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2015第十三次瀬戸内カヤック横断隊レポート 村上 泰弘

第13次瀬戸内カヤック横断隊…隊士:村上泰弘



祝島から小豆島へ…。12次は小豆島から出て祝島、無事完漕。13次のコースは、僕が原君の代打として隊長を務めた11次と同じ東向き航路。横断隊は、7日間、1日1日の漕行距離の積み重ね…。それが約300キロの足跡を生む。荒天が続いて完漕できなかったとしても一回一回内容の違った足跡が確実に刻まれてる。天気気候と隊士の構成・力量・経験値などさまざまな要件が重なって、より複雑な足跡が残っている。

今回は、今まで以上に自分との闘い色がより強い横断隊だったような気がする。前は、まわりに結構弱音を吐ける人たちがいたんだけど、なかなか真面目な人たちが増えて、ついていくのに必死な時間が長くなってくるようになったなあってことかな。テントな中で足がつってのた打ち回る回数も増えたし。

小豆島がゴール、もしくはスタートになったときは、かなりスケジュールに余裕がなくなってくるなっていうことがよくわかる。一日の漕ぐ距離が40キロとして、7日で280キロ、ぎりぎり。ということは、1日漕げなければ一日45キロ以上は漕がないと6日で270キロ越えにはならない…。現実は、そううまくはいかない。一日15キロくらいしか漕げない日もあるし。だからこそなかなか完漕できないんだけど…。数字に表すと、ええっこんなに毎日40キロ以上も漕いでいたかな?ってちょっとびっくりしてしまうけれど。前はそこまでしんどくはなかったし、無理もできていたから、そんなにたくさん漕いでいる意識はなかったのかな。カヤックが重いのは前からなので何も変わってはいないのだから、やはり体力が落ちてるんだろうなあ…。でも前はポリ艇の比率も高かったので今ほどスピードなかったと思うけれど…、逆にポリ艇が多かったから少々荒れてても迷わず海に出て、遅いながらも距離を稼げていたのかな。わからん?

13次はどうだったろうか、今回の横断隊、後半の天気が怪しかったので、前半にどれくらい距離を稼げるかがの完漕の重要な条件だったんだけど、前半に思ったほど距離が稼げなかったのも原因だったなあ、なぜだろう。なのに前半の遅れを取り戻すための頑張りどころ、ここって時に僕のラダーケーブルの断裂で隊を止めてしまって潮流が変わってしまって距離を稼げなくなって岩子島に停泊になってしまったことと、翌日は、サキちゃんにホクレアを広島で出迎えた内海町の打瀬船を見てもらうために時間を取ってもらったり、昼休みに入っていたラジオ生中継での長めの昼休憩で時間を取ってしまい、翌日が荒天が予想されていたのにもかかわらず距離を稼げなくて福山止まりになったこと、余裕のある時であれば問題なかったんだろうけど、漕げる時間を損してしまったなあ…と痛感。結果的にはこれがなければもしかしたら瀬戸大橋を超えられていたのかもしれないな。それに関しては申し訳ない思いばかりだ。それだけゆとりって少ない航程なのだろう。特に東向き航海は…。

今回、判断を迫られたのは蒲刈南から山陽側に北上するかどうかと、福山沖を岡山へどう抜けるかだった。蒲刈から山陽側に抜けたのは正解だったと思うけれど僕のラダートラブルが起きるまでは…。福山沖に関してはぎりぎりの選択をせざる負えなくなったなあ。翌日から思い切り荒れるのがわかっていた、あと二日あったけれど「何処にいれば、より距離を稼げるか」出られなくても撤収がしやすい場所に近づけるか…。僕の頭の中では、なんとか尺取虫で山陽側を漕ぐしかないなと思っていた。となるとなんとか6日目、玉島の沙美海水浴場までたどり着ければ…。そこで7日目奇跡が起きればコンビナートと瀬戸大橋…そして渋川海岸。

6日目の決断も重要だったなあ。福山を出て神島で休んだ後、東行を選ぶか、白石島に向かうか。白石島方向は島が並んでいるのと潮流もあるから通常以上に波が出ているのはわかっていたのだが、これはかなりきつかった…、沖がここまで荒れてるとはびっくり。今がこの波で、翌日いきなりこの波ならって考えると…気持ちは、なえるよね。正直、これで終わりだな13次横断隊って実感した瞬間だった。やはり白石パラダイスは最高だった…。

さて、山陽側を陸沿いに行っていればどうだったろうか、笠岡の港周りもやはり荒れていただろうか…、寄島の三郎島の浜辺…そして沙美海水浴場。そこまではなんとか行けてたような気もしないではない。今回岡山に詳しい隊士がいなかったので、最終的な決断はできなかったが、この手もあったという可能性を試せなかったのは少し心残りだったかな。だれかが、どうせならコンビナートのような人工物の前を漕ぎたくない、なんて言ってた人もいたけど、それも瀬戸内海を漕ぐということではないのかな…とも少し思ったけど。(まあこれは都会を漕ぎなれた人ならではの意見なのかもしれないかなとも思った)

荒れる2日間があったので、こういった考えが浮かんだろうなあ。これからの横断隊でもよく似た状況はこれから何度も遭遇するだろうなあ。そして決断を迫られるんだろうなあ。それにしても、俺の荷物、なんで重いんだろうなあ。食料の余分以外はさほど違わんと思うのだが…。少しでも長く参加できるようには、そっちを先にクリアしたほうがいいのかな…。

天候、参加人数や性格、各自の力量や隊のバランス、潮具合、イレギュラーな要件、それぞれがすべてにかかわりあって、その先にゴール。今回は、横断隊士を率いる隊の難しさを今更ながら感じながら進んでいる原隊長の横顔を見る
ことができたような気がした。本人は否定するかもしれないが…。内田さんから引き継ぎ、進化と試行の原横断隊、これからなんどか脱皮を繰り返して、内田隊とは一味違ったものになるんだろうね。




SETOUCHI Seakayak Aventuras 村上水軍商会

村上泰弘
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2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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