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2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 南畑 義明

第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 南畑義明隊士


瀬戸内カヤック横断隊への参加から5ヶ月。しっかり思い返したいような、あまり思い返したくないような、そんな気持ちでいます。写真を見返すと美しい瀬戸内の景色や思い入れある一人ひとりの隊士の顔。間違いなく私は瀬戸内の海と、共に漕いだ隊士のことを好きだと思います。

ただ「横断隊」として語ろうとすると、それは私にとって苦悶の日々でした。

・腰の痛み

持病の腰痛が限界に達したのは4日目でした。できる限りの対策はしてきましたが、船を運んだり、薪を拾ったりなど、すでに皆さんと同じ行動をとるのは難しい状況でした。リタイアも真剣に考えましたが、森隊士や原隊長の温かい心遣い、他の隊士の皆さんの物理的・心理的両面のサポートをいただき、全行程を漕ぎ切ることができました。皆さん本当にありがとうございました。

腰痛との付き合いは長いのですが、漕ぐほど、特に上半身の回転をしっかり使うほど痛みが和らぐのを知ったのは今回が初めてで、人生の中で新しい発見でした。

痛みが出始めて以降、体裁を取り繕うことを諦め、皆さんが薪を拾ったりしている間、まずは寝転んで少しでも回復に努めました。また、船を上まで複数人で持って運ぶのを免除していただきました。

出艇時はできるだけ皆さんの手を煩わせないように、荷物を積んでいない状態で水際まで船を引きずり、それから荷物を詰めるようにしました。確か、森隊士は序盤からそれをされていました。効率的だなーと横目で見ていたので、それを真似させていただきました。

腰痛は本当に傍目から見ても痛みがわからないので、痛みを訴えるのが難しいと改めて思いました。自分でも思っているより楽なタイミングがあるので、「楽なら可能な範囲で動かないと」と動くと「あれ?あいつ痛いとか言ってるくせに、動けてるじゃん」となりがちです。

そういう経験をたくさんしてきたのですが、「7日間漕ぎ切る」を目標に据え、できる限りの温存もさせていただきつつ、でもギリギリのところで食らいつく場面もたびたび迎えながらのゴールは、感慨もひとしおでした。

皆さんの助けなしでは辿り着けないゴールだったと思います。


・隊列やリーダーの役割

腰の痛みとも戦いながら、「隊列やリーダーの役割」について、ひたすら悶々と悩む時間も多かったです。この悶々がなければ、皆さんに助けられながら、瀬戸内の景色に惚れ、一緒に漕ぐ隊士たちの優しい人柄に触れ、すごく爽やかな一週間だったと思います。

このことについてあまり感情を混ぜずに書くために、私には5ヶ月が必要でした。

第十六次は「話し合いを前提とした場」を原隊長がマネジメントしており、そのマネジメントをベテラン隊士が支持、フォローしている、という構図でした。その構図が、前提とする「話し合い」に制限をかけてしまっていたんだろうな、と今になって思います。

私自身が未熟なため、感じているモヤモヤをあまりうまく言葉にできず、不必要に乱暴な言葉が他の隊士を傷つけていたとしたら、申し訳ないと思います。

隊列について、一番最初に疑問に思ったことは、そのときどきで漕ぎについてこれていない隊士が最後尾になることが度々起こったことです。私自身が普段、隊列について考えるとき、まず起こらないように気をつけていることがこのことです。

そうならないため、幾層にもチームのルールを積み重ねてその事態を防ぐ手立てを考えるところに、隊列マネジメントの妙がある、と思っている部分もあります。

そのことについて原隊長の考えを聞いて、基本的には納得はいきました。「自己完結」と隊長は言いますが、それはただ「マネジメント側は責任をとらない」のではなく、「管理することで成長の余地を潰さない」という意味の「自己完結」。

私自身の経験ではなかなかできないマネジメントで、漕ぎながら「なぜそれができるんだろう・・・」と悩み続けました。それをするためには「マネジメント側の余裕」と「リスクの大きさ」がバランスしなければいけません。隊長は何を見て、どう判断して、そのバランスをとっているのか。

小さな粗を見てはモヤモヤしながら、その粗が、個々の成長の余地であり、管理だけでマネジメントすることの限界でもあるのかもしれない。そんなまとまらない考えを巡らせながら7日間を過ごし、その経験が、今の会社運営にも確実に役に立っています。


・指示の伝達について

漕いでいる最中にリーダーから指示や進路の変更があった場合、隊士が復唱して後ろの隊員まで伝達するのですが、これが風が弱いときでも時折機能していなかった。2列目から見たとき、後方のベテラン隊士が復唱や返事の手を抜いているのか、あるいは聞こえていないのか判断がつかないことが多かった。

聞こえているなら返事をする、を徹底すれば、聞こえるまで何度も2〜3列目の隊士が伝達する努力をするのだけど、その曖昧さもリスクに感じた。ユージさんが言っていた通り、遅れている人は漕ぐ手を止められないので聞き取りにくい。そういう意味で突風などを平時にどこまで想定できているのか、判断しかねる場面が見られた。

日程の後半は1、2 列目の隊士が疲れてきて前を向いたまま声を張らずに復唱しているのを「きちんと後ろまで聞こえているか」を確認しつつ、時折聞こえてないと判断して横を向きながら大声で後列から伝達していました。

普段はこれでいいのですが、万が一の突風時には伝達システムは機能しなかったと思います。隊としての連動は高度ではなかったです。


・漕ぎのフォーム

参加してみて、自分が漕ぎのフォームが固まっていないからか、完漕には「漕ぎのフォーム」が大切だと感じました。2日連続で40km以上漕いだことがなく、初めての参加を検討している方は、そういう指導を事前に受けることをオススメします。

初参加で女性の花井隊士は、横断隊に参加するまで、1日に何10kmも漕いだり、キャンプツーリングをした経験がなかったそうです。しかし、7日間きっちり漕ぎのフォームを崩さず、性別のハンデも感じさせず最後まで力強く漕ぎ切る姿には、驚きと尊敬を感じました。

同じく初参加でキャンプツーリングの経験がこれまでない出口隊士も、漕ぎの指導を事前に受けていたからかスピードでも持続力でも横断隊のペースに全く問題なくついて来れていました。

自分は体格に多少恵まれている部分もあり、無茶苦茶なフォームでもスピードはギリギリついていけましたが、フォームが固まっていないため余計な負荷が体にかかり、手にマメが二ヶ所、皮膚の擦り切れが二ヶ所できました。手袋や絆創膏を欠かさずしていたため漕ぎに支障がない範囲でしたが、横断隊のベテラン隊士さんの漕ぎを見ながらフォームを修正していなければ、よりひどい状況になっていたと思います。

・風邪を治しながら

開始の2日前から、長引きそうな喉風邪を引いてしまい、前半は風邪を治しながら漕ぐことになりました。体調管理は期間中だけでなく、事前にも十分気をつけなければいけません。

前半戦では、夜は早めに寝て、体を極力冷やさないようにするのを徹底しました。しかし、目や鼻の粘膜が弱っていて焚き火の煙のちょっとした直撃で結構なダメージを負うため、暖まりたくても焚き火に近づけません。しかし体を冷やせば、一気に体調が悪化する。しかし1日漕いで濡れたシャツは冷える。そんなギリギリの綱渡り状態でしたが、何とか3日で治すことができました。


・止まらない咳

6日目の夜中に突如、咳が止まらなくなりました。喘息などを経験したことのない自分には初めてのこと。出発前夜から毎日焚き火にあたり、喉風邪もあり肺にダメージが蓄積したのかもしれない。もしかすると焚き火に使った木に、クレオソートなどが混ざっていたのかもしれない。たまに他の隊士も似たような咳を少しだけしていた。

・生活力&あって便利だったもの

2017年に陸上サポートで隊士の皆さんとお話ししたときに「大事なのは(カヤックの能力より)生活力だよ」と教えていただきました。普段から自炊もそれほど頑張らないため、それはそれで自分を鍛えるにはいいチャンスだと思いました。不安はあったのですが、事前の準備もあり(腰以外の部分に関しては)何とか大体一人で完結できたのではないかと思っています。

今回持って行って便利だったのは「枕に使える腰当てクッション」で、腰当てクッションなしでは長時間漕げず、枕なしでは眠りが深くならない自分にとっては最も必要だったものです。おかげで夜もぐっすり眠れ。朝5時半までにはスッキリ起きられました。

次にあって便利だったのは「フルドライ」のウェア。今次はフルドライは自分だけでしたが、漕ぎ終わったらフルドライを脱いで上着を羽織れば即オフモードに切り替えられるので、それがとても便利でした。

果物のみかん、バナナ、りんごは行動食としても優秀で、ビタミン補充に大いに役に立ちました。

水は12リットル持って行きました。今回途中で水を補給できる場所が2回以上ありましたが、自分は不足していなかったのでそのまま補充せず、最終的に約3リットル残りました。米を炊いたりしなかったので、使うタイミングが少なかったのですが、大体そんなものかな、と思いました。

事前にこれまでの横断隊のレポートを読んでいると皆さんがビールを持ち込むことが分かりました。自分は下戸のため500mlのジンジャエールを6本持ち込みました。オフモードに切り替えるのに炭酸の刺激がちょうど良かったです。

絶妙に役に立ったのは、砂浜や砂利に強いペグ。テントはmont-bellのクロノスドームですが、付属品ではなくTriwonderのひねりが入っているペグを買って持って行ったら、すごくきちんと地面に刺さって、これは良かった。今回は風が強い日はなかったけど、地面に合った強いペグを打つだけでテントで寝る安心感が断然違うと思います。

衣類圧縮袋。これはパッキングの難易度を一気に下げてくれる必需品。荷室の余裕は、追加のお菓子やビールの隙間になって、心の余裕に直結する。とても役立ちました。圧縮袋に入るサイズの寝袋を直前に紛失してしまい、少し大きめの寝袋を持っていたのだけど、それが一番パッキングで容量をとってしまった。そのせいか自分の船は隊士の中でかなり軽い方だったように思う。

・持ってこれば良かったと思うもの

海図。今次はベテラン隊士は海上で見るのを禁止されていましたが、ベテラン隊士でも陸上では禁止されていませんでした。参加回数の少ない隊員は海上でも海図OKでした。参加するまでその塩梅が分からず「禁止されているなら持っていかない方がいいな」と判断して、大いに後悔しました。初参加者は絶対に持っていた方がいいです。海図がないと細かい島や岬の名前が全然覚えられない。

デッキバック。みなさんスマートなデッキバックで、自分だけハッチに色々挟みまくりで不恰好でした。7日間、地味に恥ずかしかった。

夜間航行用の背面側シグナルライト。夜間にパドリングしたことがなく、知識として必要なことは知っていたが用意を忘れてしまった。ヘッドライトは勿論、シグナルライトも必要。

ロキソニン。事前に薬局に寄ったときに買っておくか迷ったのですが、自分で痛み止めを持っていれば少しでも自分で完結できない部分を減らせたと思います。かさばるものでもないので。腰の持病がなくても、何なり痛みと戦う場面が訪れる可能性は誰にでもあるかもしれない。

隊士の皆さんへの差し入れ。大人として当たり前?の日本文化が、7日間の限られた荷物の中でも繰り広げられるのを見て少し焦りました。いかに荷物を減らすかばかり考えていたので、そこまで考えていなかった。それもあって、会社の仲間に頼んで差し入れを持ってきてもらった。「ビールと何か持ってきて!」と頼んだら、まさかの寿司を買ってきたのはファインプレイ?だった、のかな?ちょっと現実に引き戻された感があったけど、隊士の皆さんに喜んでいただけて良かった。塚本隊士のおでん、出口隊士の干し柿、花井隊士のみかん、連河隊士のおにぎりなどなど、差し入れどれも美味しかったです。

・持って行ったけどいらなかったもの

パソコン。期間中にレポートを書くために持って行ったけれど、一番小さいmacbookでもパッキング時に邪魔だし、1日1日の記憶が濃いので旅が終わった後でもレポート作成は十分。

服を干す用のロープ。これは自分が下手くそだからなんだけど、服を乾かすことが全くできなかった。焚き火の近くで着ている服は乾かせるけど、脱いだ服を乾かそうと夜の間にロープで干しても夜露で逆にさらに濡れるし、焚き火は1ヶ所だけなので他の隊士が焚き火に当たれるように気を使って、焚き火の周りに自分の衣類を干すことができなかった。その辺りは、しっかりベテラン隊士さんとコミュニケーションをとれれば良かったな、と後悔している部分。まぁ乾かなくてもそのまま同じシャツを着ていればどうにかできる感じだったので切羽詰まらなかったことも解決しようとしなかった理由の一つでもあります。


・「強い個を作る」

やっぱり5ヶ月経っても安全管理の部分に関するモヤモヤが完全に消えたわけではないですが、原隊長のマネジメントや16回も積み重ねてきた瀬戸内カヤック横断隊のノウハウを初参加の自分が理解できるわけもないし、それを宿題にもらったと考えれば、それは単なる答えよりもよっぽど価値のあるものだと思えるようになってきました。

所々モヤモヤしていた自分を見て、原隊長が仰ったのは「横断隊の目的は、強い隊を作るんじゃなくて、強い個を作るんだ」ということ。その一言でモヤッとした部分がなくなったわけではないですが、その言葉の漕ぎながらのんびり咀嚼していました。原隊長は全ての答えを言わず、考える余白を残してくださりました。それが私にとってはすごく贅沢な時間でした。

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治

第16次瀬戸内カヤック横断隊レポート
西原敬治

【はじめに】
 横断隊のレポートを書くということは、私にとって苦痛な作業です。2011年の第9次横断隊から始まって今次で8本目のレポートとなりますが、毎回“乾いたタオルを絞る”様な思いでキーボードに向っています。
これを読んで下さる方々には申し訳ありませんが、ここには初参加者の初々しい感動や、ベテラン隊士のような海やパドリングについての深い考察はありません。自分自身が今次横断隊の一員として過ごした間で感じたこと、考えたことをありのままに書いただけです。したがって、初日の小豆島離陸から最終日祝島着陸まで網羅的に書くのではなく、あくまで私の心に残ったことだけしか書いてありません。それらは第三者から見れば取るに足らない事柄かもしれませんが、“乾いたタオル”から絞り出した数滴と思ってご容赦ください。

【事前調査より】
 小豆島集合日(11月18日)の数日前、「一応、横断中1週間の潮の状態をみてみるか」と軽い気持ちで調べ(http://sio.mieyell.jp/)てみると、「これはヤバイぞ!」。なんと、初日と2日目が中潮、それ以後6日目までずっと大潮。最終日にやっと再び中潮。ということは、コース中難所である“しまなみ越え(船折or鼻繰)”や“周防大島手前(津和地or諸島)”がどちらも大潮期間中。天気と違って、潮だけは確率100%!この時点で、私の心の中で“3回連続小豆島→祝島完漕”に黄信号が……。ついでに初日の潮流を調査(“潮流推算”で検索)すると、8時ごろから東向き(つまり逆潮)に流れ出し、9時から11時まで1~2Knの逆潮が続く。したがって、小豆島のヘルシービーチを7時に離陸したとすると、9時には直島手前。そこから大鎚島を経由して瀬戸大橋直下の与島に向かい、大橋を越えるのが通常の最短コースなのだが、その間中ずっと強い逆潮の中を漕がなければならない。「こりゃあ、初日から大変じゃー」。
【悪い予感がしたんだ】
小豆島集合日、江田島カヌークラブの仲間に車で送ってもらい、玉野市沼を午後1時過ぎに離陸。4時過ぎヘルシービーチ着陸。到着直前の黒崎沖で、「西原さーん」と呼ぶ声が。どこからするのかと周囲をよく見ると、同じく集合場所を目指していた村上さんだった。「漕ぎ方ですぐ分かったよ」とのこと。オレはどんな漕ぎ方をしてるんだ?
その夜、地元の連河さん心尽くしの差し入れをいただきながらのミーティング。原隊長をはじめ、隊士のみんなと1年ぶりに再会した嬉しさにウィスキーがすすみ、思わず事前調査で得た初日の情報を口にしてしまった。すると、すかさず隊長は「じゃあ初日のリーダーは今回も西原さんね」。西進コース3回連続初日リーダーともなると、酔いと諦め(?)の気持ちから「分かりました、やります」。事前調査の時点で、かすかにしたんだ。悪い予感が……。

【初日リーダーの任務は果たせたか?】
初日未明2時過ぎに目覚め。酔いが去った頭の中には、その日のコースが浮かんでくる。“直島→大鎚島→与島”が逆潮でだめなら、反転流を探しながら本州沿岸を進むしかない。しかし、そこは一度も漕いだことがないエリアで、しかも漕航中は地図(海図)を見てはならないルール。それともう1つ、“どこで瀬戸大橋を超える(くぐる)か?”。沿岸コースの延長上には下津井瀬戸。できればそこは通りたくない。考えれば考えるほど空恐ろしくなり、リーダーを引き受けたことが悔やまれる。「いっそのこと仮病でも使って…」と、あらぬ妄想まで浮かんでくる始末。これではならじとライトをつけ、地図を見ながら頭を冷やして再考する。結局、「沿岸コースといっても、直島南岸までは過去2回のリーダーのときと同じ。そこからは北に進路変更して本州を目指す。いかに初めてのエリアだといっても、どれが本州か分からぬことはないだろう。そして本州に取り付いたら、岸沿いに西進するだけだから地図は不要。そのうち渋川海岸(大きな海水浴場だから、分からず通り過ぎることはあるまい)に着くだろうから、そこで昼食休憩。それ以後のコースは、その場で考えよう。分からなければ他の隊士と相談すればいい。」という考えに落ち着いたころには、出発準備にかからねばならない時間になっていた。
6時50分ブリーフィング開始。未明に考えたプランを提示し、みんなの了承を得た。出発前の記念撮影の後、7時ちょうどにヘルシービーチ離陸。直島南岸までは、①つとめてゆっくりしたペースで漕ぐこと②できるだけ頻繁に後ろを振り返ること-の2点を心がけた(つもりだったが、角田隊士のレポートを読むと、そうでなかったらしい)。逆潮の影響がもろに出て、直島南端に着いたのが11時(時計禁止のルールのため、これ以後の時刻表記は三澤隊士提供によるGPS情報による)。15km余りに4時間もかかったことになる。ここから荒神島南岸を経由して本州(犬戻鼻)を目指すのだが、この海域がこの日1番の要注意エリア。というのも、宇野と高松を結ぶフェリーが超頻繁に行き交っているからだ。特に宇野港を出航したフェリーは、葛島や荒神島の陰になって直前まで見えない。
本州に取り付いてからも、ペースは思うように伸びない(パドルが重い)。おまけに無味乾燥な人工物や工場の連続。こっそりパドリングジャケット下の腕時計をカンニングすると、12時半をとっくに過ぎている。腹も減ってきた。すぐ後ろを漕いでいる、初参加の隊士のみんなの疲労も気掛りだ。「渋川海岸はまだか?」かなり焦りながら漕いでいると、工場地帯が途切れたところにこじんまりした浜を発見。迷わず上陸し、昼食休憩(後から地図で確認すると、小さな鼻の向こう数十m先が渋川海岸だった)。
昼食と熱いお茶で腹を満たし、たっぷり休憩して気分一新。正面前方を見ると、意外に瀬戸大橋が近く見える。「これ以後は岸から離れ、瀬戸大橋を目指そう」という思いが強まる。この日の宿泊地を本島北端を回りこんだ所の海水浴場(12次と同じ)と想定すると、まず大橋手前の釜島を目指し、櫃石島と岩黒島の間を通って大橋を通過するのが最短コースとなる。それを出発前のブリーフィングで提案し、了承を得る。「これで初日リーダーの最低限の任務“瀬戸大橋越え”が果たせる!」と気持ちが高まり、パドルも軽く感じる。後で調べてみると、これは気分の問題ではなかった。昼食場所を出発したのが13時30分。そのときは既に転流時刻を過ぎ、潮は西に向って流れていたのである。“潮流推算”によると流速は釜島までが0.4~1Kn、釜島から本島までが1~2Kn。また、三澤隊士のレポートにも「昼休憩の後は追潮。流れに乗りつつ瀬戸大橋を通過。」とある。
2時間弱で瀬戸大橋直下の櫃石島南端に到着。そこは多少の流れはあったものの、全員難なく通過。目指す本島は目前(約2km)だが、ここの横断も要注意。大型貨物船の航路となっており、右にも左にも細心の注意を払わねばならない。ここも無事通過。しかし、この日最後の最後で大きなミスを犯すところだった。本島の北にある向島は、本島との間が最も狭いところで200m足らず。そのため私の位置からは両島がつながって見え、向島を本島と誤認し、その北側を回ろうとしかけたのである。そのとき後ろから、「西原さん、その島は本島じゃないよ!」との声が(たぶん村上隊士)。そのおかげで遠回りをすることなく、両島の間を抜けてゴール。午前中の逆潮による遅れを昼食後の追い潮で挽回して、何とか初日リーダーとしての任務は果たせたとしよう(甘い?)。

【その他もろもろ】

4日目(弓削島→岡村島・リーダーは森隊士)
この日、心に残ったことが2つあった。1つ目は船折瀬戸の通過。誠にあっけないほどの、完璧なナビゲーションだった。潮止まりの時刻は前もってスマホなどで調べられるにせよ、時計を見ないでぴったりその時刻に合わせるなど、私から見ると“神業”でしかない。長年のガイド業で培った勘と経験を見せ付けられた場面だった。
 2つ目は大下島への緊急上陸。伯方島での昼食休憩の後、大三島南岸に取り付いたころから北西風が徐々に強まり、せっかくの追い潮にも乗り切れない。特に大三島から大下島への横断では、今まで風除けになっていた大三島を離れ、大きく北に開けた海域を漕ぐことになったたため強い北西風をまともに受け、たまらず途中の岩礁に毛が生えた程度の小島(肥島)南岸に張り付かざるを得ないほどだった。やっとの思いで大下島の風裏に漕ぎ入れ西進。「ここまで来れば野営予定地の岡村島に着いたも同然」と一安心したが甘かった。岡村島手前の小大下島との間が、先ほどの大下島・大三島間以上に大荒れだったのである。そのうえ、今度は途中に肥島のような風除けになる島も全くない。わずか2kmほどの距離が、その倍以上に感じられる。ひとまず洋上で集合し、ブリーフィング(私はその直前あるミスを犯したのだが、それについてはレポートの最後で述べる)。結局、小大下島への横断を断念し、大下島で代わりのキャンプ地を探すべく岸沿いに北上(そのときの向かい風もつらかった)。岬を回りこんで、大下港最奥部に数人の偵察隊が上陸するも、適当なキャンプ地は見つからない。次に港から北に見える小さな鼻の上に建つ東屋を目指す。東屋直下の猫の額ほどの砂利浜に艇を乗り上げ、全員上陸。しかし、そこはアスファルト舗装された道路があるだけで、とてもテントが張れる場所ではない。吹きっ曝しで体は冷えてくる、焚き火は焚けない、夕闇は迫ってくる……。小心者の私は気が気ではない。そんな状況でも隊長は冷静だった。しばらくして隊長は「風も多少落ちてきたし、海況もよくなってきたので、予定通り岡村に渡ろう」と指示したのである。
 17時27分、夕闇迫る岡村島観音崎の浜に着陸。こうして今次横断隊で“一番長い(漕航距離)日”が終わった。“いつ如何なる状況でも冷静さを失わず判断すること”を学んだいい機会だった。

5日目(岡村島→倉橋島亀が首・リーダーは飯山隊士)
今次横断隊での下蒲刈島から亀が首への横断は、14次のときとは違って海上の見通しがきき、はっきりと亀が首が視認できて安心して漕げた。途中、広島・松山間のフェリーや高速艇をやり過ごすための洋上休憩が数度あったが、2時間余りで下黒島から亀が首先端に到着した。
この日強く心に刻まれたのは洋上での出来事ではなく、日没後のキャンプ地から眺めた光景だった。焚き火を囲んでみんなが語らうのに耳を傾けながら、亀が首の上空をふと見ると素晴らしい満月が…。野営地はゆるく湾曲した入江の奥で集落は背後の山の裏側にしかなく、正面には漆黒の斎灘が広がっている。そんな人工の光が全くない中で、冴えわたる月光が反射し、海面に光の道が現れている。そして、その道の縁はさざ波によって微妙に揺らめいている。そのとき隊士のみんなの声が一瞬消え去り、自分がその光の道をどこまでも歩いている幻想にとらわれた。

6日目(倉橋島亀が首→沖家室島対岸の浜・リーダーは三澤隊士)
最終日を残して沖家室島対岸に到達できたことは、“祝島ゴール”への大きな前進だった。この日印象深かったのは、出発前のブリーフィングでの三澤リーダーの決断だった。事前調査の所で書いたように“周防大島手前(津和地or諸島)”はコース中屈指の難所で、しかも当日は大潮。こうした条件の下、三澤隊士は“津和地・諸島水道を避け、情島東岸を迂回する”ルートを選択した。彼の技量・経験からしたら、「あえて激しい潮流を漕いでみたい」という思いはあっただろう。しかし、初心者を含めた隊全体の安全を第一に考えての選択だったと思う。このレポートを書いている今、潮流推算を見ると鹿島からの海峡横断を終えて津和地島北の沖合いで洋上休憩していた時点(11時ごろ)で、上げ潮流はかなり弱まっているように見える。しかし、“推算”はあくまで推算である。現に原隊長は休憩中、「隊全体が津和地瀬戸に吸い込まれているぞ」と指摘し、隊は休憩を即時切り上げ西進したのである(うかつなことに、私はそのような状況に全く気づかなかった)。危険を前にして下される決断は、危険から離れた所でなされてこそ価値があるのであって、決断をためらって危険の渦中に突入してからでは“時既に遅し”。その意味でも、安全を第一とした三澤リーダーの決断は的確だったと思う。

最終日(沖家室島対岸の浜→祝島・リーダーは楠隊士)
祝島まで残すところ40km余り。ここまで来たら“何が何でも祝島”という思いが全隊士の胸にあったのではないか。この日しみじみと思い出すことが2つ。1つ目は上関海峡横断後長島南岸を進んでいたとき、1隻の漁船が猛スピードで追い越しざま、我々に罵声を放ったこと。原隊長によると、中国電力から“あぶく銭”をもらった原発賛成派の漁民だろうとのこと。自分の主義・主張に自信があるのなら速度を緩め、我々に議論を吹っかければいいではないか。そうではなく船名を確認されたくないかのように、悪態だけ残して全速力で逃げ去る卑怯さ。怒りを感じるというより、金の魔力に負けた人間の哀れさを痛感した。それと同時に、原発賛成派を身近にしながら、“上関原発を建てさせない山口県民連絡会事務局長”として生活する原隊長の大変さ(したたかさ)を思った。ちなみにこのレポートを書いている今、ネット検索で“上関原発を建てさせない山口県民大集会2019”の開催(3月23日)を知った。原さんすみません。23日は“しまなみ縦走”という自転車イベントに妻と一緒に参加することに前々からしていたので、集会には参加できません。来年は早めに開催日程をチェックし、参加させてもらいます。隊士はじめこのレポートを読まれたみなさん、参加可能な方はぜひご検討ください。下記URL参照。 (https://stopkaminoseki.wixsite.com/kenmin-daisyukai2019)
 2つ目は田ノ浦から祝島までの、あの表現し難い80分間の漕航。田ノ浦到着は16時30分。例年はここで原隊長から上関原発についてのレクチャーがあるのだが、迫り来る日没を慮ってか、それはなし。トイレ休憩後、直ちに祝島に向け離陸。そのとき我々が目にした光景は、横断隊のfbのカバー写真(その日リーダーの楠隊士撮影)のように超感動的なものだったのだが、残念ながら私にはそれを味わう余裕はなかった。心の中は「過去2回(第12・14次)と同じように、明るいうちにあのゴロタの浜に乗り上げたい」という思いのみ(私には“過去の成功事例にこだわる”という性癖があるようだ)。海況に問題はなく、距離も4kmしかないのだが、なかなか思うように前進できない。そうこうしているうちに、日はとっぷりと暮れる(田ノ浦で装着していたヘッドランプは、かなり前から点灯)。そうなると、“夜道に日は暮れぬ”とかえって落ち着く。17時59分、祝島着陸。ある方は洋上の漁船から、ある方は桟橋の上から、横断隊を見守り歓迎してくださった祝島のみなさん、ありがとうございました。また、この1週間いろんな所で心尽くしの差し入れをして下さったサポーターのみなさん、ありがとうございました。

 【おわりに】
 レポートの最後に、本文中で触れられなかった何点かについて書いておきたい。

①排泄について(「えーっ?!」と思う人は読み飛ばしてください)
私は何度も妻と一緒に海外への団体ツアーに参加したが、いつも気になるのは食事のことではなく、排泄のことである。トイレ休憩にバスから降りるたびに「どんなトイレだろう?混んでいないだろうか?うまく用が足せるだろうか?」と、すごく不安になる。横断隊の1週間も事情は全く同じである。キャンプ地に上陸すると先ず、人目を避けて用(“大”の方)が足せる場所を探してしまう。ちなみに今次、用が足せずに不安を抱えたまま朝スタートした日が2日あった。漕航途中のトイレ休憩(“小”の方)でも苦労する。まず準備としてライジャケやスプレースカートを脱ぐという、他の人には不要な作業がいる。それにレイブンパンツやラッシュガードの上げ下げがへたで手間取る。極めつけは、排尿に時間がかかる。これは精神的な原因もあって若いときからそうなのだが、最近は加齢がそれに輪をかけている。【その他もろもろ】の①で、大下島でのブリーフィング直前に私が犯したミスというのは、実はこの事だったのである。ブリーフィングのしばらく前、みんなはある所でトイレ休憩したのだが、私は前記のような事情で「岡村島までもうすぐだから我慢しよう」とパスしてしまったのである。ところが、岡村どころか目前の小大下にさえ渡るのが難しそうだということで急遽1人隊を離脱し、岩陰で用を足した…。まではよかったが、スプレースカートをやっとコーミングにはめ(これにも私は人以上に時間がかかる)前を見ると、何と脱いだライジャケがバウに引っ掛けてあるではないか!“目が点になる”とはまさにこのこと。余りに遅いので様子を見に来てくれた三澤隊士、本当にごめんなさい。そして、荒れる洋上で長時間待たせた他のみなさん、深くお詫びします。実は当日の夜、岡村島での反省会で前述のような事情を正直に話して謝罪しようとしたのですが、アルコールの助けを借りても、さすがに面と向って口にはできませんでした。
こんな私ですが、今度ばかりは「何とかしなければ!」と、あるグッズを2品購入しました。そのうちの1品については、既に有効性(“小”の方)を確認しました。もう1品(“大”の方)については、実地の無人島キャンプで使ってみて確かめようと思います。もし私と同様の悩みをお持ちの方がおられれば(いるわけないか)、こっそりお教えします。

②“小豆島ゴール”はなぜ実現しない?
 私自身、今次で8度目の横断隊参加だが、スタートから最終目的地まで完漕できたのは“小豆島→祝島”のみ(3回)で、逆コースの完漕経験はない。1次から8次までの実績はつまびらかでないが、似たようなものと想像する。これはなぜか。風のことだけ考えれば、西よりの季節風が追い風となる“祝島→小豆島”の方が有利な気がする。わずか8度だけの経験だが、私は次のように考える。横断隊を“鉄”、最終目的地の島を“磁石”とすると、祝島の“磁力”の方が小豆島のそれより、はるかに強力なせいではないかと。何にせよこの現象は、海況や気象条件などの客観的なものではなく、横断隊士各人のメンタル(主観)に根ざしたもののように思えてならない。他の隊士のみなさんは、どうお考えだろうか。
 念のため付言するが、だからと言って「毎年“小豆島→祝島”にすべきだ」とも、「完漕できるまで“祝島→小豆島”を続けるべきだ」とも思わない。現在のように年毎の“入替え制”で良いのではないか。さて、今年(19年)は“祝島→小豆島”。どんな横断隊になるか、今から楽しみだ。(「是非とも完漕しよう!」と言えないヘナチョコ隊士をお許しください)

③陸上移動について
 以前のレポートにも書いたが、私は各隊士の“自宅→スタート地点” “最終上陸地点→自宅”などの移動方法に大いに興味がある。今次のレポートでも、角田・塚本・出口・三澤各隊士の苦労話を読ませてもらい、大いに参考になった。しかし、私にとって15・16次においては前記隊士の皆さんのような思いをせずにすんだ。というのは、所属する江田島カヌークラブの仲間に、ボランティアでの送迎(ガソリン・高速代は西原負担)をお願いしたところ、快く引き受けてくれたのである。本当にありがとうございました。17次以降も仲間の善意に甘えるつもりである。
 最後に、今次横断隊でお世話になった皆様にお礼申し上げるとともに、隊士のみなさんとの17次横断隊での再会を楽しみにしております。それまでお元気で。

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 三澤 昌樹

2018年 第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 三澤 昌樹

 私にとって6回目の横断隊。
横断隊への準備は夏から始まります。
会社務めの私にとって1週間以上の休みは年間通してそう沢山取れるものではありません。
ましてや関東から参加するには陸の移動だけでも前後を合わせて3日を要します。
最低でも10連休を取らなければ全行程の参加は出来ないのです。
つまり、夏からというのは夏休みを返上して、返上というのは勝手な言分なのですが、
「夏休み取らなかったから11月に休ませてね」という言い訳を準備するところから始まるのです。
ですので、ここ数年、夏のバカンスは短期的なものばかり。
それでも今は横断隊の7日間に魅力を感じているのです。

 最近はどこの職場も似たようなものかも知れませんが、人員削減で交代要員はいないのが現実。
10月中は横断隊の期間中に大きな仕事が入らないでくれ~とハラハラドキドキしながら過ごし、11月に入ってやっと少しづつ食料や持ち物などの準備。
そして横断隊への出発の日を迎えるのです。
まあそんな訳で今年も強引に休みを押し込んで全行程の参加が叶ったのでした。

 今回の悩みどころの一つがウェアリング。
11月に入っても暖かい日が続き、夏日を記録するような日もありました。
ドライウェアだけで済めば着替えも少なくて済むのですが、今年はそうも行かないと予想できます。
秋用のウェアリングも一通り準備。
ただし、パドリングジャケットはレインウェアを兼用として少しでも荷物を減らします。

 食事はここ数年私の定番メニュー。
夕食は2合の米を炊いてレトルトカレー。
朝は時間に余裕が無いので夕食の残りの米をおじやにしてすすり込みます。
昼はマルタイの棒ラーメンか早ゆでペンネ。
もしくは十分な休憩時間がない場合用のカロリーメイト系の栄養補助食品。
他のメンバーの食事を見ていると、結構手の込んだ美味しそうな料理をしていますが、私は極力手間を掛けず、その分休養を取る事に重点を置く事にしています。
それでもレトルトカレーの種類にはこだわり、具材が多く且つ毎日違うものにしました。
 過去、経費をおさえようと安いものだけで済ませた年もありましたが、さすがに貧しさが沁み過ぎて反省した経験があります。
実はカレー好きなので、毎日カレーでも平気ですし楽しみでもあるのです。

 あと無くてはならないものがお酒。
積み込める量にも制限があるのでビール350缶を1日2本計算の14本、
ウイスキーを500のペットボトルに2本(1リッター)。
水は途中補給できるところもあり10リッターと5リッターのタンクに分け15リッターでスタートします。
 トータル荷物の総重量は50kg弱になります。
最初の漕ぎ出しはずしっと重いです。
でも旅が進むにつれてフネが軽くなって行く事に寂しいという感情も湧いてきます。

 今次横断隊は小豆島ヘルシービーチがスタート地点。
集合場所の小豆島へは、いつも通り宇野から漕いで向かいます。
一旦、山口まで車を置きに行った私は角田隊士の車に便乗させて頂き、
宇野で飯山隊士、出口隊士と合流。
4名で小豆島へ漕いで向かいます。
 お昼からの漕ぎ出しでしたが、予想した通り暖かい。
暖かいというよりむしろ暑いくらいでした。
ラッシュガード一枚で十分な気温。
荷物として積んだドライウェアを着る機会があるのか心配になります。
横断隊後半には着る事になりましたが、ここ数年暖かい日が増えている事を実感します。

 ヘルシービーチで各隊士に再会。
いよいよ瀬戸内カヤック横断隊の始まりに心躍ります。

<初日、リーダー西原隊士>
 スタートから向い潮。
直島を越えてから北側に進路を取り、本土沿いで向潮を避けるコースを選択。
このルートは初めてで新鮮。
いつも昼休憩は大槌島に上陸して本土の方を見ながらですが、今回は本土から大槌島を見るシチュエーションとないました。
 昼休憩の後は追潮。
流れに乗りつつ瀬戸大橋を通過。
そして初日の野営地、本島に上陸。
 今回は原隊長の長男10歳の海惺君が隊士として参加。
お父さんとタンデム艇で最終日まで力強く、そして楽しそうに漕いでたのが印象的。
この先が楽しみです。

<2日目、リーダー工藤隊士>
 大潮に近い瀬戸内は流れが早く島のあちこちでボイルした波が立ちます。
島の北を通る方がよいのか、南を通る方が有利なのか、はたまた岸沿いが良いのか沖合がよいのか悩みながら漕ぐことになります。
リーダーは瞬時にその判断をしなければなりません。
潮目を越える場面で判断を誤るとすぐに隊がバラバラになります。
 関東や伊豆沿岸ではそれほど気にしない潮の流れ。
私は波立ってる所を見ると遊びたくて直ぐにそっちの方へパドルが向いてしまいます。でもそこは我慢。
横断隊は纏まっての行動が基本です。
とは言え、ちょっとだけ遊んじゃいました。反省。
何度漕いでも瀬戸内は勉強が絶えない海域である事を実感します。
 小飛島に上陸。
ここで藪の灌木で足の甲にえぐり傷を負う。
傷には強い方で、子供の頃から傷が化膿する事はあまり無いくらいの身体ではありますが、横断隊もまだ前半戦。
この先毎日海水に足を漬けている状態では傷口が乾く暇がありません。
さすがにえぐれ傷は癒える事無く、横断隊が終わるまで傷が塞がりませんでした。
横断隊を終えて家に帰る頃は腫れてしまい足を着くのが辛いくらいになってました。
過信する事無く、初期段階のケアの重要性を感じたのでした。
そして「もしもセット」にバンドエイドのキズパワーパッドを追加。
カヤック旅に防水性の高い絆創膏は必須ですね。

<3日目、リーダー角田隊士>
 海峡横断の途中で仕事の電話が入る。
最初は出るつもりは無かったのですが、電話してきた相手の事を思うと無視も出来ない。
思わず出てしまいました。
勝手に隊から遅れる格好になり、これは反省。
電話のあと隊に追い着くため猛ダッシュ!
 この日のゴールは弓削島。
弓削島の上陸ポイントには温泉あり。
温泉好きとしては入らずにはいられません。
まだ3日目ですが身体がほぐれました。
そして野営地に戻ると差し入れがいっぱい。
応援して下さる方々に感謝なのです。

<4日目、リーダー森隊士>
 いよいよしまなみ海道越えの日。
その前に佐島、津波島、伯方島の海域は右に左に流れが複雑なポイントを越えます。
流れのせいで隊がバラバラになりかけている時、リーダーはどうやって隊を纏められるのかが問われる場面です。
前の人が左に流されているのに自分は右に流されていたりします。
そして流されるスピードも違います。
実際バラバラになりかけました。
周りの船舶にも気を遣う必要があります。
こんな時、どうしていいのか未だに最善の方法が分かりません。
 バラバラといっても、なんとなく2~3人程の組になっているものです。
予め次の集合ポイント(見える範囲内)を決めておき小集団で行動するというのもよいのかもしれません。
 そして船折瀬戸。
時計を持たないリーダーでしたがジャスト潮止まりでした。
リーダーの潮読みの技術力の高さを見せつけられました。

<5日目、リーダー飯山隊士>
 倉橋島の海峡横断は進行方向に対して左右に流れる潮流の影響をもろに受けます。
大きな海峡ですので激潮ではないですが、そこがまた流れを読みにくいポイントでもあります。
リーダーは小まめに進行方向の修正が必要な場面です。
山立てでどのくらい流されているかを見ながら進行方向の角度を調整する訳ですが、
場所によって流れの速さや方向も微妙に違うのでしょう。
大勢の時はジャストを狙わずある程度大きくフェリー角を切り、最後近付いてから微調整をするのがよいのかもしれません。

<6日目、リーダー私>
 リーダーに任命されました。
スタート時は上げ潮。つまり本流は向い潮。
倉橋島を南下しつつ正面に見える鹿老渡島の陰に入っているから反流を貰っていると思っていました。
しかも海面はウエーブが出来ていて気持ちよく乗れる。
でも途中から横の景色が変わらない事に気がつきます。
(後でGPSのデータを確認すると4km/h程)
そんな時、後方にいた村上さんが前まで出て来てくれて、鹿老渡の橋を越えて島の西側に出てみてはと提案をしてくれました。
きっと皆も進まない事にヤキモキしていたのだろうと思います。
もっと島に張り付くようなコース取りをするべきでした。
 そしてこの日の最大のポイントは鹿島から津和地島を経由して周防大島に取り付くこと。
潮は大潮、諸島水道は潮が激しくボイルしている事が予想されます。
朝のブリーフィングでも隊長から諸島付近の危険具合の説明がありました。
ここには行くなよって事の念押しと認識。
ここは少し遠回りになりますが、安全第一で津和地島の北を通り情島と周防大島の間を抜ける事にします。
 まずは鹿島から津和地島への海況横断。
滑り出しは順調。
おそらく横断途中で転流となり黙っていても情島の方に流されると踏んでいました。
進行方向に対しては右に流されるはず。
正面に見える鉄塔の位置等から流され具合を確認して進んでいました。
初めのうちは目論み通り情島の方に進んでいたのは確かです。
ところが津和地島に近付くに従って、どうも戻されている。
つまり左に流されているのです。
途中から津和地島と怒和島の間の流れの方に引き込まれていたのでした。
 島に近付き大型船の航路から外れ安全と思われる場所で休憩。
フネを止めたら、さらにどんどん引き込まれていることを実感。
そのうち潮目の段差も迫ってきて、慌てて隊を進めました。
話には聞いていましたが、あんなに離れた場所から引き込まれるとは正直驚きました。
あのまま引き込まれていたら諸島水道コースとなり、どうなっていた事かとぞっとします。
まだまだ経験不足を実感したのでした。
 打って変わって情島と周防大島の海峡は実に穏やか。
なんでこんなに違うの?とこれもまた驚きです。
 周防大島に取り付いてからは、追い潮を受けるため岸沿いは避け沖を進みます。
目指すは沖家室島。
幸いにも他の船舶も遭わず、順調にスピードアップできました。
(後でGPSのデータを確認すると最大11km/h、平均8~9km/hは出ていた)
そしてキャンプ地は沖家室島の対岸の浜。
なんとか日没までには到着。
最終日を前に祝島の射程圏まで隊を進めることが出来ました。

<7日目、リーダー楠隊士>
 ラストはベテランリーダー。
なんの不安も無くいつものルートを漕ぎます。
田ノ浦から祝島への海峡横断は日没となりヘットライト、フラッシュライトを使っての漕ぎとなりました。
そんな中、祝島の船がづっと両脇を固めるように並走してくれて感謝。
比較的交通量の多い本船航路の海峡での夜間横断となりましたが、とても心強かったです。
 そして、夕日を背にする祝島の姿は更に神々しく胸に焼き付いきました。
祝島では岸壁に集また島の方々が拍手で迎えてくれ感激。
長島を漕いでる時に我々の傍を凄いスピードで追い越し、追い越しざまに罵声を浴びせていった船の人との違いを考えさせられました。

 第十六次瀬戸内カヤック横断隊、無事目標の祝島ゴールにて終了。(トータル267.2km)

 今回は岡山まで芳地隊士が同乗。
帰りは飯山隊士も加わり車の運転は交代交代で助かりました。
また、今回も祝島の方々、行程中様々な方達の応援、差し入れ等を頂き大変感謝しております。


2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 塚本 健

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 塚本 健

行程編

【参加するきっかけ】
もうずいぶん前から、上関原子力発電所建設に反対してきた「虹のカヤック隊」のことは耳にしてきた。
ただその当時は、仕事や環境で動けない自分がいた。
いま、自分はライフワークとして沖縄県名護市辺野古に通っている。
辺野古に新しく造られようとしている米軍総合基地の建設を止めたいとの思いをもち、
年に4、5回のペースで、カヤックに乗って海の行動にでている。
カヤックの上から、抗議の声をあげることはもちろんのこと、
フロートやオイルフェンスを引き出したりする作業を止めるため、直接阻止行動をすることもある。
以前、隊長の原さんから、
「辺野古での抗議活動について、みんなの前で話をしてくれないか。」と声をかけていただき、
山口県光市でスライドを交え、辺野古のカヤックチーム「へのこぶるー」について話をしたことがあった。
横断隊としては、2年前の第十四次横断隊のときに、応援側としてはじめて関わることになった。
いつかは参加したいものだと、ずっと前から考えていたが、
当時まだまだ辺野古での弾圧は、目まぐるしく日替わりで変化していく状況であったし、
なにか辺野古で事態が急変した時にはすぐに駆けつけたいと、常にスタンバイしていた。
また、自分が次に目指していたアウトドアにおける目標は、
ヨセミテのEl Capitanでのビッグウォールを登攀することにあったので、
横断隊に参加するのはまだまだ先になるだろうとなんとなく考えていた。
2018年9月30日に沖縄県知事選挙が行われ、玉城デニーさんが当選した。
選挙直後の10月2日から、再び辺野古の現場に行くつもりだったが、台風が来たため中止にした。
辺野古の埋立工事もしばらくはストップするかもしれない。
職場環境においては、まだオープンして2年目の店だが、
スタッフ間の信頼関係もガッチリきまってきて、いい感じで巡航できるようになってきた。
なんだか偶然にいろんな条件が重なり、「横断隊に行ってこい」といわれたような気がした。
自分は重大な決断をする時は、いつもこうした直感に従うことにしている。
今から思えば、横断隊に導かれたのかもしれない。


【前日 2018.11.18(日)】西宮から小豆島への移動日
事前に白石島の原田さんからお借りしたカヤックをハイエースに積み込み、山陽道を西へ。
原田さんとは、2006年に開催された「第五回花崗岩選手権」というボルダリングコンペで白石島に訪れたときからの付き合いになる。
モンベルのフレンドフェアにも「あいらん堂」として何度も出店していただき、
連れ合いの真理もブースで、度々、楽しみながらお手伝いしたりしている。
日生港から小豆島に向かった。
日生港では、車に積んでいたカヤックが5mを超えていたため、車長6m未満での追加料金を徴収されかけたが、良心的な係員さんのはからいで、車長の長さである5m未満にしてもらった。
フェリーは1時間ほどで小豆島の大部港に着いた。
出艇地に向かう前に寄っておきたいところがあった。
それは、池田にある八木さんという製麺所さんだ。
20年前、吉田の岩場にクライミングに行ったときに、立ち寄った製麺所さんで、天日干しでお素麺をつくっておられる方だ。
海とお祭りが大好きな方で、お素麺を送ってくれたときには、海からやってくる御神輿の写真も一緒に送ってくれた。
あまりにも美味しかったので、毎年取り寄せて楽しませていただいている。
八木さんのご自宅周辺も新しく建物がたっていたが、20年ぶりにお孫さんに囲まれた八木さんと再会することができた。
「カヤックでこれから祝島を目指すんです。」と言ったら、この先の潮のことなどを話してくれた。
集合場所であるヘルシービーチへ到着。
出艇前夜、サポートの皆さんとともに第16次横断隊最初の焚き火を囲む。
ここで、初めて顔をあわす人も多い。
初めて横断隊に参加する一年生から自己紹介が始まる。
夜には雨が降り出した。


【1日目 2018.11.19(月)】小豆島から本島まで (リーダーは西原さん)
いよいよ出発だ。
離陸の際、まだスプレースカートも着けてないのに、うちの犬が艇のスターンに乗ってきて、
いきなり沈脱させられそうになったが、鳴く犬をなんとか振り切り、出艇した。
それが、見事なまでに惨めな醜態をさらす。
自分はいつも意気込んだときに、よく失敗する。
自分では失敗とは思ってないが、よくヘマをやらかす。
だいたい、1回目にやっちまう。
ヘマの第一ファクターは、完全なる準備不足。
初めて乗る艇に、初めて手にするパドル。これだけの長距離を漕ぐのもはじめてだ。
いろいろ探るが、いつまでたっても、水をキャッチする感覚がつかめない。
それでも、みんなに遅れてはいけないと、腕漕ぎ全開で漕いでたら、左肩にヅンヅンする痛みがはしりだした。
そして痛みをかばおうとすると、肘が下がる。
トップギアで坂道をこぎ登っているみたいで、腕が回せなくなる。
カヤックを走らせる感覚とは対局の、カヤックを引きずってるような感じで初日は終わった。
16時過ぎに本島に着陸。ほぼ無風だったが、初日からキツイ一日だった。
焚き火タイムと反省会。
西原さんからの報告があった後、ユージさんから最初の質問。
「今日、心が折れた人は?」とあり。
誰も手を挙げない。
次に「じゃあ、心が折れそうになった人は?」との質問あり。
その時焚き火を囲んでいた全員が、「そりゃ、塚本さんじゃろー」と思っていたに違いないが、
心優しい花ちゃんが「私、折れそうになりましたー。」と言ってその場を和ごましてくれた。
自分は、まだ意地をはって「折れそうにもなってませーん。」と強がった発言をたれ流していたが、翌日にはちゃっかりと折れそうになった。


【2日目 2018.11.20(火)】本島から小飛島まで (リーダーは工藤さん)
ちょっとは左肩の痛みも治っているかと、根拠のない期待をもって漕ぎ出したが、あまかった。
左シャフトを押すたびに、ヅン、ヅンと軋むように痛い。前日よりもひどい感じだ。
初日と同じく2列目を漕いでいたが、すぐに後方に遅れてしまう。
「塚本さん、くらいついていきましょう。」
「塚本さん、がんばりましょう。」
隊を前に進めるべく、幾度となくみんなが声をかけてくれるが、身体が動かない。
ようやく追いついたら、隊は出発し、また遅れるの繰り返し。
そうこうしているうちに、もうとっくの昔に乗り越えてきたと思っていた自分のネガティヴな一面が顔を出し始める。
だんだんとみんながかけてくれる声が、素直に受け容れられなくなってきたのだ。
とっくに絶滅したと思っていた悪い「つかもとたけし」の登場だ。
気づいたら、三澤さんが、そんな情けない自分の横についていてくれていた。
この日は、リーダーの工藤さんはじめ、みんなの心労具合は大変なものだったと思う。
自分が、今回の横断隊での最大の反省点を挙げるとすれば、こうしてネガティヴな面をさらけ出してしまったことだ。
隊全体のペースは上がらず、自分があまりにも遅れるために海峡横断の途中で休憩をとったりする始末。
昼休憩のときには、出発のときにちょっとでも素早く出れるようにカヤックを波打ち際に置いていたところ、大型船の引き波に持って行かれそうになった。
失態の連鎖。
この日の予定では、横山海岸まで、最低でも走島まで行く予定だったが、リーダーの判断でかなり手前の小飛島を目指すことになった。
終盤になって、最前列のリーダー工藤さんの横で漕がせてもらい、ペースを合わせてもらってなんとか小飛島着陸。
①自分のせいで、最終目的地である祝島まで行けないかもしれない…。
②みんな、がんばって日程をやりくりして参加してるのに、自分が原因でこの第十六次横断隊をぶち壊してはいけない…。
③明日も、調子を取り戻せなかったら、みんなに迷惑かけないように途中離脱も考えないといけない…。
④大口たたいて、10日間も休みもらって来たのに、ここでリタイアしたら、どんな顔して帰ったらいいのか…。
⑤五十手前にしてこの醜態。こんなんやったか俺は…。
などなど、この2日目は一日中そんなことに心を囚われながら、漕いでいた。情けない奇声もあげた。
最後、着陸の時には余程へばっていたのか、人生初の「降り沈」をする。
絶対そんなことするはずがないと思っていたことをやってしまったことのショック。しかし、この「降り沈」が自分への大きな警鐘となった。
こんなにエグゾーストしている状態では、なにかあった時に正しい判断ができないかもしれないとの危機感を感じた。
再乗艇にも手こずるかもしれない。全然、自己完結できてない。
自分を整えて、やり直そうと決意した。
ハッチに積んできた焼酎もこの日の一杯を最後に、軽量化のため海に流そうと思った。
この日の反省会では、心の内をできるだけ正直に吐きだした。弱いところも、汚いところもすべて。
結果、それがよかった。みんながそのままの自分を受け容れてくれた。
ようやく隊士のみんなと一体になれた感じがした。
これぞ、横断隊なんだとわかると安心できた。単独ではなくみんなで漕ぐことの意味なんだと解した。
とてもいい反省会だった。
よし、明日は、化け変わった良いほうの「つかもとたけし」に戻ろう。


【3日目 2018.11.21(水)】小飛島から弓削島まで (リーダー 角田さん)
すっきりした氣持ちで目が覚める。前日、お湯割り一杯だけにしといたのもあるのかもしれない。
今日は、自分のスタイルに戻ろうと思った。できるだけ自分を拘束するようなものを手放そうと思った。意識も、装備も。
そのように吹っ切れたのは、前日の反省会があったからだ。
まず下半身。締め付けの強いネオプレンパドリングタイツをやめ、厚めのアンダーウェア(ジオラインEXP)の上にレインパンツをはき、足は裸足に。
下半身を楽にしたことで、細かい身体の動きができるようになり、艇の動きを感じられるようになった。
出艇前、リーダーの角田さんに、最初のうちだけペースを落とし気味でいってもらえないか、と頼んだ。
ここまで艇を走らせる感じがまったく掴めなかったので、調子を掴むまでは自分の感覚を優先して、いろいろ探りたいとの理由からだった。
結果、この午前中にじっくり動きを感じる時間がもてたことで、忘れていた感覚を取り戻すことができた。
(そうだった、これだった、これだった。乗車率200%の重い地下鉄を運転する感覚で漕ぐんだった。乗客を揺らしてマイナス妖気をださないように、ゆっくりと速度を上げていき、軌道を滑らすんだったYO!)
高気圧に覆われ、天候も幸いした。ベタ凪の水面を追い潮に乗って驀進。
後から聞くところによると、後方ではパドルカレントで大変だったらしい。
カヤックは海苔の筏の間を進む。暮らしに結びついた瀬戸内の豊かさを感じながら、パドルを回した。
不思議なことに、左肩の痛みはなくなった(かわって、両手に血豆ができたが)。
前日夜、内田さんが「慣れるよ」とコメントしてくれてたとおりになった。
隊はこのまま弓削島に着陸。浜では、サポートのみなさんによる豚汁や、ビール、お寿司、氣持ちの差し入れがあり、ありがたさが染みわたる。
反省会のときに、あだ名付け名人のゆーじさんから「間男(まおとこ)」というありがたいネームをいただいた。
なぜ「間男」なのかというと、反省会のときなど、話しているときに言葉と言葉の間に「間(ま)」があるというのが理由だ。
これだけは言っておくが、夜みんなが寝静まった後に、女子のテントに入ったわけではない。
これは、かなり自分に性格をよく表していて、いつも自分はなにか言葉に出そうとするときに、つまることがよくある。
言葉と自分の思っていることとの間に、微妙な音階のズレや温度差があったときに、言葉に出すのをやめてしまうのだ。
自分の言葉の引き出しが少ないのもあるが、心と発する言葉が違ってでも、その場をやり過ごすのは誠実ではないと思ってしまう。
それ故に、よく黙ってしまうのだ。
それにしても、こうしてユージさんから、こうして、いじくってもらえるようになったことが、何より嬉しい夜だった。
そして、まだギリギリで祝島着陸の目標をつなげたことも嬉しかった。


【4日目 2018.11.22(木)】弓削島から岡村島まで(リーダー 森さん)
前日あれだけ高気圧に覆われていたのに、夜にはまとまった雨が降り出した。
雨の中での撤収も、いつも辺野古瀬嵩の浜で慣れているのでなんともなかった。
ハッチにすぐ積みこめるようにバッグに小分けにして、後はテントをたたむだけの状態に。
砂だらけのテントをたたむのは嫌なものだが、幸いにもここはすぐ上にコンクリートの遊歩道があり、さほど砂に悩まされずにすんだ。
まだ真っ暗だったが、この日のリーダー森さんは早々に出艇できる状態で海をみていた。
この日は大潮。そして核心である舟折瀬戸を通過しなければならない。
大型船が通るこの瀬戸を、潮がとまっている時間をねらっていかなければいけない。
しかも時計や計器なしで。
そして、最も漕力に不安がある私のことは、最大の氣になるファクターであろう。
森さんは、そんなことを頭に入れながら、海を見てたのだろう。
この日は雨対策として、上半身をリバー用のスプラッシュジャケットをやめて、
山用のレインウェア(ストームクルーザー)とアクアテクトリストバンドの組み合わせに変更。(これが一番快適だった。)
離陸の頃には小雨になりはじめた。向かい潮なので、反転流をねらって岸寄りを進む。
自分は相変わらず遅れそうになるが、その絶妙のタイミングでリーダーから的確な檄が入る。
森さんの檄はいつも「おのれ自身と向き合うように!」と言われているかのように的を得ている。経験の裏付けを感じる。
そして一方では「後でたっぷりと、塚本さんの好きな追い潮に乗せちゃるけえ」と言ってくれるように期待を持たせてくれたりもする。
さすが、プロの案内人だ。
途中、潮で大きく流され、隊がニ分することもあったが、沖浦ビーチで潮待ちをし、核心の舟折瀬戸は絶妙のタイミングで通過することができた。
見事なリーダーのナビゲーションだった。
伯方島にて昼休憩。ここで出口さんと、角田さんが途中離脱。握手をして別れる。
朝の予報では、北西の風が午後から吹くとの予報だったが、北東からの風が強く吹いた。
まあ、見事なまでの向かい風、舳先を目標に向けるのも一苦労。途中、楠さんが抵抗になっていたフラッグをたたんでくれた。
なんとか必死のパッチ漕ぎで越えるも、このとき右手首を痛めてしまった。
一旦、大下島の港から上陸して幕営に適した場所を探すも、テントが張れる場所も、焚火をする場所も、艇を安全に上げておく場所もない。
日没が迫りつつあったが、覚悟を決めて岡村島を目指すことになった。
幸いにも風はおさまり、夕陽に向かってパドリング。最後の岬を越えた岡村島の浜に着陸。ようやく焚き火を囲める幸せをみんなで噛みしめた。


【5日目 2018.11.23(金)】岡村島から倉橋島まで (リーダー飯山さん)
大潮。強い向かい潮をかわすために、岸よりをインベタで進む。自分はリーダーのすぐ後ろにつけさせてもらい、1列になって進む。
それでも、岬を過ぎるたびに、潮の流れで大きく外側に放り出される。
ラダーのない飯山さんの艇が、目の前でピョンと横っ飛びするみたいに外側にドリフトする。
それを見ていた自分も、同じ潮の流れに捕まり大きくふくらむ。後ろから「ダメ、ダメ、ダメー!」と声がかかる。
ラダーを大きくきって、またもや内側へ必死のパッチ漕ぎをする。
前日、痛めた右手首が腫れ出した。右手をかばうように漕いだことで、また不自然なパドリングに振れる。
5日目まで来たんだ、なんとか祝島までもってほしいぞこの右手。アクアテクトリストバンドの端から、腫れた腕が明宝ハムみたいにはみ出ている。
この日は、風もあり、ずっと波立っていたが、ふと隊長の艇をみるとそんな状況の中、海惺が力強いパドリングをしていた。
素晴らしい! かっこいい! たのもしい!
道の駅の浜に上陸して、昼休憩。ここでユージさんにアクシデント。
ヌメヌメで滑り、コンクリートに頭を打ってしまったのだ。(それから、ユージさんの調子がおかしくなる。みんなの心配が大きくなってくる。)
自分も、この日は何故だか胃の調子が悪くて、うまくペースに乗れない。
お昼に食べたリゾッタも、行動食として摂ったナッツバーも、すべて瀬戸内の魚たちへの撒き餌にしてしまった。
この日も、自分ひとり遅れ気味になりながら、亀が首を回り込み倉橋島の浜に着陸した。
誰もいない静かな浜だった。
上陸してすぐに、隊長と海惺が鉄鍋をさげて浜の端に消えていった。
しばらくして戻ってきた。鉄鍋の中に入っていたのはヒジキ。焚き火で炊いて、海のミネラルをみんなで吸収した。
なんだか、より海に融合した感じがした。
この日、月夜の反省会でも自分の弱さをこぼした。
ちょっとした言い合いになりかけ、またもや、氣もちの梁が崩れ落ちそうになったが、
「隊として強くなくていいんや。個として強くなればいいんや。」という隊長の一言で、得心した。
結果として、隊は再びまとまった。これぞみんなで漕ぎ続けることの意味だ。


【6日目 2018.11.24】 倉橋島から周防大島へ (リーダー 三澤さん)
すっきりした気持ちのいい朝を迎えた。今日中に周防大島までつけてないと祝島ゴールは厳しいという。
日の出とともに漕ぎ始める。朝日の美しさに心をうたれる。
誰かが「来年の年賀状写真はきまりだな。」ってつぶやいた。
今日も、潮の早いところを通過するとのことだった。天気は快晴。暑いぐらいだった。
リーダーの三澤さんの隣につけさせてもらい漕ぐ。天候がよかったのもあるが、自分でもこんなペースでいいの?と感じるくらい余裕をもって漕ぐことができた。
今回の横断隊で、はじめて雑談をしながら漕ぐことができ、心底からほぐれた。
頑張って意気込んでるだけではだめだ。心も体も開かないと。
やっぱり、ゆんたくは大事。
順調に巡航して、目的地である周防大島の南側、沖家室島向かいの浜に着陸。ここは丸石の浜でとても快適。砂に悩まされなくてよい。
陸からサポート隊も合流。ありがたい差し入れをいただく。
ここまでもいろんな方がサポートに来てくれたが、そんなサポートチームの方々の笑顔が何よりも嬉しい。感謝。
この日の反省会では、ようやく祝島が射程距離に入ってきたという実感で、みんなが笑顔だ。
リーダーを務めた三澤さんは、余程神経をすり減らしたのであろうか、焚火の横で早々に撃沈していた。ほんとお疲れさまでした。
この日は、前日、言い合いになった飯山さんと遅くまで語りあった。
「これがあるから、横断隊だけは毎年参加したいと思うんですよね。」と飯山さん。
自分も、また参加したいと思った。
夜の焚火はすばらしい。


【7日目 2018.11.25(日)】 周防大島から祝島へ (リーダー 楠さん)
いよいよ最終日。ここまでのリーダーが、つないでつないで、ここまで来た。
2年前にカヤックで渡りたいと思った田ノ浦から祝島への横断はできるだろうか。
今日の予報では、どの予報でも西風が強くなるとのことだった。
途中、一隻の船が我々に怒鳴りながら、猛スピードで脇を通り過ぎた。
何を言ってるのか聞き取れなかったが、我々に敵意をもっていることだけはすぐにわかった。
隊長の話によると、原発誘致になびいてしまって、お金をもらっちゃた人ではないかとのことだった。
やっぱりそうなのか。かなしいよ、とても哀しい。
原発マネーによって、海や、仲間、ご先祖などを裏切ってしまったことによる後ろめたさ。一生ついてまわるであろう後悔の念。
これは、つらい、きついと想像する。
この人達も救いたい。それができるのは、人類の総意として、この惑星から原発をなくす決断をすることしか方法はないと思う。
そして、それは人類がチェルノブイリとフクシマを経験した今、できると思う。やろう。
自分たちは、もう核はこりごりなんだ。
いままで他の現場でも、同じようなことがあった。
長良川の河口堰建設反対運動に参加していたときには、わざと挑発するように爆音を鳴らしに来たジェットスキーがいたし、
辺野古ではカヤックでの一日の行動を終えて浜に上がったときに、右翼の車が来て、通せんぼされたことがあったりした。
ほかにもたくさん事例はある。
こんなことがあったときにいつも感じるのは、
なんで、こんな海や川で、心がデフォルトで穏やかになる自然の中で、
人を攻撃するモードになれるのかなあ、ということだ。
(自分は、他人に踏まれたことよりも、踏んでしまったことの方がいつまでも記憶に残り、突然叫び出したくなる衝動に駆られるんだ。)
話は、大きく脱線してしまった。でも、漕ぎながら、一瞬のうちにそんなことを考えた。
予想以上に強い西風に悩まされる。特に長島まではきつかった。
でも、ようやく見慣れたところまで来た。心は自然と軽くなる。
上関海峡の横断では、みんなで全力漕ぎで競漕をする。西原さんがぶっちぎり。
日没までの残り時間が気になり始めた頃に、田ノ浦上陸。
2年前、応援で田ノ浦に来たとき、原隊長がみんなにここで話していたことを思い出す。
「横断隊の目的のひとつは、ここ原発建設予定地である田ノ浦に来ること。そして祝島の人たちの話を聴くこと。」
そう話していたのを、はっきりと覚えている。
そして自分の身体で、ここ田ノ浦まで漕いできて、その意味が刻み込まれる。
香川県、岡山県、広島県、愛媛県、山口県、そして地元の兵庫県。
カヤックで漕いできたけど、どこが行政上の県境なのかはわからない。
だけど、これだけはわかる。ここ瀬戸内は「海の途(みち)」なのだと。
ずっとずっと、風を感じ、潮を感じ、生き物たちを感じ、つながれてきた命を感じ、人はこの海とともに生きてきたんだってことがわかる。
この原子力発電所建設計画は、上関原発建設計画ではなく瀬戸内原発建設計画なのだ。
浜でトイレを済ませ、建設予定地のフェンスを見ていると、中から年配の警備員が浜に出てきた。
ここでは人感センサーと監視カメラが、現役で稼働している。いまだ建設計画は立ち消えになってはいない。
田ノ浦を後に。祝島への最後の横断。
ひさぼうさんの船が、ちょっと距離をとって伴走してくれる。
祝島の左端に沈みゆく落陽をみながらのパドリング。途中からヘッドランプを点けて漕いだ。
祝島が近づいてきたとき、もう一隻左後方にいる漁船が気になった。
後からわかったことだが、祝島の漁師、たみちゃんもお迎えに来てくれていたのだ。
ついに祝島の港に入る。防波堤の上から、島の人たちの拍手で迎えられた。
暗闇の中、仲間たちがラダーを畳む音が、パタンパタンと響いたときこの旅の終わりを実感した。
寝袋など、最小限の荷物だけを持って、島の民家へ。
テーブルの上には、直美さんが腕をふるってくれたお料理が並ぶ。
第16次瀬戸内カヤック横断隊最後の反省会、というか報告会。
隊長から隊員への話が印象的だった。
「いま、みんながいるこの家で、何度も何度も、こうして島の人たちと集まって、原発建設計画を止める話しあいをここでしてきました。」
そうなんだ。
ここに見える景色は、その時当事者でなかった自分にとっては「久しぶりの畳の上でありがたい。」ぐらいのものでしかないが、
ずっとずっと闘ってきた、隊長や島の人たちに見えているこの空間はぜんぜん違うんだと認識した。
この海を守るために、この人たちは凄い闘いを続けてきたんだって。
ここまで漕いできて、感覚と風景が一致した瞬間から、涙が止まらなかった。
自分が関わってきた辺野古や高江のシーンとも重り、涙に拍車をかけた。
友達や仲間の逮捕、怪我、救急搬送、精神的苦痛、トラウマ…。
1週間の身体的疲れも作用してか、自身の中にある氣が丸裸になったようで、ただぼろぼろと涙を流した。
そして、同時に希望も沸き起こった。
こうして、まだ、上関原発はできていない。
そして、辺野古の新総合基地もできていない。
ちょっとかもしれないが、自分が動くことで、創っていける未来がある。
そう思うと、次に続く力が漲って(みなぎって)きた。
この海の途を渡って  核のない未来へいこう
この海の途を渡って  基地のない未来へいこう
思っているより近い未来へ  みんなで いこう

~ 行程編 おしまい ~


番外編
はじめて1週間の横断隊生活を経験し、この経験で得たことを、日常に、仕事に、チームづくりに活かし、還していきたいと思いました。
これから参加しようとする方の参考にはならないかもしれませんが、記録として、記憶として、残しておきます。

【装備と食糧計画】
今回、カヤックとパドル以外は、ずーーと使い慣れたものばかりを持って行くようにした。
フラッグは、以前から使用しているモンベル製のシットオン用フラッグを加工して取り付けた。
原田さんから艇とともにお借りしたカマボコ型デッキバッグがとても使いやすかった。ボトルや食料、ヘッドランプなども素早く取り出せる。
慣れたキャンプ生活はとても快適で充分な休息を取ることができた。
テントは、27年前に購入したムーンライト3型。自分が寝ている寝袋の場所を中心に、どこに何をどのような状態で置いておくかは、習慣化されているので、ヘッドランプがなくても、すぐに必要なものを手にすることができる。山か海かの違いはあれ、パッキングの段取りも自動化されているので、起床してからの準備も素早く、テント生活はまったくストレスがなく充分な休息につながった。
アウトドアでの睡眠は、我を忘れてぐっすり眠るものではないことを経験上識っていたことも大きかったと思う。
冬山でも、テントの壁を通じて、風の変化や、テントを埋めようとする雪の降り積もり具合などを感じて寝る。横になっていても、常に感覚ははたらいている。電化製品のスリープ状態だ。だから休めていないかといえば、全く逆で、日中オンになりっぱなしの意識と感情の回路を切断しているだけで、感覚だけにゆだねているだけで、身体にも精神的にも充分な休息になることを識っている。
オンになっている意識や感情は、かえって自分を縛りつける。
意識と感情と感覚が融合したときこそ、次の段階に昇華するように感じている。
食糧はできるだけ軽量化に努めた。
水は、途中で補給できると予想し、8リットルのみ。焼酎の大型ペットボトル2本におさめた。
朝は、マルタイ棒ラーメンと、スティックコーヒー。
朝のうちに、ジェットボイルで沸かした熱湯を、アルパインサーモボトルにつめておく。
昼は、そのお湯を入れて3分でできるリゾッタ(もしくはサタケのマジックパスタ)、とブレンデイのスティックコーヒー。
素早く温かい食事が摂れるので、気持ち的にもゆったりできた。
夜は、基本的に米を炊くか、ナンを焚き火で焼いてカレー。
行動食はナルゲンボトルにナッツバーや、スポーツ羊羹、ドライフルーツなどをパンパンに入れ、止まる度にまめに補給する。
途中、芳地さんからいただいた「こんぶ梅」がめちゃめちゃ美味かった。
出口さんは、おばあちゃんの干し柿を持ってきていたが、和的な行動食は心を豊かにしてくれる。
加藤文太郎みたいに、甘納豆と小魚なんかもいいかもしれない。次回の候補にしておこう。
ちなみに、酒は芋焼酎の紙パックを1本。それと祝島に着いたら飲もうと持っていったオリオンビール(名護工場製)を1缶。
ストーブはジェットボイル。ガス缶は2つ持っていったが、1缶で十分だった。焚き火でも調理できるのでお湯を沸かすだけなら余裕だった。

【モンベルと横断隊】
自分は、1995年に起きた阪神淡路大震災がきっかけで、以前に勤めていたシステム会社を辞めた。
そのとき、モンベルが最初のアウトドア義援隊として、六甲店をベースに、テントやタープ、寝袋などを被災者に供出しているのを知った。
そして、この会社に関わりたいと思い、当時、関西では2番目のクライミングジムがある六甲店で、アルバイトとして雇ってもらったのがはじまりだ。
(まさかその後、その六甲店で7年間も店長として任されることになるとは思わなかったが。)
当時は、バブル経済の末期。それでもまだ建設省が先頭にたって、全国各地でコンクリートによる自然破壊はすすめられていた。
すでに、長良川河口堰はできてしまっていたが、公共事業の名のもとにダムが造られてきた。
また、原生林や自然林を伐採しながらも、観光開発という名目でスキー場やゴルフ場が造られてきた。
アルバイトから正社員としての入社面接の際に、「モンベルでやってみたいことは何ですか?」
という質問があった。
「多くの人がフィールドへ出ていくことで、本当の自然の素晴らしさにふれることにより、個々が自発的に自然を守ろうとする、そんな社会意識を醸成したい。」
というようなことを答えた。
そのときの思いは1ミリも変わっていない。
かえって強くなり、ようやく将来的ビジョンをもって語ることができるようになってきた。
そして自分の場合、そのビジョンを達成するにあたっての近道は、モンベルの一員でいることだと信じている。
自分が入社した頃にくらべると、ずいぶんモンベルは大きくなった。
もはや、アウトドア用品を販売するだけでなく、アウトドア文化を拡げるという責務がある。
まさに、自分が抱いていた夢が次なる目標にある。
かつて、システム会社の一員として勤めていたこともよかった。
自分には、会社員として勤めあげることの自負と誇りがわかる。
同期だった仲間たちには、部下をもち、決裁権をもっている者もいるだろう。
実質的に経済界を支えている、多くの会社員や行政職員の意識に、生活者の意識に、「アウトドア」という観念が浸透することで、意識の土壌は変わっていく。
そして、それにはやっぱり海からの視点が必要なのだ。
横断隊に参加するまでは、海というのは陸を区切る境であるという観念が、自分のどこかにまだあった。
しかし、カヤックで旅することで、海こそ「つながり」そのものだということがわかった。
海のアウトドアという観点が加われば、さらにアウトドア文化は深化し、拡がっていくだろう。
自分もモンベルも、「山」を原点としてきたが、そうした意味でも、この会社でやるべきことはまだまだある。
 
【声をあげることについて】

自然の中に身を置くことは、氣もちいい。
その心地よさを享受して、これから先、自然を大切にしたいと考えるのは当然だ。

だけど、

海が埋め立てられようとしていること、
自然林が伐採されようとしていること、
核関連施設が造られようとしていること、
止まっていた原発が再稼働されること、

そんなことを知っていながら、そこに触れずに、自然の素晴らしさだけを語ることは、自分はできない。

自然を消費するだけでは、真の満足を感じれない。

心の芯からの悦びを感じたいから、そんな心の不一致を消化したいから、
そこを解決すべく、環境を守るための、いわゆる「運動」の現場に出向くことがある。

学習会、講演会、環境シンポジウム、現場での阻止行動…。
なんとかしたいから、その場に駆けつける。

イタいやつだと思われているかもしれない。

でも、「今、動かなきゃ」と心が発するときには、自分はその発動に従うようにしている。
だから、現場に行くのだ。

行動にはリスクが伴う。
逮捕されるかもしれない、怪我するかもしれない、ネット上でたたかれるかもしれない、それらが原因で仕事に穴をあけることがあるかもしれない…。
それらのリスクも想定しながら、考えに考えて、それでも行動の現場には行ける範囲で行く。

自分側からの勝手な思い込みかもしれないが、会社の上層部では、
「うちには、こうして辺野古に通って、カヤックで抗議行動に出たりしている社員もいるんですよ。」ぐらいに、考えてくれてはるんではなかろうか、と思っている。
そこのところが、自分が感じている会社との信頼関係だ。

会社全体として、組織全体として、原発や新基地建設に反対する立場を表明するのはすばらしいと思う。
たしかに、ダム建設反対の立場や、原発反対の立場を、企業の名前を全面的に出して表明することによる社会的影響力は強いとは思うが、
企業として表明しなくても、個々として、日頃から自然なこととして、このように考えているスタッフで構成されている会社にいることを誇りに思う。

自分は、原発の問題や、基地建設問題を解決するヒーローでありたいとは思わない。

ただ、普通の会社員が、ショップ店員が、カヤッカーが、クライマーが、オジサンが、
こうして環境問題について、たまに声をあげ、シャウトしていることに誰かが氣づいてくれたらなあ、とはちょっと思う。

そうして個々として、声をあげる仲間が増殖している頃には、
自分たちが望む未来に塗りかわっていることだろう。

横断隊に参加したことで、
誰も取りこぼすことなく、みんなで望む未来へ行くんだというイメージが掴めたように思う。

【ゆめを語ること】
自分の創りたい景色を想像する
自分が思う未来を創造する
近い未来をつかむのさ
みんなが
ごきげんに
おだやかに
朽ちていけるように
にんげんだけじゃないぞ
鳥も
魚も
菌類も
ごきげんに
朽ちていけるように
そんな普遍的な未来をめざそう
冒険は必要さ
それをしなけりゃ
しぼんでしまうぞ
みんなで
いこうぞ

~ 番外編 おしまい ~

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和


 今次は停滞することなく小豆島から祝島まで漕ぐことができた。美しい夕日を見ながら祝島を目指すのは、僕が参加した10年の中で初めての経験だった。
前回より海上で時計、方位磁石、海図、スマホ等の航海機器を使わないことを決めたが、今次、参加三年目以上の隊士は航海機器を使わず、それ以外の隊士は海図のみ使っていいことになった。横断隊も16年目となり、ルートや野営地の情報が蓄積されてきている。そこで更なる進化を目指すという点で、現代の便利な航海計器に頼らず、自分の五感をフル活動させて、瀬戸内を航海できる力を磨く。自分はそう意識しながら漕いでいた。
 
 今次は6名の新しい隊士が参加したが、最年少は隊長の息子、海惺隊士10歳。横断隊の七日間の生活を楽しそうに過ごしていた。海では隊長のダブル艇の前に乗り、厳しい海況もしっかり漕いでいる姿を見て、僕は驚きを隠せなかった。小学四年生で横断隊を経験できることは今後の人生にどう影響するのか、海惺隊士の成長がますます楽しみだ。
  初日は15艇で離陸して本島を目指した。前半は向い潮と北西の風を受けながら漕ぎ、後半は追い潮に乗りながら進めた。瀬戸大橋の下の潮流は、いつ漕いでも緊張感が高まる場所だが、今次は良いタイミングで無理なく通過できたと思う。
 櫃石島(ひついしじま)から本島を目指す時、潮流の影響で目標ルートが少しずれたが、本島の北にある向島の配置から、潮流の動き方が面白い海域だなと思った。
 二日目は本島から小飛島まで約28kmを漕いだ。小手島の南の浜から西側を見て、島と島が重なり合う中、どれが今日の本来の目的地(走島)なのか、僕は分らなかった。出艇前に海図をじっくり見て、覚えたつもりだったのが、島の配置や名前が、まだ頭にインプットされてないことがよく分かる場面だった。海上からの視線で、島が重なりあう景色に惑わされたのだ。
 この日は初日の疲労やレンタルカヤックに慣れてない隊士もいて、漕ぐ距離は短かったのだが、声の掛け合いや助け合いが多く見られ、今次の横断隊のチームワークを作る第一歩だったと思う。夜の反省会でも、それぞれが思う気持ちを熱く話していたような。
 三日目、走島から鞆の浦までの横断を終えて昼食休憩をした。そこでFMふくやまの渡壁さんよりラジオの取材が入り、隊士達は瀬戸内カヤック横断隊について発信した。
 後半は田島から百貫島を経由し、弓削島まで漕いだ。大潮の追い潮と風が味方してくれて、とても気持ちの良いパドリングで海峡横断ができたと思う。漕いでも漕いでもなかなか進まない時間もあれば、楽にどんどん進む時間もあることがよく分かる一日だった。そしてパドルカレントをじっくり体験できた。
 弓削島の着陸時、弓削のシーカヤックガイドである石田さんが出迎えてくれて、松原海水浴場のすぐ隣の浜へ誘導してくれた。松原海水浴場は過去に野営をさせてもらったが、今は焚火が禁止となったようだ。
 四日目は朝から向い潮の影響を気にしながら伯方島の沖浦ビーチを目指した。自分が思った以上に早く沖浦ビーチへ着陸でき、気持ちに余裕を持って潮待ちができた。絶好のタイミングで船折瀬戸を通過できて一安心である。
 大三島南岸から岡村島を目指していると、突風混じりの北西の風を受けた。肥島の南を経由し、なんとか大下島西側にある港へ回り込めたが、満潮になれば無くなる浜しかなかった。大下島で野営ができるのか?沿岸沿いを歩いて確認したが、13艇のカヤックを階段であげて、テントを張るにはまあまあ大変な場所であった。だからと言って、岡村島まで漕ぐには海の状況からリスクが高い。
 日没を気にしながら野営を決めようとした瞬間、予想外に風が弱まり、白波が落ち着いた。この瞬間を見逃すことなく早々に離陸すると切り替え、日が落ちる前に岡村島の観音崎へ着陸できた。この日はとても判断が難しいこともあって、自分がリーダーならどうしているのか、学ぶことも多かったと思う。
 五日目、前日の昼に伯方島で角田隊士と出口隊士が離隊したため、13艇でとびしま海道の南岸を漕ぐ。下蒲刈島の梶ヶ浜まで、向い潮がよく流れていたし、北西の風もあって辛抱しながらの漕ぎだった。しかし、斎灘を挟んだ愛媛県の山の稜線や忽那諸島がはっきり見えていて、僕は地元が近いこともあり、頭の中の海図がクリアに見えていた。
 梶ヶ浜から倉橋島の亀ヶ首まで、呉方面へと流れる潮流と北西の風の中、最短コースを狙った。視界はよく、松山と呉、広島を結ぶフェリーや高速船も早めに視認できた。亀ヶ首の先端は潮流のパワーを感じながら通過し、無人の野営地に着陸できた。
 六日目の朝、周防大島の南岸へ行くために、どのルートを目指すか考えた。大潮の忽那諸島の流れは緊張するが、出来る限り安全なルートで通過したいと思っていた。
 亀ヶ首を離陸し、向い潮が思ったより強くてなかなか進まなかった。潮の影響を考え、鹿老渡と倉橋を結ぶ橋(村上水道)を抜け、鹿島の西側から南端まで漕いだ。
 鹿島南端より津和地島へ横断。あまり津和地島の北端へ近寄ると、怒和島の方向へ吸い込まれることを話していたが、なかなか難しいもので、怒和島への流れに捕まってしまった。流れから抜け出して津和地島の西側から情島へ渡れた。諸島を避けて情島の西側から回り込み、周防大島の東の先端に取り付き、素直な潮の流れに乗って南側へ回り込めた。引き潮が流れている時間、隊の安全を考えるとベストなルートで、また一つ瀬戸内の海を学べた場所であった。その時の諸島近辺は大きな段差ができた潮目があり、恐ろしいなと思った。
 その後は追い潮に乗って、一気に沖家室島の手前にある野営地まで漕いだ。
 七日目、航海計器を使わない状態にも慣れた所でリーダーを任された。周防大島の南岸を西へ進み、北西の風が強くなる中、下荷内島を通過し、黒崎鼻の浜へ着陸した。
 後半は追い潮で進みが良いことを期待していたが、西風が意外に強く、岸寄りを漕ぐことにした。西風を少しでもかわしながら長島の最南端を回り込むと祝島が見えてきた。この瞬間、一発目の感動が込み上げる。そして同時に、ここから祝島までが、意外と近くて遠いのだ…と思っていた。田ノ浦までも厳しい西風を受け、隊のペースも上がらない。
 綺麗な夕日と祝島が見えるタイミングで鼻繰瀬戸の横断に入ったが隊の安全面において厳しい時間帯を漕がせてしまうことにドキドキした。当然、各自ヘッドランプやフラッシュライトを点灯しながら漕ぐことになった。僕は、昨年もリーダーでナイトパドリングとなってしまったことを思い出していた。みなさん、ごめんねー。なんとか無事に祝島へ着陸できて良かった。
 祝島のヒサボウさんが僕たちを漁船から見守ってくれていて、とても心強かったです。ありがとうございました。
 今次は、七日間のうち一日50km以上を漕いだ日はなかったし、着陸時間もそこまで遅くなかったので、身体への負担が少なかったと感じた。時計がないので時間の経過が早く感じたが、太陽の位置で時間を計測するのは、まだまだ修行が必要だ。雨や曇りの時に太陽が確認できないこともどうするか。
 毎回思うが、毎日焚火ができて暖がとれるのは本当に有難く、幸せな時間だなと思う。
なので、四日目の野営地が岡村島だったことは、今次の横断達成のキーポイントだったかなと思っている。もちろん海況が荒れていれば、大下島でやれんことはなかったと思うけど、荷物の運搬に時間と体力を使い、焚火の時間も削られてしまったかなと思う。 
 今次も三澤隊士がGPSでルートの記録を残してくれているのがありがたいです。航海計器のない中、リーダーの指示と自分の思っていたことがどうなのか?色々と振り返ることができて助かります。おかげでとても貴重な記録を残せていると思っています。
 女性隊士2名、芳地隊士と花井隊士はパワフルな漕ぎで安心感があると同時に、ムードメーカー…いやマスコット?的な役割を果たしてくれて、隊を明るい雰囲気にしてくれました。
 みなさんからの還暦のお祝い、ユージさんのFRP艇が今次横断隊デビューしました。前半はみなさんの暖かい想いに包まれながらスイスイ漕いでいましたが、後半は「重い」が足らん!という感じで漕いでいました。その辺りはユージさんのレポートに出てくるのを楽しみにしています。
今次もたくさんの方々に応援サポートいただき感謝しています。
そして参加隊士のみなさん、お疲れさまでした。ありがとうございました。 2018年12月27日 

Appendix

プロフィール

瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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