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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 本橋 洋一

第十一次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告書 
本橋洋一

「内田正洋のいない瀬戸内カヤック横断隊」として、あがき続けた7日間だったように思います。それは原さんが隊長であっても村上さんが隊長であっても変わらぬテーマであり、大きな関門だったと思います。
そういう意味で今次の横断隊はその関門を乗り越え、これからの10年、50年先の横断隊の有り様を垣間見ることができた気がしました。それは参加した隊員同士が盛んに意見を交わし、戦わせ、それぞれがいろんな事を考えさせられる場を共有できたからです。そうした場の雰囲気作りをなし得たのは村上隊長ならではの持ち味だったと思います。
今次の横断隊が無事に終了できたのは村上隊長の手腕によるところが大きく、この場をお借りしてあらためて感謝と称賛をお送りしたいと思います。本当にお疲れさまでした!
今次も祝島の方々はじめ、本当に多くの皆さまからの暖かいご声援、ご支援、お酒、みかんを頂戴しました。本当にありがとうございます。また行きますので今後ともどうぞよろしくお願いいたします。鹿老渡島は次回も必ず上陸しましょう。


○サブリーダーをした日について。
吉村ケンジさんと漕いだ日。ケンジさんに泣き付かれてサブリーダーになりました。
田ノ浦の後、沖出しして直接周防大島を目指すのはどうかという村上隊長の意見を退け、安牌の岸沿いを行きました。あの時点では判断を下す材料が少な過ぎ、危険を冒すよりも安全に着実に隊を前に進めるほうが良いと考えましたが、あれこそが「海気を読む」ということなのだろうと思い返します。
僕には天気予報を鵜呑みにすることもできず、初日なのでみんなの漕ぎっぷりも良く分からない状況で、大胆な航路を選択することができませんでした。
結局その日は一日好天に恵まれ、昼過ぎから追潮に乗り距離を伸ばすことができました。
もし朝の判断で沖出ししていたら、おなじ周防大島の片添ヶ浜にもう少し早い時間に到着できていたかもしれないし、もしかしたらさらに先まで進めていたかもしれません。
思い返すとまだまだ未熟な自分を恥じる一件でした。

何度か岸寄りへルート修正して~、と後列からお声が掛かりましたが、そうですね、その通りです。はい。
ですが初めてリーダーを務めたケンジさんはどうしても最短距離だと思えてしまう岬から岬へと漕いでしまうもので、それをいちいち言うのは前回三澤さんにやって後悔したので、あえてあんまりうるさく言わないようにしていたのです。ご理解ください。

午後以降、僕はどこまで行けるのだろうかというのが段々分からなくなり、それでも上陸適地が沖家室島の対岸あたりしか知らなかったので、どうしようかなあと曖昧な気持ちで漕いでいました。疲労もあり倦怠感もあり、漫然と惰性で漕いでいたようにも思います。こういうのはいけませんね。もしかしたら何人かにはそういう雰囲気を読まれていたのではないでしょうか。あの午後のけだるい空気は、目的地もきちんと設定できていない先導者のせいだったかもしれません。

夜、昨夜もその前の晩も睡眠時間が短かった僕は、ミーティングが終わってすぐにテントへ潜りこみました。さあ今夜こそ早く寝れるぞとシュラフのジッパーを上げた後でした。
外がにわかに騒がしくなり、テントのフライ越しにミサちゃんが倒れたらしいよと話しているのが聞こえびっくりして飛び起きました。
幸い大事無く、多くの人たちの適切で迅速な対応ですぐに救急車も来て病院へと搬送されていきました。
その時は容体も原因も詳しくは分かりませんでしたが、初日から40kmオーバー漕いだのはやっぱりちょっと張り切り過ぎだったのかなあと考えながら、再びシュラフに包まったのでした。


西原さんと漕いだ日。今度は村上隊長からのご指名でした。
そしてまた朝一に思い出深い出来事が起こります。下蒲刈島への海峡横断です。
亀ヶ首を回り込み情島が見えてきた頃、空は晴れ青空ものぞき、風もなく海峡が穏やかなのを見て西原さんが下蒲刈島へ直接渡りたそうなオーラを出しているなあと感じたので、ここはサブリーダーとしてリーダーをお諫めして愚直に計画通りにするよう言わなきゃかなあと考えていたところにまたしても村上隊長から「渡っちゃおうよ」とご託宣をたまわりました。
それを聞いて西原さんの顔がぱあっと明るくなり、そして僕自身も本当のところは渡りたい気持ちがあったのでしょう、すぐさま心変わりしました。そして僕は後ろを振り返りみんなの顔も見えるだけ見渡しました。みんなやる気十分、いい顔をしていてなんだか海も空も明るくなったような気がしました。
「行きましょう」。
西原さんと意思の確認をし、みんなへも海峡横断を開始することを宣言しました。
渡り始めて一時間ほど経ったころから波風が上がり始めましたがペース良く漕いだおかげでさらに風が上がる前に海峡横断をし終えることができました。
下蒲刈島南岸の梶ヶ浜の堤防の中に入ってから来し方を振り返ると白波だらけの海峡が目に入り、ぞっとしたものです。
この判断も、もしあと30分遅かったら白波立つ海峡を追潮追風で漕ぎ抜けなければならず、大変な労力を強いただろうなあと想像できます。
そしてこの日、風は上がり続け、まだまだ難所が待ち受けていました。ここで体力を温存できたことはこの日の航程を漕ぎ切るのにとても大切だったと思います。

風についての議論も面白かったです。
午前中の時点では南西寄りの風でした。その後、海快晴アプリの予報では北西の風に変わるとのこと。しかし天気図を見る限りではどう考えても南西の風が優勢になる気圧配置だよなあと僕は考えていました。
ルート取りについて意見が分かれました。上蒲刈島の南岸を行くか、北岸を行くか。
ここでも結局村上隊長が北へ行こうと後押ししてくれたので、僕はほっとしながら強気で北ルートを取ることに大賛成できました。隊は島の北岸へ進みました。
この風の議論については、議論以前に海快晴の予報が今回の横断隊ではあまりアテにできないなと僕に教えてくれました。そして、現在の風の様子と天気図と地形から判断した南西風が優勢というのが大外れではなかったのもちょっとうれしかったです。
また、村上隊長が立てた、風や海の変化に合わせて連なる島々を北へ南へと南北に自在に漕ぎ抜けて行くこともできる、という作戦が僕の固定観念を打ち砕いてくれました。
すごい。最短距離を行くとか風裏を選ぶとか、そんなレベルではなくもっともっと自由自在に島々を縫うように漕ぎ進んでいくことができるじゃないかと、当たり前なことなのに今まで考えもしなかったルート取りを教えられ、これから先の航程が無限の選択肢に溢れてドキドキしました。
最短の航路は必ずしも最良の航程とはならない。手漕ぎ舟ならではの航法ではないでしょうか。

次の難所は上蒲刈島と豊島との海峡でした。
海峡南側から吹き出す風と、最大4ノットにも達する下げ潮流をどう判断し、豊島へたどり着くか。
西原さんも僕もほぼ直線的なルートを支持し、隊を誘導し始めました。西原さんの真意は分かりませんが、僕個人としてはいまだに南西の風が吹いている中で島の北岸から離れるのが怖かったのと、潮流が本当に速いのは海峡の核心部、水深の深い本流だけで他はほぼ南からの風と相殺されるか多少海峡に吸い込まれるかという程度だろうと判断したからです。吸い込まれるのならそれに気を配りながらちょっと北寄りに針路補正すればいいと思いました。
ここでも意見は真っ二つ、というよりも沖出しするルートを取るべきだと判断したメンバーが多かったように思います。
後列から海峡の方へ流されているよと指摘されましたが、僕の感覚ではまだまだ余裕のある流され具合だったと感じていました。ただ、横断先の目標物の指示が曖昧だったことは反省しています。
それでも潮がぶつかり波も大きくなっている沖へ出るよりも、流されながらも対岸へ短時間で渡りきるほうがマシだったと思っています。
この場で僕が声を荒げたのは、判断の相違は致し方ないとしても隊列が分断されつつあったことがとても危険だと感じたからです。言葉が選べずすみませんでした。

お昼休憩をした三角島の浜選びの時、西原さんがリーダーとして偵察へ行き、他のメンバーを待たせた時ですが、あれはもっと早く上陸させたほうがスムーズだったなと反省しています。
けして居心地のいい浜ではなかったですが全員が上陸できましたし、海上はいやらしいチョッピーな波が立ちカヤックの位置を維持するのも手間だったと思います。
けっこうああいう状況でひっくり返ったり、カヤック同士をぶつけてしまい壊したりしかねません。
ちょっとしたことですが、20艇にもなる船団を海上で待たせるというのはそれなりにリスクが高いんだなと考えさせられました。

そして午後。風はだいぶ西寄り変わってきたようでしたがこのまま島の北岸沿いを行くことにしました。理由は南岸にはまだ南寄りの風が吹いているかもしれませんし、おそらくうねりも残っているだろうと予想したからです。
この判断も、のちの海況を考えるともしかしたら、と考えないでもないですね。

さて、この日一番の難所となったのは大崎下島北岸でしょう。
正直なところ、なぜあそこであんな風に波が悪くなったのかよく理解できていません。海図の情報だけでは予想できませんでした。とにかくチョッピーな大きな三角波が発生し、隊は翻弄されました。
ちょうど整備された海水浴場のような浜の前で隊がちょっとスピードダウンしたと思います。理由がなんだったのか覚えていませんが、僕はそれがとても苛立たしく感じ、一刻も早く進みたいのにと思っているうちにみるみる波が悪くなり始めたように記憶しています。なぜあの時自分が焦っていたのかもよく覚えていませんが、波が悪くなり隊列が乱れ始めたのを見て僕はそれ見たことかと内心毒づき、そしてカヤック同士をぶつけない様に気を付けてと怒鳴りました。怒鳴ったおかげで少し落ち着きました。
落ち着いたのはいいですが、この波はけっこう厄介でした。白状すると三回くらい沈しそうになりました。情けない。
それでもなんとか隊を見渡そうと隊列の沖側に出て様子を見たりしましたが、木の葉のように右往左往しながらも少しずつしっかりと前進しているのを見てカッコいいなあと感心しました。いやあ、本当にカッコいいですよシーカヤックの船団は。
そんなこんなでトラブルもなく難所を抜けたわけですが、僕はもう疑心暗鬼です。
その後、大崎下島から岡村島へ渡るまで、ウソのような風裏となり潮もゆっくり流れて冗談みたいな凪でしたが、とても心安らかに漕ぐ気になれません。それが中途半端なペースとルート取りとなってしまいました。それは岡村島へ渡って最後の堤防を越える頃まで続けてしまったかなあと思います。

そしていよいよ上陸です。ぱっと見渡してみると浜に向かって右側、突堤のほうの波が小さそうに見えました。そして島の人たちへの配慮もありなるべく右のほうへ上陸しようという声が上がっていたので、では自分が一番左に上陸しようと考えました。先に上陸してみんなの上陸を手伝おうとしました。
が。しかし。ところが。
降りるタイミングは悪くなかった(はず)のですが、足を抜くのに手間取っているうちに次の波が来てしまいバランスを崩し、降り沈をしてしまいました。あー恥ずかしい。
しかも吉村ケンジさんの奥さんのシホちゃんにしっかり見られ、笑っていただけましたし。
そんなサブリーダーな二日間でした。

こうして書き起こしてみるとくどいことこの上ないですが、まあ本橋はこんなことを考えていたんだなあという参考にしてもらえればと思います。


○カヤックの故障、破損とその対処法、予防について。
船乗りは自分の船を修理できないといけない。これはパドルコーストのカヤックビルダーのおっちゃんの言です。そのおっちゃんはヨット職人でもあり、もちろんカヤックもヨットも操れる海の男です。
西原さんのラダー故障の一件は、僕自身にとっても他人事ではない出来事でした。僕のカヤックはスケグ仕様で、頻繁に砂が詰まってすぐに使えなくなりました。
また、手に入れてからほとんどメンテナンスを施していなかったのでスケグを出し入れするワイヤーも怪しげでしたし、コクピット右後ろのサードハッチの枠から浸水もしていました。
スケグの砂詰まりに対しては上陸出艇の際に気を付けることでだいたい防ぐことができます。また、上陸したら必ず出るかどうかのチェックもします。それでも数回、ほぼ毎日一回くらいは砂詰まりしていました。詰まった時は手で引っ張り出すか、それでも動かない時は100均で買ったステンレスの20cm定規を差し入れて砂や小砂利を取り除きました。
ワイヤーが劣化していて、出し入れするレバーの動きもシブかったので操作するときは無理な力が掛からないように注意しました。
スケグというパーツは構造がシンプルなため、比較的メンテナンスは簡単です。致命的に壊れてしまうことはなかなかないかもしれません。ラダーよりもカヤックを操る技術を求められる部分が多いと思われていますが、実際は操作しやすいカヤックにスケグが装備されている場合が多いのでそんなには大変ではないですし、波の中での効き目はスケグのほうがラダーより良いともいわれています。
そんな理由で僕はスケグ付きのカヤックが好きですね。
ハッチの浸水については事前に分かっていましたが、正直なところ予想していたよりも水が入ってきました。ただサードハッチは独立した荷室で容量も小さく、予想よりも浸水したとはいえ一日で200cc少々だったので荷物が濡れて不愉快だった以上の実害もありませんでした。

以上のことは、自分のカヤックだから把握できることです。人から借りるカヤックの場合、そうした細かい不具合、クセ、その他注意点などはなかなかすべて把握しきれません。
ですが横断隊ではカヤックに自分の命を乗せて漕ぎ進みます。命がけです。
少々苦言を呈しますと、皆さん、自分のカヤックの事はちゃんとチェックしましょう。それは借りたカヤックでも同じです。
僕は初めて横断隊に参加した時、事前に折り畳みカヤックを購入して持参しました。理由はカヤックをお借りできる当てがなかったのと、途中離脱する予定だったのでカヤックの回送のことを考えると他人様のリジットよりも自前のファルト(折り畳み式)の方が便利だろうと考えたのと、自分のカヤックであれば事前準備も対策もしやすいだろうと思ったからです。
自己責任、自己完結しやすいと思ったからです。

自艇で参加したいというこの思いはあるいは僕の自己満足かもしれません。でもそうした気持ちは船乗りとしてとても大切なことではないだろうかと思っています。
今、僕はFRP艇で参加し、車の回送のためにそれなりの時間とお金と労力を費やしていますが、その苦労も含めての横断隊だと思っています。
漕ぐだけではない瀬戸内カヤック横断隊の醍醐味ではないでしょうか。
自艇であれば普段からメンテナンスをし、借りた艇であれば大事に扱うのはもちろん、そのカヤックのクセや不具合点などを早めに把握し安全に航海できるように備える。これもシーマンシップだと僕は思います。
もしカヤックが海上で壊れた場合、部位や程度にもよりますが漕航不能になる場合も十分に考えられます。

事故は起こしてはならない。
このことが一番の鉄則であると、今一度僕自身に戒めたいことです。


○横断隊にとってのゴールとは?
停滞の決断と煩悶。それについて村上隊長や赤塚くんを差し置いて僕が語るまでもないですが、そんな中で印象に残ったことを書き残したいと思います。
三日目の朝。僕はテントの中からも聞こえていた波の音をこの目で確認したいという思いもあり、まだ暗いうちにおしっこしに起き出しました。
それからことあるごとに海とその手前に砕ける波打ち際を眺め、観察し続けました。初めのうちはこの波だとみんなの出艇を手助けしてあげないと難しいだろうから自分は最後に出なきゃだよなあ、この波で重積載したカヤックを一人で出艇できるかなあと考えていましたが、段々とその考えはちょっとおかしいんじゃないかと思い始めました。
それじゃあガイドツアーと同じじゃないか、と。
まるで僕がちょっと頑張って、みんなのためにと動き回れば横断隊を先へ進ませることができるんだと言っているようなものです。
なんという自惚れだろかとすごく恥ずかしくなってきました。

横断隊はそんなレベルではない。
個人プレーでどうにかできることなんて無いのだ。

そう思うようになってからは海と波の見方が変わり、僕の中では朝一の出発は難しいだろうなあという思いが強くなっていきました。
そうしてブリーフィング後にみんなで観音崎に登って波打ち際だけではなくその先の海の様子も観察したことで、みんなもすぐに出発する難しさを共有することができ、まずは9時まで様子を見ようということになりました。

それから結局お昼に停滞という決断が下されたわけですが、それは冷静に、しっかりと海見て、自分たちの力量を見極めていれば自ずと導き出される答えだったと思います。
この朝6時、9時、12時と3回に渡ってブリーフィングをしたというのが非常に有意義だったと思います。
おそらく赤塚くんも仕事だったら朝起きてすぐに停滞(日帰りツアーなら中止)と判断していたでしょう。それが僕らカヤックガイドの仕事だからです。
でも横断隊は違います。その日1日のうちで、漕ぎ進むことができるチャンスが来るか来ないか。それをぎりぎりまで、辛抱強く待つ。
このことについて後日ある同業者の人からなんで朝一に判断しなかったの?と聞かれたのですが、そここそが横断隊が学びの場であるという所以だなとつくづく思いました。
ゴールすることは目的じゃあないんですよ。

話は6日目の夜に飛びます。
連河さんのノリノリ先導のおかげで走島まで来れてしまった僕らは、明日一日無理をすれば小豆島にゴールできるかもしれないという一縷の希望をつなぐことができました。
そこにリーダーの名乗りをあげたのがまんさくさんでした。
まんさくさんの立てた計画は緻密で大胆なルート設定と、みんなの力量をぎりぎりまで引き出そうというものでした。
そしてミーティングでの激しい議論に発展します。
各議論の内容は酒の席での売り言葉に買い言葉的な部分もあり、少々冷静でなくなってしまった点もあったかと思いますが、みなさんのご意見はさておき僕個人としてはもう二日前くらいに小豆島ゴールを諦めてしまい、さてどこへ上陸したら回送が楽かなあとか、二日間も停滞したことで不安そうな表情を隠さない初めて参加したメンバーに対して偉そうに講釈を垂れたりしたことに対して激しく反省していました。
まんさくさんはなんてピュアなんだろうと。
そうだよね、できるところまで頑張ろうよという気持ちに素直になれました。

そして迎えた最終日。
夜明け前のブリーフィングと、充分に余裕のある出艇準備。
やっと東の空に茜色が射し始めた海に全員が浮かびました。

ですが、走島を離れてすぐに希望も計画も暗転しました。
風も波も味方していないぞ、と。
小休止もなく漕ぎ進んだ大飛島までの一時間半で、僕にはすでに小豆島ゴールは見えなくなりました。
そこから先は、いつリーダーが作戦を切り替えるのか、それをいつみんなに伝えるのかを待つ時間でした。しかしその時は来ませんでした。

すでに提出していらっしゃる皆さんの報告書を読んでいると面白いのですが、僕が広島から本島へ渡ろうとするまんさくさんを止めて、上陸して休憩とミーティングをしましょうと声を掛けたとき、人によってまったく違うとらえ方をしていたようですね。
後方から船団全体を見渡すことができる位置で漕いでいた僕からすると、あの状況はいつ誰がひっくり返ってもおかしくないところまで消耗し、疲弊していて、もし誰かがひっくり返ればそれは他の人にも伝播し、コロコロコロっと沈の連鎖が起こるだろうなと見受けられました。
それは後方で漕いでいた村上隊長はじめ数人のメンバー全員の意見、気持ちでした。
僕はまんさくさんに隊を止め、休ませ、話し合おうと伝えたのです。
それは伝言ではなく、直接近くまでいって伝えなければいけないことだと思ったからです。

ただここで僕は言葉を選べませんでした。岩野さっちゃんの名を挙げ、消耗しきっている、ハンガーノックの兆候かもしれないと言ってしまいました。
このことについて山本さんが真摯な気持ち(ただ翌朝、記憶がないと言っていましたが笑)を僕へ話してくれましたが、本当に失礼な、ひどい言葉だったと猛省しています。
岩野さん、ごめんなさい。

その後、瀬戸大橋手前で僕らの前に立ちはだかった大型船は、なにか象徴的だったように思います。
木の葉のような小舟ではいかんともし難いこと。どうにもできないもの。
それでも前へ進もうとする想い。

たしか20分近く待たされたように記憶していますが、あの待ち時間にみんなが何を考え、感じていたのか興味が尽きません。
僕はといえばそれはまったく邪魔な障害ではなく、ただそこにあり、そこを通り過ぎて行くモノであり、むしろ好感さえ覚える存在でした。
ああ、瀬戸内の海だなあ、と。
そうしてすっかり毒気を抜かれてしまいました。
渋川海岸までの漕ぎは疲労と惰性、そして感慨が溢れ、まるで心ここに在らずでした。
それじゃダメだ、気を引き締めなきゃと自覚はしていましたがね。

瀬戸内カヤック横断隊にはいろんな人たちが集まり、いろんな想いを持って参加していると思いますが、その中で、無事に家へ帰ることもとても大切なことではないでしょうか。
家に帰るとはつまり、日常へ戻るという意味でもあります。
非日常をどこまでトコトン遊び尽くすか、そして海から学び賜るか。
それが終わったらささっとお家へ帰る。
そんなスマートな遊びをこれからもしていきたいです。


○所感
サブリーダーはいいかも。
僕は今回リーダーのご指名はいただけずサブリーダーを2回仰せつかったのですが、その他の日もリーダー1人に先導させるのではなく、サブリーダーを付けていた日が多かったように記憶しています。
これはとってもいいことだと思いました。
1人で考えるのも確かに面白いし楽しいですが、やっぱりプレッシャー掛かりますよね?1人で背追い込んでしまいがちです。
でも2人いれば相談することができますし、独断、思い込みが減ると思います(無くなりはしませんね)。
リーダーとサブリーダーを組ませることで、もっともっと海の上でナビゲーションを話し合い考える機会が増えるのはもちろん、陸上でも様々なコミュニケーションをとることがしやすいのではないかなと感じました。
また、参加する人数が多い場合、リーダーが1人で先頭にいると、後列との連絡が取りにくいという問題がありますが、サブリーダーもいればどちらかがみんなをまとめて、もう一人が連絡係になる、みたいなこともできます。
ということで、リーダー&サブリーダー制に大賛成です。

僕の役回りは女房役?お母さん?
本橋はお母さんみたいだ、と内田さんにまで言われてしまいました。
祝島、そして田ノ浦のログハウスでお世話になっていた時も台所当番、掃除係になることが多かったですし、東北へボランティアに行った時もボランティアセンターのキッチン担当をずっとしていました。
けっして料理が上手いわけではないですが、早起きしたりキチンと洗ったり片付けたりするのは大好きです。
そんなことをしていると周りの人たちの様子も気になります。
直接言うことありますが、むしろ黙って僕がやってしまうことのほうが多いでしょう。
そうして暗黙のプレッシャーを掛けているようなのですが、そうなんですか?
そうしたことが家事のみならず随所に現れてしまっているようで、その辺がお母さんみたい、の所以なのかなと自己分析しています。
三十路も半ばを過ぎ四十の声が聞こえてくる年頃にもなると、なかなかキャラの変更は難しいと思いますので、まあ兎にも角にもこれからも皆さまどうぞよろしくお願いします。

国際化へ向けて???
今回、アンちゃんが参加したことでコミュニケーションの難しさを改めて考えさせられました。
僕の英語力が怪しいのは自覚していましたが、それだけではなく、とっさにパパッと伝言するという日本語なら当たり前にできることが、外国語だと時間が掛かるばかりか正確さまで損なってしまうことが多く、悩んだり放ったらかしたり(?) してしまいました。
はたして参加したのがアンちゃんではなくて、屈強なおっさんだったら同じように接していたかどうか、、、いやいや、そんな話じゃないですね。
語学力というのも大切ですが、それは日本語も同じで、相手に、みんなに何を伝えるか、どう伝えるかはとても大事なことだなあと思いました。
僕にとって今次の横断隊では、いろんな意味で「言葉」がポイントになっていたのかなと感じます。
言の葉をじょうずに、いい加減、いい塩梅に使いこなして横断隊の意義を後世に伝え広めていきたいですね。

最後になりますが、報告書の提出が遅くなりましたこと皆さまにお詫び申し上げます。
長文、あしからず。


文:本橋洋一
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瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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