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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 連河 健仁

第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート
小豆島ガイドツアーズDREAM ISLAND 連河健仁

今回が2回目となる横断隊。天候に翻弄された今年はゴールに辿り着くことはできなかったが、「完走できない時の方が横断隊らしいのだ」という諸先輩たちの言葉通り、実に深い「学び」が詰め込まれた7日間であった。中でも最終日の出来事は一つの教訓となる貴重な経験となった。これについては後で記すとして、一日一日にギッシリとした思い出が詰まっているため、全ては書ききれない。そこで今回は初めてのリーダー体験記を中心に、印象に残ったことや、旅を通して学んだこと。また、横断隊に参加することの意義や、自信のこれからの課題などについても書き添えてみたい。尚、漕ぐことは自分と向かい合うこと。それと同様、書くこともまた自分と向かい合うこと。というのが趣旨でもあるから、あくまで自らを振り返る上での記録として書いた。そのため横断隊とは直接関係の無い項もあるが、その点はあらかじめお許し頂きたい。

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1.リーダーとしまなみ海道 ~ 6日目のこと
2.諦めない ~ 最終日のこと
3.諦める ~ 旅を振り返って
4.空気を変える ~ リーダー論
5.ゴールする浜がない? ~ 横断隊番外編
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1.リーダーとしまなみ海道 ~ 6日目のこと
今回の横断隊ではリーダーをやってみる。というのが一つの目標であった。その目標は6日目に叶えられることになるが、なんとなく最終日の備讃瀬戸でやりたいな。などと安易な妄想をしていた僕にとっては驚きな展開であった。しかも、できるなら避けて通りたかった難所のしまなみ海道。5日目が終わった時点でもしかして次は俺か?と嫌な予感がしていたが見事大当たり。良くも悪しくも想像すると思いは実現してしまうから無駄な妄想は禁物だ。しかしながら、大人数を引き連れて行くリーダーはけっこうなプレッシャーだろうなと想像していたが、意外に不安よりワクワクした気持ちの方が強かった。その要因は約二日間に渡る停滞により、ゴールの小豆島が遠のいたことだ。残すところ約120キロ。無理を強いれば行けない距離ではないが、現実的に厳しい距離であった。つまり、繋いでゴールを目指す。という気概は既に抜けており、残り二日間は旅を楽しむための「おまけ」とでも言うような雰囲気がその場には漂っていたのであった。村上隊長はそうしたことを察してか、僕に「当たりくじ」を引かせてくれたのであろう。要するに「棚ぼた」だった。そこで僕はそうした期待を裏切るべく「開き直る」という作戦に出ることにした。「行けぬなら、おもいきり楽しんでみよう、横断隊。」である。人間はリラックスしている時の方が良い結果が出る。これは普段のツアーでも同じであるが、笑っている人ほどスピードが早く、緊張している人ほどスピードが伸びない。ならば、冬の瀬戸内海を思いきり楽しみながら、どこまで行けるか試してみたいと考えた。みんなを和ませたり、リラックスさせてあげることが、何よりリーダーの努めであろう。そうすれば予想外な結果がでるかもしれないと企んだのである。内心はまだ小豆島行きを諦めてはいなかった。できることなら「空気を変えてみたい」とも思った。その日の晩、碇隊士をはじめ二年生チームで作戦会議を行った。潮や風、ルートを検証しているうち、この潮ならもしかしたら行けるかもしれないという希望もわいた。諦めるにはまだ早い。行けるところまで行ってみようという話になった。
6日目の朝は予報通りの好天に恵まれた。潮流に対する不安は多少あったものの、隊長をはじめ前日の聞き取り調査で大まかな流れは把握することができた。そしてサブリーダーには頼りがいのある楠隊士。わからないことはぜんぶ聞けばいいやと開き直り準備完了。さて、体力を温存していた隊は安定したスピードを保ちながら進んで行った。船折瀬戸と鼻栗瀬戸と二つのルートがあったが、追い潮の最大効果を期待して鼻栗方面(瀬戸)に行くことにした。潮流がどういう動きをするのか。また潮に乗るとどういうことになるのか。加えて、どうせなら瀬戸の美しい風景を見てみたい。という思いに惹かれてしまった。潮流を背にした隊はぐいぐいと距離を伸ばした。海峡を縫うように進む横断隊。その姿は正に現代の水軍である。海峡に掛かる橋の上からは足を止めてこちらを眺めている人もいた。上空から見る隊はさぞかし海賊に見えたに違いない? 「俺たちワイルドだろ」と、一人しょうもないギャグを心の中で口ずさんだりもした。さて、時折、美しい風景に出逢った時には、わざとスピードを落として気分転換を図るようにも心がけた。カメラを後ろに向けると一様にとびっきりの笑顔を返してくれた。中には必要のない渾身のカヤックポーズを返してくれる隊士もいた。みんなも楽しそうだ。余裕があった。隊は一気にしまなみを抜け、海峡も難なくクリア。正午過ぎに本土側の横山海岸へと到着した。6時間漕いで約35キロ。平均時速は約6キロの計算だ。一時間の休憩を挟んで午後の部出発。海は比較的安定していた。鞆の浦方面へと向かうが、途中で舳先を走島へと向けた。備後灘の分水嶺が転流時間にさしかかるところであった。再び潮を捕まえればまだまだ進める。日没まで残り3時間。引き続き時速6キロで進めば18キロは進める計算だ。走島は射程距離内であった。分水嶺では転流した瞬間がパドルを通して伝わってきた。「あっ、今、変わった。」潮に乗ると途端にパドルが軽く感じるようになる。こうした感覚は長距離を漕ぐ横断隊ならではの上質な感覚である。旅も後半になると、こうした海からの些細な情報を肉体が「知覚」するようになってくる。「神経が研ぎ澄まされてくる」という感じであるが、それまでぼんやりとしていた「感覚」が、より具体的な「知覚」へと変化して行くところに、日常では体験することのできない横断隊ならではの深い学びがある。いや~人間のカラダてのは不思議だなぁ。本当はすごい能力があるのに、使ってない能力、眠っている能力がいっぱいあるんだろうなぁ。なんてことをぼんやり考えながら、お腹と頭の中が空っぽになったところでタイムアップ。走島にてキャンプとなった。リーダーの役割これにて終了。もっとも潮や天候に恵まれたことが幸いしたが、「一つ一つを楽しむ」という思いが、結果として距離に結び付いたという点で、まずまずの達成感であった。
[6日目:漕行時間約9時間、距離約54km、平均時速6km]
追記:今回、しまなみでは海図の代わりに海底地形図を試しに使用したが、潮の流れを直感的に把握する上でこれは非常に有効な情報源であると感じた。潮流は水深(海底の地形)に沿うように流れていたし、海底に岩礁がある部位では下から潮が沸き上がっていたりと、潮の動きは海底地形図のまんまであった。ちなみに昨年ユウジさんはこの下から沸き上がる潮のことを「イリュージョン」と称していたが、生き物のようなしまなみの潮流海道は、正に地球という生命体が持つ動的な躍動感と、静的な自然の美しさを全身で感じることのできる、美しきイリュージョンワールド(幻影的世界)であった。その美しさはただ単に「きれい」とかいう相対的ものではなく、誰もが無条件に感動する「絶対的な美」であり、そして未来に残していきたいと願う、「本能的な美しさ」のことである。こうした美しい風景を残していくためにも、また伝えていくためにも、漕ぎ続けるしかないのである。漕ぐことが社会に対するささやかな抵抗なのだ。

2.諦めない ~ 最終日のこと
天候に悩まされた今回の旅は迷いの連続であったが、特に印象深いのは最終日の出来事であった。僕から碇隊士にバトンタッチした最終日は波瀾の一日となった。前夜、漕行プランを巡って熱いバトルが繰り広げられた。状況を察して離脱を表名する隊士もおり、複雑な思いに駆られた。これについてはたぶんアルコールのせい?ということにしておくが、今思えばもう少し冷静な判断や議論が出来たのではないかと自身も反省点が残る。さて、いよいよ最終日。ゴールの小豆島までは距離にして約67キロ。平均6キロのスピードで漕いだと仮定して11時間超の行程。逆算して夜明け前に出廷。ギリギリまで漕ぐ計算であった。無理を強いる行程であるが、リーダーは熱かった。僕も行ってみたいと思った。しかし、距離を稼ぐためにあえて本流を狙うルートであったかと思うが、結果的にその狙いは裏目に出た。出廷直後、前日の予測とは裏腹に海上は波長の長いうねりを伴っていた。陽が上るに連れ、次第に風は強さを増していった。後ろから押して来るうねりは想像以上に強く、バランスを取ることにただならぬ集中力を要した。うねりは次第に強さを増していった。タイミングを間違えれば、沈。途中からは誰かが転覆しても不思議ではない危険な状況であった。気がつくと隊は本流に飲まれていた。しかし、緊張状態の中で進路を変える余裕はなく、前に進むしか方法はないと思われた。結局4時間ほど漕いだところでようやく上陸ポイントが見えてきた。風裏に周り小休憩の後、次は進路をやや北寄りに修正しながら進んだ。本流を交わした後は幾分緩やかな海となった。結果論ではあるが、この時、本流を狙った最短ルートは失敗だったということに気がついた。「急がば回れ」方式で島伝いの迂回ルートを辿った方が、肉体的にも精神的にも疲れは少なかったのではないかと想像した。無論、本流を行ったからこそ学べたことであり、失敗を通して学べたことであるから、それは成功でも失敗でもなく、価値ある経験である。問題はそこではなく、断続的な緊張状態により、疲れが抜けきらなかったことだ。単調なパドリングが続くようになると、次は疲労感やイライラを感じるようになった。リーダーも後ろをあまり振り向かなくなっていた。だいぶ疲れているんだろうな。焦りが見えた。広島を通過し、向島への海峡横断を試みようとした時であった。後方の先輩隊士からけたたましい怒号が響いた。隊の疲れはピークに達していた。その時、僕はこう思った。誰が悪いのではない。全ての原因は「諦めない」という思いが平常心や冷静な判断力を奪ったのだと。急遽上陸しランチタイムとなった。協議の結果、小豆島行きは諦めることになった。それまでの緊張感が一気に緩み、みんなの顔にはいつもの穏やかな表情が戻った。体力が再び回復した隊は順調に瀬戸大橋を越え、そして最高のフィナーレを迎えることとなった。7日間の旅が終わった。
[7日目:漕行時間約10時間、距離約47km、平均時速5km]

3.諦める ~ 旅を振り返って
さて、今回の旅を振り返る中で、ゴール地点で出迎えてくれた内田さんから、教訓となるような話を教えて頂いたので記しておくことにしよう。それは「諦める」ことが肝心なのだ。という話(考え方)であった。この話はかなり衝撃的であった。なぜなら、これまで「諦める」とはネガティブな言葉だと思っていたからだ。どういうことですかと聞くと「諦める」という本来の意味は「物事を明らかにする」という意味なのだと。つまり、諦める=物事を明らかにすることによって、次なる目標、辿るべき道や方向が見えてくるのだと。逆に考えると「迷う」ということは、今の状況を明らかにできてない状態。状況が分析できていない証拠だよねと。人は向かうべき方向がわからなくなると自暴自棄になり、刹那的に「仕方ないや」という本流に流されがちになる。今の日本の社会がそうであるように。でも、今の状況を明らかにすることで納得して次に向かう。という意味での「諦める」と、一般的に使われる刹那的な意味での「あきらめる」とは全く意味が違うんだとも。よく考えてみると「諦めない」から人間は迷いが生じるのである。よって、迷った時は諦める。すると、心が解放されて新しいアイデアがわいてくる。てことですねと。そうそう、俺なんかずっとそういう人生だよ。諦めの人生。常に諦めてるもんね。ガッハッハと内田さん・・・。多少自虐のようにも聞こえなくもないが、そこが内田さんのキャッチーなところである。とにかくさ、迷ったらスパッと諦めて次のことを考える。そういう柔軟性がないと海の上で死んじゃうよと・・・。「諦める」という作法を通じて道を切り開いてきた内田さんならではの教訓のような回答であった。
余談になるが、後日調べてみたら「諦める」は仏教用語で「真理を明らかにする」が語源だということを知った。「諦めない」というのは言い換えれば「欲」である。執着であり煩悩であるということだ。つまり「諦める」という作法は=執着をしない=欲を消す=無になる。という仏教の教えでもあったというわけだ。ところで、世界一の頭脳を持つインド人が発明した「無=ゼロ」という概念は非常に難しいものがあるが、こんなふうに考えるとわかりやすいのではないだろうか。例えばコップに水を注ごうと思っても、中がいっぱいだったら、それ以上は注ぐことはできない。それと同じように、自分がいっぱいいっぱいだと、新しいものを受け入ることができない。要するにチャンスを逃してしまうのである。よってチャンスを逃さないよう、いつも心の中を「無=空っぽ」にしておきなさいよ。要はそうした教えではないのかと。かく言う仏陀も山奥での過酷な苦行に嫌気がさし、里に下りてきた直後に悟りを開いたと言う。つまり諦めたのだ。諦めてほっとした次の瞬間 「あっ、そうか。」 と、あたりまえの大切なことに気がついたのである。話が迂曲してしまったが、今回の旅における最大の学びは「諦める」という言葉の意味をリアルな体験として学べたことにある。こうした体験は生きた学びとして自らの血肉となる。また、こうした普遍的な学びを得られるところに、日常では得ることのできな深い学びがあり、意義があるのだと思う。「諦めの作法」日本的に言えば「捨てる美学」ともいえようか。一を得れば一を失う。よって、何かを得るために、何かを捨てる。こうした因果の法則は利休に通じる「わびさび」の心得でもある。転じてシーカヤッキング(海旅)は目に見えるものを通して目に見えない自然や人情の機微に触れる旅でもあり、現代に生きる我々が失いかけた日本的な美意識や感性を取り戻すための旅だともいえる。と同時に「諦める=状況を正しく分析する」という行為は日常生活において、またはビジネスの現場においても重要な力となる。俗に言うPDCAサイクル[Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(点検評価)→ Act(処置改善)]という業務改善の掟にも通じるものであり、「時代を読む=今を分析し、少し先の未来を読む」というマーケティングにおいても必要不可欠な要素である。「諦める」それを一言で言うならサバイブする力。その核となる考え方であり作法なのである。

4.空気を変える ~ リーダー論

内田隊長に学ぶリーダーシップ
今回リーダーを勤めさせて頂く上で、僕が最も挑戦したかったこと。それは冒頭でも少し述べたが「空気を変える」ということであった。このことに興味を持ったのは、今から三年ほど前のこと。あるテレビ番組に出演していた小泉首相が語っていた以下のワンフレーズがきっかけだった。
「あのね、日本て国はね、実は空気で動いているんですよ。つまりね、時代を動かす鍵、大きな局面を打破する鍵は “空気を変えられるかどうか” そこにすべてがかかっているんですよ。」
話の内容は忘れてしまったが、「空気を変える」というフレーズだけが頭の中に残った。おもしろいこと言うなぁと感心した。しかし日常の騒音の中で、すっかりそんなことも忘れ去っていた。ところが昨年(2012年)の横断隊で僕はそのことを思い出した。「気づき」を得たのは情島への海峡横断直前のワンシーンであった。岬の出口に差し掛かった時である。我々の目に飛び込んできたものは、目を疑うような大時化の海峡であった。波頭が砕けて舞い上がる白い煙の渦。その形相は巨大な口を開けて我々を飲み込もうとする魔物のように見えた。ほぼ全員がここを渡るのは無理だろうとたじろぎ、一瞬足踏み状態となった。前進すればゴールまでの道が開けるが、諦めればゴールへの道は閉ざされる。一瞬の判断が命運を左右する、首の皮一枚で繋がれたような緊迫した場面であった。しかし内田隊長はその場の空気をたった一言でひっくり返してしまった。「行くしかねえんじゃないの」今でもそのシーンは脳裏に焼き付いているが、その瞬間、なんの疑いもなく、「あ、行けるんだ」と思った。そして全員の心が「行くしかない」というスイッチに切り替わってしまった。隊は一つの塊となって一気に海峡を渡りきった。沖は高低差が三メートルはあろうかという強いうねりであったが、不思議と不安はなかった。そこには「絶対に負けない」という強い信念と、「全員で渡りきる」という一体感があった。加えて心の中に祝島が近づいてくる映像がハッキリと見えたことが、なによりの原動力になった。あの時、絶妙の間で飛び出した内田隊長の言葉の裏側には、経験に裏打ちされた絶大なる信頼感や安心感があった。と同時に「自分が学ぶべきものがそこにある」ということに気づかされた瞬間でもあった。内田隊長は空気を変えた。そして風向きを変え、常識を塗り替えた。これが小泉さんが言っていた状況を打破するための鍵、「空気を変える」ということの実例となった。つまり「空気を変えられる人」それができる人が真のリーダーである。と悟ったのだ。無論、今の僕にはまだまだそうした力はない。けれども繰り返し挑戦し、経験を積み重ねる中でそうした力を身につけてみたいと思った。そして自分なりの方法論を確立したいとも思った。加えてそこへ辿りつくためにはどうしたらいいか。それが新たなる大きな目標になった。内田さんは海旅塾の中で「海は道場」と称したが、冬の海は我々にこの上ない豊かな素材と学びの機会を提供してくれる。時に困難を伴う場面もあるが、困難を乗り越えようとする情熱の中に「知恵」という知の恵みを得る。また今回の旅では「海気」という言葉が頻繁に使用されたが、五感を総動員して「気」を学び「感性」を養う命がけの遊びは他にはそう多くはないだろう。風まかせ、潮まかせの海旅は、正に道場であり、判断力を養うための道徳の時間でもある。修練を積み、願わくば、空気を変えられる人になりたい。

村上隊長に学ぶリーダーシップ
「は~い、もうちょっとがんばるとパラダイスが待ってるかもよ~」という気の抜けた言葉を今回の旅では何回聞いただろうか。行くとこ行くとこで、盛大な歓迎を受ける村上横断隊。それにしても村上隊長のネットワークの広さには驚くばかりであった。しかし、驚いたことはそれだけではない。村上隊長の頭の中にはブルーチャートには書いてない「ポイント潮流マップ」なるものがインストールされており、更には「困った時の浜どこマップ」加えて「疲れた時のパラダイスマップ」なるオプションプログラムまでもがセットアップされていた。これには心底に驚かされた。かのグーグル先生も知らない情報が満載である。プロ中のプロ。というよりはカヤック職人。更には温和な草食動物のようでいて、実は羊の皮を被った本物の水軍である。と僕の頭蓋は認識することとなった。それにしても瀬戸内各所の情報の蓄積がすごい!いったいどこでそんなこと覚えたんですかと訪ねると、「へーとねぇ、釣りしてて覚えた。」と、これまた想像を絶する気のない返事。僕はたちまち虜になってしまった。この人の「気の抜け具合」には人を和ませ、幸せにする優しいオーラがある。村上隊長はテレビ局のAD時代に覚えた癖だと言っていたが、場の空気を盛り上げたり、まとめたりすることに関しては業界仕込みとはいえ天才的である。時に場の空気をさりげなく盛り上げるディレクターであり、時に個々の力を最大限に引き出すコーディネーターでもあった。内田さんや原さんが強い光を放ち光合成を促す太陽のような存在であるなら、村上さんは優しい光を平等に照らす月のような存在だ。しかし、一見すると地味な存在のようにも思えるが、海も含めて地球上の全ての生物は月によって無意識にコントロールされている。つまり、いつの間にか転がされてしまっているというか、無意識下の潜在能力をさりげなく引き出してしまうのが村上流。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」とは山本五十六の言葉であるが、これを村上隊長に置き換えると「気をぬかせ、させてみせ、困ったところで、アドバイス。ほめて、ころがして、人を動かす。」という感じだろうか。七日間を通して絶えず自由な空気が流れていた第十一次横断隊。意見も活発に飛び交った。時に勢い余って収集付かない場面もあったが、背景には自由な空気感をつくり出していた村上隊長の存在があり、一人一人が真剣であったということでもある。もしくは真剣にならざるを得ない状況をつくり出すことで、さりげなく転がされていたのかもしれないが・・・。ともあれ村上横断隊には主体性を尊重する自由な空気が流れていた。僕も含めて危なっかしい場面も度々あっただろうが、ギリギリまで口を挟まず、見守ってくれた村上隊長にはほんと感謝であるし、懐の深さを感じてしまった。海も学びの宝庫であるが、人もまた学びの宝庫である。「漕ぐだけじゃないんだぜい」、「リーダーやんなきゃわかんねえ」という言葉の意味がようやくわかってきたような・・・。でも、いい気になってわかったような口をたたくと 「オメエさんよ。隊長もやんなきゃわかんねえんだよ」 などと末恐ろしい言葉が返ってきそうなのでこのへんで書くのをやめておく。

5.ゴールする浜がない? ~ 横断隊番外編
第十一次横断隊は初心に戻り小豆島がゴール地点となった。そこで小豆島担当としてゴール地点の場所探しを始めることになったが、こうしたところにも多くの学びや課題があったので最後に書き添えてみたい。選定条件としては以下の内容。
【最低条件】
1.満潮時に30艇程のカヤックを置いておける広さと奥行きのある浜があること。
2.テントスペースがあること。加えてカヤックを数日間置いておける安全な場所であること。
3.車両を一定時間駐車できる駐車スペースがあること。加えて近所の迷惑にならないこと。
【希望的条件】
1.非営利的(お金の関係ではない)な受け入れを行ってくれる地域、または場所であること。
2.地域の方々と交流が持てること。またはそういう場所や建物があること。
3.水場があること。
4.風呂が近くにあること。または借りられること。
まず、探し始めて改めてわかったことは、浜はあっても全ての条件を満たす場所は一つもないということであった。主にゴールに近い西側にポイントを絞って探しはじめたが、自由に出入りが許されるような浜はなかった。加えて地形的に島の西側は潮の流れが速いこともあり、浜の奥行きが狭く、満潮時に陸地が消滅してしまうような場所ばかり。海から上陸することだけを考えれば大きな浜はあるものの、そこは陸からアクセス出来ない崖の下。そうした中でいくつかの候補に絞るが、いずれも行政機関や民間企業の所有する場所であるから勝手には使えない。もちろん金銭を通せば解決できる問題なのであるが、なんとなくそれは違うのではないかとも。僕が求めたのは、祝島のように、地域と方々と末永くお付き合いができるような地域。まずはじめに歓迎してくれる人がいて、そして受け入れてくれる地域があること。それが理想だった。そこで簡単なチラシを制作し、めぼしい場所を歩いてみることにした。これをきっかけにして地域との関係づくりを育んでいけたらと考えたのだ。しかし、思うようにいかないのが世の常である。か・あ・や・っ・く?お・お・だ・ん・た・い? 知らない人に趣旨を説明するのは容易ではなかった。とはいえ、是非来て下さい。受け入れを歓迎してくれる方々にも巡り会うことができた。けれどもそこには浜はあっても大勢で上陸できるような浜はなかった。「昔は野球ができるような浜があったんやけどな。今はぜんぶコンクリートじゃ。もし浜がの残っていたら、ようさん(たくさん)人が遊びに来てくれたやろになぁ。取り返しのつかんことしてしもうたわ。」そう嘆いている人もいた。聞けば、三十年ほど前までは集落に接する海岸のほとんどが砂浜や磯場だったらしい。その頃は港まで浜を歩いて行くこともできたし、浜を歩く方が早かったとも。ところが沖合で砂の採取がはじまったあたりから、潮の流れが速くなり、浜は次第に痩せていった。そのうち波が打ち上がってくるようになり、やがてコンクリートによる護岸工事がはじまった。最近は貝も採れなくなり、星屑のようにキラキラと海を流れるイワシの群れも、いつの間にか姿を見せなくなった。等々・・・。地域の方々との会話にの中には考えさせられる内容も多かった。
さて、消去法で二つの候補地が残った。しかし最有力候補としていた行政管轄の場所に関しては「決裁者不在」という思わぬアクシデントにより迷走していたのであるが、職員の方々の配慮にて使用許可が下り、浜とカヤックを置いておく場所はどうにか確保することができた。加えて希望的条件としての風呂や打ち上げの場所等に関しては、場所は離れるものの、知人である旅館の女将さんから「歓迎すべきことね」とのご理解を頂き、多大なる配慮を頂くことになった。横断隊では各所で様々なおもてなしを受ける。中でも祝島での歓迎ぶりにはいつも特別なものがあるが、それらは内田隊長はじめ、原隊長、村上隊長他、日々の人知れぬ苦労や、地道な努力の積み重ねの上に咲く花だということを忘れてはならないし、こうした活動からもそのことを強く感じることができた。カヤックという新しい文化が地域に受け入れられるようになるためには、一方で「地道な土づくり」が必要不可欠である。また、そうしたことを念頭に置きつつ、地道な草の根活動を続けていかねばらないと切に思った。


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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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