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2014第十二次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治 

第十二次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治

【はじめに】
 11月28日午前10時半、隊は田ノ浦でフォーメーションを整え、目前の最終目的地祝島に向かう。事前の海況情報ではかなりのうねりが予想されていたが、信じられないくらい海は穏やかだ。みんな心が逸るのか、自然とフォーメーションは崩れ、横一列に近い状態になる。私の頭の中では、小豆島を離陸してからのいろんな場面がフラッシュバックし、同時に「5回目にしてやっと来られた!」という感慨があふれた。初回と3回目は休暇がとれず途中離脱。2回目は豊島離陸後、大槌島で2日間の停滞を強いられ、上蒲刈島から「横断隊高速道路を行く」となった。そして、満を持して臨んだ4回目(去年)は、まさかの2艇連続のラダートラブルで途中離脱…。
 緑豊かな、聳え立つ台形の島影が迫ってきた。大きな包容力で、我々を抱きとめてくれるような感じさえする。しかしここで最後の波乱。突然風が強まり、追い波を伴う強いうねりが。「着陸の瞬間まで油断するな」と心を引き締める。突堤を回り込んで港内に入る。浜には出迎えの人たちが見える。
 「祝島に着くことが目的じゃない。途中の場面場面で海況を読み、判断し、決断する。その積み重ねが大事なんだ。」何度も聞いた内田前隊長の言葉は、頭では理解していても、心は強く祝島を欲していた。しかし今次の横断隊で、私はこの呪縛から解き放たれた気がする。来年以降の横断隊では、この「本当に大事なもの」に集中し、「シーカヤック・アカデミーの実践版」としての横断隊から、自分の能力の及ぶ限り少しずつでも学んで行きたいと願っている。
 次に、自分がリーダーを務めた横断隊初日についてレポートする。

【まさかの初日リーダー】
 事の発端はスタート前日、連河さんのリッチな差し入れを前にして、まさに宴会が始まろうとしていたとき、私が「明日の出発前のブリーフィングは何時からですか。それによって…」と言いかけたときだった。原隊長がすかさず「それじゃあ明日のリーダーは西原さんにやってもらおう」と宣言。「えーっ、自分はただブリーフィング開始が早ければ酒をセーブし、遅ければ心置きなく飲もうと思って聞いただけなのに。それに、このあたりの海域はよく分からないし。」
と一瞬私は思った。しかし11次横断隊のレポートに書いたように、リーダーを務めることは絶好の勉強の機会だと考え直し、自分の非力は脇において受諾した。そして当然ながら、翌日いくつかの失敗を犯すことになる。
 小豆島離陸当日。6時15分からのブリーフィングで、その日のコース「離陸地点(ヘルシービーチ)→豊島南端→直島・柏島の間→大槌島→瀬戸大橋(与島北側)」と、目的地をできれば手島、最低でも本島とすることを提案し、了承される。6時30分離陸。快晴・微風の絶好のコンディションで、豊島南端の礼田埼までは快調に進む。しかしここを過ぎたところで、この日最初のミス。自分としては直島・柏島の間を目指しているつもりだったのだが、どうもコンパスの方向がおかしい。海図で確認しようと思った瞬間、最後尾の村上隊士から「西原さん!どこ行くつもり?」との声が。実は、私の艇のバウは直島ではなく井島を指していたのだ。急いで針路を左に取る。その様子が、後日三澤隊士がアップした航跡図にはっきりと残っている。
 隊は本来のコースに戻り、直島・柏島間を目指して進む。やがて柏島が目前に迫って来た。ここで私はこの日最悪のミスを犯した。柏島の岸沿いに、ブイで囲まれた生簀のようなエリアがあった。そしてそのブイは、緩やかな流れの川に浮かべられたかのように波を切っていた。「流れがあるな」と感じた私は(隊から少し前に離れていたのだが)進路を右に、すなわち直島寄りに切ってブイを避けた。なぜそのとき流れがあること、ブイから離れるよう針路変更することを指示しなかったのか。それには「後続の隊士たちも容易に流れを認識し、回避措置を取ってくれるだろう」という安易な思い込みがあったと思う。しかし後続の隊士たちは、前方を他の艇に遮られて流れを目視できず、気がついたときにはブイが間近に迫っていた。そして1人の隊士がブイに乗り上げ、沈した。そのとき私はかなり前方、直島・柏島のちょうど中間あたりにいた(したがって前述したような沈に至る状況や、自分の怠慢がそれを引き起こしたという認識は、その時点ではなかった)。一瞬とって返そうかと思ったが、「レスキューするから、隊を最寄りの海岸に向かって誘導して!」という後方からの指示に従って、直島の海岸を目指した。直島に向かったのは柏島寄りの流れを避けるためと、生簀が柏島の西端までずっと続いていて、そのなかに入るのが躊躇われたからである。直島に近づくと、そこにもブイで囲まれた生簀のようなかなり広いエリアがあった。しかし、「最寄りの海岸」ということが強く頭にあった私は、かまわず隊をその中に誘導した(海図には海釣公園とあったが、釣り客はいなかった)。そこは流れもなく、後から来るであろう沈した隊士や、レスキューに関わった隊士たちを待つには適当な場所だと思われた。ところがその直後、海岸に設置されたスピーカーから大音量で、「直ちにブイの外に出てください!」と激しい追い立てを食ったのである。後から教えられたことであるが、その施設は以前不心得なカヤッカーから被害を受けたことがあるとのこと。なるほどね。
 やがて後続の隊士たちが合流。沈した隊士のダメージも軽そうだったので、一安心して大槌島に向かう。私は沈が発生したとき隊から少しはなれて前方にいたことを反省し、前に出ないようスローペースで漕いでいた。すると後方の村上隊士から、「こここは本線航路だから、もっと速く漕いで」との指示。確かに海図は、いま隊がいる場所が宇高航路であることを赤いベルトで表示してある。リーダーになるとハラハラ・ドキドキの連続だが、とにかく勉強になる。
 10時大槌島到着。私はここで上陸し、30分間の休憩を取ることを提案した。小豆島からここまで3時間半(休憩はあったものの)無上陸で漕ぎ続けてきたこと、ここから節目の瀬戸大橋まで10kmは上陸できる島がないこと、沈した隊士にとっても30分間の上陸休憩が精神的・身体的に有益だと考えたことなどがその理由である。しかしこれでよかったのか、トイレ休憩のみの短時間で島を離れた方がよかったのか、後で私は悩むことになる。
 10時半大槌島離陸。やがてぼんやり見えていた橋や主塔がはっきり見えてくる。目指す与島は、坂出から橋伝いに視線を右(本州寄り)に移していったとき最初に見えてくる島である。漕ぎ始めてから1時間あまり、左前方に与島がはっきり見え始めたころから「どうもおかしい」と思い始めた。なかなか橋が近づいてこないのである(ああ、何と自分は潮流に無頓着であったことか。帰宅後ネットで調べてみると、この日の坂出の満潮は11時14分、隊は下げ潮の真っ只中にあったのである。しかも大潮!)。水深が浅いのか、まるで潮目のように海面がざわついている。しかし、100mほど先の海面は波一つない。「ここさえ越えれば、橋はくぐれる」そう思ったとき、後方から「このまま進むのは無理だ。下げ潮流を避けて、与島の東岸を目指せ」(たぶん原隊長の声?)との指示が。「えーっ、もうあと少しなのに…」いまから思えば無謀にも、私は心底そう思ったのである。隊は急角度で左にコース変更(これも三澤航跡図に情けないほど歴然)。
 13時過ぎ、与島東岸の猫の額ほどの浜に、艇同士がくっ付かんばかりになって上陸。直ちにブリーフィング。次の転流は17時21分。それを待っていては、キャンプ地に着くころには真っ暗になってしまう。かといって、この向かい潮のなかを前進するのは無理。とりあえず昼食休憩をかねて、1時間半ほど潮待ちすることに決定。その後の昼飯の味気なかったこと!私は頭の中で、大槌島での上陸休憩の是非を自問自答していた。大槌島をパスしていたらこれほどの下げ潮に遭遇せず、今ごろは本島に着いていたかもしれない。いや、上陸しなかったら小豆島から瀬戸大橋まで延々20数km漕ぐことで体力を消耗し、これほどの下げ潮ではなかったかもしれないが乗り越えられず、結局ここで潮待ちすることになったんじゃないか…。いずれにしても、「自分の力不足のせいで横断隊の出鼻を挫いてしまった」という思いが拭えなかった。
 14時半、再度ブリーフィング。「下げ潮は多少弱まったものの依然強い。その影響を避けるために、与島の北岸に張り付くようにして瀬戸大橋の下をくぐる。橋の向こう側に出たらみんな集合し、以後のコースを決める。」14時50分与島離陸。すると、あっけないくらい簡単に瀬戸大橋を通過できたのである。3時間前の苦闘が嘘のようであった。これが「潮に逆らわない」「潮を味方につける」ということか。それ以後、キャンプ地である本島北端の快適なビーチに着くまでのことは、三澤隊士の航跡図を見ていただくだけで充分である。私は不埒にもリーダーであることを半ば忘れ、瀬戸大橋を越えられたことに安堵しながら、快適なパドリングを楽しんだのである。
 しかしその夜、焚き火を囲んでの反省会で、当然ながら私は多くの批判をいただいた。そのなかでも、「西原さんは、過去の経験から何も学んでいない」という指摘は、真を言い当てているだけに返す言葉がなかった。私はそう言ってくれた隊士を有り難く思う(本心です)。60過ぎのわがままな男に面と向かって意見してくれる年下の人間など、世間広しといえども横断隊を措いて他にはないからである。それだけでも横断隊に参加すること、そのなかでリーダーを務めることは価値があると、私は思う。
 次に横断隊そのものではなく、プロローグ(自宅(広島県東広島市)~小豆島)とエピローグ(祝島~自宅)についてレポートする。そのどちらもが、私にとってはとてもスリリングなものであって、レポートするに足るものだと思っている。ちなみに、私は他の隊士のプロローグとエピローグについても強い関心を持っているが、それらがレポートされることはまれである。だから、「そんなものは横断隊のレポートにとって、蛇足以外の何物でもない」と思われる方は、どうか以下の文章を無視してください。

【プロローグ】
 話は第10次横断隊にさかのぼる。そのとき隊のスタート地点である豊島まで自力で(すなわちカヤックを漕いで)行きたいと思った私は、まず地図上で離陸地点を物色した。その結果見つけたのが出崎海水浴場である。それは、豊島の東隣にある井島に向かって突き出た岬の先端近くにある。当時私が立てたプランは、次のようなものだった。まず離陸前日、車で艇と装備品を出崎海水浴場まで運ぶ。それらを目立たない場所に置き、自宅に戻る。翌日、新幹線・在来線を使って、最寄の駅である備前田井駅に向かう。田井駅からはタクシーまたは徒歩(約6km)。しかし、これらは机上のプランに終わった。私がぐずぐずしていて、現地の下見や豊島まで試漕することもないまま期日が迫ってきた。あせった私は、前年の第9次横断隊に引き続き福山の村上隊士に同行をお願いして、彼の車で艇と装備品を豊島のスタート地点まで運んでもらったのである。
 だから、第12次横断隊のスタート地点が小豆島のヘルシービーチと決定した時点で、以前頭の中だけで終わったプランを実行に移す決心をしたのである(このことには、前年の第11次横断隊(祝島→小豆島)で、上関町四代から祝島に1人で漕いで渡った経験が力になった)。まず、現地を下見しないことには始まらない。そこで11月に入ったある日、私は車で玉野市に向かった。4時間後に前述の岬の付け根に到着。広い県道から狭い道に入り、出崎海水浴場に向かおうとしたところ、なんとその道はゲートで塞がれ、そこには小さな看板が掛けてある。それには、「海水浴場は前年の4月に閉鎖した」、「ゲートから先は私道であるので進入を禁止する」、と書かれてある。「えーっ、それじゃあプランは最初から練り直し?」と、一瞬血の気が引いた。しかし落ち着いて周りを見回すと、ゲートの手前から海岸に向かって伸びる道がある。車1台がやっと通れる道を進み、小さい集落を抜けたその先には…、なんと100m以上も続く素晴らしいビーチが広がっていたのである。正面には豊島、その左遠方には小豆島が見渡せる。ビーチを散策して、カヤックや装備品を一晩置いておけそうな場所も見つけた。帰りには備前田井駅に寄って、周辺の様子を下見した。これで準備は万全。後は当日の好天を祈るのみ。
 そんな私に思わぬ助っ人が現れた。長男が、「その日は仕事が休みだから、自分が車を運転してあげる」と言うのである。それまで、当日身一つで離陸予定地に向かったはよいが、行ってみたら結構風波とも強かったという場合、進退窮まってしまうことが最大の不安だった。しかし、彼が私・カヤック・装備品を車に積んで行ってくれるのなら、現地に着いて漕ぐのが難しいと判断した場合は、すぐ宇野港に向かってもらえばよいのである。小豆島行きフェリーの運行会社には、事前にカヤックを手荷物で持ち込めること、料金は約3500円(「正確には現物を見ないことには」と言われた)であることを確認済みである。
 いよいよ小豆島に向かう日、長男の運転で離陸地点(玉野市沼)に正午前到着。風・天気ともにまずまずだが、ガスがかかり島影がはっきりしない。豊島がかろうじて霞んで見える程度で、小豆島は全く見えない。事前に下見して、島の位置関係を頭に叩き込んでおいてよかった。とはいえ、くっきり見えない島はより遠く感じる。挫けそうになる自分を叱咤して、13時25分離陸。豊島の北端、虻崎を目指す。井島を右に見るころから南東の向かい風が強まり、波も高く(1m?)なる。単独行で、しかも初めて漕ぐ海域のため、不安が高まる。しかし、次第にはっきり見えてくる豊島が頼りである。70分かかって虻崎に張り付く。一安心。あとは岸沿いに東進する。宮崎を回り込むと南に小豊島、東に小豆島が見えてくる。引き続き豊島の海岸沿いを南下。小豊島を左真横に見える位置から小豊島に渡る。ここで、小豊島の北を進むか南を進むか、しばし考えた。北を進めば南東からの風は避けられるが、その日の着陸地点ヘルシービーチの目印となる黒崎には遠回りとなる。南を進めば、その逆である。15時をかなり過ぎ、陽もだいぶ傾いてきた。私は南を選択した。小豊島の南西端を回ると、予想通り南東の強風がまともに吹きつけてきた。目前の小豆島との間の海域には、かなりの白波が見える。しかし、この海域の風・波はたとえ小豊島の北コースを取ったとしても、小豆島に渡るには越えねばならないハードルである。「さあ、あと一頑張り!」。かなりの時間漕いだ気がしたが、20分余りで小豆島の戸形崎に到達。これで着いたも同然。後は岸沿いに南下するだけである。黒崎が近づいてきた。これを回ればヘルシービーチは目と鼻の距離のはずだ。黒崎の先端目指して漕ぎ始めたとき、南東風の最後の攻撃を受けた。しかし、こちらも最後の頑張りで、しゃにむに漕ぎ進む。岬の先端を回った。前方に背の高い椰子の樹、その根元にコテージ、そして広々としたビーチ。そのビーチを数人の人が両手を振りながら駆け下りてくる。ザザーッと音がしてバウが砂浜に乗り上げた瞬間、私のプロローグは終わった。(着陸時刻16時15分、漕航距離18km)

【エピローグ】
 ゴロゴロッと鈍い音がして、祝島の玉砂利の浜にバウが乗り上げた瞬間から私のエピローグが始まった。浜では、艇から降りてきた隊士のみんなが握手やハグで、喜びを分かち合っている。もちろん私もその輪に加わったが、頭の片隅には、「どうやって本土まで戻るか、そこからどんな手段で自宅までたどり着くか、その間艇や装備品はどうしておくのか」という思いが渦巻いている。なにしろ完漕して祝島に着陸したのは、初めてなのだから。とりあえず、最小限の身の回り品を持って、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」が提供してくださった宿泊場所となる民家へと向かう。寝場所にシュラフをはじめ手荷物を置き、順番待ちをした上でお風呂を使わせでいただく。何よりのご馳走。夕方になると、島民の方々から心尽くしの山海の幸が届く。腕自慢の隊士たちが、それらを手際よく調理していく。私もほんの少し手伝う。陽が落ちてから大宴会が始まる。島に移住してきた若い人も加わり、大盛り上がり。私も酒盃を重ね気が大きくなり、「えーいままよ、なるようになる」と、翌日の不安を押さえつける。しかし、数分後には前述の思いが頭をもたげてくる。私は酔いに任せて原隊長に、「明日チャーター船が出て、艇ごと本土に渡してくれるということはないんですか?」と聞いた(今から思えば何たる愚問)。原さんはそれに「チャーター船は出ない」と明快に答える。腹は決まった、「漕いで帰るしかない!」。それ以後何も考えずに痛飲。周囲では、7日間のいろんな事柄について隊士たちが熱く議論している。本来なら酒を控え、それらに耳を傾けるべきなのに酒盃を持つ手は止まらず、やがて酔眼朦朧。誰よりも早く寝袋に潜りこみ、寝込んでしまう。こんなんだから「進歩がない」って言われるんだろうなぁ。分かっちゃいるんだけど…。
 翌朝、スマホで「海快晴」を見ていた隊士から、終日風が強いことを聞く。不安だがどうしようもない。9時ころ、島民の方があつあつの味噌汁と大釜で炊いたご飯を差し入れてくださる。「何はともあれ腹ごしらえ」と、みんなでほお張る。食後、原隊長にこれからの予定を聞くと、風が少しは弱まるであろう昼過ぎまで待って、10人余りの隊士とともに祝島を離陸し、鼻繰島を目指す。鼻繰島に近づいた時点で北方面の海況がよければ、長島の北側を漕いで自分のショップ「ダイドック」のある佐賀に向かう。しかし北方面の海況が厳しければ、長島の南岸を進み蒲井に着陸。陸揚げしたカヤックは、奥さんが運転する車でダイドックまで搬送する。その話を聞いて、私は迷わずそのグループに加えてもらうこと、そして翌日車で取りに行くまで、カヤックと装備品をダイドックに置かせてもらうことをお願いした。一方、ダイドックからは大阪に帰る井上隊士とタクシーを相乗りして、田布施駅に向かうことになった。駅まで来れば、後は電車とバスを乗り継いで、自宅までたどり着ける。
 こうして我が家への道筋はついたのだが、肝心の風が昼過ぎになっても一向に弱まらない。このうえ時間を空費できず、14時を期して祝島を離陸し、一路鼻繰島へ向かう。沖合いに出ると、覚悟していたとはいえ2m超(?)のうねりと強風に翻弄され、過去の「命からがら」体験(上蒲刈→斎島、日振島→福浦)が頭をよぎる。私はこんなとき、「一刻も早く安全地帯にたどり着きたい」との思いからハイペースになってしまう。鼻繰目指して懸命に漕いでいるうち、気がつくと周りに他の隊士の姿がない。しかし自分としては、長島の南北どちらのコースをとってもいいように鼻繰の北側を掠めて田ノ浦に近づき、波の穏やかな場所で後から来るメンバーを待つつもりだった。すると鼻繰の中ほどを漕いでいるとき、後方の隊士から「右に向かって漕げ」との指示が。そこで鼻繰の東端を過ぎたところで右に進路をとって長島の南向きに開けた入江を目指した。ほどなく右後方から漕いでくる多くのメンバーの姿が見えた。彼らはおそらく鼻繰のかなり手前で長島の南コースを取ることに決め、鼻繰の南側を漕いで、私の目指す同じ入江に、最短距離で向かっていたのであろう。やはりグループで漕ぐときには、「集団を1人離れてはだめ」なのは、理屈では分かる。だが…
 入江に全員集合し、ほっと一息つく。それにしても結構スリリングな漕航だった。コータロー隊士などは「7日間漕いだ、どのときよりも怖かった」とのこと。妙に納得する。しかしこれ以後、先刻とは打って変わった微風・凪のなか、横断隊の余韻を楽しむようにゆっくりとパドリング。終わってしまうのが惜しい気さえする。15時30分、蒲井漁港脇のビーチに着陸。これ以後は計画通りのコースをたどり、21時少し前に帰宅。私にとっての第12次カヤック瀬戸内横断隊は、ここに無事終了した。
【おわりに】
 第11次横断隊をラダートラブルで途中離脱したとき、「来年横断隊の季節がやってきたとき、果たして自分に“参加しよう”という意欲が湧いてくるだろうか」と思いながら帰途に着いた。しかし今、第13次横断隊を楽しみにしている自分に気づく。それがどこから来ているかは、「はじめに」に書いたとおりである。これからも(自分には仕事上の支障はないので)気力・体力の続く限り、できれば毎年参加できればと願っている。
 最後に、今次横断隊でも多くの隊士にご迷惑をかけました。特に、初日に沈したMakiyo隊士ごめんなさい。そして原隊長には一方ならないお世話になりました。誠にありがとうございました。
それでは、第13次横断隊での再会を楽しみにしながら……。
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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