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[C153] 感動しました

いつも感動をありがとう。祝島のこと、ここ関東でも意識ある人達はみんな想っています。瀬戸内に未来を託して、スナメリチャンネル応援しています。
  • 2013-01-11 20:42
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2012第十次瀬戸内カヤック横断隊レポート 東条 雅之

瀬戸内カヤック横断隊に今回初めて参加させて頂きました。ダブル艇で漕ぎ手として、そして撮り手として。カヤックや実力が伴わない自分が参加できたのは多くの方のサポートがあったからだと自覚しています。カヤックを貸し、運んで頂いた井出さん。いろいろなアドバイスをくれたユウジさん、原さん、本橋さん、ランボーさん。ダブル艇で一緒に乗れそうだった方が乗れなくなり、数日前に急遽沖縄から参加してくれたエレキくん。そして、隊の皆さんに感謝します。また、内田さんが隊長を務めて10年という節目の年に一緒に漕がせて頂けて嬉しかったです。

僕がカヤックに乗るきっかけになったのは、今から約3年前に遡ります。今回のゴールの地である祝島の真向かいの海が原発建設のために埋め立てられようとしていた頃、「海は売っていない!」とバリケードを張って抗議をする祝島の船と一緒になって海に漕ぎ出ていたのが原さんたち数艇のカヤックでした。あの時、カヤックに乗ったこと、カメラを回したことは僕の人生の大きな転機となりました。

当時、山口県の長門市で塩づくりをしている「百姓庵」というところで居候をしながら学ばせてもらっていた僕は「ちょっと上関に行ってきます」と出て行ったのですが、それが一年以上になるとは思ってもみませんでした。(海の埋め立て免許が切れる間際に中国電力が騙し討ちのように工事を行ったので終わりがなかったことも理由の一つです。あれから3年を経て、埋め立て免許の期限が過ぎた今ですが、県知事が延長を認めないと公言しているにも関わらず、中国電力は延長申請を出し、県は審査と言いながら長々と先延ばしにしているのが現状です。)

祝島や真向かいの田ノ浦(原発建設予定地)に身を置き、ちょうど一年半が経った頃に東日本大震災と福島原発の事故は起きました。それは、祝島の人たちや海を守ろうとした人たちが描いた最悪のシナリオではなかったでしょうか。僕は福島に通ううちに、今まで撮ってきたものを映画としてまとめようと思うようになりました。「海」と「命」をテーマにした、祝島と福島と海に生きる人たちを追ったドキュメンタリー映画です。祝島の「海」と福島の「海」。そして、自分たちの体の中にある「海」。本来つながっているはずのこれらの「海」を、命のつながりを、この映画で描きたいと思っています。

今回、横断隊に参加するにあたっての想いは、テーマである「海」を体感して学びたいということと、横断隊のスピリットを感じたい、主に原さんを通して伝えさせて頂きたいということでした。しかし、望みは高いがケツは青い!ということで、カヤックで長距離を漕いだことがなかった僕は、とにかくみんなの足を引っ張らないようにすることを最重要課題として臨みました。撮影をする余裕が果たしてあるのかと思いながら。

案の定、最初は漕ぐことに必死でした。ダブル艇でも一人がシングル艇を漕いでいるぐらいの感覚で漕がないとついていけません。後ろを漕いでくれた同じく新人のエレキくんは沖縄でカヤックでの冒険を経験したようで、予想以上に力強い漕ぎで助けられました。遅れを取らないことを最後まで課題としていましたが、それは最低条件であり、大切なのは自分で潮や風を読んで判断するということでした。そのことに意識が向けられるようになったのは後になってからでした。「ついていくだけなら体力があれば誰でもいける」と言われていたのを思い出しました。お客さんと船頭の違いなのですね。

潮のこと一つとっても僕には新鮮な学びでした。主に月の引力によって起こされる一日2回の満ち引きをうまく利用すること。大まかには、瀬戸内海の東側にいる時は満ち潮に乗り、分水嶺を越えて西側にきた時は引き潮に乗ることを心がける。約6時間ごとに繰り返されるこの潮流は瀬戸内海の呼吸のようにも思えて面白い。潮が追い潮でも、風が向かい風なら大変。島影に入りながら進んだりする。自然が発するあらゆるサインを敏感に察知するのが船頭なのですね。分からないことだらけでしたが、一つ一つが貴重な学びとなりました。7日間という限られた期間内にゴールするためには、いかに自然の流れに逆らわずに従うかが鍵なのだと肌で感じました。

そうして選択して辿った道は、縄文人も通ってきた道だろうと聞き、感じている時間の幅に唸りました。そして、潮待ち、風待ちをしていたところには港や街ができていると知りました。自然の中に築いてきた人の文化を理解することも横断隊の意義だと学びました。内田隊長の言葉が思い出されます。「特に3.11以降、横断隊は復興のためよ。日本の文化復興(ジャパン・ルネッサンス)のため。古いものを理解して新しいものをつくるのが復興ってこと。だから、第九次横断隊は3月11日から始めたんだよ。寒くて大変だったけど。ガハハハハハ~!!!」

漕いでいる途中で目にした「魚貝藻の霊」と書かれたお墓も印象的でした。そこには、僕たちが忘れかけている大切な精神が表されていると思ったからです。魚も貝も藻もいのちであり、それを頂いて生きていることへの感謝の念。こういう精神を取り戻すことが日本の文化復興には重要なのではと思いました。

また、原さんが、「海を漕いでいると世の中の人間の争い事がちっぽけなものに思えてくる。」というようなことを言っていましたが、本当にそうだと思いました。世間は衆院選で騒がしい時期でしたが、都会の喧騒から離れると目の前にはただ広い海があるだけでした。いのちを育み、時にはいのちを奪う海。その人知を超えた存在を感じるからこそ、人は祈り、感謝するのだと思います。この「祈り」と「感謝」は、太古から自然と共に生きてきた人たちが培ってきた祭りの精神でもあると思います。僕はこの想いを映画に込めたいと思い、タイトル(仮題)を『祝福(いのり)の海』と名付けました。祝福の「祝」は祝島を、「福」は福島を表しています。そして、祝福という言葉には「幸せを祈ること」という意味があります。

漕いで、漕いで、漕いで、最後にゴールの祝島が見えた時は嬉しかったです。みんなで「うおおおおーーー!!」と雄叫びを上げました。これまで、何度も祝島に通いましたが、これ程嬉しかったことはありません。疲れも吹き飛び、手のマメも、焚き火臭さも勲章に思えました。田ノ浦の海は平穏を取り戻し、再び大きな時の流れに戻ろうとしているようでした。祝島から船で出迎えてくれた清水さん、久坊さん、島で迎えてくれた皆さんに感謝します。隊の皆さん、応援してくれた皆さんに感謝!そして、海に感謝!


P.S. ちなみに、撮影については、なんとかついていけると判断した時に漕ぎをエレキくんに託し、サッとカメラを取り出し行いました。カメラは防水ではなかったのですが、荒波を漕いでいるところも撮影したかったので、何度か挑戦しました。そのせいで、6日目にして電源が入らなくなりました。バッテリーの差し込み口を見ると青サビが!ティッシュに水を湿らせて「直ってくれ~」と願いながら拭き取ると、なんと復活しました!体もカメラも満身創痍の横断隊でした。映画づくり頑張ります。完成を楽しみにしていてください。
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2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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