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[C136]

隊長大変お疲れ様でした。
入れ代わり立ち代わる隊長お目当てのサポーターたちへのこまめな対応、身を犠牲にしてまでのお付き合い。ホントに隊長はつらいよですね。
アウトドア=環境&環境から未来への提言の図式が今回本当によく理解できました。
微力ながら私も努力いたしたいと思っとります。
  • 2012-04-12 16:38
  • gocoo
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[C137]

残念ながら今回は、運搬と猪鍋兵でしか参加できなかったけど・・、それでもやっぱ一日でもこの隊に関わりたかったつーか、いつもの皆に会いたくて(・・一緒に飲みたくて)最後に何とかこんな形で合流させて貰った訳で・・。まぁたまにはこう言う参加の仕方もありかと。もっとも、アッちゃんや今回のシゲジィのサポートぶりには足元にも及ばないけど。
ところで、この秋の十次は、内田さんがキャプテンとしての最後の回。こりゃもう皆、今から段取りして、万難を排して「いざっ瀬内!」・・ですな。
  • 2012-04-12 21:22
  • ユージィ
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[C138]

この3月の横断隊で多くの経験ができたことに感謝しました。また漕ぎたくても理由があって漕げない人もいた中、応援してくれた皆さまへも感謝しました。
ほんと寒かったですね。でも、楽しかったことも多くあった第九次でした。
隊長、お疲れ様でした。
  • 2012-04-13 07:41
  • kusukun
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[C139]

また、来週から瀬戸内海だぁ。連休前半は、今回行けなかった白石島をベースに、冒険塾というのをやることになっている。
そういえば今回、出発地の豊島までは、白石島のシージィ隊士とジュンコ奥さまに、わざわざ岡山駅まで迎えに来てもらい、上蒲刈島~祝島~白石島の陸送もシージィに送ってもらった。シージィ隊士も今回は、参加できずに残念そうだった。
やはり、参加できないというのは寂しいもんなんだろう。参加しなかったことがないオレには、まだ分からない。
西原先生も書いていたが、横断隊は漕ぐだけが目的じゃない。瀬戸内海の人たち、特に離れ島の人たちとの交流も重要な目的だ。離れ島に暮らしているからこそ、見える世界がある。離れ島は、本土からすれば、アウトドアである。つまり島の暮らしこそアウトドアライフとなる。もちろん本土に暮らしていても、ユージィのような暮らしはアウトドアライフである。
  • 2012-04-18 16:27
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2012 横断隊レポート 内田 正洋

第九次瀬戸内カヤック横断隊



内田正洋レポート



大震災が始まって1年目のその日、第九次の瀬戸内カヤック横断隊がスタートした。2011年内には、諸般の事情で「結隊」できなかったが、年度内にできたので良しとするという思いはあった。でも、その諸般の事情には、色々と悩ましいことが隊長であるオレの都合にあったためで、申し訳ないことだった。



そして、未曾有の震災の始まりから1年目というところに、重心が置けたのは、横断隊の目的に、まだ分からないけど、何らかのヒントが隠されているかもしれないという期待のようなものもあったからだ。



最初は2月だと考えていたが、原隊士(今や、隊員より隊士の方が適当だな)の18日の祝島にいたい、という提言から、必然的に11日というスタートとなった。かつて産廃事件があった豊島から、原発計画反対を今も続ける祝島というコース設定は、前回の逆であり、ある意味、3・11前までの日本の国策への反旗をひるがえす旅の継続でもあった。



と、ちょいと固い表現になってしもうたけど、3月の瀬戸内海という、横断隊にとっては初めての海況を経験し、あの寒さに本当に驚いた。スタートした時、カヤックに霜が降りていたのにもビックリした。漕ぎ始め、陽の光が当たってからも20分ぐらいは溶けなかったほど気温も低かった。中国山地や四国山地では雪が降っていたと誰かが言ってたのぉ。4日目の朝は、テントが凍っていた。



水温は7度とか8度だった。冷えたビールの温度である。冷えたビールの中を漕いだようなもんだ。寒いはずである。極北並みというか、ヘタすりゃアラスカより冷たいのかもしれん。後で、白石島のサンちゃんに聞いたら、瀬戸内海は、3月が一番「ひえる」そうだ。1月まではまだ「ぬくい」という。黒潮という暖流の影響が少ない内海の特徴なんだろう。瀬戸内海沿いの桜の時期が遅いのも納得できたのだった。



漕いでも、漕いでも、身体は暖まらず、体脂肪が寒さで使われていく。朝飯を食わずにスタートした5日目の午前中、オレはハンガーノック(Hitting the wall)になり、漕げなくなったのは、バカだった・・・。



結局、初日(11日)の午前中はまともに漕げたが、午後からは強烈な向かい風で、大槌に退避航。翌2日目は停滞。3日目(13日)も最後は逆潮に苛まれ北木までしか行けず、4日目(14日)も向かい風で弓削まで到達できず、5日目(15日)はギリギリ船折瀬戸を抜けたはいいが、大三島までであきらめ、6日目は上蒲刈までの半日だけしか漕げなかった。



もちろん、最終日の17日は、海況的には漕げたし、周防大島までは行けたんだろう。しかし、祝島へ陸送してでも行くことを優先した判断に、オレ自身は納得しとる、っちゃね。



わざわざ、山口県長門市から上蒲刈までユニック付きトラックを持ってきてくれた大田隊士にも感謝である。今回、自身の仕事の都合上、挙兵?できなかった大田隊士ではあるが、「瀬戸内カヤック運搬隊」として活躍し、自宅の山で捕獲した猪を絞めて、さばき、冷凍し、それが自然解凍されるタイミングまで計って運搬隊を考え、自身が唯一できる手料理「志士鍋」いや「猪鍋」を隊士たちに振る舞ってくれ、「瀬戸内カヤック猪鍋隊」まで結成したのには、感謝と共に驚きを禁じ得ないのであった。



横断隊が始まる前の週、大田隊士に長門で世話になっていた隊長は、最近猪が獲れないという話を聞き、そしたら隊士の親父どのが檻罠のロックを間違えていたためだと判明し、翌朝すぐに獲れたという経緯も聞き、感動したのである。この親にしてこの子あり、だったのである。



話がそれてきたが、今回の横断隊のクライマックスは、初日にやってきた。大槌に昼前に到達し、午後からの向かい風の大嵐の予報に対し、待機しながら判断待ち。そして漕ぎ始める決断をし、漕ぎ始めて40分後ぐらいにさらに決断して逆漕し、無人島の大槌島へ退避できたのは、奇跡的だった。あの時の、下津井のものと思われる漁船が、我々に注意喚起しに来てくれた時には、すでに逆漕していたわけで、あの漁師も我々の判断を見ていたはずだった。だから、言葉が優しかったと思う。あれが、あの時点でまだ逆漕していなかったら怒鳴られたはずだ。でも「おぉ、こいつら分かっちょるのぉ」というような感じだったのだろう。しかし、本当にギリギリの判断だった。真後ろに戻るという決断は、なかなかできない。それができたことは、横断隊の歴史に残ることだと感じておりまする。



また、停滞中の12日に、時化た中をビーテンさんのヤポネシア号がアナゴの差し入れ、翌日も丸々したアナゴを海上で差し入れてくれたことも感謝ですな。さらに、船折瀬戸でのクマクマさんの、大声の声援やら、瀬戸を越えたところでのサポート、そして大三島まで来てくれてのサポート、本当に有り難いことだった。



大三島には、尾道海技学院の中田先生まで来てくれたのも、有り難いことだった。また、横島のドルフィン浜で、風待ちの末の野営に、百島からわざわざ来てくれた漆原クンにも感謝だった。そして何より、三陸から「山田の牡蠣クン」を差し入れとして送ってくれたサダッチョ隊士には、強烈に感謝したい。あれほど旨い牡蠣のオイル漬けは、なかろう。三陸カヤッカーたちにも我々は、感謝しなければならん、です。



あと、アッちゃん隊士のいつものサポートは、いつも有り難く、コンパス・シノちゃんサポートも有り難いけど、シノちゃんが早く隊士になることを本当は期待しちょる。さらに、しつこくオレたちを撮影してくれた東条クンも有り難い存在だった。そして、コンパス三宅社長には、差し入れ金までもらい、出発前夜の宿泊所の所場代を払えたことには格別の感謝だった。三宅さんは、いつも我々を応援してくれている。



瀬戸内カヤック横断隊は、シーカヤックの遠征ではあるが、肝心なのは、これがシーカヤックアカデミーであるということだ。1999年から始まったシーカヤックアカデミーは、伊豆半島の下田、山口県油谷(長門市)、天草、尾鷲と場所を変え、主催も地元となってきたけど、横断隊だけは、カタチを変えずに続いている。この隊は、勉強隊でもあるわけだ。



シーカヤックは、日本のアウトドア活動の中では、もっとも風土にあったものだと思う。アウトドアというのは、「環境」のこと。環境は「四囲の外界」という意味であり、外界、つまりはアウトドアである。日本列島の四囲の外界は、海だ。だからシーカヤックの旅は、日本の風土に合ったアウトドア活動であり、環境(保護やら保全)の活動なのである。



アウトドアを屋外とか野外と訳してしまったことが、結局は環境問題を解決しようという気概を持つ人材を、育てる機会をなくしてしまったのでは?と思っておりまする。広辞苑を筆頭に、国語辞書の編者にも伝えねばならんのです。アウトドアとは環境のことであると。



だから、しつこいけど、シーカヤックの旅は、アウトドア・アクティビティであり、日本語にすると環境活動なのである。祝島の人たちによって30年間も建設できない中国電力の原子力発電所建設計画。建設も始まっていないのに、あたかもできたかのように「上関原子力発電所」などと勝手に名前を付けて、工事を強行しようとするが、祝島側の行動と論理に勝てないでいる中国電力。原隊士などは、嫌がらせ訴訟(SLAPP訴訟)の矢面に立たされ、先日も裁判所で被告として意見陳述。でも、あまりに被告側の追求が強く、裁判官が原告と間違える自体まで起こっている。



つまりは、環境(保護)活動をしているシーカヤックが、自然破壊をする企業に訴えられているという図式である。どっちが悪か?しかも、中国電力の筆頭株主は、山口県である。山口県振興財団という200億円以上の資産を運用して、中国電力の筆頭株主となっていた。でも、4年前にできた公益法人認定法で、公益法人と認められず、今年(2012年)の3月をもって解散したようだ。それまでは、山口県庁の外郭団体だったわけで、そんなことを山口県民はほとんど知らなかったはず。その資産は、どこから来たんだろう?長州の時代の隠し資産だったのかもしれんな、などと邪推したくなる。



で、何が言いたいかというと、瀬戸内カヤック横断隊は、シーカヤックアカデミーであるから、環境教育活動だということだ。昨年6月、大震災の最中で公布された「環境教育等促進法」というのがある。今年の10月までに施行されるらしい。つまり「アウトドア教育等促進法」とも読み替えられる。国を始め、日本国民は、アウトドア教育をやらねばならんという法律である。しかも恊働取組という文言が入っていて、これはパートナーシップなんかと近い意味合いのようだ。つまりは国を始め自治体は、アウトドア教育(つまりは環境教育)をする民間の市民(シチズン)と恊働しなければならないということだ。シーカヤック教育が、もうすぐ国策になるやもしれん時代が迫っている。



2011年3月11日に、日本は確実に変わった。ようやく戦後復興が終わったのかもしれないが、復興はできなかった。そして大震災からの、新たな復興が始まる。そんな時代になり、シーカヤックの価値がどれだけあるかを、瀬戸内カヤック横断隊は、考えていきたいものである。



2012年11月中旬から12月初旬ぐらいにかけ、第十次瀬戸内カヤック横断隊が結隊されるに違いない。初代隊長は、それで終わり。次期隊長は、原隊士になる予定。原隊長の、それからの10年間がどうなるか、それが楽しみになっている。でも、第十次は、完漕したいもんだな・・・。



おわり
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アウトドア=環境&環境から未来への提言の図式が今回本当によく理解できました。
微力ながら私も努力いたしたいと思っとります。
  • 2012-04-12 16:38
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残念ながら今回は、運搬と猪鍋兵でしか参加できなかったけど・・、それでもやっぱ一日でもこの隊に関わりたかったつーか、いつもの皆に会いたくて(・・一緒に飲みたくて)最後に何とかこんな形で合流させて貰った訳で・・。まぁたまにはこう言う参加の仕方もありかと。もっとも、アッちゃんや今回のシゲジィのサポートぶりには足元にも及ばないけど。
ところで、この秋の十次は、内田さんがキャプテンとしての最後の回。こりゃもう皆、今から段取りして、万難を排して「いざっ瀬内!」・・ですな。
  • 2012-04-12 21:22
  • ユージィ
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この3月の横断隊で多くの経験ができたことに感謝しました。また漕ぎたくても理由があって漕げない人もいた中、応援してくれた皆さまへも感謝しました。
ほんと寒かったですね。でも、楽しかったことも多くあった第九次でした。
隊長、お疲れ様でした。
  • 2012-04-13 07:41
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また、来週から瀬戸内海だぁ。連休前半は、今回行けなかった白石島をベースに、冒険塾というのをやることになっている。
そういえば今回、出発地の豊島までは、白石島のシージィ隊士とジュンコ奥さまに、わざわざ岡山駅まで迎えに来てもらい、上蒲刈島~祝島~白石島の陸送もシージィに送ってもらった。シージィ隊士も今回は、参加できずに残念そうだった。
やはり、参加できないというのは寂しいもんなんだろう。参加しなかったことがないオレには、まだ分からない。
西原先生も書いていたが、横断隊は漕ぐだけが目的じゃない。瀬戸内海の人たち、特に離れ島の人たちとの交流も重要な目的だ。離れ島に暮らしているからこそ、見える世界がある。離れ島は、本土からすれば、アウトドアである。つまり島の暮らしこそアウトドアライフとなる。もちろん本土に暮らしていても、ユージィのような暮らしはアウトドアライフである。
  • 2012-04-18 16:27
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