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2012第十次瀬戸内カヤック横断隊レポート 原 康司

第十次瀬戸内横断隊レポート     原 康司
 
まずは横断隊の隊士のみなさま。お疲れ様でした。今回30名を超えるカヤッキングは僕自身も、初めての経験であり、個性豊かな隊士とすごす日々は素晴らしい経験でした。今年も無事に祝島に到着できたことに感謝します。

僕自身が瀬戸内横断隊の参加にあたり最も重要なこととして考えているのは判断力だ。
ソロでの判断、ツアーガイドとしての判断、そして横断隊での判断、もちろんそのどれもが違う。海での判断は瞬時に行わなければならない。自分の余力、隊員の余力、常にその気配を感じながら目の前の海況の分析を続ける。風は強まるのか、弱まるのか、目の前の波は潮の影響を受けているか、これから進むであろう先の風力を読み、潮を読み、波を予測し、漕いでいる姿を想像する。そして決断する。
第4次での周防大島への横断。僕がリーダーを務めていた際に大変な判断ミスを犯している。猛烈に強まる追い風の中、沖合で強烈な激浪につかまった。先頭から後ろを見たときの全員の姿はいまでも瞼にやきついている。
僕の判断は比較的臆病だと自分でも思う。それでも海は容赦ない。横断隊はもちろん個々の自己責任において行われる。しかしその自己責任は重い。シーカヤックを生業にしているものにとって全てを失う可能性もある。しかしそのギリギリの判断を行うことによって見えてくる世界がある。安全圏では決して見えてこない世界だ。それを隊全体で共有する意義は大きい。それは海を通じての意識の共有でもある。また瀬戸内海や、また各隊員の想う海を受け継ぐのだという意志の確立ともいえる。

判断というのはもちろん隊員全員が死なないという判断だ。回想になるが丁度レポートを提出していない第九次のことを書く。判断のハイライトは初日に来た。大槌島から瀬戸大橋への横断。西から風雲が近づく中、隊は進むことを判断した。しかし、向かい風に阻まれ真後ろに撤退。大槌島に辿り着いた直後に猛烈な烈風となった。このときの判断は必然というか当然だった。しかし大槌島から出艇した意義は本当に大きい。出たからこそ分かったことがある。海上での正にギリギリの判断ができた瞬間だった。そして有無を言わせない圧倒的な自然のパワーにひれ伏した瞬間でもあった。無人島での2日間のビバークも良かった。第九次はこの初日のおかげでとても意義深い横断隊となった。

いつころだったか内田隊長が「次の隊長はおまえだ」と指名してくれるようになった。大変光栄なことだったが内田隊長の跡を継ぐことは大変荷が重いことだ。しかし「一人でも漕ぎ続ければいいのだ」という言葉に救われた。それ以来自分の判断と内田隊長の行う判断を常に対比しながら漕いでいる。
5日目、呉沖の情島への横断。隊員の多数がこの横断をしなければ祝島にあと二日で届かないことを理解していたようにおもう。南西の風。沖にはうねりと白波。30艇のカヤック。負傷者も若干名。潮どまりの時刻まで風待ちの指示の間、全員さぞ悶々としたことだろう。さて、自分ならどういう判断を下すか?やってやれないことはないだろう。しかし、隊の空気の中にある、あきらめようとする気持ちが語らずとも伝わってきた。隊の心が一つになっていない中、横断することは難しいというのが僕の判断だった。遠くから内田隊長を見ていると同じく悶々としている気持ちが伝わった。でも気持ちは先を見ていた。おそらく行くと言うなと思った。そしてタイムリミットがきた。「いくしかねえよな」と隊長がボソッと言った。その瞬間に僕も思考を切り替えた。一人の落伍者も出さない。渡りきる力がみなぎり、海峡を漕ぎ進む隊の姿が見えた。そして隊は無事に情島の横断をやり遂げた。
僕と内田隊長の差がはっきりと出た瞬間だった。この人の判断は人を鼓舞させる。空気を変える力がある。この10年で埋めていかなければならない課題がはっきりと見えた瞬間でもあった。こんな判断を間近に見続けれたことは幸せなことであった。

あと印象に残っているのは津波島上陸前の烈風。隊員の1名が腱鞘炎による負傷の影響か舳を風上に向けることができず漂流を始めた。ただちに牽引をして風上に向ける対処をしなければならないと思ったが、本橋隊員以外は気にとめる気配もない。瞬時に隊列をはずれ牽引に入った。おそらく20m近い突風の中、2名くらいの牽引サポートは欲しいなと思った。バックルを確認していたにも関わらず相当なテンションが一気にかかったのだろう。一度バックルが外れてしまった。後ろからの声も全く聞こえず気が付いたときには隊員はだいぶ沖に流されていた。村上隊員が寄り添っていてくれたので助かった。金具を通してバックルを締め直し、安全圏まで牽引。牽引は漕力があるほうが良い。これまでの横断隊でほとんどの牽引は僕が率先してやってきたがこれからは若い体力の自信のある隊員にどんどん積極的に前に出てもらって欲しい。漕げるだけではない、レスキューも大事なシーカヤックのスキル。経験のあるガイドも多い。バックアップはある。教科書のレスキューではない、瞬時の判断が試されるのも横断隊のアカデミーたる所以だ。
もちろんそういった状況に陥らないことが大前提であることも書き添えておく。

スキルやナビゲーションやシーマンシップを学び海を往けるようになる。その後にはなにがくるのだろかと良く考えている。最近思うのは海の声が聞こえてくるのではないかと思っている。それは一週間、いやもっと漕ぎ続けないと分からない事。しかし今回長島から祝島が見えたとき隊員はその声が聞こえたのではないかと思っている。田ノ浦のホンダワラが、澄んだ水が、魚が、風が、波が、島が、明らかに僕達に語りかけていたことを本能的に感じた人も多かったのではないだろうか。
3・11以前の田ノ浦の海はかろうじて守られていたものの荒れていた。全てが乱れていた。しかしその騒動から2年近く。田ノ浦に調和が戻っていることが嬉しかった。完全ではないものの落ち着いた、新しい命が育つような、そんな息吹を感じることができた。
田ノ浦の海はよく僕にささやいてくれる。意思を持ってなにかを伝えようとしているのを常々感じている。
原発や埋め立ての是非。人間の勝手な都合ではなんでもありだ。それはそれでよかろう。しかし海にとっては迷惑千万。すべての命を分断する悪だ。僕は海側に立つ。海の代弁者に僕はなろうと思う。それが海の視点に立つということだ。それがシーカヤッカー、そして海に生きる者の役割だ。それに何の反論があろうか。だからこそ祝島漁民を心からリスペクトできるし、自分自身の行動に迷いはない。海はまさに我々の指針だ。
世間は騒がしい。でも横断隊の一週間は長くも短い。その間毎日、日が昇り日が沈む。毎日2回潮は押しては引き、風は吹く。まるで我々の人間社会をあざ笑うかのように。僕達の周りにはまるでかなわない世界が取り巻いていることを忘れてはならない。それを常に意識して生きていきたい。だからこそシーカヤックに乗るのだし、横断隊で瀬戸内の海を渡るのである。海の声を聞くことは容易ではない。しかし漕げばわかるときがくる。だから「漕ぐだけさ」なのだろうと改めてレポートを書きながら思うのであった。

最後に内田隊長10年間、我々のような、ききわけのない海族(一緒にするなという声が聞こえる)を引っ張っていって頂きありがとうございました。思い出してみても本当に貴重な時間を共有させていただいたなぁと改めて思っています。まだまだ僕も未熟なところは多く、来年からどうなることやら、、、まあ、僕がいろいろ考えてもなにも始まらないので出会う海に慄き、従いながら、これからの10年やっていきます。自分を、そして仲間を信じて、、、。
そして豊島の藤崎さん、わざわざ山口から来てくれた松本夫妻(聡さん来年は参加待ってますよ!)毎度のことながら祝島のみなさん、サポート隊の女性陣、旅先でお世話になった人達、そして海よ!浜よ!流木よ!ありがとう。そして今後ともよろしく!
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2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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