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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 太田 翔


第十一次瀬戸内カヤック横断隊に参加して
小豆島ガイドツアーズ DREAM ISLAND 太田 翔

私が横断隊を知ったのは去年の11月、上司である連河が第十次の横断隊に参加したのがきっかけだった。7日間という限られた期間で、香川県から山口県の祝島まで漕ぐ瀬戸内カヤック横断隊。聞いただけでも半端ではないというのは想像できた。それも冬の瀬戸内海。テレビや雑誌で見るようなベタ凪ばかりの海ではない。横断隊から帰ってきた連河は一言、「人生観が変わるよ」と感想を残した。人生観を変えてしまうとは、いったいどんな世界なんだ。連河の感想を機に、私もその海を漕いでみたいと思った。

ここで簡単な自己紹介をしておくと、私は小豆島で生まれ、高校まで小豆島で育った。その後、大学進学を機に大阪に出てバンド活動に明け暮れていた。自主制作ではあるがCDもリリースし、全国33ヶ所のツアーも行った。しかし、精力的に活動していたものの、自分達の音楽では生活ができないことを痛感し、メンバーの脱退を機に音楽の道は諦めた。この頃から故郷の小豆島に帰ることを意識し始めた。そんな中たまたま見つけたDREAMISLANDのホームページに共感し、何か自分にもできることはないかと思い連絡をしたのがきっかけだった。会社は島の暮らしを伝えるガイドツアーと、島の食文化を伝える食堂(こまめ食堂)の二つの事業を主に行っている。その中で私は春から秋にかけてシーカヤックのツアーガイド、それ以外の期間は食堂で働いている。初年度は仕事を覚えることで精一杯だった。そして今年、自分の中で疑問が生まれた。小豆島近海しか漕いだことがない私に、瀬戸内海という世界は伝えられているのだろうか。また普段私が行っているナビゲーションやガイディングは本当に正しいのだろうか。また、業務としてはじめたカヤックであったが、もっと広い世界を見てみたい。もっとふるさと瀬戸内海のことを知りたい。そしてカヤックのことをもっと深く学んでみたいと思うようになった。そこで私は横断隊への参加を決意し直談判。快く承諾が降り、そこから私の横断隊がはじまった。ただし準備はぜんぶ自分ですることが条件として付け加えられた。

-10月-
旅の準備は現時点でどのくらいの距離を漕ぐことができるかの検証から始まった。普段のツアーでは、ツアーの内容にもよるが、漕いでも1日20キロそこそこだ。横断隊は1日50キロ以上漕ぐこともあると聞いていた。加えて学びを得たいのなら「一人で漕げ」とも常々言われていた。そこで小豆島一周(約130キロ)を一人で漕いでみることにした。3泊4日で回る航海計画書を提出し出発した。自由を得るためには責任を果たす必要がある。自分がだいたいどのへんにいるのかを予め周りの人に書面で伝えておくことも、海を旅する者の重要な任務であり責任だということをたたき込まれた。出発した当日は運悪く台風が接近していた。びびって2日目からペースをあげた。結果、その日は66キロを漕ぎ、2泊3日で完走してしまった。2日目は逆潮でかなりきつかったが、自信にもなった。ただ体力面では十分な距離を漕げることが検証できたが、様々な課題も見えてきた。まずウェアの面である。11月の横断隊では、防寒対策もしっかりと考えなければならない。長距離を漕ぐ横断隊では様々なナビゲーションの技術も必要となる。他にも修理道具や野営の面など、色々な課題が出てきた。そこで、横断隊士の方々の過去のレポートを参考にしたり、連河に装備品のアドバイスを受けたりしなが準備を進めた。結果的にギリギリまで準備に追われたがなんとか整えることができた。パッキング作業に不安が残っていたが、準備作業を通して実に多くのことを学ぶことができた。

-11月15日(前日)-
前々日の夕方。業務終了後、車にカヤックを積み込んで上関へと向かった。翌朝、平生町の浜田に着き、車内で仮眠をとった。昼前に起きると港前には数艇カヤックがあり、隊士の方々がパッキングをされていた。強面な方々が多く緊張したが、気さくに声をかけて頂き、早く一緒に漕ぎたいと楽しみになった。挨拶を済ませると、さっそく自艇のパッキングに取り掛かった。食料や食器など、よく取り出すものはフロントハッチに、テントやシュラフなど宿泊地で使うものはリアハッチに入れた。ここまでは計画通りだ。しかしパッキングは何度もシュミレーションしていたが、16リットルの水がどうしても入らない。悩んでいると、足元のスペースに入れるよう連河が助言してくれ、何とかパッキングが完了した。フル積載したカヤックは想像以上に重く、二人でやっとのこと浮かべることができた。漕ぎだすと、ズッシリした安定感に感動した。その昔、北前船は荷物を下ろした後に砂袋を積み安定を図ったと聞いたことがあったが、それはまさにこのことだと実感した。はじめて漕ぐ上関周辺の海域は、これが同じ瀬戸内海なのかと目を疑うほどの美しさであった。透明度が高く、藻場がびっしりと広がり、多くの魚影も確認できた。小豆島周辺の海域とは比較にならない豊かさに愕然とした。のんびりし過ぎて祝島には日没前ギリギリに到着した。漁港の隣にある砂浜に入ると、数十艇のカヤックが浜に上がっており、数人の隊士がパッキングを行っていた。祝島の集会所で親睦会があることを知らされ、すぐに集会所に向かった。集会所に入ると祝島住人の方や隊士の方々が勢ぞろいしており、すでに宴会は始まっていた。初参加の私はあまりの迫力になかなか馴染めずにいたが、祝島の方々の上関原発問題の話や、無駄に広がっている護岸工事の話、シーカヤックを生業とする私たちがお客様に伝えなければならないことなど、想像を絶する話が展開されていた。そこには祝島の人たちの島に対する愛情やプライド、ガイドとしての情熱など、海を愛する人達の熱い話を聞いた。その中でも印象に残ったのが原さんの言葉である。「海のことを一番知っているシーカヤックガイドが、ただお客さんに綺麗ですね、楽しかったねと言っている場合じゃない。今ある瀬戸内の現状をしっかり伝えて、一緒に考えていかないといけない。アウトドアとは環境のことで、それを伝えるのがガイドの仕事だ。」衝撃と同時に、小豆島で生まれ、ガイドとして働かせて頂いている中で、絶対に忘れてはいけない事だと思った。また小豆島の人たちは、自然や環境の事を何人の人が海からの視点で考えているのだろうか。祝島の人たちと小豆島で生まれた私。同じ瀬戸内にある島人ではあるが、故郷に対する思いは明らかに祝島の人たちの方が強いと感じた。そして同じ島人として恥ずかしくなった。その後、それぞれの自己紹介があり親睦会はお開きとなった。寝る時になっても、原さんの言葉や祝島の人たちの言葉が頭から離れず、どうしたらいいのか分からなかったが、明日から始まる横断隊で何か学んで小豆島に持って帰りたいと前向きな気持ちの中、眠りについた。

-11月16日 (初日)-
出発時間の2時間前に起床。パッキングに不安があった私は早々と飯をかき込み作業に取り掛かった。時間に余裕をみて準備していたはずだったが、結局ブリーフィングぎりぎりまでかかった。慌てて集合場所に行くと、昨晩、隊長から指名されたリーダーが、本日のルートや転流時間、天候、風向、風速の確認を行っていた。天候や風、潮汐時間等のデータは頭に入っていたが、転流時間を予測したルート取りはとても勉強になった。その後、隊列を組むことになった。一番先頭にリーダー、その後に1年生、2年生、ベテラン隊士と続いた。そして出発時間となる。天候は晴れ、風はほとんどなく朝日とともに最高のスタートを切った。初めての隊列は、慣れるまでは前後左右の間隔を意識しすぎて漕ぎにくかったが、慣れてくると隊列を組むことのメリットが次第にわかってきた。伝達事項を迅速に行えられることや、列の乱れから潮の影響を推測できること。また疲れてきた時に声を掛け合うことで隊全体のペースを維持できることなど、隊列は初めての経験だけに勉強になった。ゴール地点、片添ヶ浜着岸時のV字編隊は楽しい思い出になった。遊び心で行ったV字編隊はイワシの追い込み漁に成功したのだった。奇跡的な光景だった。キャンプ地では日没と同時にテントを張り、各々が食事をとり始めた。私はまだパッキングに自信がなかったため、簡単に食事を済ませるとすぐにハッチ内の整頓を行い、反省会に向かった。反省会では本日のルート取りについて良かった点悪かった点を話しあった。私は、海図と自分の位置を照らし合わせる事に精いっぱいで、自分のルート取りは全く描けず、もっと自覚をもって計画をしなければならないと思った。焚火を囲んでの反省会は、差し入れで頂いた獅子肉や鹿肉を酒のあてに深夜まで続いたが、私は明日のルート取りを考えるため、早めにテントに入った。一日を振り返る中で、田ノ浦で見た美しい海は印象深く「生きた海」を実感した。そしてこの海を守っていくためにも、もっと海のことや、それを取り囲む環境のこと、またエネルギー問題などについても勉強していかねばならないと思った。

-11月17日 (2日目)-
前日ハッチ内の整頓を行ったことで、パッキングスピードが改善され、ブリーフィングの時間までに少し余裕ができるようになった。段取り八分という言葉があるが、前日の準備や整頓はやはり大切だと実感。さて、2日目がはじまった。リーダーは楠隊士。天候は晴れ。午後から天候が崩れるということだった。午後からの悪天を考えると正午前後の転流時間を狙って怒和島水道を抜け、早目の海峡横断を考えなければならない。怒和島水道はかなりの潮流ポイントだと聞かされていたため緊張感が高まった。この日は諸島に渡るタイミングや、鹿島への海峡横断など、リーダーの判断に目から鱗だった。また、後方の隊士たちへの気配りや、休憩のタイミングは本当にナビゲーションの勉強にもなった。村上隊長の「鹿島に確か浜があったよ」にもかなり驚かされたが、鹿島での地元の方々のおもてなしにも感動した。また、鹿島休憩時に通過した前線の恐ろしさも感じた。あと5分着陸が遅かったら…と考えると今振り返ってもゾッとする。海峡横断の途中、西方からの雲を感じ、判断した鹿島上陸。まさに海気を読んでの航海だった。何か言葉では言い表せない第六感的なものを感じた。風が収まったところで隊は再び鹿島を離陸した。後半はコンディションに恵まれ、落ち着いた航海となったが、明日からの悪天候時の停滞場所や流木の多い浜を考え、倉橋島の亀ヶ首にて停泊となった。海況を見ることは勿論、停泊する浜の状況も考えなければならないことを学んだ。この頃になると、隊士とも次第に打ち解けてきて、先輩の吉村隊士には地元の錦川のことや瀬戸内に広がる護岸工事、ダム開発の問題も教えて頂いた。小豆島外のガイドとの交流は、私自身初めてだったのでとても刺激になった。また、自分のガイドとしての未熟さも痛感した。

-11月18日 (3日目)-
朝日とともにブリーフィング開始。リーダーは西原隊士。現時点でのコンディションは良いものの、風足が強くなっていく予報だった。予定では亀ヶ首出発後倉橋島東岸を迂回しながら進み、風の状況を見て下蒲刈島へ渡るというルート取りだった。ところが、亀ヶ首出発後下黒島周辺の海域を見ると、うねりや白波は特に無く、一気に渡れるのではないかとベテラン隊士達が話し始めた。私も今後の停滞を考えると距離を稼いでおくべきだと思った。そして村上隊長の「渡れるんじゃないの」をきっかけに隊は進路変更し、下黒島方面にバウを向けた。下蒲刈島への海峡横断はあっけなくできたものの、後半は予報通り風が強くなり、豊島北岸や大崎下島北岸では潮流と風がぶつかり、大きな三角波が立っていた。私はこんな時化た海を今まで漕いだことがなかったため、かなり恐かったが、フル荷重したカヤックの安定性にはとても驚かされた。また、この辺の島は護岸工事が進んでおり、上がれる浜がほとんどないことにも悲しくなった。その後、隊は中ノ島通過後、岡村島西岸を伝い、観音崎へ向かった。この頃には周辺の島々のおかげで風裏となり、大時化の恐怖からは解放された。観音崎に着いてから大崎下島の南側を見ると、うねりや白波で凄いことになっていた。当初南側を通るルート取りもあったが、北側を通った判断が、岡村島まで漕げたことの鍵となった。上陸後、海は大時化へと変わっていった。私は風でテントが飛ばされないようにカヤックにテントを括り付け、テントの中には水を四隅に置き対処した。予報では明日からもっと風は強くなると出ており、停滞の可能性も出てきた。私は飛ばされそうなテントの中眠りにつこうとしたが、反省会の時にベテラン隊士達がおっしゃっていた「ようやく横断隊らしくなってきた」という言葉にドキドキしてなかなか眠りにつくことができなかった。そして明日よりベテラン隊士の言う横断隊らしさ、冬の瀬戸内の洗礼をうけることになる。

-11月19日 (4日目)-
豪音と共に目を覚ます。時計の針は深夜3時を指していた。外に出てみるとここは瀬戸内か?と言わんばかりの荒波に目を疑った。予報通りの大時化となっていた。私がまず考えたのは、この目の前のサーフゾーンから果たして離陸ができるのかということだった。月明かりの中、セットの数を数えたり、一番安全であろう離陸ポイントをウロウロと探してみたが、今の私のスキルでは離陸すらできないと感じた。朝までに風が止むことを願い再び眠りについた。そして4日目の朝になる。昨日の願いもむなしく、風は更に強くなっていた。サーフゾーンからの離陸に不安を感じながらブリーフィングに行くと、皆険しい表情で海を眺めていた。リーダーの赤塚隊士は、しばらく海を眺めた後、「歩いて観音崎の岬に行き、とりあえず様子を見てみる」という判断を下した。観音崎の岬に上がってみると、南西は大時化、南東から東にかけてはまずまずといったところだった。また、肝心の観音崎南側の岸際は見ることができず、難しい判断となった。浜に帰ってくると、赤塚リーダーは隊を集め、ブリーフィングを始めた。そしてしばらく話し合った後、昼からの好天に賭け待機することになった。風待ちである。その後、隊一行はいつでも離陸できる状態をキープしつつも、各々の時間を過ごした。私は、連河と北周りのルートの確認をしようと、岡村島西岸を歩いて散策することにした。前夜の反省会でも話しに出たが、横断隊は限られた7日間をもがきながら進み、どうすればこの事態を打破できるかを常に考えなければならない。南回りが無理だったら北回りを考え、岬の裏の海況が分からなかったら岬に上り確認してくる。すべてを明らかにしてから対策を練る。この繰り返しだということを学んだ。様子を見に行った北側の海上は、観音崎南側に比べると多少落ち着いていたものの、時折吹く北西の突風が不気味だった。午後から複雑に入り組んだしまなみに突入するのは正直危険だと自分なりに判断した。浜に帰ってくると、本日2回目のブリーフィングが始まり、今後の予報の悪天を考えた結果、赤塚リーダーは停滞という判断を下した。進みたい気持ちと、隊全体の安全を考えた結果の難しい決断だったと思う。初めての停滞に残念な気持ちと、内心ホッとした感情の入り混じった複雑な気持ちになった。この日は海に出ることはなかったが、自然の驚異や横断隊のあり方など、いろいろなことを考えさせられた。

-11月20日 (5日目)-
昨日までの暴風に比べると、少しばかり風は落ち着いていた。相変わらず波打ち際では大きいセットが入ってきていたものの、所々離陸出来そうなポイントもあったため、絶対離陸したいと思う気持ちが強くなった。ブリーフィングでは、とにかくサーフゾーンをぬけるようにと説明を受けた。ベテラン隊士たちにサポートいただきながら、離陸が始まった。私は緊張しながらも他のベテラン隊士の離陸を見たり、大きなセットの数を数えたりと、試行錯誤しながら離陸を試み、大波をかぶりながらもなんとか離陸することができた。しかし、離陸した喜びもつかの間、かなりの潮の速さに驚く。赤塚リーダーは「とにかく沖へ出ろ」と指示をしたが、一艇のカヤックが岸壁に吸い込まれて行くのが横目に見えた。よく見るとラダーが外れているようだった。連河隊士が既にサポートに向っていたが、波が大きくカヤックに近づくことができないでいた。その間にも2艇は流されていため、楠隊士が救援に向い沖へ出ることを指示。ようやく隊に合流した。その後、隊はうねりの中を進み、大下島、肥島を越えたところで西原隊士のラダー修理のため大三島へ上陸した。西原隊士のラダー修理は本橋隊士と連河隊士が行ったが、部品が完全に折れていたため修復は不可能な状況にあった。応急処置として艇本体にワイヤーをくくり付け、ペダルを固定させる方法で踏ん張りが効くように措置がなされた。しかし、その後も風が収まる気配は無く、しばし風待ちとなった。ほどなくして五福隊士が隊に合流。聞けばこの先も大時化とのこと。待っていても仕方がないと村上隊長、赤塚リーダー、楠隊士が五福隊士の車で偵察に向かった。小一時間ほどで帰ってきたが、車から降りてきたリーダー達の表情は硬かった。行けないことはないが、ここから先はしばらく停泊地が無いとのこと。相変わらず風は収まる気配がなく、停滞も余儀なしとの判断になった。この時点で小豆島行きは限りなく遠くなった。この日の反省会で、西原隊士から今後の横断隊をラダー無しでは行けそうにもないため離隊したいという話が出た。ラダー無しで漕ぐ案や、艇を乗り換える案などの意見が出たが、西原隊士は「自分の技量は自分が一番わかっている」と言い残し、離隊することを告げた。私はとても悲しかったが、今思えば西原隊士の言う通りである。自然には根性論や無茶は通用しない。その時の判断一つで命を落としてしまうことも勿論ある。横断隊はあくまでも学びの場である。命と完漕を天秤にかけてはいけないのである。離脱の件も含めて今回のラダートラブルは様々な点で勉強になった。加えて補修キットもみ直す必要があると思った。今後は補修キットに加えラダーの部品やワイヤー及びそれに合わせた工具類等も常備しておく必要があると認識した。

-11月21日 (6日目)-
停滞した2日間の甲斐もあり、微風の中綺麗な朝日が顔を出した。一行も「行けるところまで行くぞ」と気合いが入っていた。リーダーは連河隊士。この日は、潮流や天候も味方し、前半は追い潮の中かなりの距離を漕ぎ進んだ。途中、鼻栗瀬戸や赤穗根島、岩城島、佐島を抜ける時、半端ではない潮流が予測され緊張していたが、転流時間にこの海域に入れた事や、隊列を細くしながら潮流ポイントを避けながら漕ぎ進んだことにより、難なくしまなみの海峡を抜けることができた。また、ところどころ反流を利用して漕いだことは、私自身初めての経験だったのでとても勉強になった。弓削島から横島への横断や阿伏兎観音から走島への横断はかなり距離があったが、2日間の停滞が爆発し、日の出から日没まで無我夢中で漕いだ1日だった。加えて、走り島への横断途中、瀬戸内海の転流時間に見事突入でき、逆潮から追い潮に変わったことも長距離を漕ぎ切れた鍵となった。走島に着いた後、もしかしたら小豆島まで行けるのではないかと希望も生まれ、隊全体の顔にも笑顔が広がった。そして反省会となる。最終日のリーダーは、ムードメーカーの碇隊士が手をあげた。碇隊士は小豆島まで完行く方法を説明し始めた。一つ目は、日の出の前に離陸し、離陸の際のロスをなくす事。二つ目は、1時間に1回行っていた休憩回数を減らすこと。三つ目は、個人でのトイレ休憩はできるだけ避け、1回の休憩で全員がトイレを済ませるようにすること。四つ目は、1時間の昼食休憩を30分にし、場合によっては行動食にて昼食を済ますこと。そして五つ目は、日没してからの残った明るさで1時間を漕ぐかもしれないこと。というかなりストイックな内容だった。確かにこの方法だと、小豆島までは漕ぎ切ることは可能かもしれない。私もこの方法ならば行けると意気込んだ。なにより碇隊士の「太田君、絶対小豆島まで帰ろうね。」の言葉に励まされた。差し入れで頂いたボジョレヌーボの力もあり、反省会は盛り上がりをみせた。しかしそんな中、ベテラン隊士の植村隊士と五福隊士が声を上げた。この方法では自分たちの体調や体力を考えると隊全体に迷惑をかけてしまうため、本日で離隊したいとのことだった。私はいきなりの離隊表明に驚いた。碇隊士も説得を試みたが、離隊をとめることはできなかった。しかしこうした一件で、隊で行動する場合は、全員の体調や体力も常に視野に入れてる計画する必要があることを学んだ。

-11月22日 (最終日)-
前日の作戦通り、夜明け前からの離陸となった。お互いの顔がぼんやりとしか確認できない中、ヘッドライトとフラッシュライトを光らせ、離陸を試みた。干潮だったため遠浅の干潟を抜けるのに多少タイムロスはあったものの、無事隊一行は離陸することができた。離陸時に植村隊士が送った無事を祈るエールに感動しつつ、隊一行は走島を離れた。私は植村隊士と五福隊士の思いを「絶対に小豆島まで持ち帰ってみせる」と更に意気込んだ。隊列の最大効果を発揮できるようフォーメーションが組み直されて出発した。暗がりの中、逆潮を感じながらもじわじわと隊一行は最短距離の大飛島南端を目指した。大飛島付近に来ると隊の意気込みとは裏腹に、うねりはどんどんと大きくなっていき、バウ先が右往左往するようになった。どんどん大きくなっていくうねりに恐怖を感じたが、先に進みたいと思う気持ちで漕ぎ進んだ。佐柳島付近に入る頃、うねりや風は相当なものになっていた。パドルを止めたり、気を抜くと、簡単にひっくりかえってしまうという状態だった。それに加え、早朝の出発と休憩時間短縮の疲労は、隊の冷静さをどんどん奪っていった。上陸休憩を求める隊士、このまま漕ぎ続けて正午までに瀬戸大橋越えを思う隊士。それぞれの思いが錯綜する中、隊はバラバラになっているように感じた。私も疲労感はあったものの、遠くに見える瀬戸大橋に思いを馳せて漕いだ。広島を越えようとした時、後方のベテラン隊士から「ハンガーノックを起こしている隊士がいる。上陸休憩をするべきだ」と怒号が飛んだ。振り返ると、長時間のパドリングに疲れ切った隊士や極度の緊張からか手が震えている隊士など、隊はかなりの緊張状態となっていた。どう考えてもこのまま継続して漕ぐことは不可能だった。近くの浜に上陸しブリーフィングとなった。私ももう一度海図を見直し、小豆島までの距離を割り出した。残距離約40キロ、日没まで4時間。時速6キロで漕ぎ続けたとしても、約24キロしか漕げない。午後からは転流し追い潮に変わることを加えても40キロを漕ぐことは現実的に不可能だった。この事実を知った瞬間、私は夢から覚めた。そして感情だけで漕いでいた自分に恐怖を感じた。また、不本意ながら、ここまで我を忘れさせ無我夢中にさせる横断隊とは、なんて刺激的で面白いアカデミーなのだと思った。冷静さを取り戻した隊はその後、目的地を小豆島から岡山県の渋川海岸に変更し、西風に吹かれながらも日没間際、無事渋川海岸へと着陸した。渋川海岸到着時には、内田さんが出迎えてくれた。初めてお会いするにもかかわらず「よくやった」と暖かい言葉をかけて頂いた。私は7日間の思いが込み上げ、思わず涙してしまった。こうして私の初めての瀬戸内カヤック横断隊は終了した。小豆島へは到達できなかったもの、本当に多くの事を学ばせて頂いた。翌日、内田さんの海旅塾へ参加するため小豆島まで漕いで帰った。海旅塾の中で内田さんは「海は道場である」とおっしゃっていたが、この言葉は本当にぴったりだなと思った。また、世界一広い道場を持っているカヤッカーは幸せもんだ。ともおっしゃっていたが、世界一広い道場の中にある島で生まれ、そこで学べていることに幸せを感じつつも、いつもあたりまえに見ていた海が道場かと思うと、なんだか嬉しくなった。今回の旅を通じて瀬戸内海の魅力や素晴らしさに改めて気がつくことができた。最後になりますが、村上隊長はじめ、横断隊士の皆様、そして方々で歓迎していただいたサポーターの皆様方へ心より感謝の意を申し上げます。どうもありがとうございました。

太田翔





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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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