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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治

第11次瀬戸内カヤック横断隊参加レポート

西原敬治

【0】 はじめに
 今回の横断隊では今春から自分がフリー(無職)となったことで、前回の第10次のように途中離脱することなく「みんなと一緒に最終上陸地点まで漕げる」と胸躍る思いで参加したが、それはかなわなかった。しかし次の2点で、今次の横断隊は自分にとって大きな意義があったと考えている。その1点目は、初めてリーダーを引き受けた(務めたと言いたいところだが…)こと。2点目は、2艇連続のラダートラブルに見舞われたこと。ここでは、この2点についてレポートする。

【1】 初めてリーダーを引き受けたこと
 横断隊2日目、倉橋島亀ヶ首手前のキャンプ地で、村上隊長から本橋隊員とともに翌日のリーダーに指名されたとき、迷わず「やらせてもらいます」と答えた。それは自分にリーダーを務める自信があったからではなく、過去の苦い経験があったからである。
初めて全行程参加を目指した第9次横断隊において、内田隊長(当時)からリーダー指名された私は明確な返事ができず、その翌日にはリーダーとして何の役割も果たすことができなかった。思えばそのときは、「自分にリーダーとしての能力が欠けていても、その役割を果たそうと努力するなかで何かを学び取る」という積極性がなかったのだと反省している(内田さんの「横断隊はツアーじゃない、シーカヤックアカデミーの実践版なんだ!」という言葉を思い出す)。ちなみに、そのとき私とともにリーダーに指名されたのが本橋隊員だった。
 リーダーとして漕ぐ日の朝、まず私がしたことは携帯電話(スマホ不所持)で天気予報を聞くこと。それによると、午前中は波風ともに穏やかだが、午後から西よりの風が強まってくる。そして、明日・明後日と日を追うごとに気象条件が厳しくなってくる…というものだった。そこで本橋隊員と相談の上、出発前のブリーフィングでは①今日の最低目標を蒲刈島への海峡横断とする②西よりの風を避けるために、倉橋島の東岸に沿って情島をめざす③情島到着後、海況を判断し蒲刈に渡る-の3点を提案し、了承を得た。
 ところが亀ヶ首付近に来ると、進路正面に見える黒島や下蒲刈島が、左奥に見える情島と同じくらい近くに見える。そのうえ、間の海面にはうねりや白波が全く見られない。一瞬、「直接蒲刈に渡れるのでは」という思いが頭をよぎった。しかし、「もし天候の急変があった場合、荒波に不慣れな隊員に危険な思いをさせるのではないか」と、言い出せないでいた。そのとき、最後尾の村上隊長から「直接蒲刈を目指そう」との提案があり、私は即座にそれに賛成した。これが、この日の貢献の1つ目だったと思う。
 しかし、海は甘くなかった。黒島近くになると、南西の風による追い波に翻弄され、遅れる隊員が出始め、「ペースダウン!」の声がしばしば掛かった。ここで、私の当日最大の反省点。それは、後ろを振り返って隊全体の状況を確認しなかったことだ。確かに、追い波のなかバランスをとりながら、体をひねって真後ろを見ることは困難だ。だが、カヤックの進路をせめて45°変更すれば何とか後方確認はできる。要するに、私には後方に対する配慮・思いやりが欠けていたのだ。その夜の反省会での、「漕力に自信のない隊員は、最前列のリーダーが振り返ってくれるだけで、“自分のことを気に掛けてくれている”と思えて安心する。」という指摘は忘れられない。
 黒島の真横のころから、南西風はさらに強まった。亀ヶ首から70分ほどかかって、下蒲刈島南端の入り江に到着。海峡横断に精力を消耗し、その場で休憩を求める声もあったが、鼻を1つ回り込んだ梶ヶ浜に隊を誘導した。この広々とした人工海浜はトイレだけでなく水場もあり、15分間良質な休憩がとれた。これが、この日の貢献の2つ目だったと思う。
 ところで、休憩後とるべきコースについて、隊の意見は2つに割れた。1つは南西風を避けるために、上蒲刈島の北側を迂回するコース。もう1つは、そのまま同島の南側を直進するコース。私としては、緊急時に上陸できる浜が多い南側(北側は皆無)を思ったが、口には出せなかった。自信がなかったのである。結局、われわれ2人のリーダーは多くのベテラン隊員の意見を入れて、北側のコースをとることにした。その際の昼食休憩場所は大崎下島北の三角島、キャンプ地は岡村島の観音崎である。
 さて、これ以後の細々としたトピックは省略。この日最終的には午後3時、予定キャンプ地の観音崎に隊全員が無事に到着した。そして、私を含む本橋隊員と2人の案内役の計4人で今治市役所関前支所に出向き、横断隊の趣旨を説明したうえで、浜でのキャンプと焚き火の許可をいただき、リーダーとしての任務を終了した。
 最後に、
① 当夜の反省会で指摘された、あるいは自分自身が感じた反省点 
② 結果的に南北どちらのコースがよかったかについての、私なりの考え
以上2点について述べる。
①指摘された点は、上蒲刈島~豊島や豊島~三角島のような、比較的短距離の横断のとき「“正面の建物を目指して”ではなく、“60°の方向を目指して”のように指示すべきだ」という点。自分自身には、正面に1つの建物しか見えなかったのだが、実際には少し離れた所に倉庫様の建物があって、それが混乱を招いた。次に自分自身が感じた反省点。それは昼食後、三角島から大崎下島に渡り、さらに同島北岸に沿って岡村島に向かう途中で、激しい三角波や高くて周期の短いうねりに揉まれた。その際、沈しないようにバランスをとることに気をとられた何艇かが密集し始めた。私が「このままだと危ない」と感じたのと同時に、本橋隊員が「もっと離れろ!」と大声で指示した。危険回避の指示は、素早く簡潔に出すべきことを痛感した瞬間だった。
②結果的に南北どちらのコースがよかったか?「結果論には意味がない」と言われるかもしれないが、後になってこの問題を考えたとき、自分には「得るものがあった」と思うのでそれを書いておく。結論から言うと、「その日の目標を岡村島とする限り、南コースは無謀である」ということである。理由は、もし南コースをとった場合、昼食場所は上蒲刈島東端の恋ヶ浜か県民の浜である。そして昼食後に岡村島を目指すのなら、豊島・大崎下島の南岸を延々と漕いで行くことになるが、そこには上陸できる浜はない。これが、「その日じゅうに行けるところまで行けばいい」というツアーならば、コースの選択はシビアではないだろう。しかし、7日間で小豆島まで行かねばならない。そして翌日・翌々日は荒天が予想されるので、できるだけ遠くまで漕ぎたい。そのような条件の中で、20人超という大部隊が泊まれる島としては岡村島しかない。岡村島へたどり着くためには、午後から風が強まる予報を考慮に入れると、昼食場所はそこにより近い三角島が最適である。私は後日こう考えて、「あの状況下では、北回りの選択がベストだった」と結論した。これについては、他の隊員諸兄姉のご批判を俟ちたい。

【2】 ラダートラブルについて
 これについては、以下の3点に分けてレポートする。
① どんなトラブルだったか、また、それにどう対処したのか 
② 2艇目のラダートラブルから離脱を決断するまで 
③ トラブルの原因特定と修理、および得られた教訓
①私は今次横断隊に自艇マリオンで参加したが、最初のトラブルはその艇で起きた。場所は、上蒲刈島北岸を目指して蒲刈大橋をくぐった直後。突然片方のペダルの抵抗がなくなり、スーッと前にスライドしてしまった。ワイヤーが切れたような衝撃はなかった。以後どちらのペダルを踏んでも抵抗感がなく、全くラダーが機能しなくなった。目視で状態を確認することができなかったので、側を漕航する本橋隊員に修復をお願いした。彼によると「ラダーのシャフトがずり上がり、スターンの穴から抜けてしまっている」とのこと。数分掛けて、シャフトを穴に押し込んでもらった。するとラダーは、何もなかったように機能するようになった。しかし、同様のトラブルが同日もう2回発生した。2回目は上蒲刈島~豊島の横断の途中。3回目は岡村島のキャンプ地に到着する直前である。その都度、隊は数分間の停滞を余儀なくされた。上陸後直ちに本橋・連河両隊員が応急修理に当たってくれた。内容は、部品が脱落して露出したシャフトの上部をその数センチ前にある、ラダーを船体に押さえつけるビスにステンレスの針金で結びつけたのである(針金を提供してくれた隊員が誰か失念してしまいました、すみません)。
 続いてラダートラブル第2幕。その夜、横断隊に差し入れに訪れた私のカヤック仲間の木村さんにトラブルの顛末を話すと、「自分のエクスペディションを貸すので、それで旅を続けたら?」と言ってくれたのである。翌日、強風のため停滞していた岡村島で、私は終日どうすべきか考えた。そして最終的に、応急修理してくれた隊員への思いや、自艇で旅を続けたいという自分自身のこだわりよりも、横断隊としての目的遂行や自身の安全を優先して、木村さんの好意に甘えることにした。
その翌朝、風は強く海は荒れていた。しかし、これ以上の停滞は許されない。みんな次々に出航して行く。私も「ラダーは大丈夫」と、気を取り直して漕ぎ出した。ところが5分もしないうちに、前々日と全く同様のトラブルに見舞われたのである。その瞬間頭は真っ白になり、全身から力が抜けた。しかし、強風に吹き流され徐々に隊から離れる中で、いつまでも呆然とはしていられない。気がつくと突堤の近くまで吹き寄せられている。そのとき連河さんが漕ぎ寄せてくれて修復にかかってくれた。ところが、故障の程度はマリオンのときよりも深刻で、どうしてもシャフトが元の穴に戻らない。そこで、ラダーを取り外してデッキにくくりつけた。これでラダー無しになったわけだが、それ以上に困ったのはペダルがフリーになり、踏ん張りが効かないことだった。そんな状態で、次の休憩場所である大三島南岸まで1時間以上漕いだ。その間北よりの風に吹かれ、「風見鶏効果」で艇は常に左に曲がろうとする。それを修正しようと左ブレードだけの漕ぎが続き、左肩が悲鳴を上げる。にもかかわらず、荷物を満載した長い艇はなかなか右に向こうとしない。やむを得ず右ブレードでブレースすると、艇はやっと右に向いてくれるが、スピードは停止状態近くまでダウンする。そんなことの繰り返しで、思わず「ペースダウン」と、泣きを入れたくなった。
 悪戦苦闘の末、大三島南岸の休憩地点に到着。洋上休憩している仲間を残し、浜に上陸した。これには岡村島のときと同じく、本橋・連河両隊員が応急処置のために付き添ってくれた。そこで検討した結果、ラダーの修復は放棄して左右のワイヤーをビスで固定し、ペダルを踏ん張りが効くようにするしかなかった。
②ラダーの応急処置をしている間に、次々と他の隊員が上陸してきた。風が徐々に強まり、洋上休憩が困難になったためである。それ以後さらに風は強まり、午後からの漕航は断念し、岡村島に続いての停滞となった。そのとき私は、「もし自分のトラブルがなければ、午前中には鼻栗瀬戸を抜けられたはずだ」「鼻栗が抜けられたら、たとえ強風で結果的には停滞するにしても、伯方島北岸には到達できただろうに」との自責の念に駆られた。また、途中離脱の4文字をめぐって、2つの思いがせめぎあっていた。1つは、「あくまで小豆島を目指そうとする、隊の足を引っ張りたくない」「ほんの数時間前のような状況が明日以降再現したとき、隊について行く自信がない」という離脱に傾く思い。もう1つは、「応急処置に尽力してくれた本橋・連河両隊員の善意を無駄にしたくない」「自らの漕力に不安を抱えながらも、懸命に隊と行動をともにしている仲間に対して恥ずかしい」そして何より「みんなと一緒に最後まで漕ぐと誓って参加したのではなかったのか」という完漕したい思い。しかしこの葛藤にけりをつけたのは、正直に言って、私自身の心の弱さだった。2艇連続のラダートラブルという予期せぬ出来事に、心はすでに折れてしまっていたのである。
 自ら離脱を決めた以上一刻も早く隊長に話すべきだと考え、心中を包み隠さず打ち明けた。隊長は「じゃ、そうしたら」と突き放すでなく、「何を弱気なこと言ってるんだ」と叱咤するでもなく親身になって話を聞いてくれ、私の結論を認めてくれた。本当にありがたかった。それから数時間後の反省会で、隊のみんなに離脱の挨拶をした。みんなの表情からは「最後まで一緒に行けなくて残念だったね」という、暖かい思いが伝わってきた。そのとき「自分が逆の立場だったら、“弱いやつだなぁ”とか“これで足手まといがいなくなる”という考えが一瞬でも頭をよぎるかもしれない」と想像し、自己嫌悪に陥ったことを告白してこの項を終える。
③帰宅して数日後、ラダートラブルを起こした2艇とメンテナンスが必要なもう2艇、計4艇を積載した車で、木村さんとともに熊本市のウォーターフィールドを訪ねた。そこでのラダー修理は実にあっけなく、ほんの数分で終了した。故障の原因となった部品名は「ラダーブロック」。
〔A〕
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写真〔A〕上がそれである。金属製のシャフトはラダーの軸で、スターンデッキにあけられた穴に挿入。そして、本体下部の円盤をビスで押さえることによってブロックが抜けることを防いでいる(写真〔A〕下はブロックをラダーに取り付けた状態)。ちなみに、側面の溝はラダーブレードを上げ下げする紐を通すためのものである。ブロック本体(右上がバウ方向)は樹脂の塊で、これが割れてしまうとは信じられないが、水野社長によるとそのようなトラブルは珍しくないという。
〔B〕
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b.jpg


〔C〕
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写真〔B〕は、上が正常なブロック、下が割れたマリオンのブロックを、いずれも正面(バウ方向)から撮ったもの。写真〔C〕は真横から撮ったものである。これを見ると、割れたブロックはシャフトを上から押さえつける機能を失っており、複雑な波の圧力がブレード→ブロック→シャフトと伝わるなかでシャフトが徐々に押し上げられ、ついにはデッキの穴から抜けてしまったことが、今回の事故原因であったことがわかる。このラダーブロックは、長期的にみれば交換が必要な消耗部品であるにもかかわらず、入手はなかなか困難ということで、私は水野さんに無理をお願いして予備のブロックを1個購入した。
最後に、今回のトラブルから得た教訓をいくつか列挙する。
・ ラダーの構造を熟知しておくこと
今回のトラブルは私にとって、決して青天の霹靂ではなかった。上関に出発する前日、ラダーが不自然にぐらつくことに気づいていたのである。もし自分にラダーの構造についての知識があればラダーを分解し、ブロックのひび割れに気づいていただろう。そして、FRPや瞬間接着剤で補修することで、トラブルを未然に防げたはずだ。
・ 点検の必要性
カヤック使用後の水洗いの際、点検は行っていた。しかしそれは、船体の傷やひび割れ、ハッチのパッキンなど浸水を念頭に置いたものであり、ラダーについては可動部分に塩がつまらないよう入念に水を掛けるに過ぎなかった。これからは洗艇ごとにブレードの傷やひびの有無を確認し、少なくとも半年に1回はラダーを分解して、ブロックの点検も行いたい。
・ 予備部品や工具の携帯
ラダーブレードはともかくとして、ブロックとワイヤーは、長期遠征の場合携行の必要がある。そして、たとえ予備部品があっても、それらを交換する工具がなければ無意味であることは当然である。

【3】 おわりに
 今次の横断隊では、多くの仲間の隊員から物心両面にわたって手厚いご支援をいただきました。心よりお礼申し上げます。そして、次回こそは原隊長のもと、みなさんと一緒に最終目的地まで漕ぎきる覚悟ですので、なにとぞよろしくお願いします。
 最後に、これはカヤックと何の関係もありませんが、出発の数日前から家族同然の愛犬エミリ(ラブラドール♀13歳)が危篤状態となり、離脱の前々夜に妻に抱かれながら永眠しました。遠征隊最終日の22日午前に火葬する予定だったのですが、離脱後深夜に帰宅した私に対して妻が「エミリが最後のお別れを言いたくて、ラダーを壊したに違いない」と涙声で語ったとき、言い知れぬ感動を覚えたことを記して、このレポートを終えます。    長駄文多謝
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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