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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 山本 貴道

瀬戸内カヤック横断隊レポート 山本 貴道

(横断隊に参加した理由)
僕は小豆島で産まれ、高校を卒業するまで小豆島で育った。といっても、島を離れるまで海のことなどほとんど何にも知らなくて、それはただ目の前に広がっているもの、夏になると泳ぎに行ったり、たまに釣りをしに行ったりするところで、自分にとっては風景の一部のような存在だった。

「島に再び帰ってきて、島で働く」などという考えは高校を卒業し、新しい世界へ飛び出そうとする僕の頭の中には微塵もなかったのだが、10年前に小豆島に帰郷し、今では島でカヤックのガイドをしている。

島に帰ろう、そしてガイドになろうと思った理由はいろいろあるのだが、大きな理由の1つは帰郷する前に住んでいた小笠原諸島父島での6年間の暮らしと、そこでカヤックに出会ったことだ。

小笠原の雄大な海でカヤックに乗っていると、海と空、大げさな表現かもしれないが地球との一体感を感じた。そして、自分は海が好きなんだということに改めて気がついた。(もちろん、恐い目にも何度も会った)そして、小笠原の海を漕いでいると、ふとした瞬間にふるさとの瀬戸内海を思い出し、ガイドをするなら小豆島かな、と思うようになった。それは、子どもの頃から慣れ親しんできた小豆島の海が僕の心の根底に広がっているからだと思う。

瀬戸内海を漕いではや10年。少しはこの海のことを分かってきたのかもしれない。とはいえ、いつもぬくぬくと島の周りを漕ぐくらいで、自分の知っている海などまだまだ一部。未知の部分の方が大きい。

横断隊は瀬戸内海のことを、そしてカヤックのことを学ぶ絶好の場。その存在は前々から、というか小笠原から小豆島に帰ろうと思った頃から(たぶん第1回目の記事をネット上で見かけたのだと思う)知っていた。ただ、なんとなく自分とかけ離れた異集団の世界のようで、なかなかそこに飛び込めなかった。しかし、今回は小豆島がゴールという。瀬戸内海で、そして小豆島でガイドをしている自分が参加しないわけはない。

門戸をたたくのに10年という歳月がかかったが、機は熟したような気がして、今回横断隊への参加を決意した。

(横断隊で挑戦したかったこと)
瀬戸内海はかつて人力と自然の力を利用した舟が行きかう主要交通路の1つであった。西から東、北から南へと、人や物、文化が島々を経由して移動していた。カヤックはその時代へと遡ることのできる、またその時代の感覚を取り戻せる乗り物だと思う。瀬戸内の島々、海、潮流、風、文化、島人。旅の途中で出会う全てを感じたいと思った。

横断隊には様々な人が参加している。10年という大きな経験を積んだベテランから、僕のように初めて参加するものまで、その経験値には大きな差がある。しかし、この横断隊に参加するからには、それぞれが何か強い思いを持っていることだろう。瀬戸内海を一緒に漕ぎながら、お互いに技術や思いを分け合いたいと思った。(といっても、初めて参加する僕にとって、分け合うというよりは、当然、得る物の方が大きかったのだが・・・)

横断隊は1週間の旅だ。過去のレポートなどを読むと、基本的に旅の間は無補給。スタート時の装備でゴールを目指す。そして1週間で約300kmを漕ぐ。単純に計算すると1日約40km。当然、出発時間も早く、昼休みも短い。したがってゆっくりと食事をする時間などないし、食料の計算をしやすいように、レトルトやインスタントの食材が増えてくると思う。が、僕はそういったものを使いたくなかった。初めての参加で不安もあったが、今回の旅はできるだけ焚き火で調理。材料は米、パスタ、野菜、乾物中心。シンプルに、そしてできるだけゴミを出さないがテーマだった。

(横断隊に参加して感じたこと)

瀬戸内海はやはり美しかった。晴れの日はもちろん、雨の日も、風の日も、夜明け前も、夕日が沈むころも、夜の浜辺も、なにもかも美しかった。そしてもちろん厳しかった。穏やかな海ばかりが瀬戸内海ではない、風、潮、島、様々な要素が組み合わさり、複雑な流れや波を作りだし、僕らの行く手を時には阻んだ。しかし、刻々と変わりゆく天気や海況を予想しながら瀬戸内海を旅するのは本当に面白かった。

また天気、潮、島の位置によって多様なルートをとることができるのが瀬戸内海の魅力だと思った。自分がリーダーならばどのルートをとるのかを想像しながら海図を眺めるのは本当に楽しいし、夜のミーティングで、リーダーがなぜそのルートを取ったのかを聞くのが本当に勉強になった。一瞬の判断がその後の行程を大きく左右することを大いに感じた毎日だった。

そして、かつて人力の舟が行き来した海の道を自分たちが通っているのだということを考えると、まるでその時代へタイムスリップしたような気持になった。なぜ瀬戸内海の島々に風待ち、潮待ちの港町があるのかということが身をもって理解できた。


横断隊はそれぞれが自立した「個人」と互いに支え合う「チーム」のバランスが絶妙な集団であった。そして参加者の目的意識は高く、経験(カヤック以外に関しても)や個性も魅力的だった。毎日一緒に漕ぐことで、実力の差も、男女の差も、今回は国籍をも越えて、チームとしての結束力が高まり、それぞれが成長していったと思う。

また、この旅ではたくさんの素敵な人たちに出会うことができた。ものすごいごちそうで歓待してくれた鹿島のみなさん、岡村島でミカンや薪を持ってきてくれたおばちゃん、大崎下島の大泊地区まで歩く途中、軒先で雨宿りさせてもらっていたら、中まで入れてくれてミカンまでお土産にくれた老夫婦、夜明け前に熱々のすき焼き鍋を作ってくれていた木村さん、大三島で有機ミカンとミカンジュースを差し入れしてくれた林さん、浜辺に駆けつけ野菜たっぷりのおいしい鍋と酒を差し入れしてくれたクマさん、ワインや大ダコ、メヒカリを差し入れしてくれた村上隊長の友人たち、ゴール地でアナゴを焼いてくれたビーテンさん。他にも今回の旅で出会ったたくさんの優しく温かい島の人たち、陸上サポートの人たちに感謝の気持ちでいっぱいだ。(僕は初日から参加できなかったのだが、当然、祝島の人たちにも歓待を受けた)

焚き火
昨年のまんさく隊士のレポートを読んで横断隊の焚き火は恐いというイメージがあった(笑)が、今回の焚き火は極めて平和で幸せな時間だった。毎夜(時には昼にも)濡れ物を乾かし、暖を取り、料理を作り、火を囲んで酒を飲み、互いの意見や気持ちをかわす。昼は海が、夜は焚き火が、横断隊とはなにかを教えてくれた。

しかし、3日目くらいから煙で目をやられた。就寝前、ヘッドランプの明かりで海図を眺めていると、目が痛くて開けられず、涙が止まらなくなった。こんなことは初めてだった。それも煙に目が慣れはじめると(というか焚き火に座る時のポジションがよくなったのか?)、だんだんと気にならなくなった。

(ハイライト)
なんといっても最終日前夜のミーティング、そして最終日の佐柳島でのやりとりが僕にとって一番印象に残っている。

最終日前日
この日は天候、海況にも恵まれ、約55kmの距離をかせぎ、大三島から一気に走島まで進むことができた。とはいえ小豆島まではまだ70km近く残っており、最終日に小豆島ゴールは微妙なところだった。

小豆島のガイドとして、もしかしたら最終日のリーダーを任命される可能性もあるかもと、夜のミーティングまでに翌日のコースを考えてみた。今日漕いだ距離、明日の天気、潮などを考慮しながらシュミレーションしてみるが、小豆島へゴールというのはかなり困難に思えた。

「直島までは行けるかも。日没まで漕げば豊島まで行けるか?でも明日は最終日だし、撤収する人たちはどうなる?」いろいろ考えるが、答えは出ないままミーティングに突入してしまった。

焚き火を前にし、隊長の「明日のリーダー」の発表をドキドキしながら待っていたのだが、結局、翌日のリーダーは立候補したまんさく隊士が任命された。ほっとするやら、残念やら、複雑な心境で、まんさくリーダーのコース案を聞いた。

「みんななら絶対小豆島に行けます!」」自信満々に熱弁するまんさくリーダーの話を聞くうちに、もしかしたら小豆島ゴールもありうるかもという夢が膨らんだ。

が、ここでゴフク隊士と植村隊士の離脱宣言があり、ベテラン組から「小豆島ゴールは難しいのでは?」、赤塚隊士から「最終日は撤収まで考えてリーダーじゃないの?」という意見が飛び出し、僕も再びみんなと一緒になって悩みはじめる。本当に小豆島へ行けるのか?

焚き火を前に喧々諤々のミーティングは続いたが、結局、瀬戸大橋通過が午後になれば、その時に再びゴール地点を考えるが、とにかく明日は小豆島をゴールに設定するという案のまま、解散となり、それぞれが三々五々テントへと戻り始めた。なんだか焚き火の周りには、もやもやとしたすっきりとしない空気が漂っているような気がした。

最終日
まだ暗い海の上、ヘッドランプの明かりを頼りにフォーメーションを組み、はるか遠くの小豆島を目指して出発する。まわりが徐々に明るくなり、海況が少しずつ見え始める頃にはすでに白波が立ち始めていた。

風は西風で追い風なのだが、潮は逆。風と潮がぶつかって大きな潮波が立ち、カヤックは右へ左へ揺さぶられる。そんな中、約3時間漕ぎ続け、ようやく佐柳島にたどりつく。島の東側へ周りこむと風も波もなくなり海は静かになった。

ここで、まんさくリーダーは「まだ小豆島は諦めてない。3分休憩して広島を目指す」と宣言し、短い休憩後、隊は再び動き始める。先頭集団はそのままリーダーと共に前へ進みだすが、後方集団に疑問の声が上がり、隊員それぞれの目的地、思考がバラバラとなる。そして隊列は徐々に縦に伸び始めた。

たしかにかなりの波の中、3時間も漕ぎ続けて、みんな疲れていた。隊のスピードもでていない。(走島から佐柳島までの距離は約16km。時速5km程度しか出ていなかった)僕もこのまま漕ぎ続けるのはかなりしんどいと思ったが、リーダーの熱い思いに共鳴し、行ける所までついていこうと思った。

が、突如後方から本橋隊士がリーダーに駆けより、「ストップスットップ!このまま進むのは危険です。上陸しましょう」と声を荒げた。隊の勢いは急速にしぼみ、なんだか良く分からない状態で、隊は佐柳島の南東の海岸に上陸となった。

ここで改めて今日の行程をみんなで考える。そして、やはり小豆島へのゴールは難しく、撤収も考えて本州側の渋川海岸が新たなゴール地点に選定された。

みんなになんとなく安堵感が漂い、先程までのピリピリとした緊張感からようやく解放され、隊が再びまとまり始めた。(ような気がした)

もし、前日のミーティングの段階で最終日のゴール地点が渋川海岸に決定されていたらどうなっていただろう?
もし、佐柳島に上陸せず、あのまま隊が突っ走っていたらどうなっていただろう?

あの日の海は僕にいろいろなことを考えさせてくれた。

「ゴールできた、できないは大事じゃない。限られた期間の中で、ゴールを目指してもがき続けるのが大切。それが横断隊なんだ」誰かが焚き火の前で話してくれた言葉。まさにみんなでもがいた最終日だったような気がする。

そして渋川海岸に到着後、まんさくリーダーの目に浮かぶ涙を見て僕はさらに考えさせられた。はたして僕はここまで真剣だっただろうか?

次回リーダーになった時、悔し涙、うれし涙、どっちでもいい、全力でやりきって涙を流せるくらいの仕事をやりたいと思った。

みんなの意見は色々あると思うけど、僕は突っ走るまんさくリーダーも好きでした。

(反省点)
今回、仕事の都合で出発地点の祝島からではなく、1日目のキャンプ地(周防大島)からの合流となった。横断隊は途中参加、途中離脱は自由というが、やっぱりその達成感は全く違う。なんだか不完全燃焼な気分だ。次回は出発から参加します!

(最後に)
遊ぶという言葉は適切ではないかもしれないが、横断隊は瀬戸内海で本気で遊ぶ集団だと思った。(かつての瀬戸内海の船乗り、漁師たちの場合は、遊ぶというよりも生きるという言葉がぴったりくると思うが、現代の僕たちにとっては遊ぶ、もしくは哲学するという方が近いと思う)

海で死なずに本気で遊ぶためには、やはり海気を読むことが大切だ。

子どもの頃、僕にとって海が風景でしかなかったのは、海で本気で遊ぶ大人が僕のまわりにいなかったからだと思う。僕は風を感じ、潮を感じ、波を感じ、海気を感じ、島の子どもたちに「あのおっちゃん。ちょっと変や」と思われるくらいの島人になりたい。

(今回の装備)
カヤック
ニンバス ニヤック

ウエア(海用)
下半身:コーカタットパドリングパンツ(4年くらい使用して防水性能は低下気味。スプレースカートがナイロン&ネオプレインだったため波をかぶるとコックピットの中に少し浸水し、荒れた海域ではいつもパンツに海水が沁みてきてお尻はびしょ濡れだった。やはり防水性は大切)

上半身:パタゴニアトレントシェル(浸水防止として袖口にモンベルのアクアテクトリストバンドを使用した。少し浸水したが有効だった。)

その下に上下ともメリノウールのアンダーウエア(下半身はモンベルのメリノM.W、上半身はパタゴニアのメリノ3)を使用した。

初日はさらに上半身にユニクロのヒートテックタートルネックを着て出発したのだが、途中汗まみれになり、海上で脱いだ。それ以後、寒い日もアウターの下はアンダーウエアだけで過ごした。

ウールは保温性、防臭性ともに優れている。一応、アンダーと靴下の替えを1組持って行ったが、結局1度も着替えず、ずっと同じものを着っぱなしだった。(靴下だけは寝る時に履き替えた)

足元:モンベルのメリノウールトレッキングソックスを履いて、日本野鳥の会の携帯用長靴を使用。初日、出発早々、長靴であることを忘れていて水が浸入。夜焚き火で乾かす。野鳥の会の長靴は海の上でも、陸上でもかなり快適に過ごせた。終盤、再び出発時に浸水したため、焚き火で乾かしていたら、熱で長靴の先が縮んでしまい、次の日から右足のつま先が痛くなった。ゴム製品を焚き火で乾かす時は注意が必要。

またネオプレンソックスとパドリングシューズも持って行っていたのだが、結局使用せず。どちらかに統一した方が荷物が少なくてよいかもしれない。

手:防寒用にパドルポギーを使用。この季節、風が吹く日は必需品。マメができやすい人は手袋の方がオススメ。

カッパ:漁師カッパを使用。雨の日はもちろん、PDFなどの装備をつけた状態でも着られるので停滞時や出発前に防寒のため着ておいて、出発前にさっと脱ぐ、などといった時にも使えて重宝した。重いが丈夫で役に立つ。

陸上用
上半身:パタゴニアメリノ3 + R2ジャケット + ナノパフジャケット。ニット帽。寒かったらさらにその上から漁師カッパ。
下半身:モンベルメリノM.W. + ユニクロの暖パン。寒かったらさらにその上から漁師カッパ。

防寒用(予備)にパタゴニアダウンセーター、モンベルクリマプラススウェットパンツ(就寝時、寒い時に使用)

足元:クロックス

その他主な装備
シュラフ モンベルU.L.スパイラルダウンハガー #3
マット サーマレスト Z Lite
デジカメ予備電池(2つ)、携帯予備電池(2つ)、ヘッドランプ予備電池(1組)

以下はスタッフ(男性1名)との共同装備。2人で分けてカヤックに積み込んだ。

ガソリンストーブ2つ、カセットコンロストーブ1つ(3つは多すぎた。1人ならば1つでいいくらい)

予備のガソリン500cc、予備のカセットコンロ1本。

携帯用折り畳みテーブル(30cm四方くらいのやつ)2つ(1つでよかった)

鍋類(アルミダッチオーブン(10inc)、アルミ鍋(中、大)、ザル(中)、ポット)
(アルミダッチオーブンは重いが、おいしい飯を炊くのに必需品。鍋(大)は差し入れの大タコを茹でる時にも役に立った)

焚き火台、網、火ばさみ(焚き火料理にはこの3点が必需品)

タープ(結局一度も使わなかった。大雨が降ったりしたら必要かもしれないが、カッパで何とかしのげば必要ないかも)

その他、まな板、包丁、カトラリー類、救急セット

食料類
水 12リットル(2リットルペットボトル6本)
(途中、岡村島で1本補充したが、最終的には余った)
米 1日2食として1.5kg
もち 0.5kg(かなり余った)
パスタ 300g(茹でるのに時間がかかるので昼に時間がある時のみ使用した)
棒らーめん 3食分(全て使用)
調味料各種(味噌は欠かせなかった。塩昆布、ゆかりはおにぎりなどを作る時に重宝した)
(横断隊中、差し入れなどもあり、最終的には少し余ったが、ちょうどいいくらいの量だった)
その他
野菜類&乾物類適当、カットトマトパック、果物(リンゴ、ミカン)、おやつ類(ミカンは旅の途中いくらでも手に入り、持っていった小豆島産ミカンは最後まで残った)、携帯食(ナッツ、干しブドウをミックスしたもの)、おやつ(クッキー、チョコ、飴など)

(反省点)
リペアキットの不備。今回何度かカヤックを修理しなければならない場面に遭遇した。修理の道具を持っている隊員がいたからよかったが、自分だけだったらどうしようもなかった。こういった長期遠征にはリペアキットは必需品。次回は必ず用意すること。
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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