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2015第十三次瀬戸内カヤック横断隊レポート 井上 好司

2015年 第13次横断隊レポート

昨年12次に初参加して漕ぎ終えた際、来年もう一度漕ごうと心の内に決めていた。
横断隊には各自地元を出立してから帰宅するまで自己完結できることという最低限の参加条件があったそうだが、10次11次とその条件が甘くなりいろんなレベルの参加者が増え、12次ではそれについての賛否の議論がよくされていた。僕はその議論に加わらなかったが、参加条件をあまり厳格にして欲しくないと思っていた。もちろん誰でも参加OKと言いう訳にはいかないだろうが、漕いでみたいという人には例え自艇を持っていない或いは自艇の運搬手段を持っていないなど自己完結できない人にも門戸を開いておいて欲しいと思った。その為に僕のできる事は一度の参加で終わるのではなく、二度三度と参加して横断隊に隊士として認められるまでになることだと思った。このことが参加条件が甘い故に参加できた者としての責任のように感じていた。またそこまで参加し続けたら結果的に僕自身自然にそこそこのシーカヤッカーになっていそうにも思えた。そうなれは横断隊が参加の門戸を広げた意義も出てくるだろう。
 昨年の祝島、緊張の糸が切れたボーっとした頭でそんなことを考えていた。

 かつて僕にとってはガイドツアーに参加することがシーカヤックをすることだった。今は自艇を持って2年が過ぎソロ漕ぎがメインになってきた。
自艇の運搬手段がない僕にとっては湯浅付近しかフィールドはなかったが、当初は湾内でも恐る恐るだったのに、だんだん湯浅湾内には飽き足らなくなって、まるでひな鳥が巣立ちたがるように北の岬の宮崎の鼻を超えて出てみたり、南の白崎を大きく超えて南下したりし出し、いろんな海を漕ぎたい気持ちが大きくなっていった。
ファルトにはどうも気持ちが動かなかったが、たまたま車に積まれている3分割艇を一から組み立てまた分割して車に収納するという作業をする機会があって、もちろんその間に漕がせてもらったのだが3分割への違和感がほぼなくなり、また自分でも運搬できる艇が欲しいという欲求が強くなってきていることも相まってほぼほぼ3分割艇を発注しようと思うようになっていた。
今年も知床に行ったのだが、これまたたまたまだがそこに5分割を飛行機に積んで水野さんが来られていていろいろお話を聞かせてもらった。5分割は2つのピースにまとまる。コックピットやハッチにキャンプ道具が一式詰める。軽自動車に積み込める。キャスター付きのバッグに詰めれば2つの大きなバッグとして転がして歩ける。宅急便で送れる。飛行機に乗せられる。その結果気持ちが5分割で固まった。

自分のアンテナを広げて五感で感じ、感じたことをもとに考え判断し行動することの楽しさ、自然と向き合い己と会話しつつ自然とも会話することの面白さもあってソロ漕ぎこそが王道のように思えている。
自分の能力と海況の変化を読み比べながらルートファインディングしつつ漕ぎ進む事が今の僕にはシーカヤックの最大の楽しみだが、自分の能力の限界とは案外わからないものである。
ソロ漕ぎしていて海況がだんだん厳しくなってきた場合、まだ行けるとは思うがそこで進むことをやめることがよくある。僕の場合たぶん限界の6~7割の所でその臆病風が吹出しているように思う。そしてその臆病風におおよそ従うようにしている。最近は悪条件でビビってしまって身体が緊張してしまうというようなことはなくなった。そろそろ時には勇気を出してそこを超えることも必要だろう。でないと限界値を上げていけない。撤退するのに勇気は必要ない。臆病風に従えばよい。自分の限界を超えるほどの悪い状態になり得るかどうかの判断くらいは今でも付いているだろう。
僕の臆病風が吹出す先の海況はガイドのツアーでも連れてってもらえないような海況になってしまったし…


昨年のレポートに京都北山の芦生の森のことを少し触れたが、今年はもう少し詳しく書きたいと思う。
芦生は貴重な原生林が残っている森として知られている。約100年前に京都大学が京都府美山村から研究林として賃借したおかげで開発の手が入らず原生林として残ったと一般的には言われている。
芦生の森は本当に原生林か?
森は大きく自然林と人工林の二つに分類することができる。
自然が作った自然林、人間が作った人工林。
人工林は太平洋戦争後、建築資材不足を補う目的で広葉樹林であった自然林を伐採して建築資材に向いている杉やヒノキなどの針葉樹を植林して作られた。日本の森林の約4割が人工林。
 また自然林は原生林と二次林とに分類できる。原生林とは人間の手が入っていない森。原生林に対して自然災害(台風や山火事)や人が利用するために伐採した後、自然に再生している森が二次林。日本の国土には原生林がほとんど残っていない。ほとんどの自然林は二次林。

江戸時代の頃からカッタイ道という山道があった。カッタイとはライ病或いはハンセン病者の差別用語である。彼らは一般的に嫌われるので普通の道を通らず彼ら専用の山道を通って行き来していたそうだ。
四国や紀伊半島に特に多く遍路や高野・熊野詣の際、一般人の道とは別の道として山中にあったようだ。映画「砂の器」でライ病の親子が村から追われて数年彷徨するロングシーンがあるが彼らが歩いたのもおそらくカッタイ道だったのだろう。
カッタイ道の他にも山の中には人里を通らないいろんな道があり、例えば秋田のマタギは山の尾根ばかり歩いて奈良まで行き来していたらしい。
サンカと呼ばれる人びともいた。定住地を持たず仕事を求めて移動しながら山中に仮の小屋のような住まいを作り仕事をしてはまた移動を繰り返す。
そんな中に木地師を呼ばれる木器職人がいて、その中心が近江の小椋村、今の滋賀県高島市にあってそこを中心にたくさんの木地師たちが全国の山を歩きつつ木工に適した樹木があればその場にしばらく居つき木を切り倒して木器(生活用具や農機具など)を作り近くの里に売りに行ってはまた次の山に移動するという生活をしていた。その記録が近江に残っていて高島からすぐ近い芦生の地名がたくさん出てくるらしい。
 江戸時代初期には木地師の住戸が櫃倉・灰野・野田畑・中山(これらの地名は廃村になっているが今も芦生の地図に残っている)に数十戸あった。
 江戸時代中期では知井村の人々の共有林で薪や炭の原材料になる木を伐りだしていた。
 明治の初期になると芦生を源流とする由良川を使って材木を佐々里を超えて陸揚げし、京都大阪へ運んでいた。
 明治中期に野田畑に木地師の住戸が3戸あったのが確認されていて当時の木地師によって植えられたクロマツ・スモモが現在も残っている。
 そして昭和30年代、最後の山番が灰野を降りた。灰野には今も廃村址が残っている。
芦生の森の歴史を簡単にたどるとこのようなことだった。京大の先生から聞いた話と宮本常一の「山に生きる人びと」を参考に簡単にまとめてみたが、その京大の先生は芦生の森は「原生的な天然林が部分的に残された森」という方が正しいと言っていた。
 2日目僕たちが翻弄された周防大島の家室付近にこの「山に生きる人びと」を書いた宮本常一の生家がある。カッタイ道のことは「忘れられた日本人」により詳しい記述がある。

ついでに森についてもう少し。
二次林と人工林には人間の手入れが必要。陽の光が地面にまで届くようにしたり、樹が大きく太くなるためには間引きや枝打ち等手入れをしないといけない。
 建築資材が外国の木材の方が安く手に入る時代になって、人工林の植樹された樹木はほったらかし状態になってしまった。森が荒れ始めた。
 日本の森の大半は広葉樹林だった。冬になれば葉を落とす。落ちた葉はその場で朽ちて腐葉土となる。腐葉土には微生物やバクテリアが発生し土を豊かにする。広葉樹は大地に深く広く根を張る。腐葉土そのものにも保水力がある。土の豊かな森は降った雨や冬に積もった雪の雪解け水を貯めこむことができる。土地に潤いがあり乾かない。
 沢ができ川が生まれる。豊かな土地の潤いを源としている川の水は当然のことながら栄養素が濃い。栄養素の濃い川の水が海に流れて、植物プランクトンを発生させる。豊かな森が豊かな川を作り、その河口から先に魚介類や海藻が豊富な豊饒の海を育てる。
 森が消えたら海も死ぬ。
森が荒れだし、川にダムが作られ、海岸線には道路、防波堤など陸と海を遮る人工物が作られ、海に栄養分が行き届かなくなった。針葉樹の葉の腐葉土は栄養が乏しい。根は浅く横に広がらない。針葉樹林には保水力がなく降った雨水は土を削りながらそのまま流れる。ますます栄養素がなくなる。大雨が降れば保水力がないから一気に流れ土砂崩れなど水害をもたらす。
 日本の沿岸から魚介類が減り海草が育たなくなった。養殖の海苔や牡蠣の育ちも悪くなった。

カーボンニュートラルという考え方を最近知った。動植物が呼吸で排出する二酸化炭素の量と植物が光合成で吸収する二酸化炭素の量が釣り合っているので地球の大気中の二酸化炭素の量が一定に保たれている状態をカーボンニュートラルという。自然の生態系は基本的にカーボンニュートラルを保っている。
人は植物が光合成して大気中から吸収した二酸化炭素を基にして作られた野菜や果物を食べて、呼吸してまた二酸化炭素を大気中に返している。肉を食べることもあるが動物のエサもその元をたどれば植物の光合成にたどり着く。森では光合成で作られた樹木の落ち葉や朽ちた幹・根をエサに微生物が呼吸しまた大気中に二酸化炭素を放出する。人も自然界の炭素循環の一員である。
温暖化の原因とされる大気中の二酸化炭素の増加はどうして起こったのか?カーボンニュートラルが保たれなくなったから。それには大きく二つの原因があげられる。
一つは化石燃料の燃焼。
地上ではなく地中に埋もれていた石油石炭や天然ガスなど炭素でできている化石燃料を燃やして大気中に二酸化炭素を放出してしまった。地中から大気中に炭素を移動させてしまった。
もう一つは森林伐採。
二酸化炭素を吸収して保水でなく保炭する役割のある森をクリアカットすることで地上の保炭力が低下し大気中の二酸化炭素を充分吸収できなくなった。

カーボンニュートラルの概念から発電を見る。
原発の新設や再稼働を反対するだけでいいのか?
火力発電に頼っていていい訳ないのにこっちのことは放ったらかしでいいのか?
火力発電による地球への悪影響は地中にある炭素を大気中に大量に放出しつつ、温排水も原発と同様相当海に影響を及ぼしている。

カーボンニュートラルの概念から横断隊を見る。
シーカヤックでの海旅は炭素循環の観点から見るに極めて健全な行為である。二酸化炭素を排出する行為と言えばヘッドライトを点灯させることと焚火以外での料理にガスを使う程度。移動は完全手漕ぎなのだから。
ところが出発地点までの移動及び最終地点からの移動には車・電車・飛行機などを利用することになる。僕はこの場合の炭素排出量を数値化する知恵を持っていないがおそらく特に飛行機は相当な量だろうと思う。
*興味ある方はこのURLで計算してみて下さい。
http://www.carbonfootprint.com/calculator.aspx

自然に対してローインパクトに生きる、楽しむことができる事がこれからの時代に求められることではないか?最近そんなことを考える。
おおよそにおいて自然を愛する人は僕を含めてアウトドア好きで旅行好きの人が多い。短時間に長距離移動して自然を愛でる。でも実は自然に多大なインパクトを与えている事に案外気付いていない。オタク族が部屋にこもってゲームをしている方が環境に優しいということもまた事実なのだ。
現代の生活を知ってしまった僕たちが縄文人の生活に戻ることはできないけど、もう少しコンパクトに生活するという方向を意識した方がいいように思う。大都市ではなく徒歩や自転車、カヤックのような手漕ぎの舟などで移動できる程度の規模の街。通勤時間の短い満員電車のストレスのない生活。

という観点から、今次の森大介隊士のようにすべての行程を漕ぎ切る漕力(生活技術を含めて)を持つことが当面の僕の目標かな?ついでに言えばスマホなしで。

と大風呂敷を広げたところでそろそろレポートを終わりにしたいと思います。まだ全然書き足りないけど、どんどん風呂敷が大きくなりそうだし年内には提出を済ませたいので。

最後になりましたが、横断隊に関わる様々の方々にお礼を申し上げなければなりません。お世話になりました。ありがとうございました。
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2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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