも、汚いところもすべて。
結果、それがよかった。みんながそのままの自分を受け容れてくれた。
ようやく隊士のみんなと一体になれた感じがした。
これぞ、横断隊なんだとわかると安心できた。単独ではなくみんなで漕ぐことの意味なんだと解した。
とてもいい反省会だった。
よし、明日は、化け変わった良いほうの「つかもとたけし」に戻ろう。


【3日目 2018.11.21(水)】小飛島から弓削島まで (リーダー 角田さん)
すっきりした氣持ちで目が覚める。前日、お湯割り一杯だけにしといたのもあるのかもしれない。
今日は、自分のスタイルに戻ろうと思った。できるだけ自分を拘束するようなものを手放そうと思った。意識も、装備も。
そのように吹っ切れたのは、前日の反省会があったからだ。
まず下半身。締め付けの強いネオプレンパドリングタイツをやめ、厚めのアンダーウェア(ジオラインEXP)の上にレインパンツをはき、足は裸足に。
下半身を楽にしたことで、細かい身体の動きができるようになり、艇の動きを感じられるようになった。
出艇前、リーダーの角田さんに、最初のうちだけペースを落とし気味でいってもらえないか、と頼んだ。
ここまで艇を走らせる感じがまったく掴めなかったので、調子を掴むまでは自分の感覚を優先して、いろいろ探りたいとの理由からだった。
結果、この午前中にじっくり動きを感じる時間がもてたことで、忘れていた感覚を取り戻すことができた。
(そうだった、これだった、これだった。乗車率200%の重い地下鉄を運転する感覚で漕ぐんだった。乗客を揺らしてマイナス妖気をださないように、ゆっくりと速度を上げていき、軌道を滑らすんだったYO!)
高気圧に覆われ、天候も幸いした。ベタ凪の水面を追い潮に乗って驀進。
後から聞くところによると、後方ではパドルカレントで大変だったらしい。
カヤックは海苔の筏の間を進む。暮らしに結びついた瀬戸内の豊かさを感じながら、パドルを回した。
不思議なことに、左肩の痛みはなくなった(かわって、両手に血豆ができたが)。
前日夜、内田さんが「慣れるよ」とコメントしてくれてたとおりになった。
隊はこのまま弓削島に着陸。浜では、サポートのみなさんによる豚汁や、ビール、お寿司、氣持ちの差し入れがあり、ありがたさが染みわたる。
反省会のときに、あだ名付け名人のゆーじさんから「間男(まおとこ)」というありがたいネームをいただいた。
なぜ「間男」なのかというと、反省会のときなど、話しているときに言葉と言葉の間に「間(ま)」があるというのが理由だ。
これだけは言っておくが、夜みんなが寝静まった後に、女子のテントに入ったわけではない。
これは、かなり自分に性格をよく表していて、いつも自分はなにか言葉に出そうとするときに、つまることがよくある。
言葉と自分の思っていることとの間に、微妙な音階のズレや温度差があったときに、言葉に出すのをやめてしまうのだ。
自分の言葉の引き出しが少ないのもあるが、心と発する言葉が違ってでも、その場をやり過ごすのは誠実ではないと思ってしまう。
それ故に、よく黙ってしまうのだ。
それにしても、こうしてユージさんから、こうして、いじくってもらえるようになったことが、何より嬉しい夜だった。
そして、まだギリギリで祝島着陸の目標をつなげたことも嬉しかった。


【4日目 2018.11.22(木)】弓削島から岡村島まで(リーダー 森さん)
前日あれだけ高気圧に覆われていたのに、夜にはまとまった雨が降り出した。
雨の中での撤収も、いつも辺野古瀬嵩の浜で慣れているのでなんともなかった。
ハッチにすぐ積みこめるようにバッグに小分けにして、後はテントをたたむだけの状態に。
砂だらけのテントをたたむのは嫌なものだが、幸いにもここはすぐ上にコンクリートの遊歩道があり、さほど砂に悩まされずにすんだ。
まだ真っ暗だったが、この日のリーダー森さんは早々に出艇できる状態で海をみていた。
この日は大潮。そして核心である舟折瀬戸を通過しなければならない。
大型船が通るこの瀬戸を、潮がとまっている時間をねらっていかなければいけない。
しかも時計や計器なしで。
そして、最も漕力に不安がある私のことは、最大の氣になるファクターであろう。
森さんは、そんなことを頭に入れながら、海を見てたのだろう。
この日は雨対策として、上半身をリバー用のスプラッシュジャケットをやめて、
山用のレインウェア(ストームクルーザー)とアクアテクトリストバンドの組み合わせに変更。(これが一番快適だった。)
離陸の頃には小雨になりはじめた。向かい潮なので、反転流をねらって岸寄りを進む。
自分は相変わらず遅れそうになるが、その絶妙のタイミングでリーダーから的確な檄が入る。
森さんの檄はいつも「おのれ自身と向き合うように!」と言われているかのように的を得ている。経験の裏付けを感じる。
そして一方では「後でたっぷりと、塚本さんの好きな追い潮に乗せちゃるけえ」と言ってくれるように期待を持たせてくれたりもする。
さすが、プロの案内人だ。
途中、潮で大きく流され、隊がニ分することもあったが、沖浦ビーチで潮待ちをし、核心の舟折瀬戸は絶妙のタイミングで通過することができた。
見事なリーダーのナビゲーションだった。
伯方島にて昼休憩。ここで出口さんと、角田さんが途中離脱。握手をして別れる。
朝の予報では、北西の風が午後から吹くとの予報だったが、北東からの風が強く吹いた。
まあ、見事なまでの向かい風、舳先を目標に向けるのも一苦労。途中、楠さんが抵抗になっていたフラッグをたたんでくれた。
なんとか必死のパッチ漕ぎで越えるも、このとき右手首を痛めてしまった。
一旦、大下島の港から上陸して幕営に適した場所を探すも、テントが張れる場所も、焚火をする場所も、艇を安全に上げておく場所もない。
日没が迫りつつあったが、覚悟を決めて岡村島を目指すことになった。
幸いにも風はおさまり、夕陽に向かってパドリング。最後の岬を越えた岡村島の浜に着陸。ようやく焚き火を囲める幸せをみんなで噛みしめた。


【5日目 2018.11.23(金)】岡村島から倉橋島まで (リーダー飯山さん)
大潮。強い向かい潮をかわすために、岸よりをインベタで進む。自分はリーダーのすぐ後ろにつけさせてもらい、1列になって進む。
それでも、岬を過ぎるたびに、潮の流れで大きく外側に放り出される。
ラダーのない飯山さんの艇が、目の前でピョンと横っ飛びするみたいに外側にドリフトする。
それを見ていた自分も、同じ潮の流れに捕まり大きくふくらむ。後ろから「ダメ、ダメ、ダメー!」と声がかかる。
ラダーを大きくきって、またもや内側へ必死のパッチ漕ぎをする。
前日、痛めた右手首が腫れ出した。右手をかばうように漕いだことで、また不自然なパドリングに振れる。
5日目まで来たんだ、なんとか祝島までもってほしいぞこの右手。アクアテクトリストバンドの端から、腫れた腕が明宝ハムみたいにはみ出ている。
この日は、風もあり、ずっと波立っていたが、ふと隊長の艇をみるとそんな状況の中、海惺が力強いパドリングをしていた。
素晴らしい! かっこいい! たのもしい!
道の駅の浜に上陸して、昼休憩。ここでユージさんにアクシデント。
ヌメヌメで滑り、コンクリートに頭を打ってしまったのだ。(それから、ユージさんの調子がおかしくなる。みんなの心配が大きくなってくる。)
自分も、この日は何故だか胃の調子が悪くて、うまくペースに乗れない。
お昼に食べたリゾッタも、行動食として摂ったナッツバーも、すべて瀬戸内の魚たちへの撒き餌にしてしまった。
この日も、自分ひとり遅れ気味になりながら、亀が首を回り込み倉橋島の浜に着陸した。
誰もいない静かな浜だった。
上陸してすぐに、隊長と海惺が鉄鍋をさげて浜の端に消えていった。
しばらくして戻ってきた。鉄鍋の中に入っていたのはヒジキ。焚き火で炊いて、海のミネラルをみんなで吸収した。
なんだか、より海に融合した感じがした。
この日、月夜の反省会でも自分の弱さをこぼした。
ちょっとした言い合いになりかけ、またもや、氣もちの梁が崩れ落ちそうになったが、
「隊として強くなくていいんや。個として強くなればいいんや。」という隊長の一言で、得心した。
結果として、隊は再びまとまった。これぞみんなで漕ぎ続けることの意味だ。


【6日目 2018.11.24】 倉橋島から周防大島へ (リーダー 三澤さん)
すっきりした気持ちのいい朝を迎えた。今日中に周防大島までつけてないと祝島ゴールは厳しいという。
日の出とともに漕ぎ始める。朝日の美しさに心をうたれる。
誰かが「来年の年賀状写真はきまりだな。」ってつぶやいた。
今日も、潮の早いところを通過するとのことだった。天気は快晴。暑いぐらいだった。
リーダーの三澤さんの隣につけさせてもらい漕ぐ。天候がよかったのもあるが、自分でもこんなペースでいいの?と感じるくらい余裕をもって漕ぐことができた。
今回の横断隊で、はじめて雑談をしながら漕ぐことができ、心底からほぐれた。
頑張って意気込んでるだけではだめだ。心も体も開かないと。
やっぱり、ゆんたくは大事。
順調に巡航して、目的地である周防大島の南側、沖家室島向かいの浜に着陸。ここは丸石の浜でとても快適。砂に悩まされなくてよい。
陸からサポート隊も合流。ありがたい差し入れをいただく。
ここまでもいろんな方がサポートに来てくれたが、そんなサポートチームの方々の笑顔が何よりも嬉しい。感謝。
この日の反省会では、ようやく祝島が射程距離に入ってきたという実感で、みんなが笑顔だ。
リーダーを務めた三澤さんは、余程神経をすり減らしたのであろうか、焚火の横で早々に撃沈していた。ほんとお疲れさまでした。
この日は、前日、言い合いになった飯山さんと遅くまで語りあった。
「これがあるから、横断隊だけは毎年参加したいと思うんですよね。」と飯山さん。
自分も、また参加したいと思った。
夜の焚火はすばらしい。


【7日目 2018.11.25(日)】 周防大島から祝島へ (リーダー 楠さん)
いよいよ最終日。ここまでのリーダーが、つないでつないで、ここまで来た。
2年前にカヤックで渡りたいと思った田ノ浦から祝島への横断はできるだろうか。
今日の予報では、どの予報でも西風が強くなるとのことだった。
途中、一隻の船が我々に怒鳴りながら、猛スピードで脇を通り過ぎた。
何を言ってるのか聞き取れなかったが、我々に敵意をもっていることだけはすぐにわかった。
隊長の話によると、原発誘致になびいてしまって、お金をもらっちゃた人ではないかとのことだった。
やっぱりそうなのか。かなしいよ、とても哀しい。
原発マネーによって、海や、仲間、ご先祖などを裏切ってしまったことによる後ろめたさ。一生ついてまわるであろう後悔の念。
これは、つらい、きついと想像する。
この人達も救いたい。それができるのは、人類の総意として、この惑星から原発をなくす決断をすることしか方法はないと思う。
そして、それは人類がチェルノブイリとフクシマを経験した今、できると思う。やろう。
自分たちは、もう核はこりごりなんだ。
いままで他の現場でも、同じようなことがあった。
長良川の河口堰建設反対運動に参加していたときには、わざと挑発するように爆音を鳴らしに来たジェットスキーがいたし、
辺野古ではカヤックでの一日の行動を終えて浜に上がったときに、右翼の車が来て、通せんぼされたことがあったりした。
ほかにもたくさん事例はある。
こんなことがあったときにいつも感じるのは、
なんで、こんな海や川で、心がデフォルトで穏やかになる自然の中で、
人を攻撃するモードになれるのかなあ、ということだ。
(自分は、他人に踏まれたことよりも、踏んでしまったことの方がいつまでも記憶に残り、突然叫び出したくなる衝動に駆られるんだ。)
話は、大きく脱線してしまった。でも、漕ぎながら、一瞬のうちにそんなことを考えた。
予想以上に強い西風に悩まされる。特に長島まではきつかった。
でも、ようやく見慣れたところまで来た。心は自然と軽くなる。
上関海峡の横断では、みんなで全力漕ぎで競漕をする。西原さんがぶっちぎり。
日没までの残り時間が気になり始めた頃に、田ノ浦上陸。
2年前、応援で田ノ浦に来たとき、原隊長がみんなにここで話していたことを思い出す。
「横断隊の目的のひとつは、ここ原発建設予定地である田ノ浦に来ること。そして祝島の人たちの話を聴くこと。」
そう話していたのを、はっきりと覚えている。
そして自分の身体で、ここ田ノ浦まで漕いできて、その意味が刻み込まれる。
香川県、岡山県、広島県、愛媛県、山口県、そして地元の兵庫県。
カヤックで漕いできたけど、どこが行政上の県境なのかはわからない。
だけど、これだけはわかる。ここ瀬戸内は「海の途(みち)」なのだと。
ずっとずっと、風を感じ、潮を感じ、生き物たちを感じ、つながれてきた命を感じ、人はこの海とともに生きてきたんだってことがわかる。
この原子力発電所建設計画は、上関原発建設計画ではなく瀬戸内原発建設計画なのだ。
浜でトイレを済ませ、建設予定地のフェンスを見ていると、中から年配の警備員が浜に出てきた。
ここでは人感センサーと監視カメラが、現役で稼働している。いまだ建設計画は立ち消えになってはいない。
田ノ浦を後に。祝島への最後の横断。
ひさぼうさんの船が、ちょっと距離をとって伴走してくれる。
祝島の左端に沈みゆく落陽をみながらのパドリング。途中からヘッドランプを点けて漕いだ。
祝島が近づいてきたとき、もう一隻左後方にいる漁船が気になった。
後からわかったことだが、祝島の漁師、たみちゃんもお迎えに来てくれていたのだ。
ついに祝島の港に入る。防波堤の上から、島の人たちの拍手で迎えられた。
暗闇の中、仲間たちがラダーを畳む音が、パタンパタンと響いたときこの旅の終わりを実感した。
寝袋など、最小限の荷物だけを持って、島の民家へ。
テーブルの上には、直美さんが腕をふるってくれたお料理が並ぶ。
第16次瀬戸内カヤック横断隊最後の反省会、というか報告会。
隊長から隊員への話が印象的だった。
「いま、みんながいるこの家で、何度も何度も、こうして島の人たちと集まって、原発建設計画を止める話しあいをここでしてきました。」
そうなんだ。
ここに見える景色は、その時当事者でなかった自分にとっては「久しぶりの畳の上でありがたい。」ぐらいのものでしかないが、
ずっとずっと闘ってきた、隊長や島の人たちに見えているこの空間はぜんぜん違うんだと認識した。
この海を守るために、この人たちは凄い闘いを続けてきたんだって。
ここまで漕いできて、感覚と風景が一致した瞬間から、涙が止まらなかった。
自分が関わってきた辺野古や高江のシーンとも重り、涙に拍車をかけた。
友達や仲間の逮捕、怪我、救急搬送、精神的苦痛、トラウマ…。
1週間の身体的疲れも作用してか、自身の中にある氣が丸裸になったようで、ただぼろぼろと涙を流した。
そして、同時に希望も沸き起こった。
こうして、まだ、上関原発はできていない。
そして、辺野古の新総合基地もできていない。
ちょっとかもしれないが、自分が動くことで、創っていける未来がある。
そう思うと、次に続く力が漲って(みなぎって)きた。
この海の途を渡って  核のない未来へいこう
この海の途を渡って  基地のない未来へいこう
思っているより近い未来へ  みんなで いこう

~ 行程編 おしまい ~


番外編
はじめて1週間の横断隊生活を経験し、この経験で得たことを、日常に、仕事に、チームづくりに活かし、還していきたいと思いました。
これから参加しようとする方の参考にはならないかもしれませんが、記録として、記憶として、残しておきます。

【装備と食糧計画】
今回、カヤックとパドル以外は、ずーーと使い慣れたものばかりを持って行くようにした。
フラッグは、以前から使用しているモンベル製のシットオン用フラッグを加工して取り付けた。
原田さんから艇とともにお借りしたカマボコ型デッキバッグがとても使いやすかった。ボトルや食料、ヘッドランプなども素早く取り出せる。
慣れたキャンプ生活はとても快適で充分な休息を取ることができた。
テントは、27年前に購入したムーンライト3型。自分が寝ている寝袋の場所を中心に、どこに何をどのような状態で置いておくかは、習慣化されているので、ヘッドランプがなくても、すぐに必要なものを手にすることができる。山か海かの違いはあれ、パッキングの段取りも自動化されているので、起床してからの準備も素早く、テント生活はまったくストレスがなく充分な休息につながった。
アウトドアでの睡眠は、我を忘れてぐっすり眠るものではないことを経験上識っていたことも大きかったと思う。
冬山でも、テントの壁を通じて、風の変化や、テントを埋めようとする雪の降り積もり具合などを感じて寝る。横になっていても、常に感覚ははたらいている。電化製品のスリープ状態だ。だから休めていないかといえば、全く逆で、日中オンになりっぱなしの意識と感情の回路を切断しているだけで、感覚だけにゆだねているだけで、身体にも精神的にも充分な休息になることを識っている。
オンになっている意識や感情は、かえって自分を縛りつける。
意識と感情と感覚が融合したときこそ、次の段階に昇華するように感じている。
食糧はできるだけ軽量化に努めた。
水は、途中で補給できると予想し、8リットルのみ。焼酎の大型ペットボトル2本におさめた。
朝は、マルタイ棒ラーメンと、スティックコーヒー。
朝のうちに、ジェットボイルで沸かした熱湯を、アルパインサーモボトルにつめておく。
昼は、そのお湯を入れて3分でできるリゾッタ(もしくはサタケのマジックパスタ)、とブレンデイのスティックコーヒー。
素早く温かい食事が摂れるので、気持ち的にもゆったりできた。
夜は、基本的に米を炊くか、ナンを焚き火で焼いてカレー。
行動食はナルゲンボトルにナッツバーや、スポーツ羊羹、ドライフルーツなどをパンパンに入れ、止まる度にまめに補給する。
途中、芳地さんからいただいた「こんぶ梅」がめちゃめちゃ美味かった。
出口さんは、おばあちゃんの干し柿を持ってきていたが、和的な行動食は心を豊かにしてくれる。
加藤文太郎みたいに、甘納豆と小魚なんかもいいかもしれない。次回の候補にしておこう。
ちなみに、酒は芋焼酎の紙パックを1本。それと祝島に着いたら飲もうと持っていったオリオンビール(名護工場製)を1缶。
ストーブはジェットボイル。ガス缶は2つ持っていったが、1缶で十分だった。焚き火でも調理できるのでお湯を沸かすだけなら余裕だった。

【モンベルと横断隊】
自分は、1995年に起きた阪神淡路大震災がきっかけで、以前に勤めていたシステム会社を辞めた。
そのとき、モンベルが最初のアウトドア義援隊として、六甲店をベースに、テントやタープ、寝袋などを被災者に供出しているのを知った。
そして、この会社に関わりたいと思い、当時、関西では2番目のクライミングジムがある六甲店で、アルバイトとして雇ってもらったのがはじまりだ。
(まさかその後、その六甲店で7年間も店長として任されることになるとは思わなかったが。)
当時は、バブル経済の末期。それでもまだ建設省が先頭にたって、全国各地でコンクリートによる自然破壊はすすめられていた。
すでに、長良川河口堰はできてしまっていたが、公共事業の名のもとにダムが造られてきた。
また、原生林や自然林を伐採しながらも、観光開発という名目でスキー場やゴルフ場が造られてきた。
アルバイトから正社員としての入社面接の際に、「モンベルでやってみたいことは何ですか?」
という質問があった。
「多くの人がフィールドへ出ていくことで、本当の自然の素晴らしさにふれることにより、個々が自発的に自然を守ろうとする、そんな社会意識を醸成したい。」
というようなことを答えた。
そのときの思いは1ミリも変わっていない。
かえって強くなり、ようやく将来的ビジョンをもって語ることができるようになってきた。
そして自分の場合、そのビジョンを達成するにあたっての近道は、モンベルの一員でいることだと信じている。
自分が入社した頃にくらべると、ずいぶんモンベルは大きくなった。
もはや、アウトドア用品を販売するだけでなく、アウトドア文化を拡げるという責務がある。
まさに、自分が抱いていた夢が次なる目標にある。
かつて、システム会社の一員として勤めていたこともよかった。
自分には、会社員として勤めあげることの自負と誇りがわかる。
同期だった仲間たちには、部下をもち、決裁権をもっている者もいるだろう。
実質的に経済界を支えている、多くの会社員や行政職員の意識に、生活者の意識に、「アウトドア」という観念が浸透することで、意識の土壌は変わっていく。
そして、それにはやっぱり海からの視点が必要なのだ。
横断隊に参加するまでは、海というのは陸を区切る境であるという観念が、自分のどこかにまだあった。
しかし、カヤックで旅することで、海こそ「つながり」そのものだということがわかった。
海のアウトドアという観点が加われば、さらにアウトドア文化は深化し、拡がっていくだろう。
自分もモンベルも、「山」を原点としてきたが、そうした意味でも、この会社でやるべきことはまだまだある。
 
【声をあげることについて】

自然の中に身を置くことは、氣もちいい。
その心地よさを享受して、これから先、自然を大切にしたいと考えるのは当然だ。

だけど、

海が埋め立てられようとしていること、
自然林が伐採されようとしていること、
核関連施設が造られようとしていること、
止まっていた原発が再稼働されること、

そんなことを知っていながら、そこに触れずに、自然の素晴らしさだけを語ることは、自分はできない。

自然を消費するだけでは、真の満足を感じれない。

心の芯からの悦びを感じたいから、そんな心の不一致を消化したいから、
そこを解決すべく、環境を守るための、いわゆる「運動」の現場に出向くことがある。

学習会、講演会、環境シンポジウム、現場での阻止行動…。
なんとかしたいから、その場に駆けつける。

イタいやつだと思われているかもしれない。

でも、「今、動かなきゃ」と心が発するときには、自分はその発動に従うようにしている。
だから、現場に行くのだ。

行動にはリスクが伴う。
逮捕されるかもしれない、怪我するかもしれない、ネット上でたたかれるかもしれない、それらが原因で仕事に穴をあけることがあるかもしれない…。
それらのリスクも想定しながら、考えに考えて、それでも行動の現場には行ける範囲で行く。

自分側からの勝手な思い込みかもしれないが、会社の上層部では、
「うちには、こうして辺野古に通って、カヤックで抗議行動に出たりしている社員もいるんですよ。」ぐらいに、考えてくれてはるんではなかろうか、と思っている。
そこのところが、自分が感じている会社との信頼関係だ。

会社全体として、組織全体として、原発や新基地建設に反対する立場を表明するのはすばらしいと思う。
たしかに、ダム建設反対の立場や、原発反対の立場を、企業の名前を全面的に出して表明することによる社会的影響力は強いとは思うが、
企業として表明しなくても、個々として、日頃から自然なこととして、このように考えているスタッフで構成されている会社にいることを誇りに思う。

自分は、原発の問題や、基地建設問題を解決するヒーローでありたいとは思わない。

ただ、普通の会社員が、ショップ店員が、カヤッカーが、クライマーが、オジサンが、
こうして環境問題について、たまに声をあげ、シャウトしていることに誰かが氣づいてくれたらなあ、とはちょっと思う。

そうして個々として、声をあげる仲間が増殖している頃には、
自分たちが望む未来に塗りかわっていることだろう。

横断隊に参加したことで、
誰も取りこぼすことなく、みんなで望む未来へ行くんだというイメージが掴めたように思う。

【ゆめを語ること】
自分の創りたい景色を想像する
自分が思う未来を創造する
近い未来をつかむのさ
みんなが
ごきげんに
おだやかに
朽ちていけるように
にんげんだけじゃないぞ
鳥も
魚も
菌類も
ごきげんに
朽ちていけるように
そんな普遍的な未来をめざそう
冒険は必要さ
それをしなけりゃ
しぼんでしまうぞ
みんなで
いこうぞ

~ 番外編 おしまい ~

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和


 今次は停滞することなく小豆島から祝島まで漕ぐことができた。美しい夕日を見ながら祝島を目指すのは、僕が参加した10年の中で初めての経験だった。
前回より海上で時計、方位磁石、海図、スマホ等の航海機器を使わないことを決めたが、今次、参加三年目以上の隊士は航海機器を使わず、それ以外の隊士は海図のみ使っていいことになった。横断隊も16年目となり、ルートや野営地の情報が蓄積されてきている。そこで更なる進化を目指すという点で、現代の便利な航海計器に頼らず、自分の五感をフル活動させて、瀬戸内を航海できる力を磨く。自分はそう意識しながら漕いでいた。
 
 今次は6名の新しい隊士が参加したが、最年少は隊長の息子、海惺隊士10歳。横断隊の七日間の生活を楽しそうに過ごしていた。海では隊長のダブル艇の前に乗り、厳しい海況もしっかり漕いでいる姿を見て、僕は驚きを隠せなかった。小学四年生で横断隊を経験できることは今後の人生にどう影響するのか、海惺隊士の成長がますます楽しみだ。
  初日は15艇で離陸して本島を目指した。前半は向い潮と北西の風を受けながら漕ぎ、後半は追い潮に乗りながら進めた。瀬戸大橋の下の潮流は、いつ漕いでも緊張感が高まる場所だが、今次は良いタイミングで無理なく通過できたと思う。
 櫃石島(ひついしじま)から本島を目指す時、潮流の影響で目標ルートが少しずれたが、本島の北にある向島の配置から、潮流の動き方が面白い海域だなと思った。
 二日目は本島から小飛島まで約28kmを漕いだ。小手島の南の浜から西側を見て、島と島が重なり合う中、どれが今日の本来の目的地(走島)なのか、僕は分らなかった。出艇前に海図をじっくり見て、覚えたつもりだったのが、島の配置や名前が、まだ頭にインプットされてないことがよく分かる場面だった。海上からの視線で、島が重なりあう景色に惑わされたのだ。
 この日は初日の疲労やレンタルカヤックに慣れてない隊士もいて、漕ぐ距離は短かったのだが、声の掛け合いや助け合いが多く見られ、今次の横断隊のチームワークを作る第一歩だったと思う。夜の反省会でも、それぞれが思う気持ちを熱く話していたような。
 三日目、走島から鞆の浦までの横断を終えて昼食休憩をした。そこでFMふくやまの渡壁さんよりラジオの取材が入り、隊士達は瀬戸内カヤック横断隊について発信した。
 後半は田島から百貫島を経由し、弓削島まで漕いだ。大潮の追い潮と風が味方してくれて、とても気持ちの良いパドリングで海峡横断ができたと思う。漕いでも漕いでもなかなか進まない時間もあれば、楽にどんどん進む時間もあることがよく分かる一日だった。そしてパドルカレントをじっくり体験できた。
 弓削島の着陸時、弓削のシーカヤックガイドである石田さんが出迎えてくれて、松原海水浴場のすぐ隣の浜へ誘導してくれた。松原海水浴場は過去に野営をさせてもらったが、今は焚火が禁止となったようだ。
 四日目は朝から向い潮の影響を気にしながら伯方島の沖浦ビーチを目指した。自分が思った以上に早く沖浦ビーチへ着陸でき、気持ちに余裕を持って潮待ちができた。絶好のタイミングで船折瀬戸を通過できて一安心である。
 大三島南岸から岡村島を目指していると、突風混じりの北西の風を受けた。肥島の南を経由し、なんとか大下島西側にある港へ回り込めたが、満潮になれば無くなる浜しかなかった。大下島で野営ができるのか?沿岸沿いを歩いて確認したが、13艇のカヤックを階段であげて、テントを張るにはまあまあ大変な場所であった。だからと言って、岡村島まで漕ぐには海の状況からリスクが高い。
 日没を気にしながら野営を決めようとした瞬間、予想外に風が弱まり、白波が落ち着いた。この瞬間を見逃すことなく早々に離陸すると切り替え、日が落ちる前に岡村島の観音崎へ着陸できた。この日はとても判断が難しいこともあって、自分がリーダーならどうしているのか、学ぶことも多かったと思う。
 五日目、前日の昼に伯方島で角田隊士と出口隊士が離隊したため、13艇でとびしま海道の南岸を漕ぐ。下蒲刈島の梶ヶ浜まで、向い潮がよく流れていたし、北西の風もあって辛抱しながらの漕ぎだった。しかし、斎灘を挟んだ愛媛県の山の稜線や忽那諸島がはっきり見えていて、僕は地元が近いこともあり、頭の中の海図がクリアに見えていた。
 梶ヶ浜から倉橋島の亀ヶ首まで、呉方面へと流れる潮流と北西の風の中、最短コースを狙った。視界はよく、松山と呉、広島を結ぶフェリーや高速船も早めに視認できた。亀ヶ首の先端は潮流のパワーを感じながら通過し、無人の野営地に着陸できた。
 六日目の朝、周防大島の南岸へ行くために、どのルートを目指すか考えた。大潮の忽那諸島の流れは緊張するが、出来る限り安全なルートで通過したいと思っていた。
 亀ヶ首を離陸し、向い潮が思ったより強くてなかなか進まなかった。潮の影響を考え、鹿老渡と倉橋を結ぶ橋(村上水道)を抜け、鹿島の西側から南端まで漕いだ。
 鹿島南端より津和地島へ横断。あまり津和地島の北端へ近寄ると、怒和島の方向へ吸い込まれることを話していたが、なかなか難しいもので、怒和島への流れに捕まってしまった。流れから抜け出して津和地島の西側から情島へ渡れた。諸島を避けて情島の西側から回り込み、周防大島の東の先端に取り付き、素直な潮の流れに乗って南側へ回り込めた。引き潮が流れている時間、隊の安全を考えるとベストなルートで、また一つ瀬戸内の海を学べた場所であった。その時の諸島近辺は大きな段差ができた潮目があり、恐ろしいなと思った。
 その後は追い潮に乗って、一気に沖家室島の手前にある野営地まで漕いだ。
 七日目、航海計器を使わない状態にも慣れた所でリーダーを任された。周防大島の南岸を西へ進み、北西の風が強くなる中、下荷内島を通過し、黒崎鼻の浜へ着陸した。
 後半は追い潮で進みが良いことを期待していたが、西風が意外に強く、岸寄りを漕ぐことにした。西風を少しでもかわしながら長島の最南端を回り込むと祝島が見えてきた。この瞬間、一発目の感動が込み上げる。そして同時に、ここから祝島までが、意外と近くて遠いのだ…と思っていた。田ノ浦までも厳しい西風を受け、隊のペースも上がらない。
 綺麗な夕日と祝島が見えるタイミングで鼻繰瀬戸の横断に入ったが隊の安全面において厳しい時間帯を漕がせてしまうことにドキドキした。当然、各自ヘッドランプやフラッシュライトを点灯しながら漕ぐことになった。僕は、昨年もリーダーでナイトパドリングとなってしまったことを思い出していた。みなさん、ごめんねー。なんとか無事に祝島へ着陸できて良かった。
 祝島のヒサボウさんが僕たちを漁船から見守ってくれていて、とても心強かったです。ありがとうございました。
 今次は、七日間のうち一日50km以上を漕いだ日はなかったし、着陸時間もそこまで遅くなかったので、身体への負担が少なかったと感じた。時計がないので時間の経過が早く感じたが、太陽の位置で時間を計測するのは、まだまだ修行が必要だ。雨や曇りの時に太陽が確認できないこともどうするか。
 毎回思うが、毎日焚火ができて暖がとれるのは本当に有難く、幸せな時間だなと思う。
なので、四日目の野営地が岡村島だったことは、今次の横断達成のキーポイントだったかなと思っている。もちろん海況が荒れていれば、大下島でやれんことはなかったと思うけど、荷物の運搬に時間と体力を使い、焚火の時間も削られてしまったかなと思う。 
 今次も三澤隊士がGPSでルートの記録を残してくれているのがありがたいです。航海計器のない中、リーダーの指示と自分の思っていたことがどうなのか?色々と振り返ることができて助かります。おかげでとても貴重な記録を残せていると思っています。
 女性隊士2名、芳地隊士と花井隊士はパワフルな漕ぎで安心感があると同時に、ムードメーカー…いやマスコット?的な役割を果たしてくれて、隊を明るい雰囲気にしてくれました。
 みなさんからの還暦のお祝い、ユージさんのFRP艇が今次横断隊デビューしました。前半はみなさんの暖かい想いに包まれながらスイスイ漕いでいましたが、後半は「重い」が足らん!という感じで漕いでいました。その辺りはユージさんのレポートに出てくるのを楽しみにしています。
今次もたくさんの方々に応援サポートいただき感謝しています。
そして参加隊士のみなさん、お疲れさまでした。ありがとうございました。 2018年12月27日 

2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 井上 好司


 4年連続して参加した横断隊だが今年は諸事情で参加を見送った。参加はしなくても隊の動きが日々気になるのは覚悟していたが、なるべくSNSへの書込みは控えようと思っていた。ところが実際には気象予報と隊の動きにコメントせずにはおれずついつい外野から口をはさんでしまう。これはまずいと昨次まだ書いていなかったレポートを書き始めたらこんなのができてしまった。参加はしていないがレポートとして提出させて頂く。

**************************************

 どうして僕たちは神話を知らないのか?「歴史・神話を12~13歳で学ばなかった人たちの国は亡びる。自分のルーツを忘れた民族に未来はない。」イギリス人の歴史学者であるトインビーが言っている。いつから日本人は神話を知らない民族になったのか?連綿と続いてきた先祖たちの伝統・ルーツを尊ぶことを、我々の先祖が何を大切にどのような思いで生きてきたかを忘れた記憶喪失状態をいつまで続けるのか?たぶん神話教育は太平洋戦争の敗戦までは国史として行われていた。GHQの命令で神話教育は禁止されその後の日本人は神話を学ばなくなった。アメリカは日本との開戦前に徹底的に日本を研究し、日本の強さが古代から通じる精神性にあると結論を得ていたそうだ。その為戦後GHQは日本各地の神社に残る文献をことごとく焼き、意図的に日本人の精神を根なし草にして弱らせる手段を取った。小中高の教育で日本の子供たちに天皇・神道・神話が軍国主義に結びついたとインプットして遠ざけた。

 僕はここで神話教育の重要性を長々書くつもりはない。神話教育が重要であることを説いている欧米人から神話教育を禁止されてる現代の日本の状態を、僕たちが気付きもせずに生きていることは不味いのではないかと言いたいのだ。敗戦後の日本は間違いなくアメリカの属国となった。アメリカの了解なく国の生末を自ら決めることを禁じられた。独立後の日本は形の上では独立国だが今なお属国のまま。敗戦後の日本人は国の再建の為にアメリカの属国を続けることを選んだ。だから戦後の日本人は自分の国がアメリカの属国であることを知っていたが、はたして現在はどうだろうか?政権交代した民主党政権下においてもアメリカ属国の立場は変わらなかった。そのことに現代の日本人は違和感を感じていない。既にみんなで記憶喪失。

 郵貯・簡保が民営化されたのはアメリカ金融界からの要望。郵貯や簡保が蓄えている国民の財産をグローバル市場に流し込むため。公的年金の運用に外国債券や外国株式も含めさせたのも同じ目的。アメリカの化学薬品業界が作る枯葉剤をベトナム戦争後は日本のホームセンターで除草剤として売る。原子力発電、米軍基地、食糧(種子)、エネルギー…日本の国のかじ取りがアメリカの言いなりになっているこのような例はおそらく数え上げたらキリがないくらいにあるのだろう。

 瀬戸内が海になったのはいつの頃か?神武の東征の際、宮崎の日向から大阪の生駒山の麓まで瀬戸内を舟で行ったというのが一般的な見解だ。とすればおよそ3,000年前には海として東西が開通していたことになる。約10,000年前、氷河期が終わり海面が上昇を始め、6,000年前に現在の瀬戸内が形成されたとされている。神武が瀬戸内を横断したころには瀬戸内の両岸の入り江には人が住み着いていたことだろう。その人たちはどこから来たのか?九州南部から、山陰から、または朝鮮半島から。
 スサノオの息子である五十猛神(イタケル)は九州・四国・山陽山陰・紀伊半島・尾張辺りまで植樹をして回っている。しかも用途に応じた様々な種類の木々を植えた。もちろん神武より以前のこと。たぶん4~5,000年前。縄文時代。五十猛神は木の神として知られるが元々は造船や航海にたけた海の神だった。当然自ら作った舟で瀬戸内を何度も横断しただろう。五十猛神が植えた木々のお蔭で日本の森は落葉広葉樹の森になり、その沿岸は栄養分の豊富な幸多い海になった。瀬戸内は海の幸山の幸の豊富な、人の住み着きやすい土地だったのだろう。

 百済と大和朝廷を行き来した阿智族もまた瀬戸内を頻繁に横断している。1,700年くらい前か。後に阿智王家から藤原家が生まれ、その護衛兵として平氏が生まれる。やがて平氏が瀬戸内を支配するようになり、藤原王朝をも滅ぼし武士の世を作る。阿智族も平氏も海の民。出雲で国を譲った出雲族は近畿に下って国を開いた。近畿一円の土地を開墾し稲作を始め、東北地方にまで稲作を広めたが、神武の東征でまた国を譲ることになる。神武は天津神(海の民の祖)、出雲族は国津神(山の民の祖)。出雲族の指導者たちは東北に逃れる。2,700年ほど前、縄文後期から弥生時代初めの話。神武派が表の為政者となり実権は海の民が握り、藤原氏平氏と続く。出雲族は陰にまわって山の民となった。

 その後海の民山の民は交雑融合し現在に至っては皇室を除いて区別できる者はほとんどいないだろうが、東北は幕末まであまり融合せずほぼ山の民だった。平安時代の蝦夷(えみし)追討から藤原三代の滅亡、戊辰戦争の敗北で東北の最も有力な家系であった安倍氏もいよいよ終末を迎える。戊辰戦争後名門家系の優秀な安倍氏のプリンスを萩の岸家が迎え、現在ではその子孫が日本の首相にまでになった。お父さんの晋太郎氏は安倍氏としての自覚があったようで東北に先祖供養に足を運んでいるが、戦後生まれの現首相には安倍氏のことは記憶にないらしく、自分は岸の人間と思っているようだ。東北が震災で多くの被害を被ったこの時期に彼は誰から何を求められて首相になったのか?震災で亡くなった人々の鎮魂と慰霊そして今なお苦しむ東北の人々の復興は… 彼の為政は東北の人々に優しいとは言い難い。彼には神武の東征で国を譲り東北に逃れてきた先祖の記憶など微塵もないのだろう。とうとう日本の政(まつりごと)を記憶喪失者が行う時代になった。記憶喪失なのは現首相だけではない。戦後生まれの現代の日本国民のほとんどが記憶喪失。

 日本の数千年(或いは数万年)の歴史の中で僕たちは非常に特異な時代に生きているのかも知れない。困難とリスクをでき得る限り排除した生活が僕たち現代人の日常だ。困難やリスクがなくなったことで危機を感じる感覚も工夫する知恵もあえて必要なくなった。自然に対する感覚の退化が始まって久しい。日常の生活と自然は完全に切り離された。現代の日本人は自然は征することのできる存在だと無意識に思っているようだ。〇〇山の頂を征する。〇〇尾根ルートを征する。例えば今の日本の山岳会ではこのような言葉を違和感なく平気で発する人がたくさん存在する。かつて日本人にとって山は信仰の対象であり敬うべき存在であって征服するものではなかった。欧米特にイギリス人にとっての自然は産業革命以降征服する存在となり日本山岳会はその思想を丸ごと鵜呑みにしている。日本独自の山岳思想をすっかり忘れて…
 現代が非常に特異な時代だと感じる要因は次の2点。一つは自然と切り離れた便利で安全な生活になって人が本来持っていた感覚(感じる力)が失せ自然を尊ばなくなった。もうひとつは戦後教育によって日本人の古来から連綿と引き継いできた知恵や感性がどんどん弱まっていること。しかもそのことに全く気付いていない。日本人の記憶から自分が海の民だったことも山の民だったこともすっかり消えてしまった。僕たちはそろそろ気付き始めねばならない。食事をする前に手を合わせて「いただきます」とどうして言うのか?正月には神社に初詣に行きその前の大みそかにはどうして晦日そば(年越しそば)を食べるのか?

 太平洋戦争後アメリカによって強要された教育と報道。日本の伝統や歴史から現在を切り離し、ぐっと一所に押し込めるような教育。真実を伝えない、目覚めさせないようコントロールされた報道。この文章を書いている今日(11/23)は新嘗祭。天皇と国民が神(自然)に対して五穀豊穣の感謝と祈願をする日。それを「勤労感謝の日」とごまかす時代。新嘗祭に何をしているかほとんど報道されない。だれが何のために…

 「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」というのがある。3万年前の舟(丸木舟)を再現して台湾から与那国まで数人で手漕ぎで黒潮を横断するそうだ。3万年前と言えばアマテラスより以前。アマテラスが宮崎の日向に来るルートを事前に開拓した人たち。石斧で大木を切り倒してやはり石斧で丸木舟になるまで削って。来年(2019年)の夏。
 「瀬戸内カヤック横断隊」というのもある。7日間かけて瀬戸内をやはり手漕ぎの舟で横断する。毎年初冬の11月に行われて2018年の今年で16年続いている。数千年前五十猛神が、約2,000年前阿智族が、約1,000年前平氏が何度も横断した瀬戸内を現代人がやはり手漕ぎで横断する。また古来瀬戸内の人たちが建造し航海していた打瀬船(うたせぶね)。現在では消滅してしまったこの打瀬船を復活させ古来の方法で航海するという。
 丸木舟もカヤックも打瀬船も一見ダサそうで汚そうに感じるかも知れない。そう感じるのはまだ深い記憶喪失の中にいるということだ。現代人が深い記憶喪失から目覚める為には、他にも方法はあるだろうが、例えばこんな行いの中に目覚めの糸口があるのだろう。僕は真面目にそう思っている。

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 角田 浩太郎

第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 角田 浩太郎


【陰鬱を吹き飛ばす】
 本当の話、横断隊の準備ほど憂鬱なことはない。軽く心踊ったのは無知な1回目だけ。日程が決まると「ついに来たか…」と肩が重くなる。何かをして気分が晴れるわけでもなく、逆に仕事に没頭している方が多少気楽に思えてくるのだ、これからまとめて休みを取ろうというのに。直前まで整理できない荷物を、時間を測りながら必死にパッキングしている、まるで誰かに背後から銃を突きつけられているような目で。パッキングに難があるというより、ただ憂鬱なのだ。そんなときに「自己都合にて妻子を置いて家を長期間空けるにも関わらずグダグダしているのは一体何事か」と家庭内で正論が突き刺さる。この荒療治でようやくエンジンがかかった。

【参加目的】
 なぜ横断隊に参加するか、これは毎回自分に問い続けなければならない質問だ。参加する度に理由は変わっている。最初は興味本位だったし、隊士のみんなが格好良く見えたから、自分が成長できると思ったから。2回目ははっきり覚えていない、なんとなく参加しなければならない感覚だった。今思えば失礼極まりない、過去に戻って羽交い締めにしてやりたいところだ。3回目は過去のリベンジのつもりだった、別に果たしてもいない。では今回はなぜ参加したのか。生まれ育った瀬戸内海をよりよく残すためであり、瀬戸内海の現実を体験して後世へ語り継ぐためだ。
 自分のカヤックの原体験として常に意識することがある。佐賀漁港から出艇して佐合島、馬島、長島が視界に入る海上で正午を迎えると音楽が聞こえて来る。本州を含めたそれぞれのスピーカーから上関をはじめとする近隣3つの自治体の正午を知らせるメロディが流れるのだ。一斉に溢れる音階は調和することなく鳴り響き、騒がしさだけが残る。陸ではその音階が町という意識を秩序立てているのかもしれないが、海上ではそれは混沌とした不協和音でしかない。人間が陸上の視点から線引きした行政区分がいかに海では不毛か、強く感じる。もちろん制度が一定の生きやすさを担保しているわけであり、それに従って生きねばならないが、それだけに縛られていては本末転倒だ。その点においてもシーカヤックは自由であり、海は寛容なのだろう。陸の線引きだけで仕事をすると、あまりにも視点が足りないから大きな問題が起きる。しかし陸の線引きのみを意識していると問題とすら認識できない。海から賜る出来事を体験することで視点に気づき、新たな意識が拓かれる。それを身体に落とし込んでいく。
 伝えると伝わることの間には大きな川が流れている、いくら言葉や映像等で伝えようとしても伝わるとは限らない。しかし、言葉にならない空気感や態度で伝わることもある。自分は横断隊に参加し続けることでシーカヤックという手段で海に携わる者としての態度を磨いていきたい。そう思って今回参加した。

【0日目陸路】
前々日に三澤教官と別件で連絡したところ、宇野港に艇を下ろしてからDAIDUKまで車で移動、その後電車で宇野までという話だった。今回はスケジュール上、途中離脱が決まっていたからその旨を説明したところ、自分の車に2つの艇を乗せて宇野まで行くことに決定。横断隊の準備の大半は陸路の移動で頭がいっぱいだと嘆く三澤教官。移動距離は教官の半分足らずだが、初めて多くを考えながらの陸路準備は大変だったので苦労をわずかながら共感したつもりだ。もっとも、命の恩人である教官のためにはこの程度、どうってことないのである。
06:00にDAIDUK集合、キャリアを付け直して艇を乗せて06:30にDAIDUK出発。玖珂IC→宮島SAで休憩を1回挟んで水島方面の早島ICで降りる。高速道路ではビビって80km/hくらいで走行車線を走っていたが三澤教官が110km/hくらいは出すよ、なんて言うから途中はそれなりのスピードで飛ばしたのだった。コンビニで買い物した後、宇野港には10:30に到着。飯山君と出口さんが既に大方の準備を終えていた。流されないためか、赤い糸で結ばれていた艇を見て二人は親密な関係か何かなのかと思ったが違うようだ。ポートパーキング宇野に車を停めて着替えて準備。
 高速を移動中、車中にフリマで手に入れた2000年-2001年のシーカヤックカタログ(エイ出版)があったので助手席の三澤教官に手渡す。それをパラパラと眺めながら教官がポロっと言った。「シーカヤックってすごい工業製品だよね。携帯電話なんかは新しい機種が出るたびに古いものは環境に淘汰されてしまうけど、10年20年前の艇だって大切に扱っていれば新品と同じようにフィールドに立てる。」確かに言われてみれば仰る通り。教官のシーカヤック愛がとめどなく溢れていたのが陸路のハイライトである。

【0日目航海】
4艇で12:00に宇野港を出艇後はゆっくり漕ぎながら12:45に京の上臈島に上陸して昼食休憩。後から調べると直島町に属するらしい。その後は井島の南を通り、豊島に張り付いてから鹿島の黒崎へ。潮が逆で苦労するもじりじりと進んで16:50にヘルシービーチ到着。陸路も含めて自力で来た小豆島は感慨深い。隊士との再会の握手は静かに横断隊へのモチベーションが上がる、大切な一瞬。

【1日目】
 起床して食事を済ませてパッキング、06:00に完了してこれは余裕と思ったら前日着ていたパドリング装備一式がない。こんな悲劇は見たことない、ヘッドライトを灯して走り回るとトイレ前のスペースで発見、初日から危うかった。前日と比べて朝方が冷えたのでパドリングトップを着て出陣。
 西原隊士のリーダーは3回目、初参加から小豆島スタートの初日は西原隊士がリーダーだ。例年通りに西原隊士はあまり後ろを振り返ることができない。2列目の自分が適宜振り返って後列との距離感等を伝えた。自分としては情報提供のつもりだったが隊のペースが落ちると海峡横断中は危険になるケースもある。適宜情報提供したが、最後はリーダーが判断することだし細かい口出しをしないことにした。
瀬戸大橋通過後後はゆるやかにウォータースライダーに乗っているように本島へ上陸成功。前半は距離が伸びずに苦しんだが、後半の潮流で挽回できた格好だ。海図、コンパス、時計、GPS等なしというスタートだったが人によって海図や時計の見る、見ないの差(通称カンニング)がまちまちあり、隊士が漕ぐ中でも情報が錯綜、1日目のミーティングではそれが話題になった。ミーティング後は西原隊士定番のスモークチキンをご馳走になった、いつもありがとうございます。
そして最後まで分からないのだが、昼食休憩のときの釣り人はなんだったのだろうか。1日目夜ミーティングで3日目リーダー決定。


【2日目】
 工藤隊士がリーダー。途中、紅葉の下でナブラが湧いていたのは趣深い光景だった、誰も一句読むことはなかった。広島の北側で岬を回り込むとかなり潮が流れている。第十三次(2015年)の2日目の牛ヶ首を思い出した。隊全体が大きく広がりそうになるのを見ながらできるだけ内側のルートを漕ぐ。するとスイスイと最後尾にいた村上さんが上がってきたではないか。この人の神出鬼没ぶりには恐れ入る。今回フラッグ設置の艇は3艇だったが、村上さんのフラッグだけ風を受けているように見えない。おそらく村上さんの周りだけいつでも追い潮が現れ、風が無風もしくは追い風になるのだろう。水軍の末裔は瀬戸内を完全に味方につけているのだ、そうとしか思えない。隊が体制を整える間、村上さんと潮汐表の話をした。横断隊に参加するまでは潮汐表という冊子の存在も知らず、取扱店ではこれは普段何に使うものかも聞けずじまいだったのだ。村上さんから船舶の燃料費や行程に大きく影響することを聞き、激しく納得した。こういう瀬戸内の船舶航行の基礎的な知識があるないとでは、また見えるものが違うのだろう、素直に悔しい。
 2日目も塚本隊士が苦しそうだった。昼食休憩の上陸の際、船の引き波で一瞬塚本隊士の艇が流されそうになった。大きな声をあげた森隊士と一緒に停めた。出口隊士のくれた干し柿がとんでもなく甘くて、元気が出た。自分も初回はペースが上がらず惨めな思いをしたので、どう声かけするのがいいか考えていたが実践できず。
 小飛島上陸前に風にかなり吹かれるから、リーダーを差し置いて数人で島で風裏をとったが、あまり好ましい行動でなかったと反省した。ミーティングでは、リーダーに意見してリーダーを動かすことにより隊全体で動く方が望ましいだろうと話をした。小飛島に上陸した浜には灯油がしっかり詰まったタンクが流れ着いていた。豪雨災害で海を漂流してきたのだろうか。上陸後、初代隊長内田さん初孫誕生の朗報が。内田さん、沙希ちゃんおめでとうございます。


【3日目リーダー】
 小飛島からのスタート、しかも鞆の浦まで残っている。3回漕いでいるけどまさかここを任されるとは、という内心。しかし3日目の朝の自分はどこか冷静だった。2015年の第十三次はパーフェクトに一睡もできなかった。しかし今回は5時間も寝た。その時点でもう心は晴れやかだった。しかし油断してはいけない。リーダーの判断一つでみんな死なせてしまう恐れもある。誰も死なせない判断、かつ難所の舟折瀬戸の憩流時刻に間に合うような前進をしないといけない。
前日の予報を見る限り、午前中は曇りがちも午後からは恐ろしいほどの快晴、無風。ちょうど本州真ん中に高気圧がやってきていた。自分なりにルートと距離を読むとプラン (A)伯方島 (B)弓削佐島 (C)弓削島の3地点を上陸地点と設定、できる限り距離を伸ばして(A)伯方島まで行きたいと考えていた。難しいようなら(B) (C)を狙う。この3日目から大潮になり、転流が13:00頃なので昼から距離を伸ばして(A)まで行きたいところだ。
 小飛島を離陸直後、いきなり走島と宇治島を間違える、この時点で海図をがっつりオープン。カンニングどころでない、モロ出しである。流れ方を見ながら適宜目標を変えていく。塚本隊士と前列でこれまでの様子を話しながら飛ばしすぎないように進む。午前中のトイレ休憩で隊にばらつきが出てしまった。再出発を考慮した休憩の在り方が第十三次から自分の中で定まっていないのは課題。
 走島から仙酔島及び鞆の浦沿岸への海峡は建網だらけ、さあどうしよう。ゆっくり進んで自分で判断するという選択肢のところを村上さんにいろいろ聞きすぎてしまった。その分、隊のスピードも出なかったと思う。上陸休憩の海岸は過去も上陸したことがあるので知っていたが、そこ以外に海図に乗っていない浜があるのかと思って迷ってしまった。お昼休憩はラジオの取材。FMふくやまの渡壁さんは毎年来てくださっているようで大変ありがたい。
 2日目の後半で隊として進む一体感が出てきたのでそれを大切にしたく細かく声かけをしたが情報量が多すぎて不評だった。これも一度やって分かること、次回は端的に。また、後方を見る際の振り返り方が大きく、バウが目標からブレているという指摘があった。チラッと振り返るくらいで全体像把握をするようにしたい。このとき、飯山隊士から目標維持についての助言をもらった。この他にも適宜もらったテクニカルな助言は大変参考になった。
 田島の岸沿いを進む途中で休憩すると楠隊士が後ろからやってきた。横島にとりつくか考えていたところ、追い潮に乗って百貫島を狙って伯方島方面を目指さないかという提案。そろそろドカーンと行きたいところだったので進路を百貫島へ。ゆるやかな追い風を受けて隊はスピードを上げた。塚本隊士が漕ぐ感覚をかなり掴んだらしく、リーダーの自分より先に行きそうなくらい。無風で太陽が見守る海面は鏡のようになっていた。ゼリーをすくうような感覚、と漕ぎを例える塚本隊士の顔は多幸感に包まれていた。2列目の初参加の隊員も楽しそうに漕いでいた。後方がパドルカレントで苦労しているとはつゆ知らず。百貫島まで辿り着いてトイレ休憩も、島の西側まで寄せて上陸しておけば次の出発時もスムーズに動けたのに北側の上陸しにくい浜に寄ってしまったのは反省。最後はあまり潮に乗り切れず、距離が出なかった。15:00の時点で弓削島の海岸線上にいた隊、まだ先を目指したいところだが上陸のことも考えなければならない。迷って岬の外側を目標に少し進もうと思ったところ後ろからここじゃないのか、と指摘があった。後方から上陸後の動向や浜の状況についていろんな議論が聞こえた後に上陸。まだ先に進むことを諦めてない分、グダグダした終わり方だった。
 午前中はじわじわとした前進だったものの、百貫島にダイレクトでアプローチし、追い潮に乗って距離を稼いで、結果として予想もしないパラダイスが弓削島で待っていた。失敗は多かったが第十三次(2015年)の1日目のごみくずリーダーの自分を成仏させることはできたので収穫があった今回だった。
 ミーティングでは数名から自分の男気を賞賛されたが、そんなものはない。言った人は錯覚しているだけだろう、早く目を覚ました方がいい。ミーティング後には塚本隊士と横断隊とは別に心の在り方を話し合ったのが印象に残っている。現に辺野古に幾度となく足を運んでいる塚本隊士。一度話を聞いたこともあったが、辺野古で現に起きていることを知るたびに、理不尽なことばかりで怒りの感情が込み上げてくる。しかし塚本隊士は心から怒りという感情を捨て去って辺野古で起きている出来事、人と向かい合っているのが伝わった。思想信条や立場の違い、それを踏まえて目の前の人と対話しようとする姿勢には、どこか神々しさを感じた。というか塚本隊士のこれこそ男気だろう。本当に今回ご一緒できたことを光栄に思う。繰り返すが、自分に男気はない。


【4日目離隊】
 3日目深夜から4日目早朝にかけて雨が強めに降った。雨の中の準備は気が重い。自分がより的確に隊を率いることができていれば、この時間を隊士がテント内でやり過ごせたかもしれない、と内心悔やみながら準備をした。森隊士がリーダーで目標は岡村島、難所の舟折瀬戸通過。自分の目標は離隊後の段取りへ切り替わっているのが本音だがとりあえず行けるとこまで行こう。リーダーの翌日の行程はとても勉強になる。
 津波島から伯方島に取り付く横断の際、まさかの2方向に潮流が流れているとは思わず隊が離散した。途中で異なるベルトコンベアにでも乗ったのだろうか。あとで海図を見ると、あの地点だけ伯方島近隣の水深の倍の深さがあることが分かった。大潮で長崎瀬戸の最強時へ向かう時間帯も加味した結果だが、複雑な潮流だった。あとで海底地形図を確認してみたい。
 自分がリーダーだとしたらどのように指示していただろう、とにかく正面、伯方島へ張り付けと言っただろうか。取り付いたところにエディがあったので全体を立て直すことができた。結果的に沖浦ビーチ休憩を挟んで、憩流の10:40という完璧なタイミングで舟折瀬戸を通過できた。ただ、瀬戸内の難所でもあり、かつ航路でもあるのであまり大手を振って言うことでないという森隊士の認識はその通りだと思った。
 岸沿いを進む途中で多くの斜面が崩れているのを見かけた。自然の力と一言で括るのは簡単だが、自然の物理的圧力は本当に恐ろしい。自分の住んでいる地域も7月の豪雨災害で土砂崩れが多発し、今もその爪痕が残る。
 伯方島の道の駅側の浜に上陸。4日目フルで漕ぐと岡村島近辺まで進めるが、かなり陸路のアクセスが悪い。もっと漕ぎたい気持ちもあるが、艇のピックから陸路への復帰を考える。隊長に確認すると、離隊のタイミングは自分で決めてよい、1日単位じゃないといけないわけでないとのこと。物事を明らかにすると、ここで諦めがついた。離隊を伝える。ここで自分の第十六次横断隊の漕行が終わった。ホッとするどころでない、さあ、戦いはここからだ。

【陸路〜帰宅】
 岡村島を目指す隊士を見送ってから着替えて車の鍵を持って出口隊士と伯方島バスターミナルへ徒歩5分、アクセスがいい場所だ。福山駅まで片道1,950円で高速バスに乗車、福山駅〜岡山駅を新幹線で移動。今まで時速5km程度の移動速度と比べると光の速さになって笑える。出口隊士とこの追い潮は速いけど高いなあ、などと冗談が弾む。燻されたフリースを羽織って、裸足にサンダル、顔は下半分が焼けている。今年瀬戸内を騒がせたとある塀を越えた男たちの外見に近い。
 岡山駅からバスで宇野港近辺まで向かい、ようやく16:30頃に出発地点に戻って来た、ここまで3時間である。久しぶりの車の運転、渋滞などなどで伯方島は21:00頃。出口隊士と艇を乗せてここで解散。さすがに疲れた、このままだとしまなみから車と艇ごとダイビングしてしまう恐れがある、瀬戸田PAで仮眠をとる。翌朝6:00頃に起きてゆっくり活動開始。こまめにSAで休憩と艇の固定が緩んでいないか確認しながら5日目の10:00帰宅。人の助けを借りながらも、自分で行って自分で帰る、の自己完結ができたのだ。しまなみ海道は通ったことはあるけども自分で運転するのは初めてだったし、陸と海から見るのも新鮮だった。今回は出口隊士が同一行動をしてくれたので大変助かった、感謝している。途中離脱を検討するならば、中間地点としての伯方島道の駅は良い場所だった。ただ、可能なら全日程参加するのが1番だろう、陸路でかなり疲弊した。


【生活力】
 起床後の120分は戦争だ。基本的に04:00には毎朝起床してまどろみ、04:30行動開始。自分が参加したトレンドとして06:45前後の離陸前ブリーフィングが多い。06:30には準備完了という目標から逆算すると約120分。この120分が1日の成果を分けると言っても過言ではない。食事、清掃、パッキング、排泄、昼食準備…この時間を最適活用できているかというと、全くもって否。前日の夜から見越した段取りをしていけばよりゆとりのある朝を迎えられるはずなのだが毎回グダグダでやっとのことで06:20準備完了。この7日間は日頃の生活力が試される、整理整頓や装備の乱れが隊の命運に直結するのでシビアだ。


【時計を見ないこと】
 今回は日の出から自分なりの角度設定で日中の太陽の位置から時刻を予想するという取り組みを隊全体で行った。3日目のリーダーのときは時刻になおさら気を遣ったが、自分なりの尺度で時刻を予想するとおおよそ合っていたらしい。これは意外だった。後方から某10歳にカンニングしているのではないかと指摘があったそうだが、事実無根である。自分は昼食も行動食の延長程度で済ませるので約1時間ごとの休憩で食べる行動食と自分の空腹度合いから1時間の経過を意識できた。太陽の位置もだが、腹時計も案外信用できるという体感を得た。昼食でそこそこのカロリーを摂取するとテンポが乱れるかもしれない。ただし、上陸休憩時に塚本隊士の食べているリゾッタがどうにも美味そうに見えたのはここだけの話である。


【夜間、早朝航海】
 自分が参加した1〜3日目は結果的に16:00前までの上陸だったが4日目、7日目はナイトパドリングになったようだ。3日目夜のミーティングでヘッドライトがすぐに出る環境だっただろうかを質問した。普段のデイツーリングでも準備しておかないといけない、何があるか分からないのだからという村上さんの意見が真っ当だと思う。過去のレポートを読むと第十次で同様の確認をしているやり取りを読み取った。自分は予備含めて2つをジップロックに入れて5Lのドライバッグに常備。それと左肩にフラッシュライト(赤)を1つS字カラビナで固定。森隊士はPFDの前後にそれぞれ設置していた。自分が体験したわけでないが、仮に夜間航海をしているとき、先頭のヘッドライトの強度が弱いと障害物の発見や上陸地の状況など先行きにいろいろ不安が生じる可能性を感じた。


【隊列と後方】
 今次は基本隊列が2列目配置になった。自分の体感として1列目以外は事実上のフレックスポジションだと思う。リーダーからしたら計算できず面倒かもしれないがみんな大なり小なり前後するものだ。百貫島へのアプローチの際はせっかくの追い潮をパドルカレントで押しつぶされてしまい後方は特に進むのが大変そうだった。3日目に弓削島に上陸するときも上陸場所はリーダーが決めるというより、後方の高度な政治的判断に委ねた。時々の局面でああでもないこうでもないと出てくるベテラン隊士の引出しの多さ、それ即ち経験の積み重ねによる視座。それこそ横断隊の真骨頂だろう。


【海の視点からの行政】
 至極当たり前だが、休憩も含めて上陸をした島々を管轄する自治体がある。わずかな時間の海上移動で市町どころか都道府県が変わる。それが横断隊のアイランドホッピングの面白さであろう。そんな島々は面積、産業、人口規模等に左右されて行政サービスの度合も異なる。以前、隊長と話す際に多島海である瀬戸内では水陸両用機がとても有効だという話になった。実際に常石グループの関連会社の(株)せとうちSEAPLANESの事例もある、これが交通インフラとして定着すると既存の瀬戸内の生活も変わるだろう。離島を持つ自治体だらけの多島海広域行政の在り方について今後も海からの視点を交えて考察を深めていく。

【100年先へ】
 横断隊は2003年から16回も続いてきた、これを100年先まで続けないといけない。続けることにより、150年間で明治維新を標榜するクーデターに破壊された瀬戸内海の再生に何かしら寄与できるはずだ。瀬戸内は優しい海でない、潮流、風、気温ともに文明の鎧から無防備な漕ぎ手の我々を試してくる厳しい海だ。そして、その裏返しとも言える多島海の豊かさ、美しさを時折見せる。その海の両面に翻弄されながら、日頃から意識せずとも纏っている鎧の脆さに気づく。100年先の横断隊のことを考えると、必然的に今から100年とは言わず1,000年、10,000年単位で過去を振り返らないと見えないものがあるのだろう。海図や方位機器等不使用の取り組みは、逆説的だが過去に追いつくというか、感覚を鍛え直すには優れたレギュレーションだと思う。自分にはまだまだ難しかったので、これからの課題としておく。

【後日談等】
 7日間の全行程終了した翌日、DAIDUKを訪問。帰路に着く前の隊士に挨拶できた。また、ヒノマルカヤックスの古谷さんとお話する機会もあった。一消費者である自分からすると、作り手の話はとても興味深かった。いつか横断隊全員でパドルを揃えたら格好いいだろう。ありがとうございました。
 夜の隊長としてゆうじさんから浮浪雲(ジョージ秋山)、マカロニほうれん荘(鴨川つばめ)を課題図書として勧められる、どちらも知らない。
 

【謝辞】 
 4日目途中離脱にはなったが学び多き横断隊でした。離陸前日には塚本さん、真理さん、連河さん差し入れありがとうございます。連河さんはいつも小豆島での調整ありがとうございます。島での多方面で活躍される仕事ぶり、地方に携わる者として本当に尊敬しています。福山では岡崎さん、毎年ありがとうございます。
 リゾート大島の西口さん、小原さん、kompas社長、しのさん、mutsumiさん、石田さん、3日目上陸後は想像を超えたパラダイスでした、ありがとうございます。しのさんは離脱後のことを考えてお声掛けいただき恐縮です。結果的に自己完結しましたが、お気持ち感謝致します。石田さんとは上陸後に管内に有人離島の多い自治体の行政についてお話できたことはとても有意義で、仕事柄いろんなことを考えました。岡崎さんも毎回ありがとうございます。今回は祝島に行くことはなかったのですが、毎年の歓迎に感謝は尽きません。これまでの島民の皆さん、それに協力されていた方々のおかげで今の田の浦があり、時代錯誤な原子力発電所がないわけなので、本当に海の恩人です。
 今次でご一緒した隊士の皆さん、3日目は頼りないリーダーでしたが、皆さんの叱咤激励でなんとかなりました、ありがとうございました。三澤教官、今回の陸路移動にご一緒できて心強かったです。ゆうじさん、夜の隊長の真面目な話に今次も救われます。原隊長、毎度のことですがお世話になりました。これからもよろしくお願いします。また、直接お会いできずとも応援いただいた皆様、これまでの横断隊を築いた諸先輩方にも感謝申し上げます。そして職場の理解、最後に家族に感謝です。
 今年も横断隊から、海からいただいたものばかりでした。何かを返せるのはいつの日か、日々の一挙手一投足が問われているのを感じます。100年先の未来で感覚を研ぎ澄ませて漕ぎ続ける横断隊に思いを馳せながら、ここで筆を置きます。

2018.12.5


2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 芳地 直美

2018第十六次瀬戸内横断隊レポート  芳地直美

 瀬戸内横断隊のことを知ったのは、14年ぐらい前のこと。私はまだ生後6か月ぐらいの長女を抱いて、小豆島の海岸から内田さんたちが出艇するのを見送ったのでした。それから月日がたち、やっと今年、子どもたちも大きくなり、横断隊に参加できました。
 祝島での原発反対の活動やリーダーにとっての技術や知識を養う場という認識でいた私ですが、内田さんを始めとした参加者の方々の高く深い意識が流れている瀬戸内の横断ということを、参加して理解しました。
これから7日間で感じたことを、私なりに書きたいと思います。

① 2018年11月19日(月曜日) 漕行距離39.9km 横断隊1日目 小豆島から本島

 小豆島の実家から、集合場所までひとりで漕ぐ。実家から高松方面を望むと、島の後ろにうっすらと島…、瀬戸内の島々がグラデーションに見えて、とてもきれいでした。島に生まれそだったのに、ぜんぜん島渡りをしたことがなかった…と感じつつ、集合場所に到着。
 今回のメンバーは16人。ほとんどの方が初対面で隊長の原さんとも初対面だったが、みんな優しそうな方でほっとする。初日のリーダーは、西原先生。
 早朝、ヘルシービーチを出発して、初めて参加の人たちを前にしてくれて、隊は進む。
大槌島を見ながら岡山の渋川海岸を休憩地点に目指すよう。初参加の私は、海図を見ながらリーダーについていく感じで気が楽でしたが、リーダーはそれぞれの参加者に気を配り、本当に大変だったと思います。
 本線航路よりも北に進路をとって瀬戸大橋をくぐり、16時すぎに本島に到着。あまり連れ潮を感じない、辛い初日でした。
 焚火を囲んで夕食。今回の食料計画としては、食料と水を10リットル。食事はエナジーバーを大量とビタミン系のサプリメント、そして餅やチーズや海苔とか軽い乾物を中心とした。きなこや餡子系のもの、ドライフルーツも。最初はどれぐらいの重さで自分が長距離を漕げるか分からなかったので、まず軽さの調整をしたが、もう少し持てたかもしれない。
 今回、酒は持っていかなかったのです。荷物が重くなるのを避けるためと、長距離パドリングで体が脱水になるのに酒を飲んで体調を崩したら迷惑になるかなと思ったからです。目標で禁酒と書いたのはふざけたわけでもなく、医療的な観点からです。自信と体力がある人ならいいけれど、ガイドだったら酔った客、翌日にアルコールの及ぼす影響も考えるべきかも…と、思います。(結局、毎日ビールを飲んじゃったけど、一本だけ…(笑)

② 2018年11月20日(火曜日) 漕行距離27.5km 横断隊2日目 本島から小飛島

 キャンプした本島は香川県の丸亀市なのに、向かいは岡山県。シーカヤックで移動していると県の境とかどこかわからない。世界一周のヨットでヨーロッパをまわったときの感覚と似ている。イギリスからフランスが近かったり、スペインからアフリカ大陸に海から渡った時のように、境を感じないまま香川県、岡山県、広島県を行く。
 リーダーは工藤さん。朝の光の中、さわやかなリードで声掛けをしてくれながら隊は進む。それにしても瀬戸内海、名前の似た島が多いなぁ、情島とか手島とか豊島とか。島に名前が書いてくれていたらいいのに…。重なって見えるからナビゲーションが難しい。コンパスなくて、よくリーダーはリードしてくれたなぁと思う。
 長距離のパドリングだったが、ゆっくりだったから心拍も上がらず、いい感じ。ただ、香港のレースで痛めた左肩が痛かった…が無理して漕いでいたら、工藤さんに「左のパドルを短く持っているね」と気がつかれた。すごい、よく見てくれています。15時に小飛島に着。焚火の用意をしていると飯山君に「洗濯物干し竿を作りましたよ~」と、言われたのでウエアを干す。
 今回は、装備は失敗というより、寒いのを覚悟して手持ちのウエアでやってきた。寒いの嫌いだから冬はカヤックツーリングしないとこー、と思っていたし、お金もないし。でもやはり、良い装備はストレスをためない。メッシュテント、穴の開いたスプレースカート、しまむらのフリースの上は山用のカッパ‥‥といういでたちでは、洗濯物を乾かせないずっと濡れた状態での寒さは、ストレスでした。初日から7日目まで首から足首まで全部、毎日、びしょぬれ(笑)ここ数年、というより子どもができてから長距離のキャンプツーリングなんて出かけられなかったし、真冬はドライスーツ(サーフィン用)でカヤックをしていたから、セパレートのドライを持っていなかった。よく耐えたわ、私。買います、良い装備!

③ 2018年11月21日(水曜日) 漕行距離38.8km 横断隊3日目 小飛島から弓削島

今日はコータローくんがリーダー。本船航路を横切るルートで気を遣う。小飛島から弓削島を目指す。向かい風が強くてあまり進めない。北東の風が走島から鞆の浦までの間、吹いていてけっこう沖合を進んだ。阿伏兎観音とかじっくり見たかったが(仙水島も)、広島県がアッという間に終わってしまった。
 沖だしのパドリング。前日の夜に、塚本さんが少し遅れがちだったんだけれど、そのときに塚本さんが「私が最弱者なんで…でも心は折れていません、祝島に行きたい」みたいな気持ちを焚火の前で吐き出してくれて、私は私で「最弱者」なんて言わなくていいのに‥‥と思いつつ、言葉を探していたらみんなそれぞれ、優しい言葉をメンバーにかけていて
一緒に行こうよ! みたいに声をかけあって、熱い焚火ミーティングとなりました。
なかでも、原隊長が「僕たちは強い隊を作っているのではない。強い個人を作りたいんだ」と言っていて、かっこよかったです! 山でも部活でもなんでもそうだけれど、ひとつの目標のもとに集まった集団を力や技術だけで切り捨てるのは簡単。それを集団の力で引き上げていくのがリーダーの役目だと思います。まるで昔のラグビードラマ「スクールウォーズ」のような展開に、その後のパドリング中、私の頭の中ではずっと主題歌のHEROが鳴り響いていたのでした。

④ 2018年11月22日(木曜日) 漕行距離43.5km 横断隊4日目 弓削島から岡村島

 弓削島から岡村島。弓削島ではMUTUMIさんはじめ、サポートの方が待っていてくれて元気をもらいました。リーダーは大介くん。船折の瀬戸を通る日だから少し私は緊張していたのですが、朝、リーダーが「女子集合!」と言ってついていったらチョコくれて、そこから私ともうひとりの女子、花ちゃんは緊張もほぐれてルンルン漕ぐことができました。
 船折の瀬戸はちょうど、ジャストの潮止まりに入れて、昔、ヨットで通ってすごい潮の場所だと知っているだけに感動~。本船航路とエディラインのまわりはけっこう流れていたから、カヤックで行けるラインをうまくとってくれて、昼食場所まで無事に移動できました。
 そのあとの午後も向かい風が強く、北東の風5-6mは吹いていたと思う。荷物満載だったから重いけれどわりと安定しているので、パワー漕ぎでさかのぼる。花ちゃんも逆風の中、漕ぎあがっていく。←(この後、みんなが「女子なのにハナちゃんすごい!」「あの向かい風を漕ぐなんて女子初」とかほめまくっていましたが、私も女子なんだけど…(笑)
なんかムカつきながら岡村島を北回りに大下島から小大下島の間をいく。フェリーを待っている間に少し、風がやみ、フェリーグライドでやっと岡村島へ。長かった~。焚火がうれしい。

⑤ 2018年11月23日(金曜日) 漕行距離34.6km 横断隊5日目 岡村島から倉橋島

岡村島から倉橋島へ。リーダーは飯山君。前日からいろいろ勉強していて努力家でえらいなぁ。今日のこの場所は、大崎のでっぱり部分に流れがあり、大潮だったからよけい強い流れになっていた様子。前を見ていると、初回参加の3名がぐぁ~と沖に流され始めている。
「そっちにいっちゃいけん」と大介さんが、飛び出していき、私の後ろにいた西原先生が、「ひとりずつ行きましょう」とカヤックの間隔をあけるように指示。なので、私はインコースを取って潮の流れをなんなく通過していけました。
 そのあともずっと、向かい風強い島渡りが続き、胃の調子が悪かった塚本さんは吐きながらの横断となり…。しかし、すごい精神力だと思う…、私だったら絶対無理です。
亀が首に到着したころにはみんなヘロヘロ…。倉橋島は遠かったが、この日はスーパームーン。ものすごく月がきれいで、瀬戸内の海と月が美しかったです。

⑥ 2018年11月24日(土曜日)漕行距離40.5km 横断隊6日目 倉橋島から周防大島

 6日目のリーダーは、三澤さん。三澤さんは所属する伊豆のクラブが一緒で、ふだんからともに漕いでいる方。カヤックの技術や体力ももちろんのこと人間性が素晴らしく、今回もいろいろ優しく気を遣ってもらいました。私だけではなく、塚本さんにも声をかけていて(すべてのリーダーは心配りしてくれていましたが)、塚本さんが「今までカヤックを漕ぎながら話したりしたことなかったんです、嬉しい」と言っているのが印象的でした。
 そして、三澤さんのナビゲーションで周防大島へ。この時点でも、まだ祝島まで行けるかどうかわからなくて不安でした。
「諸島水道はやばい」ともほかの隊員が話しているのを聞いていたし…。海底の深いところから浅いところまで潮が駆け上がってくるという、その隊長の言い方も恐怖~。怒和島水道方面を直接行くプランを取っていたが、潮がきつくて吸い込まれそうな感じとなり、途中で「安全策をとって、津和地島から情島に漕ぎあがっていく第2プランを取る」と、リーダー決定された。
 きっと三澤さんは第一プランを行きたかったのだろうが、今回は隊全体のことを考えてプランを変更した結果、全員が無事に危なげなくわたることができた。急がば回れ計画が奏をなし、周防大島着。

⑦ 2018年11月25日(日曜日) 漕行距離42.1km 横断隊7日目 周防大島から祝島

 朝起きて、「祝島まで行けますかね?」と村上さんに聞いたら「ここまで来たら意地でも行くじゃろ(笑)」との言葉に、本当に到着できるんだぁと力が湧いてきた。ナイトパドリングに備えて、ヘッドライトと防水ランプを出しておく。
 リーダーは、楠君。落ち着いた感じに、みんなをリードしてくれている。ここから43キロほど、まだなにがあるかわからないから、楠君の表情もびしっとしている。周防大島から沖家室島の先を漕いで(海図に急流マークがあったから少し注意していたが、やはり波があった)立島を見学して、上荷内島、下荷内島を通り、上関町へ。ちょうど西に向かって漕いでいるので夕日に向かって漕ぐ感じ。このときの昼ごはん、なにを食べたかあまり覚えていなくて、三澤さんがくれたお湯がすごく温かかった! 心はもう祝島へ。
 途中、鼻操瀬戸の手前で、原発予定地に行き、話を聞く。
 私の実家のある小豆島から、香川、岡山、広島、山口、愛媛と今まで県を越えてきた。どこで県を越えたかわからないくらいだった。なのに、実家のある小豆島から手で漕いで来られるこの場所に、原発が出来たら…と考えただけでも恐ろしい。瀬戸内に原発は要らない、と強く思った。
 夕暮れの中に浮かび上がる祝島を見ながら、みんなでも黙って漕ぎ続ける。6日間、ずっと瀬戸内の海を漕いできた。祝島がシルエットになって浮かび上がって、すごく美しかった。街の明かりがぽつぽつと灯って、橙色のグラデーションに浮かび上がる祝島は本当に、きれいで、港に入れば待ってくれていた人たちがあたたかな拍手で迎えてくれて、16次のメンバーひとりひとりと握手した。原隊長、 大田さん、 村上さん、 楠さん、 三澤さん、 工藤さん、森さん、 西原さん、 飯山さん、 塚本さん、 出口さん、花井さん(助かったよ、ありがとう。楽しかったね)、 南畑さん、 海惺くん、角田さん、サポート隊の皆様。土肥カヌークラブさま、内田さん。ありがとうございました。とても楽しかったし、いい経験になりました。総移動距離267.2km。瀬戸内の海をカヤックで漕ぐことができてよかったです!

Appendix

プロフィール

瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

検索フォーム

QRコード

QR