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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 赤塚 義之

第11次瀬戸内カヤック横断隊
赤塚 義之

 第5次に参加してから今回で5回目。第5次、7次、8次、10次と完漕を果たし「赤塚横断隊不敗神話」として参加するごとに祀られてきた。そんな僕も毎回横断隊に参加する時は地元船橋の船橋大神宮、那古船形の崖の観音、香川の金毘羅様などに神頼みをしていた。しかし今回はしなかった。
 海の神様は女だという。嫉妬深いひどい女だ。漁師の船が「○○丸」と名前を付けるのは女の名前だと神様が怒るかららしい。
 僕は今年(2013年)、結婚した。そのせいか、海の神様に嫉妬された今年は完漕できなかった。不敗神話は崩れた。
 まぁ、そんな神様の話は置いといて、ただ単純に今まで運が良かっただけだ。統計学的に毎回参加していればじきに敗れる時も来る。それは必然である。そしてそれが今回だった。
 常々、横断隊の話を歴代の方々から聞いていると、完漕できていない時の方が印象に残っている回が多いという。「赤塚もまだまだ横断隊がわかってないの~」と意地悪く言われるのは癪だが実際仕方がない。完漕を目指しているモノの、どこかで完漕できないようにならないかと思うという矛盾した気持ちが僕にはあった。そして今回、最終日に目的地の小豆島にたどり着けず、渋川海岸で待っていた内田さんが僕に向かって「がはは、ザマー見ろ、あーおかしい!」と酒臭い息を吐きながらニヤついていたのは、「これでやっとお前も横断隊隊士じゃのー」と言っているように思えて嬉しかった。
 完漕することが目的でないことはすでに知っていた。だから正直悔しさはない。ただ、横断隊の面白さは今回が特に際立ったような気がする。それは第11次の敗退を決めた2日間の停滞の時のリーダーが僕だったこともある。そしてその後の追い上げをする最後の2日間に起きた人間ドラマとそれぞれのジャッジが、シーカヤックの修行という横断隊のまさに目的通りの展開になったと思うからだ。

 横断4日目。岡村島出発の日に僕はリーダーとなる。前日からの強い北西風は止むことがなく、南西からは風浪のうねりが瀬戸内とは思えない波を打ちつけていた。僕のリーダーの考えとは関係なく、隊の人間はあれこれとその先のルートを模索していた。北に回り込んで大三島の北側を行く、もしくは途中で南下して大三島南岸を行く。早朝6時に出発するには光が足りなく海の様子がつかめない。出発は明るくなってから海の状況を見ることにした。激しいサーフゾーンを越えてもその先がどうなっているかはわからない。観音崎の上から風裏を見ると一見穏やかに見えるがイマイチ気分が乗らない。まずもって手前の観音崎を越えるのが難しい。北のルートはどうなるか?大崎上島との間、明石瀬戸を通って大三島の北側を通る。ルートとしては面白いが、今日の風ではどう考えても吹かれる。
 考え付いた先がしばらく待機。風待ちである。まず目の前のサーフゾーンを越えられるとは思えなかった。停滞を決めるには早すぎる。だから待機。結局風はやむ気配がなくこの日は停滞することにした。横断隊で初めてタクシーに乗った(笑)
 翌日、再び僕がリーダーとなる。日が出てからの出発を決めていた。風は若干落ちている。浜にはもう薪もない。とにかく脱出したかった。名付けて「岡村島脱出作戦」。サーフエントリーに慣れていない人にはキツイエントリーだったが、サポートに多くの人がまわってくれ助かった。潮が思いのほか強くて海上でまとめるのも一苦労だ。そんな中観音崎に吸い込まれる西原さん達が謎だったが、ラダートラブルだという。とにかくバウは陸ではなく沖を向いているのだ、ぷかぷか浮いていても解決にはならない。とにかく漕いでその場を出てほしかった。だから牽引できる人には引っ張ってでもあの場から離れてほしかったのでそういう指示を出した。曲がれないなら第三者がバウをぶつけてでも方向を変えてもらえればいいのだ。そういう細かい指示まではリーダーは出せない。側にいる人間の力量が問われる。
 風裏なのか、風が弱いのか、潮流に乗ってうねりこそあるものの、凪いだ海を漕いで行く。あっという間に大下島、肥島を越えて大三島にとりついた。ここで西原さんのラダーを直すべく浜に上陸させ、隊は海上で待機、まだ先に進む予定ではあったが…。なんか風が強くなっている。流されて隊が離れる前に上陸させた。この判断が正しかったのかその後風が強くなる。折しもビバーク可能な浜だったのでこれまた待機という形を取らざるを得なかった。正直「またかよ…」と、思ったが当初この浜で様子を見るつもりであったのでコースとしてはよかった。楠さんがレポートで大三島北ルートを考えなかった…と嘆いていたが、僕はその気はサラサラなかった。北西風が強くなる傾向で大三島の北側を通るのは何処にも安全、確実な方法であるという保証がない。大三島南岸の風裏を牛歩するのが得策だと思っていた。そして風の強さ、メンバーの多さを考えて船折瀬戸を通る気にもなれなかったので何とか鼻栗瀬戸を通って大三島の東海岸に取り付きたかった。
 昼過ぎ、五福さんが到着し、藁をもすがるというかある物なんでも使えと思い、まさかの車に乗っての偵察に出た。その瞬間、風がやみ「やっちまったか!?」と思ったが偵察も終わり帰る頃にはまた風が強くなり、さらに潮が変わり激波となった海を見て「あ…終わった」と観念した。こうしてまたもや停滞となり、僕はこの瞬間に今回の横断隊は完漕できないと悟った。

 ところが次の日、奇跡の快晴無風状態になり、追い潮に乗って隊はあり得ない距離を進むことができた。今海図を見ても「よくもまぁ、こんなに漕いだね」と思う距離だ。走島まで漕いだ僕らは翌日の行程を考える上で大激論をすることになる。完漕できないことを悟った人達の諦めムードの中、まだまだ行けると語る人達がいる。その討論がアツかった。
 漕ぎ続ける意思は必要だ。でも正直僕は冷静にその場にいた。カヤックは「行けるところまでしか行けない」。行こうと思った場所に無理やり行くというのは危険なのだ。漕ぎ手の意志とは関係なく海は僕らに牙をむく。追潮無風でギリギリ漕いで走島にたどり着いた現実からして小豆島はあまりに無謀。物理的に距離からしても僕自身も漕いだことのない距離だった。
 瀬戸内カヤック横断隊は参加したばかり、初心者には自分への挑戦的な部分があると思う。でも実際は「シーカヤックの実践的勉強会」なのだと思う。だから「瀬戸内海」でやると最近になって気付いた。遠征でもなければ冒険でもない。何より個人的なものでもない。
 明らかに最終日のリーダー、碇さんは常軌を逸していた。瀬戸内海は風はもちろん、潮流と船舶の運航という点で漕ぎ手の意志とは関係なく歩みをある程度決める。それをその刹那に読み取れなければ結果は出せない。しんがりの隊長ほか、多くのメンバーの発言がその場その場で多く寄せられた。これこそが横断隊の真骨頂かもしれない。予想とシミュレーションのようには事は進まず、時間と体力だけが失われる。その中で活路を見つけて最適な手段を選ばなくてはいけない。今回の渋川海岸への道のりはそれを十分に認識するものだったと思う。

 追い込まれれば追い込まれるほど、人間は本性が出るのだろう。建前とか、立場とかを忘れて本音で討論する。そして自分のカヤッキングを実現しようとする。みんな熱いな~と感動してしまう。でも今回、走島での討論はやり過ぎのような気がする。わかっている人が現実的な発言をすれば辛気臭い諦めやしらけに感じるし、かといって無謀すぎる提案を最初から実践するには無茶がある。やってみて訂正できる範囲ならいいがそれ以上のことをしてしまえば事故につながる。
 結局のところ、最後には隊長のジャッジが決めるわけで、そういう意味では今回の村上新隊長は随分と各リーダーを「泳がせて」くれたな~と思う。
経験がある人はそれなりに答えが自分の中にある。だから他の人はそれに従ってしまえばただのガイドツアーのお客さんに成り下がってしまう。それでは横断隊の意味はないわけで、そうならない様にリーダーに選ばれた人間は自分なりの知恵を絞る。そのリーダーについて行けば安心と思う人もいれば、粗探しでいつでもツッコミを入れてやろうと構えている意地の悪い人もいる。そうかと思えば横でジクジク横槍だけ入れる無責任な人もいる。そういうことを総合的に見て判断し、ところどころで隊をまっすぐに修正する隊長をいう仕事はなかなかに大変であり、マゾ的な面白さがある気がした。
最終日、内田さんと合流して「やっぱ横断隊と言えば内田さんだな」と思ってノスタルジックになったのですが、今回隊長が村上さんというのが妙にしっとりと、柔らかな、フレキシブルな感じになって、これはこれで良い隊だったな…と思いました。
当初新隊長として参加するはずだった原さん。この人が隊長になってガシガシやっていく感じも楽しみだったのですが、原さんが剛だとすれば村上さんが柔。陽と陰。なんか対極的ではあるのですが何か包まれているような妙な安心感があり、僕は非常にやりやすかったなと思います。まるで上から目線ですが、そうではなくて(笑)、僕なりの賞賛です。

シーカヤックが楽しいのは長距離をある程度時間をかけて漕ぐことによる海の変化を感じ、それに対応して進むことにあると思っている。クライマーがより困難なシチュエーション、さまざまなバリエーションで壁に美しいラインを引くように、その時、その海況で最善のラインを海上にひくのがシーカヤックの楽しみの一つだと思う。
だからパドリングではなく、僕はカヤッキングという言葉を使う。パドリングとカヤッキングは似ているようで全く違う行為だ。ウォーキングとトレッキングが違うのと一緒。
その時々の海の変化を感じる能力は経験でしか学べない。自己流でがむしゃらに漕ぐのはある程度の強運が必要だし、カヤック以外の手段で海を知っていなければ素人には難しい。道具をそろえ、いくら天気図を見るのが上手くなり、パドリングが上手くてもその場その場で状況を判断するのは自分だ。上級者とともに不安定な海を漕がなければカヤッキングは効率的には上達しない。
横断隊終了後、内田さんの「海旅塾」のワークショップに参加して「横断隊は修業の場、瀬戸内海は道場だ」という言葉は非常に腑に落ちた。
初めてシーカヤックガイドの仕事に就いた24歳の頃、わけもわからずツアーに連れて行かされ漕ぎまくった。オーナーの手のひらの中で転がされるように愚痴をこぼしながら荒れた海を漕ぎまくった。それが今になって思えばシーカヤックを覚えるには最適な方法だった。僕の師匠は「海が勝手に教えてくれる」が持論だった。単純に教えるのが面倒くさかっただけだと思うが。
横断隊に参加したころ、僕は生意気にも内田さんに「カヤッカーは漕いでナンボですよね」と酔って言ったことがある。今考えても赤面ものだが、その考えは今も変わらない。いくら道具を持っていても漕がなくなったらカヤッカーではないと思う。そしてその「漕ぐ」はパドルを持って腕を回していれば良いことではない。海を自分の判断で漕ぎ進むことにある。
横断隊はそういうことを手っ取り早く、すべて教えてくれる場だと思う。
だから昔は「俺は瀬戸内海の人間じゃないから・・・」といじけていた時期もあったけど「そんなん関係ねぇ!」と今は言える。単純に瀬戸内良いところだし、楽しいし、差入れ美味いし(笑)。
他にも書きたいことはあるのですが、長くなると誰も読まないのでこの辺でタイピングをやめようと思います。詳細などは皆さんと同じくブログなどで日記形式にて書いて行きたいとも思っています。
これからも定期的に横断隊には参加したいとは思います。毎年かどうかは知りませんが…。
西表島にもみなさん来てください。潮流はそんなにありませんが、面白いカヤッキングは保証します。それではみなさん、また海で会いましょう。
2013年 年末
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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