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2013第十一次瀬戸内カヤック横断隊レポート 植村 泰久

第11次瀬戸内カヤック横断隊レポート

第10次瀬戸内カヤック横断隊まで隊長を務めていた内田さんが勇退した。
当初、原さんが隊長を務めることになっていたが、ちょっとした怪我でできなくなり
急遽、村上さんが第11次横断隊隊長をやることになった。
もちろん、村上さん以外で隊長の任に就く隊士はなく。当然の流れだと・・・・・
僕を含め全員が思ったに違いない、新生横断隊の幕開けの予感と期待があったと思う。
僕は今次で7度の連続参加になり、一つの区切りで60歳まで参加をすると有言していた。
しかし、夏の終わりごろから、左肘・左肩が痛く医者に行くと頸椎からくる神経痛と診断され、
痛みや痺れは2か月程で無くなると言われていたが、横断隊の直前には多少痛みがひいたもの、
まだパドルを引く時やリバースをすると痛みが走っていて、参加を迷っていた。
そんな中、原田さんがカヤックの引き取りで高松に、夜に酒を飲みながら話の中、
横断帯に行こうよと、後押しをしてくれた。新しい村上隊長の元で漕いでみたい・・・・
微力ながらサポートすることも動機と役割でもあり、参加をすることに決めた。
今次は初心に戻り原点回帰という大義の下で、祝島から小豆島までの海旅になった。

初日目から走島まで横断隊は期待にたがわず、若さ溢れる、新生横断隊であった思う。
厳しい海況・毎日・日替わり定食ようにトラブルやいろんな試練に会い、その都度、チームワークと海気を感じようとする気概で漕いでいた。楽しく旅をさせてもらった。
村上さん持って生まれた、癒しのキャラと言おうか、優しさ溢れる隊長の下で新生各隊士、
各リーダーとも伸び伸び力を出したように感じる。後列の老いぼれ隊士は初参加のアンを娘や孫を見守るように、つかず離れず漕いでいたし、前列の女子3人組はしなやかに旅を楽しんでいるように思えた。
かたや冒険塾男子組は力強く、真摯に海に向き合っている、後ろ姿が眩しかった。

走島の夜、焚火の回りでは、小豆島ゴールの希望をつないだ今日のカヤキングで安堵と希望が交錯して、差し入れのワインで祝杯を挙げており、仲間からの誘いもあったが、僕自身は明日のことを考えると、
あまりはしゃぐ気になれなかった。
8時の反省会までは1人で過ごそうと思い、マットに横になり、最終日は小豆島まで70kmの距離を漕がなければ小豆島には辿り着けない。明日の転流時間・コース取り等々をシュミレーションしていたが、その日の疲れもあり、ウトウトと寝入ってしまった。起きて大急ぎで食事をして反省会に参加した。

焚火を囲んでのミーテイング、今日のカヤッキング談義に花が咲き、みんな和気藹々と酒を飲んでいた。リーダーは沖縄のプロガイド、マンサク君が手を挙げて決まった。
彼から明日の行程について提案があり、議論が始まった、何人かはその提案に賛成して、やってやろうと強い意見を投げかけてきた。意見を言わなかった隊士もいたが、
ムードは全員小豆島を目指す。『行きたい』から『行かないといけない』と白熱し、
酒のせいもあり、熱狂の渦に巻き込まれたような気がする。
僕はリーダーの机上論的なプランを納得できずに、自分自身の体に問いかけ、僚友五さんことを思い、
目的地の変更も視野にいれ考え、離隊する決断をした。
『小豆島は無謀』『目的地を変更すべきだ』とはっきりと言葉にできなかったことに、後悔が残る。
あの熱い時間のなか、ゴール、小豆島に行くことが、独り歩きをし始めて、僕も冷静さ失っていた。
『諦める』の言葉を・・・・言えなかった。
そんな中、ベテランの原田さんが残ってくれたことはよかった。後で聞いた話だが、物静かな(笑)
あのSEA-Gから鬼のような形相で恫喝したそうだ。
今思えば、村上隊長には、サポートもできず、大人気ない言動に申し訳ないと思っている。

次の朝、小豆島組に航海安全のエールを送り、我々は回収の場所を鞆の浦の東に求め、漕いで行った。
西からの風が徐々に強くなり、東から潮と相まって、海況は悪くなっていった。彼らは大丈夫なのか?
転流に間に合ったのか?気にしながらの漕ぎ、そして上陸、我々の横断隊を終えた。
あえて付け加えるとすれば、五さんの持病が漕ぎ終わるまでに悪化しなかったことである。

レポート書きながら、第六次のB&Gでの内田隊長の言葉を思い出している。
『みんな今の状況がわかっているのか?全員意見を言ってみろ』と『行くべきだ』『北に進路を』『南に行くべきだ』いや『この厳しい状況の中、絶対海には出てはいけない』いろんな意見が強い口調で出た。
その時に経験の浅いおいらは行かないほうがよいと、小さな声で意見を言ったことを思い出した。

天気予報を聞いているラジオからラジオ体操の曲が流れ始め、みんな体操を始めた、
笑顔が戻り、冷静な判断ができたと思う。仲間一丸になり自分の役割をはたした気がする。
いろんなサポートを受けて、車で舟を上関まで運ぶ瀬戸内カヤック高速隊になった。

内田さんの口癖、ことを明らかにして、先に進む『いい加減』言葉がある。
横断隊に参加の初めのころは、その言葉を理解できずに『決めたことをちゃんとやろうよ』
『ええっ、ここで食事休憩』『なんで?どうして?』とイライラ・腹が立つこともあった。
けれど、回を重ねるうち、隊員としての自覚するほどに、同じ釜の飯を食うほどに、
『いい加減』の言葉は心底・・・理解できようになった。

願わくば、もっと内田さんと瀬戸内の海を旅してみたい、新しい隊士達もそう思っているに違いない!内田節をもっと聞いてもらいたいと・・・・夜の太田節も聞いてもらいたい・・・・・

生意気なこと言うが、カヤックは練習をすれば漕げるようになる、しかし、漕ぎ続けることは難しい、
横断隊士になること、リーダーになること、隊長になること容易く、難しい・・・・
それは、まさしく『人生』だと思う。

横断隊が終わり、高松の焼き鳥屋で五さんと酒をのみながら、過去の横断隊の話で大いに盛りあがり、
それぞれが横断隊に対する思い、未来を語りあった。
その時は、新生横断隊に未来、己の歳、己の身体のこと、内田さんの勇退、祐じいの不参加、クマさんの思い(トンネルヶ浜のくだりは永久に忘れないだろう)祝島の思い、サポートしてくれた皆さんの思い
いろんなことが駆け巡り、おいらの口から『そろそろ潮時』などとでてしまった。
『終わりの時期』を迎えたのではなく、『ちょうどいい時期』なのかもしれない。
数か月して、レポートを書いているが、時間が経つにつれ、その言葉が宙に浮いている。
内田さんのように10年連続・・・・またまた内田さんが『海気』と言って挑発している。
五さん最年長完漕記録・・・・今は『いい加減』で決めれば良いと思っている。

六日目の熱い夜も『学び』『気づき』の時間なのです。ましてや努力や経験は無駄にはならない!
マンサクの純粋な心意気ありがとう!横断隊士ありがとう!
村上隊長は内田DNAを引き継ぎ、新しく個性溢れる隊長の任を遂行したことは、誇らしく、
感謝しています。村上大将ありがとうございました。
新生横断隊士・中堅隊士達・赤塚君・楠君・本橋君・ゆうじい・クマさん・ビーテンさん・シーじい・
ハルさん・五さん・あっこさん・内田さん・祝島・島民の歓待・海に関わり、横断隊に関わり続けている、みんな・みんなに感謝です!

年に1度、瀬戸内に集う海賊・横断隊は誇らしく・・・祝島の原発反対デモでの涙・女木島の豚小屋での弱音・4日漕げば治るよ・出世魚のような呼び名・朝日・夕日・凪の海・荒れ狂う海・暴れくる風・
ウオーの叫び声・しりとり合戦・浜歌合戦・サンダーバード基地・おでんの差し入れ・特大アナゴ・
中島のミカンと隊長の怒り・数えきれない『感動』と、多くの『学び』と、惜しみない『賜り』
多くの友人に巡り合えた横断隊、一緒に漕いだ海、水面に漂う隊士の気は素晴らしく心地良いものです。

最後に、横断隊は決して冒険ではなく、完漕が目的ではなく、『海旅』なのです。『人生』なのです。
内田ボブが歌う横断隊歌『漕ぐだけさ』なのです。

漕々

最後の言訳・・・レポート提出が遅れて申し訳ありません。ご勘弁を!

植村泰久拝
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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