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2014第十二次瀬戸内カヤック横断隊レポート 井上 好司

第十二次瀬戸内カヤック横断隊レポート 井上 好司

【自己紹介】
今時の言葉で言えば「ブラック企業」と呼ばれるような企業の元サラリーマン。週に1日あるかないかの休みは頭も身体も休めたくてひたすらダラダラ過ごす日々だった。50歳でアーリーリタイアしてまず始めたのが坐禅。それからヨーガ、気功、自転車、ウォーキング。心と身体の大掃除がしたかった。
その後シーカヤックに出会う。もともと海も舟も好きだった事を思い出したようで、すぐカヤックにはまった。
所得を減らして自由な時間を得た。とは言え時間には限りがある。いろいろな分野に手を広げてもだんだん回らなくなり、シーカヤックとウォーキングから発展した登山の二つが今の僕の主な遊び(趣味)となっている。
大阪市内在住、低所得(現在アルバイト)での生活もそれなりに回り始めた。その為にはたとえば自家用車は持たず移動は自転車か公共交通機関を利用することになったりするが…

自艇を持ちたかったが車もないのに持っても運搬ができない、置き場所にも困るという理由でひたすら湯浅を始め各地のツアーに参加していた。
昨年秋にたまたま知人からポリ艇を譲りたいという話が持ち上がって、この機を逃すともう当分自艇には縁がないだろうと思い、艇庫となる湯浅で引き渡してもらった。
20数年前製のバリーのスカレー。ラダーなし(スケグ)、ハッチの積載容量が小さい、コーミングが極端に小さいなど欠点もいろいろあるが自主練するには充分使える。
湯浅湾内とは言えソロで海に出ると感覚器官が敏感になっていろいろ見え始める。みなさんが言う「海気を読む」には遠く及ばないが、その初歩段階での海の気を感じ始めている感覚がとても楽しい。
ソロで漕いでいて、途中の浜で或いは海上で誰かと会って一緒に漕ぎ始めることがあるが、そんな時途端に自分のセンサーが鈍くなっていることに気付く。ソロの時はそれだけアンテナを張っているし考えているという事だろう。

【三重苦】
今回生活装備に大きなミスを3つしてしまった。まさしく三重苦。

A、ヘッドライトの電池を忘れた。(気付いたのは1日目上陸後)
 ヘッドライトは2つ持っていて海であれ山であれ普段から2つとも持って行くようにしている。ところが1か月ほど前、うち一つが破損した為新しく一つ購入し、横断隊へはこの新品を持って行こうと思い消耗を避けるためわざわざ電池を抜いて保管していた。そのことをすっかり忘れてしまって横断隊準備のパッキングの際電池も新しいのが入っているからと点くかどうかのチェックもせず、しかも一つだけ持って行くことにしてしまった。完全なボーンヘッド。
例えばテントの中でヘッドライトを捜す時やヘッドライトの電池交換の時など非常用としていつも百均のLEDライト(多少暗い)を寝る時でも首からぶら下げるようにしているが、明かりはそれのみ。

B、スマホの充電ができない。(気付いたのは1日目上陸後)
 どうもiphoneは潮風に弱いらしく充電ケーブルとの接触部分がデリケートで不具合が生じてバッテリーから充電ができなくなってしまったようだ。海であれ山であれ天気図を見る習慣ができている。いつも一週間の天気図予想を見ているので何となく横断隊の一週間の天気の予想は立っているが、やはり天気図は毎日見たい。

C、ガスが使えない。(気付いたのはやはり1日目上陸後)
 ガスバーナーのカセットガス(家庭用のもの)との結合部が破損してはまらない。一週間前に自宅で半端に余っているカセットガスを使い切る為バーナーを使っている。問題なかった。たぶん当日暗い中の作業を強いられその際に破損させてしまったようだ。それとも海に山に手荒な使い方で5年以上使っている。寿命だったのかもしれない。でもこれには参った。夜は焚火でも調理可能だが朝昼をどうするか?行動食はたっぷり持ってきているが朝昼の残6日分には全く足りない。せいぜい3~4日分だろう。米を持ってきているが僕はガスでは何とか焚けるが焚火では失敗の率が高い。とりあえず夜は火を加えないと食べられない物だけを食べてそのままでも食べられるものは朝昼食に残すことにした。5日目になるか6日目なるか、食料がどうにも足りないのが明白になった時にはみんなに事情を説明して恵んでもらおう、それまではなんとか工夫してみようと思った。

AとBは3日目に解決した。スタッフの方に電池を買ってきてもらい、なぜかスマホは充電できるようになっていた。3日目から僕の夜は明るく、明日の天気図も見れるようになり、生活しやすくなった。

Cは解決はしていないまま。3日目の昼、伯方島で差し入れして頂いたぶっかけうどんには命が救われる思いがした。とにかく有難く貪るように食った。行動食が減らないのがうれしかった。

2日目以降どんな食生活だったかを簡単に、
朝は昨晩沸かしてテルモスに入れておいた湯を使ってインスタントみそ汁。出艇準備を終えたら余った時間に行動食。
出艇後は休憩時間ごとに小まめに量を抑えながら行動食。次の休憩にすべきことを予め漕ぎながら優先順位を付けていた。行動食を取る、水分補給、コックピットの水掻き出し、衣服調整、海況の悪い時は休憩時に地図読み、デッキバック内の整理整頓などなど。休憩が10分ある時はほぼすべてできたが、5分の時は優先順位に従ってこなす。休憩終了1分前には飴を2つ口に入れてフォーメーションに着く。
海の上ではいつも空腹を感じ、シャリバテの不安を抱きながら漕いでいた。夜は野菜・穀類・炭水化物をたっぷり食べた。
5日目くらいから感じ始めたが、シーカヤックの遠征ではこの程度の食事の量とパターンでもOK、パドリングのカロリー消費量は案外少ないんだなと思うようになった。そう思えると空腹感はあっても食料に関する不安はなくなった。
帰宅した時点で体重は1.5kg減。若干消費カロリーが上回った程度。一週間シャリバテの気配は全くなかった。
今回ブリーフィングの2時間前に起床するようにしたが時間は余った。これならコーヒータイムをたっぷり取っても1時間半前の起床で充分だと思う。

蛇足ながら行動食について標準装備か特別装備か議論になった日があったが、当然標準装備だと思う。しかもかなり重要な必携装備だ。また行動食とは別に非常食も重要。ただし非常食はハッチの中でも可かな?
今回非常食としてアルファ米とチキンラーメンを1袋づつ持ってきていた。非常食は本来何もなければそのまま持って帰るべきものだが、6日目もう食料の心配から解放された日に米粒に飢えてたようでアルファ米を舟の上で食べてしまった。

【7日間の漕ぎについて】
海の上では幸せな7日間だった。
毎朝出艇前には早く海に出たいと思っていた。1日目は若干オーバーペース、3日目の早朝はパドリングジャケットが暑くてペースが上がらず大介さんに心配をかけたが、ほぼそれ以外は自画自賛。
ほとんど潮流を意識しないでも漕げる海域しか漕いだことがない僕にとって、瀬戸内の海は新たなフィールド。話には聞いていたけど実際漕いでみて新しい発見がたくさんあった。
潮流の岸べたにはエディがあるとはもちろん知識として知ってはいたが漕いでみて初めて感覚が分かった。そのエディも岬の突端では小さくなる。
4日目島渡りの時のだし風、ほぼ真右からそして徐々に右斜め後ろからに変わっていく10m以上の風とその波。ラダーがあるので不安はなかったが自艇はスケグ、こんな状況の時方向が保てるか?しっかりスターンラダーを入れる余裕は持てないだろうなぁなどと考えつつ漕いでいた。
若干ビビりながらもこんなコンディションで漕げることが楽しかった。めったに機会はなかったが本橋さんの漕ぎが見える時は参考にしたくてじっくり見させてもらった。やはりスターンラダーをたくさん入れている。おそらくスケグは出していないか出てても1/3程度なんだろうなぁ。
自分が思っていたルートをリーダーが指示したらうれしいし、違う指示が出たら参考にする。その意図が分からなければリーダーかサブリーダーに教えてもらったりもした。一列目にいる特権だ。
干満、転流の時刻や日々の変化は予習の段階でイメージがつかめていたので潮待ちのタイミングや休憩の中途半端な時間も理解できた。
1日目の瀬戸大橋の手前では何が起こっているかは理解できてたけど、どう対処したらいいのかは分からない。3日目、伯方島の北側でのあがきは後で村上さんの解説を聞いてもまだ半分も分からなかった。
分からないこともあったし、きっとリーダーが見たり考えたり感じてたことの半分もできていないだろうけど、僕のセンサーも脳みそもフル回転していた。たくさん感じてたくさん考えることは楽しい。舟上でもっと感じ取ってもっと考えたい。

【衣服調整について】
一日の気温差が大きい日、雨風で寒い日、またパドリングジャケットやパンツを着慣れていないので衣服調整が難しかった。
基本、上はアクティブスキンにフラッドラッシュ。その上にカッパかパドリングジャケット。
下はフラッドラッシュタイツにカッパの下かパドリングパンツ。ネオプレーンのソックスを履くか裸足か。
昨年11月熊野を一週間漕いだときはパドリングジャケットやフラッドラッシュのようなウェアも持っていなかったので簡単だった。ラッシュガードにTシャツを重ね着してカッパの上下。泊地に上がると乾いた服にすぐ着替えて翌朝濡れたままの冷たいウェアをそのまま着て漕いでいた。身体はいつも冷えていて舟の上ではPボトルが大活躍した。
今回難しかったが、明らかな失敗は3日目早朝かな。パドリングジャケットを着た為暑くてペースが上がらなかった。

【祝島反省会】
祝島での反省会でUさんがIくんに言った件について、レポートに書くかどうか迷ったけど、さらっと書くことにする。
7日間漕ぎ切って緊張感が途切れたのかかなりボーッとしていたようで正直言って正確に覚えていない。途切れ途切れの記憶のつなぎ合わせだが…
10次以降、自立していない、舟は借りてくる、軽い気持ちで参加する者が多くなった。誘っている者は参加してないで、真面目に参加している者が面倒を見なければならなくなっている。横断隊はそんなもんじゃない。自立、自己完結が大前提だ。方向が変わってきつつある。そんなUさんの批判がIくんに一点集中したと記憶している。
元隊長から交代されて今後10年どんな方向に横断隊を進めるかは新隊長と中堅隊士の考えが尊重されるべきで1年生の意見するところではない。10次・11次のレポートには、いろいろのレベルの人いろいろな考えを持った人を受け入れるような意見もあれば、違和感を感じ危惧している意見もあったようにも思う。初心にこだわりたいという意見は今年の反省会にも聞かれた。
自立していない人を参加させるという事は隊全体にリスクが増える。そのリスクをだれがどう負担するか?プロの隊士が負担するのか?参加者全員でシェアするのか?または誰も負担しないであくまですべて本人に負担させるのか?
隊全体である程度共通の意識があってもいいように思う。元々あって共有されてた基準が初心者が参加するようになって不明瞭になっているのかも知れないが…

僕は山の会に所属しているが時に非会員をゲストとして迎えて山行することがある。その時の注意事項としてほとんど初心者である非会員のゲストに対して、我々はプロのガイドではない、この山行もツアーでもない、あくまでご自身の安全はご自身で確保して頂きたい、自己責任で参加して欲しい。という事を確認することにしている。4日目恋が浜、楠さん。
あっちゃー!いつも僕が言っていることを言われてしまった!穴があったら入りたい。なってこったー!たぶん僕に浮かれた部分があったんだろう。結局それが7日目夜のUさんの言につながったという事。

誤解があるといけないので付け加えるが、僕は平田さんに誘われていない。僕が横断隊参加の意思を表してからは、相談に乗ってもらったりアドバイスをもらってはいるが、甘い軽い誘いの言葉は一切なかった。
参加のきっかけは海旅塾であり内田さんだ。その後自艇を得てソロ漕ぎを繰り返しているうちに気持ちが高まった。そのきっかけを与えてくれた内田さんに、ソロ漕ぎや横断隊に関し僕の疑問質問に丁寧にアドバイスをくれた平田さんに、一度の面識もない僕に舟を貸してくれて運搬までして下さった原田さんに感謝している。

次回も参加したいと思っているが、この1年で完全に自己完結できる生活環境に変えることは難しいだろうなぁ。自家用車を持つことは考えられないし、ファルトを持つことは頭の片隅になくもないが、なかなかイメージできない。

【上関】
京都の北山に芦生の森と呼ばれる原生林がある。ブナや樹齢800年くらいの伏状台杉(俗称:芦生杉)が残っている美しい森だ。僕はこの森に身を置くのが好きでよく歩きに行く。僕のFacebookのカバー写真は芦生の野田畑湿原の風景だ。豪雪地帯で生きるには厳しかったのだろう、至る所に廃村がある。
この森について詳細は省くが、つい10数年前まで大飯高浜原発の夜間余剰電力を利用した水力発電(揚水ダム)の建設予定地であったそうだ。賛成派反対派の泥沼の戦いの果てこの計画は中断されているが、芦生の北側、福井県名田庄村の永谷という集落は結果的に廃村に追い込まれた。写真でしか見たことはないが、まだ生活感の残る廃村風景は悲しいものだ。
熊野にはカヤックを漕ぎに幾度か行っているが、芦浜というこれまた泣きたくなるくらいに美しい浜がある。中部電力の原発建設予定地。
特別に美しい海岸線に来たら原発の建物が現れるとは、シーカヤックで日本一周した人からよく聞く話だが、僕にとって芦浜はその典型的な例だ。ここも計画は中断されているようだが、悲しい歴史がきっとあるのだろう。
原発やダムが現存している場所の中には芦浜や芦生のように美しい所を壊した例がたくさんあるだろう。
 ダムや原発に限らず、神社合祀令、廃仏毀釈等、明治維新以降に、郷土の文化自然遺産を相当破壊して現在が作られたのかと考えると複雑な思いがする。
上関、田ノ浦、祝島も美しい海だった。
古代から美しい所には神が降臨するが、廃仏毀釈で仏を壊し、神社合祀で八百万の神々の御神木を切り倒した現代人は神を恐れる感覚を失った。しかし神への恐れは失くしても原発くらいは止められるはずだ。芦浜や芦生が残されたように田ノ浦の美しさは残されなければならないと強く思う。

【最後に】
祝島にゴール後Facebookに「みなさんに感謝します」と書いている。
僕がこんな殊勝な言葉を使うとは…
「ありがとうございます」と違って現在の「感謝」などと言う言葉は世渡り上手がうまく世間を泳いでいくために使う汚れちまった胡散臭いイメージがあって普段は使わない。日常生活に戻った今読み返すと気恥ずかしい限りだ。でもあの時は本当にそう思っていたのだと思う。
「みなさん」とは、7日間一緒に漕がせて頂いた隊士たち、サポート隊の方々、そして過去12年横断隊に関わったすべての方々。
みなさま、ありがとうございました。
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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