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2015第十三次瀬戸内カヤック横断隊レポート 高橋孝徳

第13次横断隊レポート    高橋孝徳

横断隊に参加するとき、いや、横断隊の時だけでなく漕ぎに行くときは、こんなことを頭の隅で思っている。「家を出てから、漕いで、帰って来るまで、起きたこと、起こしたことの、全責任を負う覚悟はあるのか?」、「カヤックは、小さな船だが、漕ぎ手は船長である。命を守るのは、船長である自分自身の意志と判断であり、責務である。」、「カヤックは、自由な乗り物。自由とは、意志や判断や責任を自分で負うことを選ぶ、という自由である。」

「帰りて~!」、「めんどくせ~!」、毎朝そう思っていた。自分の意志で来たのに・・。今回参加したのは、第五次から八年のブランクで、漕げるのか、漕げなくなっているのか、今の自分を確認したかったから。結論から言えば、荒れていても、距離も、漕げる。但し、自分のペースでなら。しかし、それなりに衰えているという現実も突き付けられてしまった。初日から向かい風で、左肩に若干の痛みが出ていた。二日目から、短いストロークで早いピッチの漕ぎに変えたのだが、三日目から、慣れない漕ぎの為か手首の筋に痛み、腰から背中に掛けての痛みが出だし、日をおうごとに酷くなっていった。更にダメージだったのが、五日目の阿伏兎での停滞と一時間の昼休憩で、体が冷えてしまったこと。この後、漕いでも漕いでも暖まらず、ハイポサーミア初期症状が出たこと。チアノーゼが出るまでにはならなかったが、顔色の悪さを指摘され、若干の震えの自覚あったため、セーターとキルトジャケット着込み、焚き火で回復。六日目は、西の風十数メートルで荒れる予報で、ルートもエスケープポイントの少ない本土側ということで、体力の消耗具合、手首・腰の痛み具合を考慮し、荒れた中で漕げなくなる危険を考え離隊を決めた。翌朝、まだ荒れてなかったため白石へ向かい、横断隊を終了した。とっくに笠岡を通過してると思っていた本隊が、神島で停滞し、白石に避難してくるとは思わなかったが・・。

4日目のサブリーダー時について。はっきり言って、しまなみの広島側はほとんど漕いだことがなかった。過去に参加した横断隊で通過した一部と高根島くらいで、その他は全くの未知だった。その為、隊長の了解をとって大介クンにサポートをお願いし、隊列も変更してもらった。大介クンに引っ張ってもらったようなものだった。この日感じたことを何点か。1.大三島北側での、ラダーワイヤ切れトラブルの際、発生時点でリーダーに伝える必要を感じた。岸寄りで大型船航路からずれていたこと、潮流の弱い時間帯だったこと、目の前が浜だったことで、伝達が遅くでも対応出来たが、航路内、早い潮流、荒れた状況だったとしたら、厳しいことになる。2.佐木島を北上中、隊が間延びしていたため、最後尾に押し上げてくれるよう声を掛けたが、後で実はヘロヘロだったと言われ戸惑ってしまった。たびたび振り返ってはいたが、こちらも余裕がなかったこともあり、ヘロヘロなのか余裕かましているのか分からなかった。あの時は、ベテランでもあり、漕力ありと判断したのだが・・。リーダーが、全体を把握し統率するのだが、隊の人数が多くなると、リーダーだけでは全体を把握するのには、ムリがあると思う。最後尾や両サイドも、ある程度隊をまとめたり、状態をリーダーに伝えたりする必要があるのではないだろうか。大人数時の隊列の組み方、後方の状態の伝達方法、各ポジションの役割など、一考の余地があると思う。3.多分みんな、なんで?と思ったと思う。佐木島~細島間で、まだ明るいのにストロボライトを点けたのは、佐木島東側に入った時、島陰に入ったためか妙に暗くなったと感じたこと、高速船などが通過している航路だったため、他船から発見しやすいように、また後続への先頭目印として点けていた。

焚き火について。完全に個人的意見だが、焚き火は、もっと小さくした方がいいんじゃないだろうか。せめて今の半分くらいに。全員が冷えきっている場合でも、最初は大きくしてもある程度暖まったら、出来るだけ小さくした方がいいと思っている。焚き火が大きくなれば、それだけ浜などに与えるインパクトも大きくなるし、近くに民家などがあれば、住民にもそれなりに大きな不安を与えてしまうのではないだろうか。最近の横断隊では、焚き火で調理する隊員が増え、今回も半数以上が焚き火での調理だった。確かに、焚き火は落ち着くし、焚き火で作ったメシは何割か増しでウマイけれども、色々な面でコンパクトでインパクトが少ないようにと思っているので、ちょっと気にかかった。どうしても焚き火でというなら、ネイチャーストーブということも考えてみてはどうだろう。

六日目夜のミーティングで、最終日の行程を話し合ってる時、白石から本島、瀬戸大橋間の行程の話があまりなく、転流時間がいついつ、いついつまでに本島に行けば的な話になっていて、荒れる予報の中でどうやって次の島へ行くのかの話が、ほとんど無い。離隊した人間が口を出すべきではなかったのかもしれないが、つい「もっと冷静な判断が必要なんじゃないか」と言ってしまった。七日目に、隊がスカウティングに行ってる間に白石を離れたため、最終決定の決定理由は分からないが、もしかしたら行けるかもしれないところを、停滞側に傾く方向に影響したとしたら申し訳ないと思う。そんなことはないとは思うけれど。数日前から、六日目七日目は荒れるとの予報の中、五日目に白石まで行けなかった。阿伏兎までは、それなりに進めたと思う。阿伏兎でのうたせ船の話での停滞と、一時間の昼休憩の分を漕いでいたとすれば、五日目に白石まで到達出来ていたのかもしれない。そうすれば、六日目のあまり荒れていなかった朝の時間帯に、少しでも進めたのかもしれない。あくまで後付けの可能性の話だが。訪れた場所の、文化や人に触れるのも、横断隊の一部ではあるが、「その話、夜のミーティングの時でもいいんじゃないか」と思わなくもなかった。どれが正解か分からないし、全て正解または正解など無いのかもしれないし・・。

最近の横断隊は、ジョン・ダウドのシーカヤッキングで紹介されている、ダン・ルイスとジョン・ドーソンのインストラクション・プログラムに近い物なってきているのかなと思う。今後、原クンはどういう方向にしていくのだろう?

白石で終わってしまったが、すんなりいくより色々あった方が、いろんな事考えるし面白いから、これで良かったのだろう。事故無く終了っきたし、沙希チャンの逞しく成長した姿も見れたし。これでいいのだ!たぶん。
~以上~
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2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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