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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 服部 隆彦

2014年3月8日
岡山 白石組
  服部 隆彦


まずは、応援と炊き出しをしてくださった皆様に元気をくださりありがとうございました。
横断隊参加のため沢山支援してくださった原田茂さん感謝しております。
私の突然の我がままに負けず、有給をくださった会社の皆さんありがとうございました。
最後に横断隊の参加者の皆さんに、7日間本当にお世話になりました、ありがとうございました。
レポートの書き方よくわからないので、七日間思っていた事を書いてみました。下記の通りです。

横断隊前日、仕事を終えて山口県の祝島に移動、使用するカヤックは先に原田さんや他の参加される皆さんのご協力ですでに祝島へ移動済みでしたので、22時ごろに島に到着するなり挨拶そこそこで、急いでカヤックに装備品を詰め込みました。小さな頃から行事の前日は興奮状態になり中々寝付けないので少しでも速く準備を終えて心を落ち着けて睡眠時間を確保するのが、前日の目標でしたので余り興奮状態にならない様に自分を制御しながら素早く翌日の準備をした様に思います。

横断隊初日、参加者の皆さんがまだ真っ暗な時間から起き始めました、私は「もうちょっと寝ようよ!」と思いながらも、寝ている場所が二度寝できる場所ではなかったので、「コノヤロ~」って感じで横断隊初日が始まりました。
前日、ほぼ準備は出来ていたので、一週間分の水を水道で汲んで、着替えを済ませれば、準備完了いつでも来いという感じにしたかったのですが、体調にかなり不安がありました。
この横断帯に参加するにあたって筋力が無い私が皆さんと7日間パドルを漕ぎ続けれるのか、不安で8月からほぼ週一回で、カヤックを漕ぐ練習をしていたのですが横断隊参加一ヶ月前より練習を始めると体調不良なのでしょう直ぐに船酔いしてしまい思うように漕げなくなっていました、そのためこの日は出廷するまで酔い止めの薬を飲むか・飲まないかで一人真剣に悩んでおりました。
小さな悩みのように思えるのですが、七日間の旅です、目標とする場所に着けば言い訳ではないのです。自分が納得できる様にこの時間を過ごさなければならない訳です。
まだ、漕いでも無いのに薬の力添えを頂かないと漕ぐ事が出来ない情けない人間なのか?それとも出艇後船酔いで漕げなくなり他の参加に迷惑を掛ける情けない人間になるのか?で心は揺れていました。出艇ギリギリまで手に酔い止めを握り締めていました。結局は自分を信じて後で後悔しない様に薬は飲まずに出艇しました。
初日の目標はとにかく初参加なので、1日の流れを知る事、皆さんのスピードについていく事でした。 
この日は、緊張しながらただ漕ぐ事に集中していた様に思います。
この日の宿泊地の浜についた時、正直に体を痛めなければ何とか7日間過ごせるなと思いました。
ただこの日の食事後に、体調不良のため女性の方が倒れてしまい救急で病院へ、体調管理が上手く出来なかったのかな?と感じて自分自身もいつどこで体調が崩れるのかと心配になりました。この日は体調の事も考え早めに就寝しました。

2日目
早朝より起床、この日の出艇時には、浜にテントが一個残っている事がとても寂しく感じられ、ちょっと胸がギュッとしながらも、自分のことを確りすることに集中しました。
この日の目標は前日と同じで皆さんのスピードについていくことでした。私には漕ぐ事しか出来ないので前日と同じ目標になっていたのでしょう?
二日目もまだ緊張していました、でも単純作業が似合う私なので何も考えずに漕いでいました、この日は隊がリーダーによってまとまっていた様に思ました。皆さん気持ちが引き締まっていました。この不陰気を壊さない様に俺は漕ぐぞと思って漕いでいたかな!?
2日目最後に浜についた時に、自分はこのまま無難に漕いでいては「七日間が無駄にただ過ぎてしまう」と思いがすごく湧いてきました。何か変化をもたらそうと予備で持ってきた壊れたアリュートパドルで三日目から漕ごうと考えました。漕ぎなれていないパドルなのでやはり不安を感じました、このパドルで皆さんのスピードに着いて行けるのか?壊れてるのに大丈夫なのか?と不安(心はワクワク)になりました。
とにかくパドルを使えるようにする事が大切だったので、色々考えて実行したのですが全て上手く行かず。結局、浜で拾ったゴミのキャップでパドルが上手く使えるようになって「プラスチックのキャップ万歳」とか言いながら喜んでいる時に、前日体調不良で離脱していた女性が海の方からカヤックを漕いでやってきました。
凄く嬉しかったです、彼女が戻ってきた事もなのですが、彼女の横断隊への思いが強く感じられて、強い思いを持って皆さんが参加していると感じることができてとっても嬉しかったです。

三日目
この日の目標は、パドルを変えても皆さんに迷惑を掛けないでした。
出艇時やはりパドルを変えることは不安でした、実際にスピードも落ちましたが、何とか迷惑を掛けないように漕いでいました。
この日ぐらいから心に余裕が出来たのか、漕ぎながら景色を楽しむことが出来る様になっていました。ところどころ波が大きい場所もあり、ちょっとドキドキしながらも楽しく漕いでいました。ただこの日の隊は前日よりもまとまりが無く、前日が良かっただけにちょっと残念に思っていました。
この日のリーダーは自分を必死に抑えながら皆と進むように努力していた様に思いました。
三日目が終わったときには、パドルを変えるだけではダメだ、「七日間が駄目になる」と前日と同じ様な思いがまた湧いてきましたが、何をすればよいのか何も思い浮かぶことなく就寝。

四日目
この日は朝から波が高く、風が強かったので予定時刻には出艇できませんでした、一時間半ぐらい自由時間を経て再集合、高台から海の様子を見るもやはり出艇できず、昼前に四日目の停滞が決定。とても心が苦しくなりました、「ここでのんびりする為に仕事を休んで来ている訳ではない」とか「停滞している位なら仕事をしていた方が自分の為になる」とか思っていました。本当に辛かったです。
フリータイムとの事で、皆さん浜で休んだり、隣の島まで食事に行ったりしていました。私は、この日も思いきり漕ぐつもりで朝ごはんをしっかり食べていたのもあり、このまま動かずにゆっくりしていると五日目に体調が崩れる恐れがあったので、食べたものを消化する為にランニングに出ました。
4時間弱のんびり走り浜に戻りましたが、もう皆さん帰ってきて夕食をとっていました。
この日は横断隊初参加の人に参加した理由とこれまでの感想を話すことになりました、ここで私の四日目の目標がやっと出来ました。
間違っていようとも自分が今心に思っていることを話そうと、無難に話をしても良いのですが、五日間も有休取って参加したてるのだから無傷では帰らないぞと思って、「出たとこ勝負」と言いながら思っていたことを話しました、やっぱり自分を出すと嫌われた感が否めなかったです。(自分に自信がないので、そんな感覚になるのですよ!)
でも、皆さんが意見を言っていただけたので間違っているところについては素早く修正が出来たので、年に一回出すか出さないかの自分を出してよかったと思いつつ就寝。

五日目
前日の停滞があったので今日は出艇したいという強い思いで、出艇準備をしました、この日も波は高かったのですがここで出ないと出艇できなくなるとの事で出艇が決定、とっても嬉しかったのですが、出艇後に一艇のラダーが故障し他の浜に上がる事になりました。その後、風が吹き出し、波が大きくなった為結局ほとんど進めず停滞決定で、心は前日同様苦しいものになりました。
前日のように運動する気にもなれなかったのですが、浜に流木が少なかったので、薪集めをするとで、気持ちを散らしていた様に思います。
ラダーが故障した方は、結局修理不能で自艇での参加を諦め、苦やしそうにしながらも艇を借りて参加続行という事になりましたが、相棒のカヤックと最後まで行きたいと言う気持ちは良く分るので本当に悔しいだろうと思いました、それでも諦めずに翌日も一緒に漕げることにホットしました。
また、5日目の晩から岩城さんと馬場さんの3人で分担していた食事当番の番となりましたが、この日の炊き出しがとっても美味しかったので、この二人は私の持ってきた食糧をほとんど食べません。この五日間、水と行動食以外は減っておらず艇の重さは初日とほぼ同じ、きっとこの2人の罠だと確信。
私に試練を与えて何をさせたいのかと考えながらこの日は就寝しました。


六日目。
食事当番なので、朝から食事を作りながら、今日こそは一日漕ぎたいと強く思っていました。
皆さんもきっと同じ様な思いだったと思います。約二日間の停滞で漕ぐことが出来る喜びを知った様な気がします。
前日ラダー故障でカヤック交換を行った方は結局借りたカヤックもラダーが故障していて、離脱することになりとても残念に感じました。
この日ぐらいから後方確認が出来る様になりました、隊の状態がある程度把握できる様になった事もあり、皆さんから目標とするゴールの小豆島まで行きたいと言う気持ちが強く感じられました。しまなみ海道の景色もとても綺麗で前日までが嘘のようでした、有り余った体力と膨れ上がった思いで隊が一つになっていました。
なもんで、みんなを小豆島まで連れて行ってあげたくなって、猛烈にナビゲーションが出来る様になりたいと思っていました。
そう思っているときに隣の馬場さんが声をかけてくるものだから、基本全部無視してやりました。(かわいそうな馬場さん!)
この日はとても良い感じで宿泊する浜に上陸したのですが、最終日の予定で離脱者が出てしまいました。それぞれ不安を抱えているので何とも言えませんし、経験もとてもある人だと思うので間違った判断では無いと思っていました、むしろ自分の事では無く皆の事を考えておられたのでこの人は凄い人だなと思ったりしていました。
それでもやっぱり離脱者が出るのは寂しい事でした。


最終日
朝食を作り、味はともかく食事当番が終了。最終日は日の出前に出艇、小豆島を目指して漕ぎ始めました、リーダーの強い気持ちが感じられるスタートでした。
私はこの日は、時間の許す限り目標の小豆島を目指して漕ぎ続けたいと思っていたので、小豆島を目指すリーダーにはそういう意味で感謝していました。
最終日の目標はただ漕ぐことです、何も考えずに行けるとこまで、ゴールはどこでもOKでとにかくギリギリまで諦めずに漕ぐ事が大切だと思っていました。
スタートしてから、ひたすら小豆島を目指すという感じで漕いでいたため時間が経つにつれ徐々に隊がバラバラになって行きました、第十一次横断隊にとっては確実にオーバーペースでどこかの段階でストップが掛かるのは確かでした。
ストップが掛った時、「なんじゃそれ!」って感じでした。横断隊らしいストップのかけ方なのかな?とか思いながらも特にストップが掛かったことを残念にも思わない私がそこにいました。
私がこの七日間の最終日に横断隊で残したいと思っていたのは約二日間の停滞の苦しい思いと六日目に私が感じた横断隊での一体感でした。ですので、最終日とても残念に思えたのは、目標をただ目指した為に隊がバラバラになったことで一体感を感じることが出来なかったことです。
休憩後、最終目的地が渋川になり、その浜に辿りついたとき私は何も嬉しくなかったし、充実感も無かったです、ただそこに立っていただけでした。
皆が突然握手を始めたのですが、私は戸惑っていました。嬉しくも無かったし充実感も無かったので、私にとってその時間はとても苦しい時間でした。
右往左往している時に横断隊解体宣下を聞いたので、「やったー」って感じで急いで逃走準備に入りました。とにかく3日目?4日目?から、自分が消えて行く様な感覚を非常に強く感じていて、毎晩寝袋の中で泣いていたのです、我慢にも限界と言う物があるので逃げました。心が弱い男なので許してください。
二日間の停滞で体力は余り気味だったので走ってやりました。
「俺、逃げてる」って言いながら笑いながら、走りながら、私の7日間が終了いたしました。

最後に成りますが、小豆島に行けなかったことは、とても残念な事でしたが目標は目標、辿りつけないのは何かが足りなかったからです。自分に何が足りなかったのかしっかり考えてまた次の一歩を出していきます。

以上





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2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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