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2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治

第15次瀬戸内カヤック横断隊レポート
西原敬治

【はじめに】

 最初、原隊長から“スマホ禁止令”が出されたときは、「ガラ携の自分には関係ないさ」とたかをくくっていたが、スマホだけでなく時計や海図・コンパスまで実際にご法度になるとは思わなかった。そのためレポートを書くにあたって、以前は工藤隊士やコータロー隊士の詳細なログや三澤隊士のGPSによる航跡図をたよりにしていたが、今回はそうは行かない。「さて、どうしたものか?」とぐずぐずしているうちに、4月になってしまった。ところが、4月15日開催の岡山カヌー駅伝の前夜祭の会場で、ばったり三澤隊士に会ってしまったのである。これ幸いと航跡図のfbへのアップをお願いした。「これで何とかレポートが書けるわい」と一安心したのだが……。
 そもそも、原隊長はどのような考えでスマホ等の排除を宣言したか。それは、隊長が横断隊fbにおいて昨年9月17日にコメントしたことに尽きている。そして、横断隊が“シーカヤックアカデミーの実践版”である限り(自分としては「堪忍してよ」とは思うものの)認めざるを得ない。第15次横断隊がそのような共通認識に基づいて行われた以上、そのレポートを書くのにGPSの航跡図に依存するのはいかがなものか。そんな思いも頭をよぎる。しかし横断隊が修了した現時点で、そこでの約束事に縛られることもあるまいと手前勝手に解釈し、色々迷った末三澤隊士の好意に甘えることにした。(横断隊に参加していない、このレポートの読者に対して弁明しておきますが、三澤隊士は漕航中GPSは一切見ておらず、禁止令には反していません。)


【仕切り直しにはエネルギーが要る(初日~2日目)】

 横断隊参加にして初めての“初日停滞”。予兆は佐賀から祝島へ向う、横断隊0日目からあった。昼前まではうららかな快晴無風だったのに、次第に風が上がり、沖合いに白波が目立つ状態に。「ここがこの状態だと、田ノ浦・祝島間は渡れる状態じゃない」との隊長判断で、急遽清水丸をチャーターし、室津港から出航。案の定、田ノ浦沖鼻繰島を過ぎたころから猛烈なうねり。キャビン外にいた隊士たちは全身潮をかぶり、びしょぬれ状態に。「明日はもっと悪いかも」という声に心が沈む。
 予想たがわず、翌朝出発の浜に向う途中、顔に受ける風は半端ではない。ミーティングでは、海況を目視できるまで待機することに決定。30分後、全員で突堤の先まで行って見渡した沖合いには、無数のウサギ(一説には鯨)が飛び跳ねていた。その後、数時間おきに開いたミーティング時にも状況は改善せず、結局停滞を決断。他の隊士たちの心中は分からぬものの、自分にとっては“蛇の生殺し”状態は多大なエネルギーを吸い取られることとなった。この日唯一の収穫は、島民の皆さんによる上関原発反対の島内デモに参加できたこと。
 翌朝出発前の仕切り直しミーティング。海況は前日よりは、ややましな程度。しかし、2日連続の停滞は、小豆島ゴールを決定的に不可能にしてしまう。全員一致の決定で離陸。すると、”断じて行えば、鬼神も之を避く”と言っては大げさだが、全員無事に田ノ浦到着。その後風裏ということもあってか、長島・室津半島・周防大島の南岸を順調に漕航。沖家室大橋をくぐるだけでなく、片添ヶ浜沖も通過し大鼻手前の浜に着陸。前日の停滞をかなり挽回する。2日連続のリーダー工藤隊士、お疲れ様でした。

【波乱万丈のなか一気に上蒲刈島へ(3日目)】

 翌朝、2年前の第13次横断隊を思い出しながら、何となく「今日は亀ヶ首泊まりだな」と考えていたのだが……。大鼻から結構時間をかけて周防大島東端に到達。情島との間の潮は余り流れていないが、絶え間なく漁船やフェリーが行き交う。それらとの間合いを計りながら一気に横断。問題は情島と津和地島の間の水道。情島の東端から津和地方向を見ると、沖合い20~30m幅が川(と言うより瀬?)になっている。それをものともせず、1人また1人と突っ込んでいく。自分もそれに続く。激流の中では、全力でフォワード・ストローク。それが沈しないための最良の策だと、自分は信じている。もう少しで瀬を抜けられるというとき、緊急事態を知らせるホイッスルが後方から聞こえた。本来なら方向転換し、何が起こったのか確認しなければならなかったが、自分にはそうする勇気・気力がなかった。数分後、井上隊士の沈と、三澤隊士を中心としたレスキューの様子を聞く。そのとき自分の無力さを痛感させられた。これが波乱万丈その1。
 波乱万丈その2。津和地島から倉橋島鹿老渡への海峡横断後の上陸休憩中、リーダーの楠隊士から「今日中に上蒲刈まで行ってしまいたい。そのため、最短コースとして亀ヶ首ではなく、黒島経由で上蒲刈島の恋が浜を目指したい」との提案があった。そのとき自分としては、「初日の停滞を挽回する積極的な案には違いないけれど、結構距離があるよ(後日、地図で測ると黒島まで15km、恋が浜までだと21km)。それに、今何時?」との思いが強かった。たぶん他の隊士も同じ心中だったと思う。しかし、その日の天気と海況が我々の背中を押した。全員でリーダー提案を了承し、休憩地を離陸。恥ずかしながら、自分にはナイトツーリングの経験はない。期待と不安の混ざった心境で、ヘッドランプを首にかけての出発だった。
 案の定、上黒島の沖合いで日没。そこから先は、ヘッドランプだけが頼りの漕航となった。しばらくしてリーダーから、地元である自分に「西原さん、恋が浜どのへんかなぁ?」との質問が……。いくら地元だといっても、真っ暗闇で島影さえ見えない。しかし、自転車で走り慣れた“とびしま海道”、そこを走る車のヘッドライトの流れで、それに答えることができた。問題はそこから先である。疲れた体を1分でも早く休めたいと、一直線に恋が浜に向おうとする自分。一方安全を優先して、まず岸に寄ってから島伝いに目的地に向おうとするリーダー。両者の距離は次第に開いて行く。すかさず後方から「西原さん、リーダーから離れちゃだめ!」の声が。そうでした、すみません。
 こうして、激流のような潮目越え、2つの海峡横断(そのうち1つは横断隊史上最長?)という波乱万丈の1日は終わりを告げたのだった。楠隊士本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

【ひたすら雨の中を漕ぐ(4日目)】

 この日の1番のポイントは“鼻栗・船折のいずれの瀬戸を越えるか?”である。潮止まりの時間は分かっているが、時計禁止の漕航であるためタイミングが計りづらい。とりあえず鼻栗に近づいた時点で判断することにして出発。朝から雨が予想される天気だったが、大三島にかかるころから本降りとなった。雨対策のためにラッシュガードの上にパドリングジャケットを着ていたのだが、長時間雨中を漕いでいると、雨のしみ込みと発汗による蒸れでびしょ濡れ状態に。他の隊士たちも似た状態だったのか、この日の上陸ポイントは“雨が避けられる場所”が望ましいということで鼻栗瀬戸を抜け、多々羅大橋たもとのキャンプ場(そこなら東屋があるとの村上隊士の情報)へ向うことに決定。幸い鼻栗瀬戸は難なく越えられて一安心。しかし雨の勢いは弱まらず、多々羅大橋をくぐるころにはハイポサーミア一歩手前であった。それだけに“瀬戸内応援隊”の森隊士が差し入れてくれた薪と豚汁には大々々感謝!
 この日の最後に残念な(と言うか、思い出したくない)ことが。原隊長から、「西原さん、明日リーダーやる?明後日でもいいんだけど」と指名されたとき、思わず「明日は勘弁してください、明後日にしてください」と翌日のリーダーを三澤隊士に丸投げしてしまったのである。正直言うと、翌日予定されていた横島までの多島海を地図なしにナビゲーションする自信が全くなかったのである。地元でありながら情けない。

【逆風また逆風(5日目)】

 前夜自分はテントの中で地図を見ながら、翌日のコースを“岩城島→生名島→因島(いずれも南岸沿い) →横島”と予想していた。しかし翌朝のミーティングでリーダーの三澤隊士は、そのときすでに強く吹き始めた北西風によって“因島→横島”の横断が危険と判断して、島伝いに北上するコースを提案した。これだと長距離の横断をせずにすむ。
しかしこの安全策も、風の影響からは逃れられなかった。キャンプ地から生名島へ向う途中では強風による波に翻弄され、生名島西岸を北上する間はずっと真正面からの逆風にあえぎあえぎのパドリングで、一息つけたのは高根島との間の水道に入ってからだった。次の強風域は、佐木島から向島に渡る途中。ここでの風はすさまじく、ちょっとでもパドリングの手を緩めると、たちまち艇が風に流されてしまう。そのため、風裏になっている小細島の入江に避難しなければならなかった。
 洋上の小休憩のあと、因島大橋を見渡せる海域まで来たとき橋の下の海面を見ると、遠目にも荒れている様子が見える。そこで、橋をくぐって横島に向かうことをあきらめ、向島の西岸を北上して尾道水道を東進するコースを選択。岩子島・向島を北上するとき、ちょうど高根島・生名島間と同じように風から逃れられると期待したが、何の何のすばらしい向かい風。やっと尾道水道に入って一息ついたものの、今度は不規則な三角波で、とても両岸の眺めを楽しむ余裕はなかった。一日中吹かれまくって、キャンプ地の百島北東岸に到着。

【リーダーを務めるも半日停滞(6日目)】

 いよいよリーダーを務める日。この日の予定コースは選択の余地が少なく単純だ。まずキャンプ地の対岸田島に最短距離で渡り、岸沿いに東進。阿伏兎ノ瀬戸を抜け、しばらく岸沿いに行ってから、海況をみて走島に横断。ここで昼食休憩。その後は、大飛島・小飛島を経由して真鍋島。できれば、そのすぐ東隣の小島まで。実は前年の14次横断隊の初日、追い潮・追い風に恵まれて小豆島から小島まで51km漕げたのである。したがって、翌日条件さえよければ小豆島ゴールは無理でも、手前の渋川海岸まではいけるだろう。出発前のミーティング、そんな思いで前述のコースを提案し、みんなに了承してもらった。
 7時に百島離陸。北西風に悩まされることなく田島に渡り、岸沿いに東進。ここで自分はその日最大のミスを犯してしまった。岸壁の上(海上から5m以上はあった)の釣り人に気づかず、釣り糸を引っ掛けてしまったのである。高い位置にいるとはいえ、沖合いからは釣り人が見えたはずだが、自分の視線は出口である阿伏兎ノ瀬戸であろう方向に向いていたため視認できず、気がついたときには、釣り糸が目前に迫っていた。とっさに上体を伏せてやり過ごせたと思ったのだが、スターンに取り付けたフラッグのポールに引っ掛かってしまったのである。しかも妙な具合に絡まったため、他の隊士に面倒をかけてしまった(このトラブルで、隊の進行を10分近く止めてしまった)。その日の夜の反省会で連河隊士から、「西原さんは釣り人に背を向けたままで、向き直って謝っていなかったが、あれは失礼だ。釣り人へのリスペクトが足りない。」と指摘を受けた。確かに自分は釣りをせず、上陸した浜でしばしば釣り糸や針などを見かけることで、釣り人へのシンパシーは薄い。しかしいずれにせよ“海で楽しむ仲間”であることに違いないのだから、先の指摘を肝に銘じておきたい。
 さて、阿伏兎ノ瀬戸を通過。小室浜海水浴場先の狐崎から走島方向の沖合いを見ると、白波は立っていない。走島への横断を開始。しかし、走島に近づくにしたがって北西風を強く受けるようになった。昼食休憩地として想定している唐船浜を目指して、島の右側から回り込もうとしていた自分に対し、原隊長から「それじゃあ北西風をまともに受けるので、左から行こう」と指示され、それに従う。隊長からはその夜再度「なんであのとき、右から行こうとしたん?」と聞かれた。実は14次横断隊のときも唐船浜に寄ったのだが、そのときの記憶から、自分は同浜が右の崎を回って直ぐの所にあると思い込んでいたのである。しかし本当は島の反対側にあって、左右どちらから行っても距離的には余り変わらない。そして、北西風を避けるためには、風裏である左から行った方が圧倒的に有利なのだ。唐船浜の位置を、出発前に海図で確認しておくべきだった。
 ところで、浜に向って最後の崎(島の東端)を回り込んだとき、真正面からすさまじい風を受けた。昼食時に沖合いを見ると、白波が勢いを増している。このまま予定通り、大飛・小飛島に渡るべきか?その方面の海況を確認すべく、隊長と共に裏の山に登ってみる。そこから東方向を見ると、風はそれほど感じないが、白波が目に付く。隊長は、「ここから見てさえあの程度なら、沖合いに出たらかなりの風と波だろう。無理して出れば、沈しないまでも命からがら島に到着したときには、隊はバラバラになってしまう。」自分はその時点で“停滞”を強く意識した。その数時間後、再度山上から観察するも状況に変化なし。最終的にミーティングを開き、停滞を決定した。しかし自分の中で、その決定が「100%海況の冷静な分析だけでなされた」と言い切る自信はない。心のどこかに「早く肩の荷を降ろしたい」という意識はなかっただろうか。

【えーっ四国上陸?!(最終日)】

 前日夜の反省会で、翌日のリーダーに小豆島の連河隊士が指名された後の雑談で、“最終日のゴールをどこにすべきか”が話題になった。小豆島まで残す距離は70km、現実的には小豆島ゴールは考えられない。そのとき連河隊士から、「多度津にゴールして、金比羅山にお参りに行こう」という提案が。そのとき自分は心の中で、「やめてよ!どうやって帰るの?」と、つぶやいていた。実は、最終ゴール地点からの撤収については、自分が所属する江田島カヌークラブのメンバーに、「高速代とガソリン代はもつから、車で迎えに来て」と頼んであった。それでもまさか、「四国まで来てちょうだい」とは。しかし、その雑談の場の雰囲気と連河隊士の口ぶりから、「単なるジョークだろう」と思っていたのだが……。
 朝のミーティングで“多度津着陸、金比羅山参り”が何の異論もなく承認。荘内半島を目指して走島を離陸。心配された北西風もそれほどではなく、途中の六島までは快調に漕航。しかし、そこから先が大変だった。北西風が徐徐に上がり、六島と荘内半島先端の三崎の中間地点からは強い追い波に苦しめられた。ようやくの思いで半島に取り付き、その後は岸沿いを南下。そのうち風は落ち、最終休憩地の亀笠島からゴールの海岸寺海水浴場浴場までは、V字編隊でゆったりと漕航。祝島スタート時には想像もしていなかった地点への着陸だったが、それなりに感動的なゴールだった。

【おわりに】

 スマホ・海図・コンパス・時計の禁止に止まらず、「来年から1つずつ禁止物品を増やして行ったら、面白いなぁ」と、原隊長はおっしゃる。自分は「えーッ、これ以上何を削るの?」と思ったが、口には出しかねた。確かに上記物品の“漕航中不使用”はプロガイドの皆さんはスキルアップに有効だろう。しかし自分のような、せいぜい月に3~4回しか海に出ない、趣味的カヤッカーにはハードルが高い。特に時計の不使用。今までなら昼食休憩で「××時まで休憩」と指示されたら、それまでは安心して食事や昼寝や排泄ができた。しかし時計なしだと、いつ出発の声が掛かるかと、うかうかしておれない。それに、当初“無補給”を前提とした横断隊だが、今や陸上からのサポートが重要な役割を担うようになっている(応援隊の皆さん、いつもお世話になっています)。リアルタイムの横断隊を発信する、何らかの工夫が必要ではないか。いずれにしても、何万年か前の“五感を研ぎ澄ましたカヤッカーを目指す”ことと、これらのことの調和をどう図るかは、自分ごときではとうてい考えつかない難問のように思える。
 さて、第16次横断隊はどのような横断隊になのやら。来次こそは足手まといにならぬよう頑張りますので、なにとぞよろしくお願いします。

2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

 今次は気温が低く、冷たい北西風の中で過ごす日が多かった。これぞ横断隊の時季、初冬の瀬戸内だなぁ・・・と思いながら厳しい環境の中で海旅ができたと思う。祝島で初日の停滞。フォーメーションの重要性。航海計器の使用禁止。海上でのリーダーの指示。三度の新たな野営地。転覆とレスキュー。日没後の航海。新しいルートの開拓。釣り人への意識。金刀比羅宮へ参拝。ユージさんの存在・・・。七日間の決められた時間を自分でどう考えて動くか、そして漕ぐか。横断隊は実践版シーカヤックアカデミーなので、「自然」と「人」から学べるのが楽しいと感じる。

 ここ数年はパドリングジャケットを脱着し、ポギーを使用せずに漕いでいたが、今次は最初から最後まで防寒対策が必要だった。途中、ポギーが左人差し指の上の皮膚を擦り、傷になり痛かったし、ポギーのせいなのか今までできなかった手のひらのマメも左手にできた。身体のどの部分でも痛みが発生したら気になるので、改善策を考えようと思った。

 一日目、横断隊初となる離陸なしの停滞だった。夜明けから14時まで何度も海を見たが、強風と大きな白波は治まらない状態だった。
 この日はたまたま祝島で原発反対の臨時集会とデモ行進があったので横断隊士も参加し、原隊長は挨拶することができた。本当は室津の広場で行う予定だったが、広場の工事が行われるということで直前に中止が決定したらしい。デモ行進は第六次の七日目(月曜)の夜にタイミング良く参加して以来だが、日中と臨時ということもあってなのか参加者が減っていた。後で原隊長に聞くと、10年前の反対派の状況とは違うことが色々分かった。
デモ行進の後に上映会も開催された。島で過去にどんなことがあったのか、初めて知った隊士もいた。
 夜は祝島の金田さんと出会い、食事まで用意してくれていた。凄く気さくな方で話を聞きながら大笑いし、最終的に金田さんは酔い潰してしまった。前夜はヒサボー家、清水さん、木村先生など島民から熱い差し入れをいただき、たくさん話もできた。15年間の瀬戸内カヤック横断隊と祝島の繋がりから大切な人情を学び、停滞したことは今次の運命だったのかなと感じた。

 二日目、10名の男達で周防大島の小泊まで漕いだ。上関海峡を渡った所で原家の見送りをいただき、子供達はおじさん達へ大きな声で応援してくれた。子供達とはいつか一緒にビールでも飲みながら話せる日が楽しみだ。
 沖家室を通過して野営地を目指したが、工藤リーダーは航海計器がない中、目標地を伝え、隊を誘導することが難しそうだと思った。周防大島の南岸は野営地が多いので、明るいうちに距離をかせぎたいことと野営場所に判断を迷う所もあったと思う。おまけに逆潮だ。初日の停滞で六日間という厳しい時間の中、小泊までよく漕いだと思う。
 小泊は僕の初めての野営地で、焚火をしながら心地よく過ごせた。9度目の瀬戸内横断中に新しい場所で野営できたのが嬉しかった。岩国から角田隊士がビールやお菓子を差し入れに来てくれた。ありがとう。

 三日目、リーダーを任され、上蒲刈島の恋ヶ浜まで漕いだ。夜明けから潮に乗って情島の東側から津和地島の西側ルートを目指した時、井上隊士が転覆してしまった。潮流の中を前後の間隔を空けて、素直な流れに乗りながら漕ぎきる場面だった。転覆した瞬間は確認できず、後者からのレスキュー合図のホイッスルも聞こえない中、後ろを確認すると転覆していた。三澤隊士が潮流の中でレスキューし、工藤隊士が少し距離をとってサポート準備で待機してくれた。レスキュー完了後は目視できた一番近い浜へ上げたかったが、潮の流れで全然近づかない状態。指示を切り替えて北上して潮目を抜け、パドリングで体温を上げてもらいながら津和地の氏紙鼻の手前で着陸した。井上隊士の再装備の準備時間と一緒に早めの昼食をとり、倉橋島へ横断した。
追い潮と比較的安定した海況のこの日は、前半、できる限り楽に距離をかせぎたかった。上蒲刈島まで漕がなければ、翌日の鼻栗瀬戸、もしくは船折瀬戸の転流に間に合わず、小豆島までの航海が難しくなると思っていた。この日は視界が良く、鹿老渡から一気に上蒲刈島へ横断した。向い潮という条件だったが日没までに十分着陸できると思った。しかし予想以上に潮が強く、亀が首を見ながら「オレ達は亀だな」という状態で漕いでいた。目標地点の上蒲刈島はハッキリ見えているが着陸地点は全然見えてこなかった。太陽がどんどん沈むことに「まずい、暗くなる」と責任を感じる。小休憩でヘッドランプと安全フラッシャーを装備してもらい、最後の約3キロは夜行装備を使用しながら上蒲刈島の岸沿いを注意して漕ぐことになった。隊は早朝から離陸しているので体力的にも辛く、暗い中のストレスも高めてしまい、翌日の漕ぎにも影響するかと思うと皆に申し訳ないと思っていた。でも前半に転覆があって、ここまで漕げたことは今次の隊士の気迫が伝わる一日だったとも思う。「暗くならないうちに、家に帰ろう」という言葉を昔からよく聞くが、この言葉が身に染みた。松山からシノちゃんがミカンを差し入れに来てくれた。みんなの疲れていた身体にミカンが身に染みた。

 四日目、雨の中を大三島の多々良キャンプ場まで漕いだ。午前中は追い潮の中をどんどん進むはずだったが、とびしま海道の南側は思ったより反流が強く、ペースが上がらなかった。僕はこの反流場所が今次で一番気になった。もう少しだけ沖に出れば潮に乗れたのかなと思うが、航路もあるし、風も強かったので井上リーダーの判断の難しさが伝わる。難所の鼻栗瀬戸は向い潮になっていたが、漕ぎあがれる状態だったので通過できた。雨で身体がどんどん冷える中、有料キャンプ場の前の浜へ着陸。井上隊士は昨日の転覆もあったのに、気持ちをしっかり持ってリーダーを務めたと思う。
管理人さんが現れて、山口県から漕いできた事情を説明した。浜もキャンプ場の管理区域なので手続きが必要ということで、尾道から「ダイスケ汁」を差し入れに来てくれた森隊士がシノちゃんと一緒に許可の手続きに道の駅まで行ってくれた。雨が凌げる簡易タープがあって、そこで焚き火をしながら話せたのが良かった。松山から島津隊士、弓削島から石田さん、静岡から鈴木くん、シノちゃんとたくさんの瀬戸内カヤック応援隊が集まった。この日、夜の隊長ユージさんの力の見せ所となり、流石だと思った。
 多々良キャンプ場も、僕が横断隊に参加してからの利用は初めてだったので、いい経験になった。

五日目、初めてのルートで百島の東側の浜まで漕いだ。朝一番に多々良大橋を右手に見ながら横断し、荒れた海を漕ぐ中、隊がバラバラになった。最後尾から先頭へ声も笛も届かない状態で、僕は原隊長と一緒に最後尾に着いていた。漕ぐ力や技術、経験の違いなどが関係してくる場面であり、隊として動くことの重要さが分かりやすい場面だったと思う。隊がバラバラになるのはリーダーだけの責任ではなく、個々の「固まっていこう」という意識に関係するのがよく分かる。隊列を組み、全員が無事に漕ぐことが、最終的には近道になるだろうと思った。
この日、弓削島や因島から東への最短ルート横断には厳しい風だった。北西風が強くなる中、しまなみの島々を利用し、風をかわしながらジリジリ進んだ。
佐木島から小細島を前に、北西風がどんどん強くなり海が荒れた。一気に細島の南東を目指すルートだったが三角波にやられ、小細島から離れた隊士と近くの隊士、といった感じで隊はバラバラ状態。この風でも漕ぎあがれると思う隊士と小細島の風裏へ行くだろうと思う隊士がいたと思う。ユージさんは小細島の南西の浜に、風と波で打ち上げられたように見えた。その浜からダンパーでの離陸に苦戦している時、原隊長が着陸してフォローする。海上にいた隊士はいったん後退し、小細島の南から東へ回り込み、浜で全員が合流して着陸した。北西風が落ちるのを待ちながら昼食をすませ、沖に見える白波が小さくなって離陸できた。
この日は三澤リーダーの少しでも東へ進むという気持ちと新たなルート開拓への思いが表れたと感じた。けっこう距離が長かった尾道水道を抜けた後、満越瀬戸から本州の水路を利用し、百島の東へ向かった。水路ルートを知る村上隊士の知識と経験に敬服した。本当に裏技を使ったような気分。
 夜は百島に鈴木カツ君が行動食を持って差し入れに来てくれた。ありがとう。

六日目、強い西風にあたり、走島まで漕いだ。この日の釣り人事件は全員で反省したいところだ。日中にかけて西風があがる予報で、今のうちに距離をかせぎたいと思っていたところ、西原リーダーが投げ釣りの糸に引っ掛かったか、掛かってないかという場面があった。二度。もちろん隊のペースは都度落ちて、漕ぐリズムにも影響した。それ以上にこのフィールドでツアーやツーリングを楽しむシーカヤッカーに影響してしまうなと思った。マナーは釣り人とカヤッカーで互いにあるが、問題を起こさずスマートに漕ぐことが得策ではないかと思う。釣り糸に近づいてしまったことも悪いが、リーダーだけの責任でなく、周りの声掛けや注意力も大切だと反省した。
阿伏兎をまわり走島へ横断する前、雲の動きを見てやばいなと思った。走島まで漕いでいる時も空を何度も見ながら風を意識した。走島で風待ちとなり、その後も海況は回復しないまま野営になった。この日は走島の海上で鞆の浦の岡崎さん、倉敷のナオミちゃんが大きな太刀魚とドーナッツを差し入れしてくれた。夜は内田元隊長、植村隊士、本橋隊士が走島の野営地まで来てくれて、ビールの差し入れまでいただいた。仲間が大勢いて、見守ってくれていることが嬉しかった。

七日目、風が不安定なことと向い潮ということもあって、最終目標地を小豆島から多度津の海岸寺へ変更した。距離と潮流の関係から小豆島まで漕ぐのは現実的に難しかった。渋川海岸はいつもの進路になるので、思い切ってルート開拓と金刀比羅宮へお参りすることにまとまった。横断隊で四国側を漕ぐことは第六次しか記憶に無い。僕は走島から南東へは、第九次の延期中に村上隊士と二人で瀬戸内カヤック遊撃隊として漕いだことがある。蓮河リーダーも気合の入った漕ぎだったのかどんどん進んでいった。
荘内半島の先端は荒れていることが予想できていたが、進路を東へ向けるのが遅くなってしまい潮目に入った。誰かが転覆するかと思うような激しい三角波の中を漕ぐことになった。隊はなんとか四国側へ入れた。最後までそう簡単にはいかない最終日だった。最終着陸地には内田元隊長や先輩隊士が到着を待っていてくれて、皆で金刀比羅宮へお参りに行った。このメンバーでのお参りは、ある意味貴重な経験でもあった。なかなかあの階段を上るのはキツイ。

最終の振り返り。今次はフォーメーションをほとんど組まずに漕いでみた。リーダーが先頭で後方は自由な位置にいたが、隊で動くことはいかにフォーメーションが重要か良く分かったと思う。リーダーは後ろを5秒に1度は見ながら進路やペースも考えるが、隊士が自由な位置だとリーダーは遅れているかの判断がしずらいと思った。声も届かないので伝達もスムーズではない。「もしあの場面で転覆があったらどうしたかな」と思う場面も多々あったと思う。毎日、漕ぐ位置は変えてもいいと思うがフォーメーションは安全確保と出来る限りのスピードアップの為に組んだほうが良いかなと思った。

航海計器については、時計や方位磁針がないことで太陽の位置に敏感になれ、自然の情報で航海できたことがいい経験になった。時間も経過するのが凄く早く感じた。瀬戸内は島が多いので、方向もわかりやすく、おまけに12時のサイレンとかも聞こえてくる。時には11時のサイレンなどもあるので引っかからないようにせねばね。潮汐も岸を見ればある程度分かる。スマフォからもほとんど解放状態で自然からの情報収集に集中できた。ただ、海図だけは航海中も使いたいと思った。朝一と夜だけの記憶では覚えられない所もあったし、瀬戸内を知るきっかけが減ってしまう気がした。案としては、海図は必要だと思う人はデッキにつける。たまに必要な人は、たまに見る。無しで勉強するなら持たない。などなど自由化もいいのかなと思った。みんなが船長だからこそ海図だけは解放してほしいなぁ。

最終日の夜、金刀比羅宮のお参り後の反省会。香川の漁師ビーテンさんからタコをいただいた。ありがとうございます。原隊長と大田隊士(ユージさん)が熱く話し合う中、横断隊士のみんなからユージさんへ還暦のお祝いでシーカヤックをプレゼントすることになった。夜の隊長ユージさんから教わることって大きいんだよなぁ~。ユージさんがFRP艇であと20年ぐらい漕ぎそうなので、楽しみです!

今次は日本一周中の飯山隊士が参加した。20代の元気あるカヤッカーだ。これからの安航も祈ってるよ。

みなさん、第十六次も宜しくお願いします。

2017年12月26日

2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 原 康司

第15次瀬戸内横断隊レポート 原康司


 とにかく寒さが厳しい第十五次瀬戸内横断隊であった。初日から今冬一番といわれた寒気が日本列島になだれ込み、周防灘は大荒れ。難関の一つである長島~祝島の瀬戸を渡ることができず、横断隊では初となる初日停滞となった。その後も凪いだのは3日目くらいのもので、ほとんどの日を、強い西風もしくは北風と闘いながらじりじりと前進する日が続いた。結局、小豆島に到達することはできなかったが、厳しかっただけにそれはまた今回も印象深い横断隊になった。
 今回は隊長である僕の提案で新しい試みをした。地図やコンパスやスマホなど、現代の航海では常識となっている機器を航海中には使用しないという制限をつけた。それはなぜか?瀬戸内横断隊にとって、瀬戸内の海はもう新しい海ではない。島々の位置、潮流、海の色、気象、そして島に生きる人々。そのどれもが馴染み深くなり、僕たちの体の本流を流れはじめている。現代に頻繁に使用される航海機器と、これまでに培ってきた隊士の経験を駆使すれば、11月後半の厳しい時期でも、ほぼ間違いのない瀬戸内横断航海ができるまでに到達しているといってよい。
 近年は天気予報の確実性も増し、スマートフォンでリアルタイムの情報を収集できることから、横断隊でも活用されることになった。確かに便利手軽で航海の安全性も増した。発信力という意味でも貴重な道具だ。そういったこれまでの航海を否定するわけではない。ただブリーフィングの際や判断に迷ったときなど、皆がスマホ片手に下を向いているのを見て、これじゃいかんと思ったのも事実だ。
 常々、実感として感じるのだが外部からの情報に頼れば頼るほど、目の前の変化に対して鈍感になる。体をむき出しにして海を進んでいるのにも関わらず、なにか一つ自然と人間との間に、薄いバリヤーのものが出現してきて、自然の動きや変化を察知することが鈍くなり自分を信じようとしなくなる。
 かつてアラスカ沿岸を数か月旅した時には、天気予報を入手することはほぼ不可能だった。だが、海を漕ぎ続ける日々の中で、しばらくするとほぼ完璧に天候を予測することが可能となった。天気のみならず熊やクジラ、アザラシやセイウチの気配や匂いを常に感じ、まるで野生動物と同じ感覚で過ごした日々を思い出す。最も信頼できる判断は自分の感覚の中にあり、それに従えば生き延びられるという確信が持てたものだ。それが言うならば海気というものだろう。
 何日も人と出会わない日を過ごしてようやく街にたどりつき建物の中に入ると、途端に空気の流れが澱み、自然と隔絶されたことに恐怖を感じた。あれほど待ち望んだ街をすぐに飛び出して旅を再開したことを思い出す。自然の動きが読み取れなくなったことがとても怖かった。常に流れる風の中に身をおくことで安心できた。寝る時も風ではためくテントの中でなければならなかった。せっかく手に入れた敏感なアンテナを失いたくなかったからだろうと今では思い出す。
これは決して僕だけに備わった能力ではない。便利で快適な生活を送るうちにその能力を忘れているだけで、すべての人に元々ある力だと僕は思っている。体一つで自然と対峙し危機や困難に立ち向かえば必ず湧いて出てくる力だ。そして、その力を拓き磨くことは自身を信じ、自然を深く理解し、畏怖尊敬することにも繋がる。それはまた横断隊が目指すべき精神であるとも僕は思っている。
 横断隊でそれを試すとどうなるだろう・・・それは僕の中でも興味のある深化の一つでもあった。横断隊はソロではない。漕力や性格もわからない初対面の隊士とのパドリングにも直面することもある。そんな中、リーダーを務める隊士のプレッシャーも相当なものであることは容易に想像できた。
 今回の1週間で僕個人の中で分かったのは、まだ瀬戸内の島々は僕の体の中に完全に落とし込めていなかったということだ。見えていたのは地図とコンパスがある前提でのことで、僕の頭の中には海図は漠然としか記憶されていなかった。しかし今回それを理解することで、今回のルート上で分からなかった島々のビジョンは僕の記憶の中に完全にインプットされた。離陸前は陸上で入念に海図を記憶し、海上では目視と記憶の中の海図とのすり合わせ作業を常に行う。分からなかった海域は着陸後に海図で再び確認することで記憶する。とても重要な作業を繰り返してできたと思っている。
特に、今回リーダーを務めた隊士は初めての経験で大変だったと思う。だが相当なプレッシャーの中で今回見た島々のビジョンは絶対に忘れられないものとして各リーダーの頭の中に記憶されているはずだ。非常にうらやましくも思う。それはリーダーの特権だともいえる。
 そして、今回は航海機器さえあれば起こらない小さなミスが何回かあった。蒲刈までの距離の読み違い、しまなみでの烈風時の判断や荘内半島への横断、しかしミスをすることで見えてきたことは大きく、それは僕たちに足りなかった自己の能力に気付いたといっても良いだろう。小さなミスにとどめておけるのもこれまでの経験があるからこそだ。そのことが理解できただけでも今回の横断隊は大きな成功であったと思っている。
毎回の横断隊でこの反復作業を繰り返していけばあと五年後くらいには完全な海図なし航海が完成されるかもしれない。来年からも継続していきたいと思う。

 今回漕ぎながら、横断隊の意義ということについて改めて共有しなければならないなという想いが募ってきた。
瀬戸内横断隊は2003年に、シーカヤックアカデミーの実践版としての位置づけで始まった。シーカヤックのスキルアップやガイド・リーダー養成の側面を含みながら瀬戸内の海文化を学ぶ一週間の海旅だ。
たしかにシーカヤックガイドリーダーとしての有益な知識やスキルを試す場面は多々ある。しかしそれは一つ目的であって本来の目指すべき大きな目標ではない。では横断隊の目指すものとはなにか?
 それは、海で生きる道を学び、いのちの継承のできる人間形成そして育成をしていくということだ。シーカヤックという手漕ぎの小舟で1週間、島々を繋ぎ海を進むこと。天体の動きを意識し、空と海を凝視し、気圧さえも肌で感じ理解する。常に俯瞰的に海上にある自身をとらえ、目に見えないモノの気配も常に感じながら、なおかつ集団で海を進む。風にあおられ、波にもまれ、寒さに震えながらもじっと耐え漕ぎ進む。浜に流れ着く流木で暖を取り、生きるための最小限の食べ物、水、酒で命を満たす。俗世や経済とは無縁の時間の中で、先の海を案じることに雑念は起こらない。ただ生存するという人間の本能に基づいた行為の先には、自己の研鑽、他者へのいたわり、生き物への意識のつながり、その中で人間も自然の一部であり、すべての生物が支えながら生きているというこの地球の摂理が見えてくる。要は自分自身の漕ぎようこそ全てだと悟るのだ。
 漕ぎ続けてきたからこそようやく見えてきたこの価値観こそが横断隊の本質であり意義である。横断隊で学び、得たことをそれぞれの海でそれぞれの生き方として実践し伝えてゆくこと。それはシーカヤックガイドや海で恩恵を受ける者が世の中に伝えていかなければならない使命ともいえる。
 現代ではシーカヤックが海を学ぶために最適な道具であることは間違いない。ただ将来的には和船やサバニのような小型伝統船での瀬戸内横断もあっても面白いかもしれない。もちろん丸木船やスキンカヤックであったとしても。そういった時代が来たころには瀬戸内海は再び蘇り、再生の道を辿っていることだろう。
昔を辿ることは決して懐古主義ではなく、その連綿と繋ぎ昇華させてきた知恵を未来に生かしていくということだ。
1度消えた技術や伝統文化は取り戻すために長い年月がかかる。横断隊を100年続けるというのはそういう意味がある。その間には平穏な世の中ではない時期もあるかもしれない。辛難甘苦を舐めながらも続けてゆくこと。そしてその過程の中で、また時代とともに新たな価値観の胎動も起こることだろう。そのためにも僕たちは漕ぎ続けなければならない。現生人類の祖先が誕生して20万年、日本列島人が初めて海を渡ったのが3万8千年前といわれる。その長きの間、漕ぎ続け、自然とともに共存し、生き続けてきた先人のいのちの営み、歴史の延長が瀬戸内横断隊だ。海を漕ぐという価値観を再び体現し、継承してゆけるのはこの世の中では瀬戸内横断隊しかない。それは間違いない事実である。

 今年の横断隊は、かつての横断隊に臨む高揚感が戻ってきた。自分の中では嬉しい変化だった。みんなはどうだっただろうか?そのあたりは気になるところだ。小豆島に向かって過剰な冒険でもなく安易な停滞でもない、ぎりぎりの成長点を見つけながら今回も進めただろうか。それぞれの隊士の中に毎年残る想いだと思う。今回のチャレンジは小豆島に到達できなかっただけに、そういった想いを色濃く残すものだっただろうし、来年に向けての課題も明確に見えてきた。
 瀬戸内の海と、各地に脈々と増えてゆく人の繋がり、そして共に集い漕いだ隊士とサポートメンバー全てに今年も感謝したい。ありがとう!

2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 三澤 昌樹


2017年 第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 三澤 昌樹


私にとって5回目の瀬戸内カヤック横断隊。
これまで東から西へは3回中3回祝島でゴールを迎える事がでたが、西から東へはまだ目標地
でのゴールができてない。
今年こそはと臨んだ第十五次。
今回これまでと大きく異なる点が行動時間中の海図・地図、コンパス、時計、スマホの封印。
記憶と太陽の位置、風、波からの情報で進む方向を決めるのである。
ゴールへの難易度が高くなった。

前後しますが、まずはリーダーを務めた5日目から振り返ります。


 5日目 11月23日(木)

大三島の多々羅キャンプ場から。
前の晩リーダーを指名され潮と天気を見つつ考えたのは、岩城島と赤穂根島との間を抜け、
弓削島の北を通り横島方面へ進む最短ルート。
天気予報では北西風が吹き始めるのは弓削島から横島への海峡横断の後位か。
最終目的地は走島として朝を迎えた。

朝目覚めてみると、なんと既に北西の風が吹き始めている。
これでは弓削島から横島への海峡横断が厳しくなる事が予想される。
ブリーフィング直前に急遽、生口島・因島の北側を通るルートに変更。
幸いな事にこのルートの一部は十三次でリーダーを務めた際に通ったルートでもあり、
ある程度記憶があった。

まずは対岸の生口島へ渡る。
多々羅大橋の下は瀬になってる事を予想して少し北に外して渡ったが海峡中心部は思いの外
波が立っていた。
最後尾が気になったが、このメンバーなら行けると信じてそのまま進む。

そのあと暫く逆潮を漕ぎ上がるが、ポイントポイントでルームランナー状態となる。
その後の高根島・佐木島との水路は問題なく進めたが、小細島の西側で風と潮に捕まる。
横を見ると僅かづつには前進しているし、あと300m程で風裏に入れるそうなのだが、
短時間のうちに北西風の風波が強くなって来ているのが明らかであった。
ここまで連日長時間漕いで皆んな疲れてるだろうし、まだ全体の中間付近。
先も長いので無理してはいけないと判断。小細島の南側を抜けようと転進を指示。
しかし風と波の音にかき消されて私の声はおそらく皆には届いていない。
ろくな説明も無いままに引き返すと言っても戸惑った隊士もいたと思う。
ここで隊がばらけてしまった。
しかも反転を指示した場所が悪かった。
強風の中180度フネを反転させるのに苦労する隊士続出。
1艇は岸に寄せられてしまい、波打ち際で揺さぶられてしまいラダー破損を心配した。
一旦風上に漕ぎ上る誘導し、充分岸からの距離を取ってから反転を指示するべきであった。
こういう悪い状況の中で隊を一つに纏めて行動する難しさを思い知った。

布刈瀬戸は1時間程潮待ちして意外とあっさり通過。
本線航路を横断するのに左右の大型船には注意していたが、正面方向から来た台船を曳いた
タグボートには目が行ってなく後ろからの声で気付く。
リーダーは360度注視しなくてはいけない。

当初走島を目標にしていたが、実はこの辺りでもうこの風だと走島への海峡横断は難しいと
考えていた。
因島大橋をくぐるり向島南岸ルートも行けたとは思うし、この先への最短ルートではあるが、
安全面と尾道水道を見てみたいと云う好奇心で更に北上を決断。
岩子島と向島の水路を抜けて尾道水道へ。
意外と長い時間を過ごし費やしてしまったが満越瀬戸を含め初めて見る景色に自分は
テンションが高かった。

ここの辺りでそろそろ今日のキャンプ地を決めなければいけない時間帯。
自分の中では、この風では走島は諦め、阿伏兎観音界隈の浜でキャンプと思っていた。
その事を打ち明けず情報共有してもらう事を怠り、隊長をはじめ皆に心配をかけた事を反省。
適時相談すべきであった。

百島の東側の浜でキャンプ。漕行距離35.8km


 1日目 11月19日(日)

北西風12mオーバー。
目の前の海はウサギの運動会状態。
初日停滞は横断隊史上初らしい。


 2日目 11月20日(月)

田ノ浦までの横断。
北西風10m位の予報ではあったが、意外と漕げる海況。
せいぜい7m位だった気がする。
天気予報も良い方に外れスタート出来て嬉しい。

周防大島の小泊でキャンプ。漕行距離48.6km


 3日目 11月21日(火)

情島と津和地島の間の潮流下り。
沈脱レスキューをしたが排水も含め5分で完了。
初動での流れの中で要救助者の艇をつかむのに手間取る。
お互いに艇が回される潮の中、いい位置に付ける事に執着するよりもまずは艇を掴んでから
ポジションを修正する方が早いと感じた。反省点。

倉橋島の鹿老渡から上蒲刈島までの横断。
逆潮に捕まり進まない状況での20km横断。
半分くらいのところで対岸に着く頃は日没超えとなる事を覚悟。
だが、あと、4日で小豆島まで行くんだという気持ちがあるので全く苦にならず。
恋ヶ浜に上がったら超寒かった。

上蒲刈島の恋ヶ浜でキャンプ。漕行距離50.2km


 4日目 11月22日(水)

大三島の西、始めてスナメリを見てテンションが上がる。
そしてこれも初の鼻栗瀬戸越え。
転流の時間は事前に調べているが、時計を封印しているので現在の正確な時刻が分からない。
不安に思いながら進んでみると逆潮になりつつも意外とちょうどいい時間だった。

大三島の多々羅キャンプ場。漕行距離41.3km


 5日目 11月23日(木)

  上記


 6日目 11月24日(金)

この日も朝から西10mの予報。
起きてみると意外と穏やか。
妙に期待を持たせる海況。
でも走島までの横断途中から吹き始めた。
やはり今回は風に阻まれる。
残念ながらこれ以上進めず。
午後は好きな宇治島を正面に眺めて過ごす。

走島の唐船の浜でキャンプ。漕行距離19.8km


 7日目 11月25日(土)

リーダーからの金毘羅さんにお参りに向かう提案に驚く。
全く予想してない。
金毘羅さんがどこにあり、どの島伝いに進むとよいのか地形すら頭に無い。
終始リーダーに付いて行くだけとなった。

香川県多度津町、海岸寺の浜でゴール。漕行距離31.1km
初、金毘羅さん詣でで海上安全を祈り第十五次終了。


今回は朝ブリーフィングから野営地上陸まで、海図、コンパス、時計、スマホ、GPS封印の旅
であった。
方角と時間は太陽の位置とお腹の空き具合で大体の予想が付く。
でも海図もしくは地形図だけは見たと思いながら漕いでいた。
アウェイの自分には島の名前や岬を一つ一つ確認しながら漕ぐのも楽しみでもあるし、
海図から潮の流れを予想し、それを確認するのも勉強の一つと考える。
知らない地域に入った最終日はガイドツアーのお客さんのようなありさまだった。
他の隊士の皆さんはどうだっただろうか。

終始冬型の強い北西風に吹かれ、海況は悪く寒い日が続いた今次ではあったが、初めての事も
多く学びの多い回であった。
隊長をはじめ一緒に漕ぎきった隊士の皆さん 、応援、サポート、差し入れの数々、
ありがとうございました。感謝します。

2016第十四次瀬戸内カヤック横断隊レポート 島津 裕子

第十四次瀬戸内カヤック横断隊レポート 島津裕子

第十三次に続き2回目の参加となった第十四次横断隊。
そして週末からは第十五次がスタートするという事で、あっという間に1年が過ぎようしていて、急いでレポートを仕上げようと思います。

海での7日間。
横断隊とは一体何だったのかな~という視点からのレポートです。


1. 横断隊は究極のリーダー研修?
2. よいリーダーの条件とは
3. 感想など(けがの事・女性隊士として・食べる事・横断隊士として)



<備忘記録 一部ログより抜粋>
第十四次の行動は以下の通り、6日で258kmを完漕した。


2016年11月18日~24日 小豆島(香川県)→祝島(山口県)
総漕距離:約258km

参加隊士11名
原隊長・ 大田・ 村上・ 楠・ 西原・ 三澤・ 工藤・ 井上・ 糸井・ 角田・ 島津

1日目 11月18日 (金) 晴れ リーダー 西原
06:30 ミーティング
06:50 小豆島ヘルシービーチ離陸
11:40 本島南側昼休憩
12:30 離陸
16:00 小島着陸
漕行距離51.5キロ
※初日1時間で腱鞘炎。
与島の北 瀬戸大橋手前で岸壁の返しとウネリで三角波が肩位置で合掌。ほとんど沈しかけ。工藤隊士に“漕いで漕いで”と並走してもらいなんとか・・・7日間で一番怖い瞬間が初日の午前中にありました。すぐ前を漕ぐ井上隊士の沈寸前からのリカバリーはナイス!午後、広島と小島の間、逆潮・向かい風で全然進まず心が折れる。ひたすらリタイヤの文字と脳内格闘。あまりのしんどさに、隣にいた村上隊士に“何か歌ってください!”と無茶ぶり。村上さん困らせてごめんなさい。

2日目 11月19日 (土) 晴れ リーダー工藤 
07:00 ミーティング
07:40 出発
13:35 小室浜 昼休憩
14:00 ミーティング後離陸
16:40 横島横山海岸 着陸
漕行距離40.9キロ
※午後休憩後、小室浜からの離陸時のタンパーがかなり怖い。原隊長にスプレーをしてから出なさいとアドバイスをしてもらい押してもらう。沈脱者多数。焦らず慎重に安全に出る事が大切。

3日目 11月20日 (日)曇り時々雨 リーダー 楠
06:40 ブリーフィング
07:00 離陸
10:20 佐島昼食休憩
11:05 離陸
16:35 大三島着陸
漕行距離38.8キロ

※伯方島沖浦手前で大粒の雨。雨粒が海面に弾かれ幻想的。しまなみに突入し知っている風景を見て少し安心。船折れの潮流実習が楽しい。フェリーグライドあり、潮流遡上あり。

4日目 11月21日 (月) 曇り リーダー井上 サブ島津
06:30 ブリーフィング
06:50 大三島離陸
11:35 蒲刈上島県民の浜 上陸休憩
12:25 離陸
16:00 亀ヶ首 着陸
漕行距離41.2キロ
※黒島から海峡横断前の海上休憩で、亀ケ首がどこか見えなくて、見えない島に向かって海峡横断するのが怖かった。しまなみを抜けて、よく分からない海域に入るので、すべてにおいて自信がなくなる。

5日目 11月22日 (火) 晴れ リーダー 三澤
6:30 ミーティング
6:50 亀ケ首離陸
11:00 屋代島北東端着陸 昼休憩
12:00 ミーティング後離陸
15:20 沖家室大橋手前の浜着陸
漕行距離37.7キロ
※怒和島と津和地島に向かって、中島を見ながらの海峡横断。松山から呉・広島線の航路。途中スーパージェットやフェリーが隊の前を横切る。私たちはパドルを高く掲げて、ここにカヤックがいますよの信号を送る。中島は愛媛県松山市の離島。知っている島が近くにあり、安心する。周防大島に取りつくまで、時間との勝負で緊張する。背中は愛媛。山口の海も知らない海。十三次に荒れた沖家室。怖い印象しかない。夜の野営は風が強く、火が大きくならないように細心の注意。焚火を囲んでゆっくりしていた頃、井上隊士が足を滑らせて、浜の石に頭をぶつけた。しばらく起きないので心配になった。大きなたんこぶが出来ていた。夜は足元も見えづらいので、要注意!頭が割れなくて本当に良かった。


6日目 11月23日 (水)曇り時々晴れ リーダー糸井
06:30 ブリーフィング
06:45 離陸
11:20 上関海峡手前の浜で昼食休憩
12:15 離陸
16:10 祝島着陸
漕行距離42.5キロ
※本州と長島の間の橋の下は航路になっているので素早く渡り切りたいが、かなり荒れている。もう、全速力で漕ぐ。横からの波にヒヤヒヤ。子供たちが大きな声で呼んでくれる。すごく嬉しい。でも、ここで手を振る余裕はなし。そして、もうすぐ祝島が見えるという長島南端付近。ここもかなり荒れていて、かなり長い時間揺さぶられる。何度もサーフしそうになる。隠れ岩がゴロゴロしているが、海面がキラキラ光って見えない。糸井リーダーの声かけで間一髪・・・。そして、いよいよ祝島へのアタック!逆V字編隊の先頭を漕ぐことになったが、ここも荒れていて、思うように進まない。前方にタンカーまでいて、タンカーに向かってフェリーグライド。ようやく灯台を越えて湾の中に入って、わー!ついた~と初めて思えた。


7日目 11月24日 (木) 曇りのち晴れ リーダー大田
07:00 ミーティング
それぞれの形で祝島と関わることを決定
18:30 反省会
行動終了



1. 横断隊は究極のリーダー研修?


横断隊は、誰でも参加可能で、特に参加資格は明記されていない。当然それぞれの目的や目標やスキルに違いがある。途中離脱、途中合流可。事情により、7日間続きで参加できないとしても、横断隊の扉は常に開かれている。来るもの拒まず、去る者追わずの横断隊だが、初代隊長の内田さんは、横断隊は、カヤックガイド養成のための勉強の場所でもあると話してくれた事があった。つまり、横断隊にはガイディングが出来る人材を育成する目的がある。そのために毎日リーダーが変わる。経験させる事に学びがある。ガイディングに失敗しても成功してもそれはあまり重要ではなく、その過程でどういう思考をしたか、判断をしたが、指示をしたか、統率したかなどが問われる。10人いたら10人の考え方がある。毎晩、上陸後、焚火の前で話しあう。夜の反省会だ。時として、個々の考え方がぶつかる。
海上は海底の地形と潮と風で刻々と状況が変わる。判断5秒。これ以上迷うと、大体死ぬ。そのくらい危険な場所に横断隊はいる。リーダーも万能ではない。経験値やフィールドの違いから、知らない海、知らない島、知らない潮、知らない航路に悩まされ、判断がゆらぎ、指示があいまいになる。その瞬間、隊はいっきにばらける。隊士は各自の判断で安全策をとる。基本的に、カヤッカーは一人船長。自分なりの判断基準を持っていて、常にリスク回避をしている。
また、横断隊は軍隊ではない。リーダーは先頭で隊の道を示す人だが、絶対ではない。必要ならば、海上であろうと、陸上であろうと、ミーティングが発生する。
では、よいリーダーの条件とはなんであろう?


2.良いリーダーの条件とは

私が過去2回最前列で7日間、毎日リーダーの横で漕いで、常に考えていたことがある。今日のリーダーはどういう思考の持ち主だろうか?どうやって隊に接するのか、どうやって統率するのか?どういうリーダーなら、ストレスなく安全に航海を先導する事ができるのだろうか?リーダーに必要な条件とは何だろうか?
私が行き着いた考えは4つになった。

① 目的を共有しているか
② プランBを持っているか
③ 全体がみえているか
④ 旅を共にする仲間であるか


①目的を共有しているか
朝のブリーフィングで行動の予定を共有する。どういうルートでどこに行くか。潮や風や考えられる気象情報やリスクを考慮し、1日の行動を全員で共有する。
組織的な集団と、ただの集合体との違いは、目的を共有しているかどうかで決まる。目的を共有する事はリーダーにとって最も重要なスキルと言える。

②プランBを持っているか
柔軟な考えを持ち、常に危険回避の手段を複数考えているか。限られた7日間という時間の中で完漕するには、ゆっくりしている時間はない。1日中漕げる日もあれば、アクシデントに時間を取られ、思うように進めない事もある。無理をしても、強行突破する勇気は必要だし、停滞の英断も必要だ。完璧なプランは存在しない。その時々で柔軟に変更する事もありうる。変化を受け入れ、複数のプランから最善策を判断する冷静さがリーダーには必要になる。

③全体が見えているか
先頭を行くリーダーは、はるか30km先の着陸地点を見据えて漕いでいる。しかし、隊は後方にいる。前を見ながら、常に後ろを気にする。5秒に1度振り返る。代々言われ続けていることだ。リーダーだけではなく、多くの隊士が振り返る。海上では声が通りづらい。風や波の音で声がかき消される。リーダーは隊の状況を隊士の漕ぐスピードやばらけ具合、声の出し方、顔色、漕ぐ姿で確認する。後方でトラブルが起きた時、前線では、状況がよく分からない。進めるのか、進めないのか、上陸が必要か、海上休憩が必要か。トラブルはトラブルを呼ぶ。荒れた海上などでは、待機中に2次トラブルになる事もよくある。リーダーは全体を常に見て、明確な指示をする必要に迫られる。

④旅を共にする仲間であるか
“5秒に1度振り返る”と言ったが、けっこう大変で、後ろを振り向くと重心が傾く。その瞬間“グラリ”とする。汗が出る。今次、原隊長から後方確認のスキルアップ講習があった。と言うと大げさだが、“こうすると安定して振り向けるよ”というアドバイスと実技指導だ。その場に居合わせた数名の隊士は早速試してみる。ああなるほど、と喜んで実践する。経験豊富な先輩隊士からの贈り物だ。こうしたコミュニケーションは海上だけではなく、陸上でも助言、指摘、問題提議などを通して常に発生する。旅の仲間として、経験の浅い深いは関係なく、お互いを尊重し、思いやり、より良い旅にしようとする。時には、人生相談にまで話題は広がる。いつも焚火の前では本音が出る。リーダーであれ隊士であれ、旅をする仲間として、敬意を持って接することができるか。縁があって集う隊士が、隊の為に尽くし、隊もそれに応える。旅の一員としての責任がある。リーダーの前に、いち隊士であり、仲間である。

良いリーダーの条件はまだまだあるかもしれないが、私が実際に見ていて、この4つがあれば、たぶんうまくいく気がする。横断隊でのリーダーは、技術うんぬんよりは、人としてどうか?が常に試されるのではないだろうか?そう考えると、普通のサラリーマンであっても、社会生活を送るなかで、少なからず思い当たる節はないだろうか?ある日、会社のプロジェクトのリーダーになったり、あるいは部下を持ち目標達成のノルマを課されたりするなかで、自らがリーダーシップを発揮する場面は、いくらでもあるだろう。進捗管理が悪くてプロジェクトが遅れたり、新人君の仕事が遅くてイライラしたり、連絡不足でトラブルを招いたりと、割とよくある事だ。横断隊という判断の連続な非日常な7日間だが、実は日常の凝縮版だったりする。ただ、命の危険が伴う行動だという点では日常と決定的な一線を画していることを忘れてはいけない。
以上が、私というフィルターを通して見て感じて考えた横断隊だ。この考察は瞬間風速で現時点の備忘録程度に思ってほしい。リーダーシップ論を説くにはあまりに未熟で稚拙だけど、横断隊から生まれるリーダーは素晴らしい人間性を持っている人が多いと思う。横断隊は、愛あるスパルタ式リーダー研修に違いない。


3.感想など(けがの事・女性隊士として・食べる事・横断隊士として)

けがの事
第十四次の参加者は11名(男性10名・女性1名)でスタートとなり、メンバーの入れ替えをすることなく、全員でゴールした。それも6日で着いた。驚異的なスピードと、恵まれた天候。停滞をすることなく、漕ぎ続けられたのはラッキーだったと思う。とはいえ、決して楽勝だった訳ではなく、私にとっては厳しかった。毎日どこかの局面では歯を食いしばりひたすら漕いだし、沈しそうにも何度もなった。
実は、初日のスタート1時間で腱鞘炎を発症した。右手首は赤く腫れあがり、熱を持ち、パドルが握れず、激痛が走る。ペットボトルのふたも開けることができなくなり、リタイヤが頭いっぱいに広がっていた。
原因は4つ。1つ目は、フットペダルの位置が悪く下半身の力が全く漕ぎに伝わらなかったこと。2つ目は、パドルをニンバスのチヌークに変更したこと。去年使ったもの(ナノック ウェースピリットノディー240cm)よりブレードの幅が少し広く、少し重く、少し径の太いチヌーク。ナローパドルには違いないが、いつもより水の抵抗が増し、手首に負担がかかる。が、その分、スピードが出る事を期待しての変更だったが、裏目に出た。3つ目は、隊の足が速いこと。全員が漕げるメンバーであった。唯一、私を除いては。1日目のリーダーは高速パドラーの西原隊士。鍛え上げられた肉体で、あっという間に離れて行く。全然ついていけない。もう、腕力に頼る力漕ぎになるしかない。4つ目は初日ということもあり、積載量が最大であり、漕ぎだすのに力がいる。体も慣れていない。緊張でガチガチだ。また、私の船はたぶん人より重い。これらが重なり、スタート1時間後には右手首は腫れあがった。
1回目の海上休憩時に、パドルを去年使ったものに取り換え、フットペダルを調整して、手首にサポーターをして、常に海水で冷やした。あとは痛くない漕ぎ方を探して、ジタバタしていた。今までのフォームが全部崩れたのが分かった。私は前列にいたので、その面白いまでにぐじゃぐじゃな後姿は、きっと哀れだったと思う。だが止まる訳にはいかない。痛くない漕ぎ方を見つけなければならない。取り換えたパドルは実は、借り物で、私がカヤックを始めた頃から使っているものだ。去年、初横断隊でも使った信頼のおけるものだが、かなり年季が入り、ジョイントが劣化し、押し出す度に、ギシギシと音を立てた。私の手首が折れるのが早いか、パドルが折れるのが早いか・・・そんな風に思った。手首が痛くない漕ぎ方を模索するうちに、押す分には痛みが無いことに気が付いた。引くときに、握力が加わり痛みがでる。右手は添えるだけ。シャフトを握る事も出来ない。手で漕ぐことを封じられた結果、体全体で漕ぐしかなく、足や肩や背中や腹斜筋といった大きな筋肉を使うことで、結果的に楽な漕ぎになった。


女性隊士として
私のけがは隊には知らせなかった。唯一、同じ松山から参加の先輩カヤッカーである、楠隊士だけには報告した。もし、本当に右手首が骨折した時に離隊する事を伝えた。というのも、今次私のテーマは、“隊にストレスを与えない事”と決めていた。行く前から、うすうす分かっていた。女子が1人である事、参加隊士は全員ベテランである事、漕力・体力・経験など、すべてにおいて自分が一番弱く、また、生理的にも構造が違うため、文字とおり“違い”ある。しかし、その違いが7日も続けば、ストレスを与えてしまう事が申し訳なかった。集団行動をするなかで、隊の足をひっぱりたくないし、隊士にストレスを与えたくない。私は小さな男子になる事を目指していた。数名を除けば十三次に行動を共にした隊士ばかりで、私は非常に安心していた。きっと紳士な隊士の皆さんの事だから、私の気が付かない所でたくさんのお気遣いを頂いたと思う。ストレスを与えない事を目標にしたが、結果的には、ストレスを感じないように、配慮を頂いたのは私の方だったように思う。実のところ、女性が横断隊を漕ぐ事について、男性陣がどう思っているのか、機会があれば伺ってみたい。
さて、女性カヤッカーにとっては、気になる生理事情。避けては通れない。前回同様、今回もばっちり始まった。だけど、なんとかなった。なんとかなるような、準備をしたと言った方が正しい。まあ、なんとかなるものだ。うん。大丈夫。こればっかりは仕方ない。でも、体調はいつもより良かった。1日中漕いでいるから、体が温まり、特有の痛みもなかった。夜もよく眠れた。

食べる事
漕ぐ事も大変だったが、食べる事も結構大変だった。食べ慣れないレトルトは結局最後まで食べなかった。炭水化物は取れても、タンパク質とビタミンが欠乏するので、しっかり栄養面を考えて7日分の食料を準備したい。1日中動く7日間。食べたものが翌日のコンディションにかなり影響する。かといって、準備した食料が口に合うとは限らない。疲れた体が欲するものは、普段の食事とは少し違う。日に日に変わる嗜好に悩まされた。私は行動食をたっぷり食べる派。海上休憩時、いつも何かを食べていたと思う。エネルギー切れを起こさない事はかなり重要。

隊士として
今次は、たくさんの差し入れを頂いた。ビーテンさんのあなごや小豆島蓮河隊士、山本隊士からのオリーブや猪肉、鹿肉、途中鞆の浦の岡崎さんからタコとサーモン、森隊士から2日間の大介汁、高橋隊士からは薪を頂き、弓削の石川さんからみかんの差し入れ、祝島ではコンパスの社長さんからのビールの差し入れ、島の方からはもう、わがままし放題のおもてなしを頂き、横断隊が重ねてきた歴史の恩恵にあずかった。
最終日の反省会、ゆうじさんからのゲキが忘れられない。
“今日、屋根があるところで寝れるのも、風呂に入れるのも、島の方が差し入れをしてくださるのも、今までの横断隊があるからだ。お前たちは、横断隊に何を返すんだ!!”
横断隊に何が返せるか・・・まだまだ答えは出ない。1つだけ、はっきりと分かっていること。遅くなっても、レポートだけは出そう。ここに記したことが、将来誰かの背中を押すかしれない。誰かの背中を押さなくても、きっと自分の背中は押すことができる。


第十五次の航海の無事を祈って。

第十四次横断隊 隊士 島津 裕子


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瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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