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2012第十次瀬戸内カヤック横断隊レポート 岩城 達之助

第十次瀬戸内カヤック横断隊 レポート
岩城達之助

 2日目に大島南岸にて離脱した二人のうちの片っぽであります。第十次瀬戸内カヤック横断隊に参加させて頂き有り難うございました。わずか1日半のみの帯同でしたが多くを得ることができ、とても有意義だったと感じています。ただ、ほとんどの隊士の方々とお話をする機会もないまま、ましてお顔とお名前が一致する間もなく別れてしまったことが残念でなりません。せめてここに、わずかながらも参加していたことの足跡を残したいと思います。


 私がシーカヤックを初めて漕いだのは、横断隊参加の半年ほど前、2012年4月のことでした。場所は瀬戸内海は小飛島、教えて頂いたのは内田隊長でありました。カヤックをやってみたいなと漠然と考えていた自分は「無人島からの脱出」という惹句にひかれるまま、モンベルが主催する冒険塾に参加しシーカヤックに触れることになったのです。折しもの好天に恵まれたこともあり、水にプカプカ浮いている気持ちよさ、艇を操る面白さ、旅の道具としての楽しさに一瞬にして虜になりました。
実は、これまで、海辺に住まったこともなく、釣りやヨットなどを趣味にすることもなかった自分にとって、海は遠い存在でした。海というものは、そこから先は越えられない境界と認識していたのです。ところが、自分の力でその間を往き来できることを体験すると、海を境界などではなく自由に往来できる無限の広がりとして認識することができたのです。いわばカルチャーショックでした。
 その時に、ここで冒険塾を開催できるのも、瀬戸内カヤック横断隊を編成して10年近く瀬戸内海を端から端まで横断してきたからだ、すなわち、そこで得られた地元の人たちとのつながり、この海域についての知見、そしてこの海域でのシーカヤックに対する理解が深まったことなどによるものだと聞かされました。実はこのときはまだ、このことが腑に落ちるまではいかず、単に面白そうだな、いつかは自分も参加してみたいものだと感じたにすぎず、まだ遠い存在として話を聞いているだけでした。
ただ、語られる話題はカヤックを軸に、広く深くあらゆることに広がっていきました。カヤックは旅の道具というだけでなく、日本の独自の海洋文化を認識する道具でもある、であるとか、瀬戸内海を漕ぐということは、日本という国の成り立ちを海からの視点で見直すことになる、などなどなど。シーカヤックを単なるレジャーやスポーツのひとつとしか捉えていなかった自分にとって、もうひとつのカルチャーショックでした。そして、この時瀬戸内カヤック横断隊の存在が自分の心に深く刻み込まれたのでした。
 その後はすこしでも漕げるようになりたい、独りでカヤックを操り旅をできるようになりたいと、月に1度くらいではありますが、漕ぎに出かけるようになりました。そんな中、第十次横断隊の日程が発表されました。横断隊はエキスパートのためのものというか、エキスパートにしか許されないものと考えていたものの、自分をカヤックの世界に導いてくれたあの一団に何とかして関わり続けたいという思いをどうしても無視することができません。
横断隊の結成趣旨の中に、途中参加も途中離脱も自由とあるのを見つけ、閃いたのです。ちょうど出発日は三連休にあたるから、この期間だけでも隊に潜り込めないかと。連休なら冒険塾の塾生仲間を誘ってみることもできるからなおさら都合がいいなとも。実のところ、独りっきりで参加することには及び腰でした。そこでまず、白石島の原田さんに艇を貸して頂けるか相談してみることにしました。ついでに、初心者でも参加して大丈夫なのかどうかも相談してみると、こちらの心配をよそに、拍子抜けするくらい軽い大丈夫だよとの返事を頂きました。艇の確保ができたところで、いよいよ内田隊長にお伺いをたててみました。その返答は「もちろん、いいですよ・・・」と、酒盛りのときの饒舌とはうってかわって、そっけないメールの一言が帰ってきました。やったと思いつつも、「・・・」に込められた意味とはなんだろうかと考えさせられることとなったのです。


 参加するのは豊島から艇を借りる白石島までと決め、悪天候に備え1日だけ予備日を設けました。頭を悩ませたのは、1日の行動途中で離脱することはできない、という横断隊の条件をどうクリアすべきか、つまりどこまで進んだら隊から離脱するべきかということでした。仮に白石島を通り過ぎたときは、つぎの日に逆戻りしなければならないわけです。一方、3日間でも白石島までたどり着けそうもない状況のとき、どこにエスケープすればいいかということもよくわかりません。出発地の豊島から白石島までは、ほぼ60km、標準的なペースでいけば1日とすこしで到着できる距離です。過去の横断隊の記録をみて進み具合や宿泊地を確認することにしました。直島から白石島までを1日行程で進んだ事例が2回ありました。なかでも第五次は白石島に13:30には到着してしまっています。上陸休憩なしと書いてありましたから、強者ばかりで漕ぎまくったのでしょうか。もしこんなペースなら、豊島スタートでも白石島まで1日で着いてしまうでしょうが、自分はとっても着いていけないと思いました。一方、第八次は東進で、午後いちばんに白石島をでて広島泊まり。翌日、まる1日かかってようやく豊島に到着しています。天候が悪かったときはどうなっていたでしょう。第六次は初日高松から女木島までしか進めなかったものの、一転翌日は小飛島まで進んでいます。第九次は、停滞もふくめ3日間で北木島までしか進めていません。毎回、出発地そして東進か西進かも違います、その時の天候によって進み具合もすべてばらばらです。これから何を読み取ればいいのでしょうか?本当に予備日入れて3日間で大丈夫なのだろうか。他の塾生にも声をかけてしまった責任が重く感じられるることになってしまいました。
どうしたものかと頭を悩ませている頃、Facebookに内田隊長から書き込みがありました。「横断隊は1日に50km進む。そのためには平均時速6km強で漕ぐことになる。」などと書いてあります。これは?、いまさら、一体...何?漕げない奴らは辞退しろということなのだろうか?と不安になります。しかしながら、ま、何を言われようが、着いていこうと決めたのだから行くしかないと、かえって開き直りました。行程についても、いろいろ考えたところで、その時の条件に応じて判断するしかないな、と腹をくくることにしました。
 さて、問題はもうひとつありました。艇をどうやって白石島から豊島まで搬送するかということです。艇をお借りする手前、お任せというわけにもいくまいと、自分なりの手はずを考えてみました。岡山でレンタカーを借りて、白石島まで艇を取りに行って、豊島まで運んで、レンタカーを返す。これだとフェリーに都合4回のって、まるまる24時間かかりの大仕事です。自分としては時間はかかるけど、これでもしようがないな思っていました。ところが原田さんは「全部任せておけ」とおっしゃいます。とにかく出発の前々日に搬送のお手伝いのため、白石島へ来てくれればよろしいとのこと。なんだか、全部で6艇運ばなければならないようです。横浜から岡山行きの夜行バスに乗り、10時頃白石島につくと、すでに6艇のカヤックが浜に並んでいました。これらを船に積みこんで、海路豊島まで運ぶのだそうです。そうか、船で運ぶ手があるのか。考えつきませんでした。陸しか知らない者と、海を自在に往来している人たちとの生活圏の違いを目の当たりにしました。聞くと和歌山あたりまで船を飛ばして飲みに行くなどは珍しくないなどともおっしゃいます。海に暮らす人たちには到底およばないなと思いました。
船でかっ飛ばすと、白石島から豊島まで、ほぼ直線コースではあったものの1時間ちょっとで着いてしまいました。これから2日がかりで漕ごうというところを、たったの、です。まるでこれからの道程を早送りで見るようで、かえってこれだけの距離を漕ぐのかと感じさせられ気の引き締まる思いがしました。豊島で艇を降ろすと、トンボ返りです。船で進んで行くと、先々で海の色が変わります。潮が流れているのでしょうが、どのくらいの早さなのか、はたしてどっちに流れているのかさえ見当もつきません。せめても、あさってから進むことになる海に連なる島影の形を心に刻みつけようと、飛んでいく景色をじっと眺め続けていました。


 翌日豊島にむかったのは宇野港を昼過ぎ出港のフェリーでした。2日間だけなので、荷物も少なくパッキングも心配ないので、甲生行きのバスの時間まで、島を見て歩くことにしました。家浦から唐櫃行きのバスには、連休ということもあってか思いの外観光客が多く満席、そのほとんどが美術館めぐりの若い人たちでした。小さな丘から下っていく坂の途中にあるバス停で降りると、そこは実に見晴らしがいいところでした。左の斜面に棚田を携えながらゆったりと下る道路がすこし先の斜面のむこうで海の中に消えていくように見えます。棚田は今はまだ再生途上と看板に記されていましたが、昔は盛んに米をつくっていたのでしょうか。雨のすくない瀬戸内海にありながら、ここは水の豊かな島なのでしょう。豊島美術館をひやかし、集落をぐるりと歩いていると早くも帰りのバスの時間になりました。家浦に戻ると、ちょうど着いたフェリーで横断隊のメンバーが多数到着したところで、幸運にも甲生まで車に相乗りさせて頂くことができました。
浜では自分はパッキングする荷物が少ないので、他の方たちのパッキングの様子を眺めていました。1週間の長丁場で荷物が多いからなのでしょうか、デッキに荷物をくくりつけたり、足元に荷物を詰め込んだりは当たり前のことのようです。バランスのことや沈したときのことを考えると避けた方がいいことなのかと思っていたので意外でした。
この夜は、片山邸に宿泊できたことと農民福音学校のはなしが聞けたことが思わぬ収穫でした。片山邸には明るいときにもう一度ゆっくり訪れてみたいと思いました。そういえば、宿泊代の割り前を精算しないままになっていました。すいません。
 翌朝。いよいよ出発です。予報とおり雨もあがり、風も強くはありません。始めのうちは、皆お互いに様子伺いでもするかのように、淡々とお行儀よく進んでいきます。実は自分は、隊列を乱さないように漕ぐのに四苦八苦していました。なんとか遅れないように漕ぐだけで精一杯なのに、横や後ろの船を邪魔しないよう進路を守って操船するのに一苦労でした。ちょっと調子がでると、前列に突っ込んでしまいます。先頭を行く原さんの姿を追うことはもちろん、遠くの目標を見て行き先を自分の目で判断しながら艇を進める余裕などついぞ持てないまま、とにもかくにも進んでいるという感じでした。海図を見ている暇などもありません。だんだん隊列を組んでいるのが面倒になってきました。子供のころ運動会の行進の練習がいやで体育をさぼったときのことが脳裏に蘇ってきたりしているうち大槌島に上陸休憩とあいなりました。
昼食時に、コンロを使って調理する間がとれるとは思っていなかったので、パンしか用意していなかったのが大失敗でした。魔法瓶に暖かい飲み物を用意していたのでまだ助かったものの、熱々のラーメンが食べられればと今でもあのわびしさを思い出します。昼食には、調理・非調理両方のバリエーションを準備しておくべきだったと思います。
潮待ちそして休憩後、大槌島から瀬戸大橋までの約10km、島間距離としては本行程中最長の部類に入る区間です。事前からここは遠いなと海図を見ながら思っていたところでありましたが、夢中で漕ぐ内になんとか2時間ほどで到達しました。この間、行き交う大型船の間をどうぬって漕いでいくのかに気持ちが移っていて、漕ぐこと自体をあまり覚えていません。それほどまでに、周りからやってくる船の多さにどきどきしていたわけです。
 さて、初日の行動を終え、本島の浜で夕食の支度をしていると島の住人の方が近くまでやって来ました。ついさきほど、隊長から「浜でテントを張るのは暗くなってから。地元に暮らす人たちに配慮しろ。」と言われたばかりだったこともあって、仕事の手を止めて挨拶をしました。浜辺にある民宿「海ほたる」のご主人とのことでした。幸いにも、カヤックに対する理解もある方だったようで、「この前もカヤックで日本一周してるとかいう奴がここに泊まっていったな」などと世間話しをすこしすると「火の始末だけは念入りに」と言って戻られました。次にこの浜にやっかいになるときは、まず「海ほたる」を訪ねたほうがいいかもしれません、今回は名前も名乗らず仕舞いでしたが、きっと我々のような旅びとにも寛容な方なのだろうと感じました。
 朝、寒い中濡れた服をまた着込むときほどカヤックを止めたくなるときはありません。しかし自分の旅はどうやら今日中にはゴールを迎えられそうなので気は楽です。今日の行程は昨日に比べても短いようだし、天候も問題なさそうです。そして、なんといっても、今日も途中まで帯同を許され、途中で離脱しても良いこととなりました。それならば、勇気百倍です。
もう最終日ということもあり、今日は一漕ぎ一漕ぎ丁寧に漕いでみようと、フォームを意識しながら漕ぐことにしました。周りの方たちの漕ぎっぷりが美しいのでまねをしたくなったわけです。しかし、まねしようとして悪あがきすると、リズムが悪くなり、艇は進まず疲れてきます。ますます漕ぎ方がわからなくなりました。そういえば隊長に、「パドルの向き逆!」と指摘された場面がありました。このとき隊長はひとりひとりを細かいところまでちゃんと見ているのだなあと正直いって驚きました。とともに、安心感を感じました。思うと、この横断隊は、細かいことを決めずに、全てを受入れ、現場で全体の状況を把握して、的確な判断をして、隊をまとめています。それを体験できただけでも参加させてもらった価値があったと思います。
 昼食の後、我々を残して大島を出た横断隊を見送ることとなりました。30艇の大部隊は一つの大きな生き物のように、うねりながらみるみるうちに小さくなっていきます。あの中にいられなかったことが胸のなかでどんどん悔しい思いに変わっていって、急に寂しくなりました。それからもしばらく、横断隊が消えていった海の向こうをぼーっと見ていました。
以上
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2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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