FC2ブログ



→瀬戸内カヤック横断隊について←




←瀬戸内カヤック横断隊隊員の公開グループページはこちらのバナーから。

Entries

2012第十次瀬戸内カヤック横断隊レポート 小林 恵歴

第十次瀬戸内カヤック横断隊レポート 小林恵歴


自分がカヤックと出会ったのは、虹のカヤック隊がきっかけだった。

当時18歳だった自分が、特にやりたい事もなく自転車で日本をフラフラしていた時に、上関原発の話や祝島の話を聞き、興味を持ったのが始まり。自分にも何か出来る事があるならと向かった田ノ浦で、祝島の人達と共に原発立地に抗議する虹のカヤック隊に出会った。最初は数日だけと思って行ったはずが、気がついたら虹のカヤック隊に入り、カヤックに乗っていた。

自分とカヤックの出会いはこんな感じ。こんなだから、カヤックを始めたきっかけも原発立地に抗議するためだったし、カヤックに対する認識も抗議活動をするためのツールでしかなかった。けして、カヤックそのものに魅了されてカヤックを始めたわけではなかった。



3.11の震災。福島原発の爆発。この影響で、一時的ではあるけれど上関原発の工事も止まった。いつ始まるともわからない中国電力の工事もなくなり、自分も沖縄に移り住んだ。

すっかり自分の生活の中からカヤックがなくなった頃、知人の紹介で内田隊長の「シーカヤック教書」を勧められた。「シーカヤック教書」は、虹のカヤック隊の小屋にも置いてあった本だが、「教書」という言葉のイメージでなんとなく敬遠していた。しかし、読んでみてカヤックに対する認識が変わった(大袈裟でなく本当に変わった)。カヤックのことだけではない。海のこと、日本のこと、日本語のこと、日本人のこと…。自分が知らないことばかり書いてあった。お世辞でなく「シーカヤック教書」は本当の意味で「教書」だった。

自分は今まで、カヤックをカヤックとして使ったことがなかったのだと知り、初めてカヤックそのものに興味を抱いた。わかりやすい興味の持ちかたではあるけれど、カヤックを原発の抗議行動のツールとしてではなく、自然を知るツールとして、自分を知るツールとして使ってみたいと思った。

そして、願いは一応叶い、沖縄一周と、沖縄本島→慶良間諸島→渡名喜島まで行き、帰って来ることが出来た(帰りは途中でラダーが壊れたため渡嘉敷島に逃げ込みフェリーで帰ったけど)。



そして、今回初参加させていただいた瀬戸内カヤック横断隊。実は、参加は横断隊が始まる3日前にダブル艇で一緒だった東条さんからお誘いがあり決めた。参加を決めたのも成り行きだったし、自分の力でカヤックの手配をしたわけでもないので参加資格があるとは思わなかったが、どうしてもどんな人達が、どんな思いで漕いでいるのかが見てみたくなり参加してしまった(次からはもっとしっかりします… はい)。



横断隊に参加してまず感じたのは、自分が今までやっていた航海の雑さだった。一日の天気と風速、風向き、波高くらいしか気にしたことがなかった自分にとって、横断隊の航海は新鮮だった。今まで潮のことなんてほとんど気にしたことがなかったし、岬があれば風など気にせず一直線に漕いでいた。

一度、沖縄で7時間ほとんんど休まず漕いで20Kmしか進まなかったことがあって、「カヤック=しんどい」と思ったこともあった。しかし、それは自分がカヤックをエンジン付きの船のように考え、扱った結果だったし、カヤックの面白さは進む距離ではなく、限られた装備で自然を読むことにあると今回の横断隊で感じた。ゴールに着くだけだったら手漕ぎである必要はないし、手漕ぎでしか味わえないプロセスがあるからこそカヤックなのだと思った。



それから、横断隊に参加していた多種多様な人達と関わる中で「カヤッカー」というものがなんなのかわからなくなった(まぁ、今も昔もわかったことなんてないのですが…)。

自分は、カヤックを仕事にしたいとか思ったこともないし、日常生活でカヤックのことを考える時間なんてほとんどないし、カヤックのルーツであるアラスカに行きたいとかもないし、あらゆる海を漕ぎたい意欲とか、カヤックスキルの向上とかにも興味がない。「だったら、なんでカヤックに乗っているんだろう?」と何度も思った。正直今でもよくわからない。

でも、カヤックを通して自然を知ることや、神秘を想像すること、自分を理解することは好きだ。だから、とりあえずの自分とカヤックとの関係は、最低限自分の安全が確保できるレベルになり(それがとても難しいことでありますし、欲を言えば周りの安全も確保できるようになりたいですが)、カヤックを通して自然のしくみや、自分の成長があればいいと思う。

ただ、あくまで理想だけれども、そして発言するのも恥ずかしいのだけれども、いつかは今はただの波や、雲や、風でしかないものたちの中に何かのサインや、ロマンを感じれるようになりたい。ただの波、ただの雲、ただの風、そんなものはないと感じれるようになれたら、きっと見える世界は鮮やかだし、人生は豊かだと思う。とにかく、見えないものを大切にしていきたいです。



横断隊で一番印象的だったのは、田ノ浦でのハルさんの言葉だった。

「歩く一歩、一歩が美の中にあるように、祝島までの最後の漕ぎも美の中にあろう」(たぶん、若干違うがこんな感じ)

今まで、「美」を意識してカヤックを漕いだことがなかった自分にとって祝島までの最後の時間はとても幸せな時間だった。田ノ浦と、祝島への思い入れもあって迂闊にも涙も出てしまった(二粒だけね)。


ハルさんの言葉を聞いて、歩く時だけでなく生活そのものが「美」の中に在れたら素敵だとも思った。

自分はバタフライエフェクト的な考え方が好きだ。横断中、毎晩お世話になった流木にも、そこに存在する過程でなにかしらのストーリーがあるはず。木としての生を終え、海に流され、どこかの浜に打ち上げられる流木。毎晩燃やした流木は、煙や、灰に変性し世界に溶け込んでゆく。世界は、互いに少しずつ影響し合いながら成り立っている。

自分達の生活も同じ。一つの買い物や、一つの欲望が巡り巡って人や、環境に影響を与えている。

例えば、なにげなくする貯金ひとつとっても同じこと。ゆうちょ、みずほ、三井住友、三菱(あえて、名前をあげる)どれかにお金を預けたとする。銀行は預かったお金を融資しお金を増やすので、儲けの大きいところに融資する。大きなお金が動く場所→武器会社、ダム建設、原発立地…。

原発に融資される→国と銀行からの支援や、融資によって本来高いはずの原発で作る電気が安くなる→原発の必要性があがる=ウラン採掘の過程ででる被爆者、原発内の作業ででる被爆者、未来へ残る放射性廃棄物、劣化ウラン弾などの兵器開発などの増加。

なにげない貯金のひとつで、誰かを殺しているかもしれない。あらゆる巡りを辿ってみれば、この世界に起こることで自分に無関係といえることが一つでもあるのだろうか。

考えすぎると絶望的な気分になるような事実だけれども、逆に考えてみれば世界は繋がっているからこそ、そこに希望があると思う。

例えば、誰かが生活そのものが「美」の中に在るように生きるなら、それは微量ながらも確実に社会に影響を与えていく。しつこいく貯金の話だけど、預けるお金を大きい銀行から自然エネルギーに融資している銀行に変えたとする。それによって、今まで誰かを殺していたかもしれないその人のお金の流れは変わり、その行動を知った人にも影響を及ぼす。

たった、一漕ぎのパドルの波だって小さな力だけど確実に海に影響を与えている。一漕ぎ、一漕ぎのパドルの波だって集まればパドリング・カレントを起こすのだから、「美」の中に在る生活が起こす波だっていずれは、「美」のパドリング・カレントとなり今の効率重視、お金重視の社会を良い意味で遅らせるかもしれない。遅れる中で大きいこと、早いこと、強いことだけが最善の道ではないと気づくかもしれない。



脱線した話を無理矢理カヤックに結びつけた感じはありますが、そろそろレポートを終えたいと思います。

横断隊の皆さん、横断隊をサポートしてくれた方々、あらゆる繋がりや、ご縁に感謝しています。そして、内田隊長を筆頭に今まで瀬戸内カヤック横断隊を続けて来られた方々に心から尊敬の念を感じています。とても貴重な体験をありがとうございました。


あなたの歩く一歩、一歩が美の中にありますように!

「美」の中に生きる波紋が世界に広がっていくことを願っています。

ありがとうございました。




あっ!

レポートの提出が遅れて申し訳ございませんでした!
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://oudantai.blog98.fc2.com/tb.php/236-eaa21acb

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

検索フォーム

QRコード

QR