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2014第十二次瀬戸内カヤック横断隊レポート 角田 浩太郎

第十二次瀬戸内カヤック横断隊レポート 角田 浩太郎

 自分が生まれ育った場所を舞台にこんなことをしているとは夢にも思わなかったので、このレポートを書きながら驚いている。3年前までカヤックという単語も知らなかったくらいだ。縁というのは興味深い。シーカヤックは、自分の視点を変えられる適切なメディア(媒体)として虜になった。そもそもアウトドアなんて趣味にした覚えもないし、小さい頃は風が吹けば泣くようなヘタレだった。瀬戸内海に生まれ育ったのだからもっと瀬戸内海のことを語れるようにならないといけない、という使命感もあり参加した。艇を手に入れたときは横断隊のことは知りもしなかった。

では、レポート本題へ。

【隊としての行動】

 横断隊ヒエラルキーの最下層と半ば冗談で言っていたが、実際はヒエラルキーどうのこうのより自分が気づいたことを率先してやる、の一言に尽きる。
楠さんが「隊長が動いたら終わり」という旨の発言をしていたが、それに同意する。
それに気づかず行動できない場合は学びの機会を逃していることになる。
個人の1週間という観点からすると、自発的に行動しなければならない場面で動けていなかったところも多い。初日のヤポネシア号のときなんかはもっと早く艇を出さないといけなかったが、自分が出せる状態になかったのは反省点だ。そして上陸後に隊長が魚を捌いている状況になっていたのはやらかした。
 こういうところを横断隊で学びに来た目的志向もあったのでユージさんを始め、言ってくださる人がいるのは有難い話だ。


【パッキングとゴミ】
 いくつか人のゴミを持って帰った。誰のか知らないビール缶やらビニール袋。
同様に自分も無意識に片づけ忘れた、拾い忘れたゴミがきっと存在する。また、沈脱の際に相当量のものを流した。事実上捨てたことと変わりない。瀬戸内海は自分たちの庭なわけで、庭にゴミを捨てる所有者は庭の意識が薄い。自分もまだ自覚が足りなかったと思う。究極的には横断隊の日数を経て荷物が減ったところに浜辺のゴミを持ち帰る余裕がある方がいい、と思っている。
 隊長はカヤックの中は自分の部屋と言っていたが、自室もひどい状況だ、モノに溢れている。ゴミを出すなら持ち帰ることを前提としたパッキングがもっとなされているべきだった。
 砂が入ると艇のトラブルの原因になるので人の艇を極力跨がないようにはした。自分の艇は相当砂が多かった。



【状況判断】
 その日のリーダーであろうがなかろうが、気づいたことは言った方がいいのは商業ツアーでもなんでもないのだから当然だ。商業ツアーでもなんでもないのだ。それでもいろいろ言い過ぎると狼少年になるからあまり言い過ぎないようにはした。最終日まで喉をつぶさずに声を出せたのは良かった。
 3日目の伯方島近辺のルームラン状態は「なんかおかしいな」という感覚はあったけれども判断材料としての認知には至らなかった。あのあたりはリーダー任せになっていた気がする。大介さんとホーボーさんの会話で「ああ、そうだったのか」と思った。もっと周囲を確認して、進み具合は自分で冷静に見極めないといけなかった。
 6日目のコース取りは、潮の当たる角度を計算して進路を考慮するべきだった。そんな発想をしたこともなかったので指摘の際はただただ無知を恥じた。そんなことが幾度となくあったけれども、細かくノートをつけ忘れた。
 6日目の通訳のとき(詳細は以下へ)、漕いでいるときに健次さんからセーフティファーストの指導を受けた。実際2人して急いでいるのは事実だったが、そこは見失わないように自分はそれ以後、意識をした。
 唯一評価できるのはマイクと前日にあーだこーだ言いながら打ち合わせをして適切なタイミングで大畠瀬戸を渡ることくらいだろうか。村上さん、5日目の夜に潮汐表を貸していただき、ありがとうございます。海図は全て準備していったが読み方は事前勉強したので多少分かったが、潮汐表については存在を知らなかった。来年以降は自分で持ち込む。
 緊張感が漂う状況はあるが、怖いのはみんな一緒であり、それをどう表現するか。そしてどのように冷静に勇気ある操作(撤退も含む)をするかなのだと感じた。


【パッキング】
 そしてどうしてあんな量の水(2L×12本)を持っていこうと思ったのか今でもよく分からない。なんとか入ったがひどいパッキングだった。重いと安定するとは言えども、異常な重さだった。とにかく無補給という点に拘ったからだ。実際には夜の焚火の場に持っていくと年配組がお湯として利用したりしていたので順調に減っていった。本橋さんと話をして、「補給を計算して行程を組むのも面白いし、難しいよ」という コメントをいただいたのが印象的だ。確かにそのためにはフィールドのことを知っている必要があるし、異なる配慮の方法があるなと思った。
来年以降も参加したいと思っているが、都合上途中離脱もありうる。そんなときにどこで離脱するのが陸上からのアクセス的に適切なのか、全て自己責任なのでそこも考えないといけないな、と思った。
 三澤さんが4日目にみんなデッキ等にいろいろ乗せすぎじゃないか(ざっくり要約・間違っていたらすみません)、と意見を下さり、個人的には納得した。それ以降はフロートやポンプ以外には行動食と脱いだウェアとサンダルくらいしか載せていない。隊長が三澤さんの指摘の後にセウォル号の事故も過剰積載が一因であった旨をコメントしたのが印象的だ。



【漕ぎ方】
 LENDALの700で意識せずに出発したが全然進まない。初日2日目は首付け根が相当張っていた。隊長からの指摘でMarsyasのフルカーボンに変えてからは比較的楽に漕げるようになった。三澤さんから艇の揺れが少なくなった、と気づきを教えていただいた。5日目の途中からまたLENDALに戻すと自分でも自覚があるくらいひどい漕ぎ方だった。総論として、漕ぐ体力・能力が不足している。筋力というよりは合気道的な感覚だと思う。こればかりはいくら論じても漕がないと分からない。次回以降はLENDAL700でしっかり漕ぎ続けられる身体にしておきたい。
隊長と後日談をしたのだが、自分の漕ぎ方は多少スピードは出るが状況によっては ひっくり返りうる漕ぎ方になっていた、とのことだ。日頃の練習のときはまだマシだったらしい。余談だが8日目の祝島- 蒲井が個人的には大変だった。北西の風が落ちたと思って海に出ると「あれ?これ追い風じゃね?」と南から吹き上げる。緊張しまくりで力が相当入り、手も痺れてげっそりした1時間半だった。


【緊急時】
 リーダーの平田さんを始め隊全体にご迷惑おかけしました。状況を整理すると

・岸沿いをとにかくキープするために隊列を1列に
・岸沿いに行き過ぎると岩にぶつかると思ったため気持ちわずかに大きくに右へ曲がる
・潮に流されて、艇のバウが左側へ向く(角度だと70°近く)
・これやばいなと思いラダーを右にする
・全力で漕ぐ(かなりのペース・空振りはなし)
・左前方より波を受け右に倒れる

・最初は息を一度吸おうとロール未遂のように浮き上がろうとする(実際一度吸えた)
・スカートを外すのに時間がかかるも脱出

 初日に真紀代さんが時間かかっている点を学んでいなかった、20秒近く時間がかかっているとは思わなかった。沈脱後、自艇と同時に三澤さんの姿を確認して5秒くらいで本橋さんが合流。安心感のせいか、再乗艇も自分の予想以上にスムーズだったので正直驚いた。後日、隊長と平田さんと話す機会があったが「浩太郎ならあれくらいなら避けることができた」とコメントをいただいた。実際に、一度潮目の前のところまで戻ってコンディションを整えて再度トライすると通過できた。平田さん曰く、声を出すのがワンテンポ速かったようだが。自分の中では沈脱・リトライと時間の流れは速かったが、よくよく時計を見ると相当な時間が経過していた。個人ならああ意外と時間経ったんだな、だけれどもグループなのでそんな感想で終わるわけにはいかない。迷惑かけたし、帰れと言われたら粘らずに素直に帰るしかないな、と正直思っていた。5日目から最終日までは自分のせいで祝島着かなかったらどうしようと焦り、特に7日目は日が出て風も上がってから相当ナーバスになっていた。


【公共性】
 こんな人数の継続的グループツーリングは巷に見られないものであるし、上陸後の一連の行動もはっきり言って奇妙だ。だが目的は怪しくも何ともない、しっかりとしたものがある。
 日程の間、何度か健次さんや村上さんと一緒に住民の方への確認・対外説明に同行させていただいた。4日目は楠さん、平田さん達にお任せした。また山口県に入ってからキャンプ場利用について管理者・行政サイドと電話でやり取りをした。
 今回の横断隊の目的と上陸地での行動を明確に伝えるのは基本だと思ったし、今までの11回でしっかり継続されてきたのだな、とありがたく思った。


【食】
 行動食にはフルグラ800gを2袋とデーツ。フルグラはジップもついていて、カロリーもあり良い行動食だった。でかい袋のままデッキに置いたが、ジップロックに小分けにしてPFDのポケットに入れたら良かった、あの巨大な袋を1日で消費するわけもないので。沈したときに1袋に海水が入った。海水を含んだフルグラの不味さは常軌を逸していた。
 日頃、塩麹を始めとした発酵食を日常の料理にフル活用しているが、今回は全くそういう類を持っていかなかった。準備の余裕がなかったのと、まあ初回だし次回以降工夫しようと開き直ったからだ。そんなわけでレトルトや麺類ばかり食ってたが、もっとバランスよく食べたい。海に関わりまくって1週間生活するわけだし、本当は魚を食べながら進むのが1番良いはず。今回はいらっしゃらなかったが、上陸後に潜り、漁をして肴にする赤塚さんはある意味理想形の一つとも言えるのではないか。ちなみに酒は1日ビール1缶空ける程度しか持っていかなかったし、さらには余った。


【装備+道具】
 基本的な装備は揃っていたが、予備が足りているもの、足りてないものがあった。帽子はその典型。結局、楠さんに貸していただいた。10万円(税別)の価値があったが、まだお礼ができてない。
眼鏡は1つ流したが、もう1つは軽く壊れたくらい(無事ダクトテープ止めから復活)。kokatatのパドンリグウェアはしっかり防水できたが、暑がりな自分には体温調節のために脱ぐのが大変だった。途中からボロボロになったColumbiaのウェアに変えた。1週間を通じて比較的温かい気候だったと思う。シュラフも#3で毎晩問題なかった。毎回スプレースカートを コーミングにはめるのに異常に手間取った。日頃はそんなことなかったが。

 みんながGOAL ZEROやらソーラーバッテリーを持ち込む中、cheeroのモバイルバッテリーとスマホ1台(カメラ兼用)で望んだ。日中はカメラ利用くらいと割り切って飛行機モードにして消費電力を落として、休憩の度に電波を入れて通信状況を確認するスタンスにした。今の携帯電話がSIMフリー機種なので前まで利用していたiPhone4Sをフル充電し、片方の電源が切れたらカードを差し替えて利用するつもりだったが、実際は足りたのでやらなかった。電気の心配をあまりする必要がないのは良かったが、飛行機モードだといざというときの連絡が取れない。そこら辺はグループ行動を前提とするとあまり良い行為でなかった。電話機能主体のガラケーは正解だと思う。タッチパネルと違い、防水カバー等をしていても確実にボタンを押せる。インターネット利用は最低限の事務連絡(仕事)と、海快晴を見るぐらい。FOMA回線のSIMカードだが、電波の悪い地域が多かった。



【通訳】
 6日目の通訳という仕事は終日大変だった。横にいてもマイクは何を言っているか聞き取れないし、後ろから日本語で怒号が飛んでくる。あまりに全てが自分に集まっている気がしたのでなんかあるなら英語で直接言えや、と全隊士に内心思っていた。果たして他の隊士にはどのように見えていたのだろうか。マイクの指示を伝えようとしてないと思っていたのか、訳すスピードが遅いと思えていたのか。それだけ他のリーダーは間を取りながら指示を出していたのだな、と今思う。

 隊長やホーボーさん等英語ができる人たちもいるが、結局通訳は自分だ。というか通訳って言われたこと訳すだけでいいのか?とモヤモヤしていた。そんなこんなで離陸後から最初の休憩まではうまくいかず、休憩を取るのも遅くなってしまった。
ちなみに隊長から一部訳が違っていたところがあったと言われたが一体どこのことかよく分からない。

 前半はあまりにも後ろを振り返らないマイクにイライラしたりしていたし、それを正当化している自分もいた。ペース配分や進路に多少口出しもしたが、最後はリーダーの指示だ。マイクが言ったことをそのまま日本語で伝えた。
 1点もやもやしていることと言えば、マイクの判断に対して後方隊士からの「〜した方がいいと思うよ」というやや緩めのアドバイス(指示とも言えない)をどう処理するかに迷ったことだ。どこまでリーダーに伝えるべきか、という線引きに迷うと同時に、いや待て通訳にそんな情報の取捨選択の権限があっていいものでもないだろう、ともやもやした時間が特に午後多かった。リーダーの通訳をしてみての総括として、リーダー→隊士への情報伝達は1→多数でスムーズだったが、隊士→リーダーへの情報伝達はあまりうまくいかなかった。英語力の問題というより、自身の状況判断力の問題なのかもしれないが、結局決めるのはリーダーである。どう情報処理するのが良かったのか今でもよく分かっていない。ただ英語でやりとりをする中で、その判断の根拠を相互理解するのは経験不足と語彙不足で難しかった。だからリーダーの指示を翻訳して「なんで?」みたいな声が飛ぶときは失敗だったと思う。すぐに自分で答えられなかったからだ。
 やってみての感想だが、中学校で習う英語の4割程度に加えてtide, currentなどの海関連の英単語を知っていれば相当コミュニケーションできると思う。
 偉そうに書いてしまったが、なんやで、伝えたいという意志があるのが1番大事だと思う。言語も所詮意思伝達のメディアの一つに過ぎず、意志があれば伝えようと工夫する過程で言語も習得できるものだから。何はともあれ、上記の通り考えることが多く良い機会だった。役割を与えてくれた隊長に感謝している。


【その他及び謝意】
 最後にこの時代に自分がシーカヤックを漕ぐ意味を考えてみた。

 オリンピック前から観光観光とマスメディアが騒ぎ出した。シーカヤックを始めとするアウトドア活動も観光の一環としての地域活性化にも役立つようだが、それだけでは少しばかり表面的過ぎる気がするのだ。雑感だが最近の「地域活性化」「地方創生」やらの言葉がとにかく概念を消費する安い言葉になっている感が否めない。結局補助金ハンターを野放しにする免罪符になっているのではなかろうか(雑感了)。

 シーカヤックの文化には大きく三つの流れがあると思う。

 第一の流れは極北の大地の人々の生存のための活動、文字通り生活のリズムに息づいて生まれた民俗文化だろう。究極的に元祖で、究極的にローカルだ。
 第二の流れは北米、西欧を中心に自然から多くを賜る海旅の文脈と、余暇を記号的に消費するためのシティ派のアウトドアカルチャーの文脈で世界に波及した。これは20世紀的な波だと思う。
 では第三の流れはどんなものか。なんとなくだが横断隊は一つの答えだと思う。

・はるか昔に資格も著作権も商標登録もない時代に想像力豊かに手漕ぎ艇を生み出した先人の発想と現代文明の技術を担う職業人をリスペクトする
・海のことをアクセスできない、見えない場所程度に考えて平気で埋め立て、廃棄物を捨てるような程度の低い環境意識を見直す
・個々が独立しつつ、隊を成して進む
・しがらみなく技術を共有し互いに高め合う
・瀬戸内海という複雑な地形、潮流、風が多彩な表情を生み出す多島海を道場とする

 土や海から離れて暮らす都市型(別に地方に住んでいても該当しうる)の人々が忘れつつも渇望する自然願望や野生願望への答えの一つとして商業活動が運んだアウトドア文化を超えて、新しい海洋文化を築いていくこと。それが21世紀的な意味ではないだろうか。

 また、究極的にシーカヤックの海旅に求められることは自身が如何に海気を読んで一瞬の判断を下せるかであり、文字起こしされた言葉で論理的に語ることができないと思う。それは個々が自身の感覚と経験を頼りに、風、潮流、地形などの海を構成する要素に真摯に向き合うことでしか手に入らないだろう。あまり楽しめない、それどころか恐ろしい孤独もある。けれどその先には目前に広がる海の意味を変える感覚が待っているだろう。

 そしてその感覚を日本列島に住む人々が持つことが21世紀的にとても価値があることだと思う。日本は辺境の島国であり、世界の大陸中心的視点から言えば極東の辺境なのだ。南北に、斜めに、袈裟懸けに伸びている列島は日本独自だ、と谷川健一も著書「渚の思想」で述べている。世界での地理的な立位置と地形の意味を思い出すことが21世紀の日本の転換点であると思うし、それにアプローチする媒体としてシーカヤックは超適切だと思う。結果的に日本礼賛するような文章になっている気はするが、自身の帰属意識はくだらない陸上の線引きではなく瀬戸内海にあり、日の丸を振り、うるさく街宣し、他国を批判するような思想に片足も突っ込んでいないことを断言しておく。自分はもっと世界の人々とこの海を共有していきたい。

 そして、祝島の方々や田の浦での抗議行動に全国から参加してくれた方々がいなければ自分が今漕いでいるフィールドは終わっていたかもしれない。下手したら生まれてから育った場所に住めなくなっていたかもしれないわけであり、その当時自分が何も知らなかったことを恥じる。正直、放射線の話は定かでないことが多く、居住に問題ない区域、食品の安全性、海洋汚染、福島第一原発事故以前の事故や核実験などを含めて多くの事象を考えると正しさとは何なのか、訳が分からなくなる。
 それでも極端なことを言えば、管理できないものは持つべきではないと思う。そして安全かどうか定かでないなら極力近寄りたくはない。原始的回帰ではなく、多くを見直す余地はあると思う。そしてあの海にドカンと原発があるってダサい。

 また、最近SNSを見ていて感じるのだが、(仕事柄蛇足) 基地や原発、ダム等の議論になる際に日本の経済的に必要だ、アメリカが〜、国策が〜、しまいには陰謀論と話のスケールが不思議と拡大していく。なぜ自分の足元の話をしないのだろうか、なぜ主語が自分でなく、自治体や国家という共同幻想になってしまうのか。知識として知っておくことはとても大切だが、まず自身のレベルでの主張を持ち、重ねていくことが自治の原則だと思う(蛇足了)。

 うだうだ書いたが、以上の妄想を現実とするためにはリアルに海に出て実践を重ね続けて、さらには縦(歴史)と横(地理)を縦横無尽に駆け巡りながら果てしなく勉強しなければならないなあ、と果てしない道のりを痛感する。10年以上続く横断隊は21世紀の瀬戸内海の歴史を語る上で強度の高い文化であり、もはや現代アートだと勝手に感じている。同時にそれを担ってきた先輩隊士の方々には頭が上がらない。自分も微力ながら継続して関わることで終わらない海、生き方の学びを追求していきたいと思う。

 横断隊を漕ぐことができるのは贅沢なことだ。全てが自己責任、どんな大義名分を語ろうとも一定期間職場を空けることになる事実は変わりないわけである。それを許容していただいた職場の方々の厚意に感謝する。また小豆島での宴から始まり、快くサポートや差し入れをしてくださった方々、祝島の方々、そして第12次の隊士の皆様、ありがとうございました。またお会いできれば幸いです。
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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