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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和


瀬戸内カヤック横断隊を結成した内田さんが、第十一次よりダイドック原さんへ隊長を引き継いだ。
今次の日程が決まった後、原隊長が怪我をしたと知って驚いた。また、どんな怪我なのか心配だった。
原隊長の怪我は思っていたより酷く、今次は漕げないことになったが、僕の思った通り村上隊士が隊長を任された。
僕は、村上隊長が突然決まった隊長という役目をどう思っているか気になりながら、
今次の実践版シーカヤックアカデミーも全力で取り組もうと思った。

15日(前日)、朝5時に松山発の柳井行きフェリーに乗船し、蒲井へ向かった。
蒲井の港付近の浜から祝島へ向けて離陸し、祝島が目の前に現れるとついついゴールする気分になってしまった。
なぜなら僕は、第六次の初参加は香川のシーカヤックショップ、フリップサイドから祝島へ、
第七次は直島から祝島、第八次は祝島から豊島、第九次と第十次は豊島から祝島を目指した。
でも単純に祝島を目指すことが多いから、ゴールする気分になったのではない。
毎年必ず祝島へ行っているし、島民達はいつも温かく迎えてくれる。
上関原発予定の問題、毎週月曜日の島内デモ行進なども実際の現場を見て知ることができ、
今まで以上に環境へ興味を持つようになった。
また、第一次瀬戸内カヤック横断隊のスタートが祝島であり、先輩達や有志達が祝島との繋がりを大切にしている。
だからゴールする気分、いや、祝島の何かに包み込まれる感覚になるのだと思う。

祝島で海旅の準備をしていると、火バサミを忘れたことに気付き、困っていると、
森隊士が商店で売っていたことを教えてくれた。実際に商店へ行くと販売されていたので助かった。
火バサミはちょっと贅沢な装備であり、代替えできる物もあると分かっていながらもこだわる。
野営中の焚き火では、流木を無駄なく使えるし、火力の調整もしやすい、なにより火傷もしにくいからだ。
火を扱うことに、これだけ便利で安全な道具は無いと思うので、箸やコップと同じ感覚だ。
祝島で火バサミを買えたことがとても貴重であり、これからも大事にしながら一緒に海旅したいと思う。
ただ、そんな大事な装備を忘れたことを恥ずかしいと思った。

夜は島民のご好意に甘えて一緒に宴会ができ、今次のスタートに良い感じの話が聞けた。
翌日のリーダーは吉村隊士、サポートとして本橋隊士が決まり、ブリーフィングの時間も決めたが、
誰かから「明日の起床時間は?」という声が出た。個人の起床時間まで決める必要はない。
僕の記憶では、その後にこの言葉を聞くことが無かったので、ツアーでは無いという意識が少し高まったと思う。


16日(1日目)、22艇でフォーメーションを組み、一気に周防大島の片添ヶ浜の北側まで漕いだ。
日が沈む前だったが距離を延ばせたし、着陸前にシーカヤックでイワシの追い込み漁が出来たことは初めての経験だった。
重鎮隊士達(ユージさん、原さん、高橋さん)が待っていたことが心強く思え、
ユージ隊士のシシとシカ肉の差し入れは、とても美味く、何より気持ちが嬉しかった。
夜に谷口隊士が体調不良で倒れたが、無事だということを聞いて一先ず安心した。
小豆島から陸路を使い、山本隊士と今井隊士が合流した。


17日(2日目)、リーダーを任されたが津和地瀬戸を横断した後、急遽 平田隊士へ交代してもらった。
リーダーを途中で交代することは初めてだった。朝から体調の異変に気付いてはいたが、
ちょっとした睡眠不足と二日酔いだと思っていた。怒和島の手前ぐらいから嘔吐の気配が続き、
このまま無理してリーダーをしても、倉橋島へ海峡横断中に冷静な判断が出来ないのではと不安になった。
あと、大声を出すと嘔吐しそうだった。

前線が通過する前に鹿老渡島の南岸へ着陸できたことは本当に良かった。
漆原さんと地元の方が暖かい焚き火と海鮮バーベキューを用意してくれ、ありがたく頂いた。
僕は着陸後にすぐ嘔吐し、お湯を飲みながらサツマイモとパンを食べるぐらいしかできなかったが、
休憩中に回復している感じがあった。

夜は亀ヶ首で野営したが、たくさんの流木と奥行きのある場所に満足した。こんなに快適な野営地だったとは知らなかった。
ここは過去に何度も通過したが、海から見るだけでは浜の状態が分かりにくいことを再確認した。
昨夜、離隊をして病院で検査を受けた谷口隊士が、車で来られない亀ヶ首の浜まで漕いできて合流した。
シノちゃんのサポートで陸路を使い、周防大島から呉を周って倉橋島の東側へ移動しての離陸だったらしい。
谷口隊士が無事で良かった。また、彼女の熱意に感激した。


18日(3日目)、リーダーは西原隊士、そしてサポートとして本橋隊士(2度目)で、亀ヶ首から下蒲刈島へ横断した。
この海峡を見た時、第十次の情島へ横断する前、風待ちした30分を思い出した。
今次はあと30分遅ければ大時化の中を漕ぐことになっていたが、ギリギリの所で梶ヶ浜海水浴場の湾内へ入れたと思う。
休憩中、この日の朝の離陸時間を思い返した。離陸は、日の出を海の上で拝む!(ヘッドランプが要らないぐらいの安全な明るさで)
ということを優先したいと思った。もちろんその日の天候と潮の時間を考えての話だ。
そして早く離陸する分、暗くなる前に着陸して休みたいのが本心だ。

上蒲刈島の北側ルートと南側ルートの選択では、僕は風の予報が北西になることが気になっていた。
もし北西の風が強くなると、北側は護岸が多くて着陸できる場所が少ないと聞いていたこともあった。
しかし梶ヶ浜を出た時は、南西の風が強く、南側ルートも荒れていた。
リーダー西原隊士は、北側ルートへ行くと判断した。
豊島へ横断中は南から吹き出す風より、下げの潮流(逆潮)が強かったが漕ぎあがれ、なんとか三角島へ着陸できた。
ここもあと少し遅ければ、グチャグチャの海の上だった。
三角島で風待ちをして再び離陸。平羅島までの海況は、北西の風と逆潮の三角波で荒れたが、
無事に岡村島へ着陸できて良かった。

関前支所へ西原、本橋、田中隊士と一緒に野営許可を頂きに行った。
五福隊士のいない中、皆で柔らかい話し方を意識し、許可を貰えて安心した。
久しぶりに道路を歩き、大三島方面の海を見ながら風が落ちることを祈った。
吉村隊士が用事の為に離隊し、迎えに来たシホちゃんと久しぶりに会えて良かった。


19日(4日目)、早朝から波打ち際で大きな音がしていて、海を見ると二度寝したい気分になるぐらい荒れていた。
南西の風もギュンギュン吹く中、リーダー赤塚隊士は全員で観音崎の頂上まで上がって海況を確認させた。
大三島方面は白波がシロクマ状態だった。岡村島の北側を漕ぐにも、まず離陸が厳しい状態だった。
本橋隊士が「一人でも自分で出艇できない海へは出ないこと」と言い、まさにそうだと思った。
横断隊はツアーでは無いことをここでもハッキリさせた。
12時まで離陸できる状態で待ったが、一向に風が落ちないので停滞を決めた。

この日は岡村島の島民(おばちゃん)と横断隊のことを話せたし、
後で話せたおばちゃんからミカンと薪をいただき、島人の優しさに感激した。
観音崎を保護する会の会長とも話せた。会長は僕達が浜を使うことを受け入れてくれ、
また、この浜へ来たことを喜んでくれた。
こういった島民への挨拶、会話は大切だということを再確認した。
村上隊長は何名かと一緒に、岡村島の北側の海況チェックも兼ねて大崎下島の御手洗まで歩いていった。


20日(5日目)、朝の海況は昨日よりマシだがまだウネリが残っていた。
リーダーは再び赤塚隊士で、大三島の南側からしまなみ海道を目指した。
観音崎の浜を離陸し、全員が海上に揃う前、一昨日、ラダートラブルがあった西原隊士のラダーが
またもや機能しないというトラブルが発生した。西原隊士は、前日、自艇から木村隊士のカヤックへ乗り換えていた。
蓮河隊士がフォローしたが、2人とも観音崎の早い潮流と風を受けて、岩礁が多い浅瀬へ流された。
その時、離陸した浜へ戻るより沖へ出る方が安全だと判断。
赤塚隊士は既に沖に出ていた隊士達をまとめ、他の隊士達で西原、蓮河隊士に沖へ出るよう呼びかけたが、
波と風の音で声も届きにくい状況だった。
僕は2人に近寄り、連河隊士と一緒に西原隊士のラダーを手であげることができたが、
判断が遅かったと思う。

その後は追い潮と追い風の中を漕ぎ、ウネリのタイミングに合うと、サーフィンする状態の中、
赤塚隊士は後方確認をしつつ、全体の漕ぎやすいリズムを作った。
最短距離で大下島の南を通過し、一気に大三島の南側(トンネル手前の浜)まで漕いだが、
西原隊士のラダーの修理と西風の上がり具合を考え、着陸休憩をした。
着陸後に本橋、蓮河、岩野隊士が西原隊士のラダー修理を手伝ったが、
完全に修理はできず、ペダルの踏ん張りが効くように応急処置した。

大三島の島民、林さんからミカンと本物のミカンジュースを頂き、嬉しかった。
その後も南西の風が吹き続け、焚き火をしながら待っていると、五福隊士が合流し、
村上隊長と赤塚隊士は車で大三島の東側まで偵察に行った。車だが海況チェックが出来ることを優先した。
待機中、一瞬(30分ぐらいかな)風が治まり白波が消えたかように思ったが、再びすぐに風が吹き出し、
潮は満潮から干潮へ動き、海はみるみるうちに荒れた。ここで平田隊士と現場で『海気』の話ができて良かった。
偵察へ行った2人が戻り、海況の説明を聞き、停滞が決まった。
その後、大島のクマさんが野菜たっぷりの鍋を持って大三島まで駆けつけてくれて、美味しくいただいた。、
クマさんは僕達が大三島の南岸へ着陸した時から、何度も双眼鏡で覗き、行くか行かないかを確認してたという。
熱い人だ。そしていつも応援してくれる。

夜の反省会で、西原隊士は、主にラダートラブルが原因で少し自信を無くしたと話し、離隊すると言った。
全員が西原隊士の気持ちを受け入れ、この夜で離隊した。

この日、後になって思ったことだが、当日のブリーフィングで、
もし風が上がったら大三島の北側を目指すという案が出なかったと思う。僕の記憶違いだったらすみません。
鼻栗瀬戸と船折瀬戸にとらわれすぎて(先を急ぐ気持ち)、
潮と風を使う事を中心に考え、大三島の南側へ向かったような・・・。
朝の離陸した時の風速なら、上がるかもと様子を見ながら岸よりで漕ぎ、大下島から北へ上がれたかもしれない。
結果論だが・・・。そのことに思い至らなかったことは反省すべき点だと思った。


21日(6日目)、天候は回復した。リーダーは蓮河隊士、僕はサポートを任された。
海況も良く、あっという間に鼻栗瀬戸を漕ぎ、弓削島の最北端まで順調に進んだ。
弓削島から三原瀬戸を横断して横島を目指したが、
大型船が広島の尾道方向から、また燧灘の本船航路から現れたりする中、
蓮河隊士は、海図と実際の百貫島、弓削島を確認し、潮と風に流されないようルート取りした。

横島の横山海岸へ着陸すると、村上隊長の知り合いが待っていて、ボジョレー・ヌーヴォーを差し入れてくれた。
横島を離陸し、全体のペースを見ながら田島の南岸を漕ぎ、明日からの天気予報を確認して、走島へ横断すると決めた。
一気に分水嶺をまたぎ、潮は追い潮となり、このままグングン漕いで小飛島まで行きたかった。
しかし、思ったより潮と風の力を借りることが出来ず、暗くなる前に走島の西南の浜へ着陸した。
蓮河隊士は、小豆島までの希望を繋いだ。

走島でもまたまた村上隊長の知り合いが!舟で来て大きな生タコを差し入れてくれた。
新鮮で立派な生タコにもビックリしたが、なんといっても村上隊長の人望に毎度ながら驚かされる。
生タコを赤塚隊士が刺身や焚き火でスモークしてくれた。
夜の反省会と最終日への話し合いは、いい感じにヒートアップしたが、
最終的に『目標のゴール地点、小豆島まで全力でやれることをやろう!』と、まとまった。
昨日合流した五福隊士とスタートから一緒だった植村隊士は、話し合いの末、離隊することになった。
あと1日、最後まで一緒に漕ぎたかったが、入隊も離隊も本人の意思を尊重した。


22日(7日目 最終日)、リーダーは、昨夜の反省会で自ら志願した碇隊士。

走島を離陸する。まだ暗い中、潮がおもいっきり引いていて所々に大きな石が出ていた。
最短コースを狙って東の方向へ漕ぐが、追い風と潮の流れが激しくぶつかる『激浪』となった。
周りの隊士を見ていて、ひっくり返るかも!?と思った瞬間もあった。
佐柳島の南岸が近づく頃、アン隊士のコクピットの中に海水が溜まっていることが分かり、赤塚隊士が排水した。
この時も三角波は激しく、パドルを止めたら誰かひっくり返りそうな状況だった。
僕は、他でトラブルが発生しないように、アン、赤塚、リーダー碇隊士以外を佐柳島の南岸の浜へ誘導しようとしたが、
上手く伝えることが出来なかった。自信をもち、もっと早い判断と伝える術が必要だった。

広島へ着陸して、寒かったのでコンクリートにへばり付き、風避けとコンクリ熱で暖をとった。
12時前、潮の流れと不安定な風を考へ、小豆島まで漕ぐことは厳しいと判断。
今晩の野営地から撤収や、明日の行動を考えた結果、渋川海水浴場を目指すことにした。
強く吹いていた西風も落ち着いた所で広島を離陸し、瀬戸大橋は潮流を読みながら岩黒島の南側を漕ぎぬけ、
大槌島、直島、豊島、そして小豆島が見えた。

ビーテンさんが漁船で応援に来てくれて、ゴール地の変更を伝えた。
渋川へ向かう途中、大型船が航路を往来する中、最後の最後に北西の風が強くなった。
風のおかげもあったと思うが、隊の気が引き締まり、ゴールまで慎重に漕げたと思う。
そしてリーダー碇隊士の朝からの呼びかけ、『まだ、あきらめてなーーい!!』の効果があり、暗くならずに着陸できた。

渋川では内田さん、ビーテンさん、原田さんの友人が待っていてくれた。
第一次から十次まで漕いでいた内田さんは、横断隊の姿を陸から見るのは初めてで、
「かっこええーなー。。。」と言ってくれた。

渋川は海水浴場で、上陸できることはありがたかったが、ゴミ掃除の影響なのか全く流木が無く、
寒くていかに焚き火が重要かということを再確認した。
楽しみにしていた焚き火ができず悲しかったが、ビーテンさんが大きなアナゴを炭火焼してくれて、
とても美味しく、少しでも火のそばに寄れて癒された。
酒も進み、山本隊士が良い感じに酔っ払って、冷たいコンクリの上で寝ていたことに同情した。



第十一次は「赤塚が来れば完漕できる」というジンクス(笑)が変わり、ゴールまであと少しだった。
しかし、ゴール出来ない時ほどたくさんの知識と経験が身につくのだと、今次も感じられた。
2013年6月に『海旅塾』で学んだことが、海気を感じながら復習でき、
『海に勝とうとせず、負けるな!』ということが理解できた。

4名の女性隊士(田中、岩野、谷口、アン)の進化に驚き、そして学ばせてもらった。
20代の本宮、大田、今井隊士は、これからも継続参加してもらえると面白いと思う。

今年も開始前に第六管区海上保安本部へ内容報告をFAXし、担当者から事前確認の連絡があった。
毎年、横断中も確認の電話が掛かってくるが、今年は荒天の時も含めて一切連絡が無かった。
本橋隊士の毎日のログを基に、終了報告をFAXしたが、特に連絡はない。

装備で気になったことは、フラッグだった。
僕は、漕ぎなれていない海域で、もし一人で漕ぐ場面になっても、より安全な航行をするために付けていた。


僕は今次で6年生、来年は瀬戸内カヤック横断隊という学校の中学生です。
まだまだ意識の低い考えかもしれませんが、場所や距離を漕ぐということよりも、
海の問題や歴史、離島の生活などを、カヤックを通じて知る喜びを知りました。
横断隊でもそういった視点を大切に漕いでいます。
あとはシーマンシップ(スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り)
という言葉を意識して海旅を楽しみ、発信していきたいと思います。

祝島をはじめ、多くの島民の皆さま、サポートしてくれた皆さま、
第十一次の隊長、隊士のみなさん本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました!
またお会いしましょう!!

松山への帰路、緊張の糸がキレたのか、車の運転が今回の一番キツかった場面かもzzz(笑)
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瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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