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2012第十次瀬戸内カヤック横断隊レポート 赤塚 義之

第10次瀬戸内カヤック横断隊
赤塚 義之

 いつの頃からか、「赤塚が来れば完漕できる」というジンクスが横断隊内に生まれた。
 第5次瀬戸内カヤック横断隊に参加してから今回で4回目。過去4回参加してすべてを完漕できたことによって僕は横断隊の大明神的扱いを受けるようになってしまった…。
 しかし、個人的には自分で行った遠征や長距離ツーリングでは失敗で終わることが多いし、漕げば常に天候が安定しているというわけでもない。
人生最初の海外遠征だったアラスカ・グレイシャーベイは「氷河湾」という名前の場所にもかかわらず氷河まで行けず、ニュージーランド北島沿岸1000㎞漕いだ時も最終ゴールと決めていたケープ・レインガのわずか13㎞手前で海況悪化により断念した。八重山諸島一周では最後の西表島大原から黒島、石垣へのルートが大時化で断念。知床エクスペディションに参加してサブアシスタントに就いたと思ったらまさかの台風上陸、伝説の73回目の知床だった。
けして晴れ男でもない男だが、何故か瀬戸内海とは相性がいい。過去の横断隊の話を聞く限り致命的な天候の悪化は僕の参加した回では起きていない。起きたとしても、肝心なポイントでは天候は落ち着いてくれた。これは確かに運が良かったともいえるが、果たして「運」ということで済ましていいものだろうか。正直、楽にゴールできた年はないし、ひとえに参加メンバーとその時のリーダー、そして隊長のその瞬間を逃さない決断の賜物だと、僕は思う。僕はたまたま、そこにいただけだ。

今回はメンバーが多かったため初参加の人たちばかりが人前で話されてばかりだったので、自分の話も少ししてみる。
僕は2003年から沖縄県西表島でシーカヤックを中心としたアウトドアガイドをしている。今年7月に独立。現在「バジャウトリップ」という屋号でツアーをやらせてもらっています。
そんな南の島のカヤックガイドがなぜ瀬戸内海を漕ぎに来るかといえば、経緯は後にして参加する理由、意義をまず説明したいと思う。
一つは単純に技術的なこと。普段ガイド業をしていると「漕げる」人とツーリングを行うことができるのは稀だ。「漕げる」人たちと先鋭的なツーリングをすることでチームツーリングのノウハウ、リーダーシップの取り方などが学べる。
また、瀬戸内海という世界でも稀な内海、多島群、それによる潮流の過激さを知るのは海の顔を一つ知ることになる。実際、横断隊で激潮帯をカヤックで通過するポイントを知ったことで個人の遠征に非常に役に立った。昔「kayak」誌に掲載させてもらったNZのダービルアイランド一周では、彼の国有数の激潮帯「フレンチ・パス」を横断する時がそうだった。
もう一つの理由がある。シーカヤックを漕ぐというのはホームと呼ばれる地元の海、同じ海を漕ぐということと、旅としての要素(知らない海を漕ぐという楽しみ)の2つが大きく分けてあると思う。前者は同じ海を一年通して漕ぐことで季節的な変化、大潮か小潮か、凪か悪天候か。風と潮の関係、地元民と海との関わり方など発見、得ることができる。そして後者は色々な海を知ることができる。北海道と沖縄の海、太平洋と日本海、外国の海と日本の海…。色々な海を知ることで様々なシチュエーションに合わせた海の旅を展開できる。また知らない海を漕ぐ冒険的な要素、状況判断の力試しの場でもある。
海が好きな人は基準となる海を持っているはずだ。僕の場合、生まれ育った千葉の海であり、カヤックや素潜りを覚えた西表島の海であったりする。それは同じ海を様々な季節、天候、海況で漕いだり潜ったりすることで体得する「海感」のようなもの。これがやはり大切で、これが濃いか薄いかが海を知る重要な事柄だと思うのだ。瀬戸内海でガイドをしている方々には瀬戸内カヤック横断隊は自分たちの海を知るという意味で非常に素晴らしいと思う。
地元の海を深く知るだけでも十分なのかもしれないが、海にもいろいろある。外洋のうねりがモロに入る海もあるし、内海の湖のような海もある。潮汐も場所によって幅が異なるし、海流の影響を受けるところもある。リアス式海岸が続く海岸線もあれば永遠と続くのではないかというサーフもある。昆布の生い茂るケルプ帯もあればサンゴ礁に囲まれた海もあるのだ。だから海を知るという意味ではそういう知らない海を旅するカヤック、いわゆる遠征も必要なのだと思う。そしてそういう海を漕ぐ際に「海感」が必要になる。
僕にとって横断隊に最初に参加した時は瀬戸内という未知の海を漕いで知るというのが主な目的だった。ホームではない海を漕ぐ、一つの遠征だった。
それがもう4回も来ている。多くの人に「まだ横断隊に行っているの?」「なんで毎年わざわざ漕ぎに行くの?」「瀬戸内海のガイドじゃないのに?」と聞かれる。正直瀬戸内海の出身でもなくガイドでもない自分が出る幕じゃないと、いじけていた時期もあった(第8次のレポート参照)。
僕のホームは西表島である。それとは別に、ファルトボートで色々な場所へ漕いで行く旅がある。横断隊も一回参加しただけではただの旅、ただのイベントであろう。多くの遠征を行い色々な場所に行ってみても、その場所のすべてを理解することはできない。じっくりと時間をかけて何度も行うことでその場所の特異性が浮き彫りにされていく。そういう場所は普通ホームがそれにあたる。
ホームはホーム。遠征ももちろんする。
ただ、旅でもなく、もちろん地元でもない場所で、定期的に漕いでみる、続けてみることでわかることもあると思うのだ。瀬戸内カヤック横断隊はその条件を揃えている。
それが毎年参加する僕の大義名分になっている。そんな難しい理屈ではなく「楽しいから」というのが本音だろうけど。
ただ、マンネリ化防止と自分のステップアップの為に毎回何かしらの課題を自分に課している。今回の僕の課題は素潜りによる潜水漁を行うことだ。普段僕が行う海の中も上も旅する方法を横断隊でも試みてみたのだ。
結果から言うとやはり団体行動が最優先で距離をつめていくことが重要なので潜る時間などほとんどないが、一週間のうち何回かを潜れるチャンスがあった。今回は走島と岡村島で潜ったが、魚類相の変化はそれほどないものの、海藻の有無や地形による深度、基質、透明度の変化は面白い発見があった。また水中では音が良く聞こえるのだが、瀬戸内ではタンカーや貨物船の往来が多いために船のエンジン音がそこら中から聞こえてくるので怖くてしょうがない。こんなやかましい海も珍しいと思う。今回安芸灘より西では潜れなかったのが悔やまれる。カヤックの上から見てもその様相は変化に富み、本来この海域を潜りたかったのだが…。カヤックに潜り道具を積載する問題もそれほど大したことではなかったので(波打ち際でウエイト入りのカヤックを運ぶのは大変でしたけど!)次回もこの課題は残りそうである。

そもそも瀬戸内カヤック横断隊を知ったのは2006年5月に行われた山口県油谷でのシーカヤックアカデミーで内田さんや原さんの話を聞いたからだ。それに加えてその年の夏に小豆島でガイドをやったことで、瀬戸内海というフィールドの特異性に興味を持った僕はますます横断隊に参加したくなった。だがこの年は参加できず、翌年に初参加することになる。
参加すると決めたものの、知っている人はほぼいなくてアカデミーで少し話した原さんのみを頼りに連絡を入れてみた。K-1で参加する趣旨を伝えると「不可能ではないが大変なことになる」という返事が来た。時速7~9㎞のペースで常に漕ぎ、一日30~50㎞漕ぐ。マジかよ。アークティックレイダーやハヤテのような高速艇でガシガシ漕がれて、K-1の僕は果たしてついて行けるのか!?という疑問と冬の瀬戸内装備の疑問、食料の問題、水の補給場所などわからないことはいっぱいあった。だがすでにアラスカ遠征や春の知床半島なども漕いでいたので冬の装備支度や一週間の食料計算などはできていた。あとはどうにでもなれと出発地の直島に着くと(日程と集合する島だけは教わったが、あとはまったく不明だった!)、実際どうにでもなった。
最初の2日間は案の定、ついていくのに必死だった。絶対に遅れまいとケツにはつかない様にしていたが、油断するとすぐに距離が離されていくため、シャカリキになって漕ぎ続け、ビバークポイントに着くと飯を喰ってそそくさと寝てしまっていた。人見知りが激しいこともあるけど、仕事で漕いでいる時やプライベートで漕いでいる時とは違うパドリングに、全身が悲鳴をあげていた。
隊と近づいてきたのは因島の折古ノ浜でのビバークだった。焚火の輪に加わって温まっていると隊長に突然話しかけられた。
「ところでお前、黙って座ってっけど、名前なんてんだよ」
「…はぁ、一応、赤塚といいます」
「え?いちおう?苗字がイチオウで名前がアカツカか?変わった名前じゃのー」
「あれだろ、イチオウって5000円札の、樋口一葉!」
「そうか、イチヨウかー、今日からお前はイチヨウだ!ぜはははは!」
かくして僕はしばらくの間、横断隊の中ではイチヨウという名前で呼ばれるようになった。そしてなんて面倒くさいおっさん達と絡まなくてはいけないのだろうかと少々うんざりもした。
第5次横断隊はパドリングの回数は多いものの、かなり遅いペースで向かい風に遮られながらもジリジリと進み途中、音戸の瀬戸を入るかというくらい時化にあったが奇跡的に風が落ちて最終日、無事に祝島に渡ることができた。最後の海峡越えはかなりのうねりの中だったが全員無事にわたりきり、ハルさんは男泣きに泣いていた。
今回(第10次)僕は原さんとユウジさん、碇さんと徳山のダイドックまで帰ったのだが、この時も僕は原さんとともに車で移動して近所の焼肉屋で食事をした。それまで神経を研ぎ澄まして横断隊をリードしてきた原さんはすっかりスイッチがオフになってこれでもかとビールをあおり、挑発的な言葉を発する豹変ぶりは見ていて痛快になるほどだった。僕も僕でそれまで横断隊に参加して思っていたことやカヤックや冒険、自然環境に対することをここぞとばかりに語り、グダグダと夜中の2時まで、原さんに怒られるまでユウジさんと飲んでいた。僕が朝起きるとユウジさんはすでに消えていた。なんでも4時に帰ったという。ただなんか、物凄い二日酔いではなく爽快感が残っていたのだけは覚えている。

こうやって振り返ると、僕も最初は今回初参加した人たちと同じような憂き目にあっている。いや、初参加の人たちがこのようなことを毎回繰り返すのかもしれない。
とくにそれを、今回碇さんを見て思った。
今回僕は西表島のガイド同業者を誘った。誘ったのは瀬戸内横断隊の面白さを伝えるためというよりは、西表島で仕事のみのパドリングをしている人に外の空気を味わってもらいたい、お客さんをつれていない純粋なツーリングを一緒に体験したいという思いがあった。今回、碇さんがそれに応えてくれて参加を表明して来てくれた。ただ、内田隊長のことや主要メンバーの経歴、上関原発のことやそれによって結成された虹のカヤック隊のこととか、そういうことはあえて言わないでいた。僕に説明されるよりは現場で聞き知った方がいいと思ったからだ。むしろ何も知らない碇さんが、横断隊とどう絡んでいくか、僕にはそれが興味深かったのだ。案の定、初日の焚火酒席で「楽しめればいい」「このおじぃたち、面倒くせ~」と発した時は彼のキャラクターを知っていただけに「やっちゃったよこの人!」と一人腹を抱えて悶絶していたというのはここだけの話…。
独り善がりな感想ですが、僕よりも西表島でのガイド歴が長い碇さんがこの後「いやー楽しいねぇー。来てよかったよ~」と終始言っていたのは嬉しかったし、隊長はじめみんなが彼を受け入れてくれたのも、誘った僕としてはとても気分のいいことだった。何を隠そう僕自身、西表島の同業者でこれほど一緒に漕いだ人も珍しいので良い体験を共有することができたと思う。碇さん、ありがとうございました。

第10回目ということで節目だったからか、隊長が勇退するからか、参加者自体多かったし、全行程漕いだ人も多かった。最初は「大丈夫か?今回…」と不安にもなったが、結果的には面白いものになったと思う。不安のことを言えばむしろ初参加者の方々のほうが大きかったことだろう。人数が多くなることでまた新たな横断するための戦略が生まれてくる。今後は隊を先発、後発と分けるかもしれないし隊長を二人にして東西両方から出発することも考えられる。ビバーク地の条件などが絞られるぶん、より判断力を必要とする横断隊になるのではなかろうか?それはそれで面白いと思う。
ただ、人数が増えればリーダー役がまわってこない人もいるわけで、ユウジさんのいうところの「金魚の糞」状態になってしまう人も増えるだろう。
シーカヤックは漕いでナンボだ。漕げるという条件があって初めて旅ができる。でも逆に漕ぐだけなら体力があれば誰にでもできる。カヤックは実に敷居の低いマリンスポーツだと思うのだが、最初の一歩が踏み出せない人が多いのはやはり「海」という馴染みのないフィールドで行うからだろう。その未知なる海を自分たちの能力と向き合いながら漕いで行く、理解していく行程がシーカヤックの醍醐味であると思うのだ。
それにはただついて行って漕ぐだけではなく、海を知り自らナビゲーションをするソロの覚悟とリーダーの気質が必要になる。横断隊はそれを養う場なのだ。半日でもリーダーをやる機会を設ければいいと思う。そうすればメンバー全員に緊張感と連携が生まれると思う。
僕自身、最終日という重要なポジションでリーダーをやらせてもらったが、順風満帆の風、潮で特に問題もなく?ゴールの祝島まで行くことができた。隊としては良いことだったと思う反面、自分の判断力が試せた場面がどれほどあったかは微妙だ。自分がリーダーだったら嫌だな…と思うような日にリーダーをやった人たちの苦労の方が僕は尊敬に値すると思う。
今回の横断隊では弓削島から津波島に、下蒲刈島から情島に渡る海峡横断が完漕の決め手になったと思う。一日中雨に濡れて不快な状況の中、弓削の温泉の魅力を皆から引き剥がして強烈な向かい風の中たどり着いた津波島。翌日の伯方島での潮待ち時間を考えれば別に横断する必要はなかったかもしれないが、それは天候に恵まれたから言えることで、あの余裕は船折の瀬戸を行くには必要なことだったと思う。
カヤックに乗りながら海上で風待ちをし、情島に進路をとった判断。僕がリーダーだったら亀ヶ首の根元にある浜を狙っただろうが、翌日そこを通過するとビバークするには狭いように思えた。情島へのチョイスは正解だったのだ。
カヤッキングはソロの方が大変ではあるが、こと状況判断の難しさはチームの方にあると思う。これらの判断をした各リーダー、隊長に敬意を払うとともに、漕ぎ切ったメンバーの底力、気力、そしてなんだかんだで今回も完漕できた自分の「運」に感謝したい。
横断隊について、シーカヤックについて、編隊とパドリングカレントについて、隊長について、メンバーに対して、上関原発と祝島について。その他いろいろ書きたいことはあるのですがこの辺でレポートに関しては筆をおきたいと思います。
毎度、くどい文章でスイマセン。詳細などの航海日誌は自分のショップのホームページのコラムにでも書いてアップしたいと思っていますので興味のある方は後日、お読みになってくだされば光栄です。
最期に。
内田隊長、10年間お疲れ様でした。そして原新隊長、よろしくお願いいたします。遠方なため常に参加するのは難しいかもしれませんが、できる限りK-1で参加したいと思います。
皆さん、また瀬戸内で会いましょう。
もちろん、西表島でもお待ちしております!
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