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2016第十四次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治

第14次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原敬治



【はじめに】
 第9次(2012年)から数えて6回目となった今次横断隊。やっと「自分も横断隊のメンバーの1人」というか、「ここに自分がいてもいいんだ」と思えるようになった。これまではどことなく場違いな、居心地の悪さが拭えなかった(勿論その原因は私自身にあって、周囲の隊士は取っ付きにくいであろう私を寛容に受け容れてくれた-感謝)。そんな違和感が薄れたのはこの間、漕力、ナビゲーション力、陸上での生活術などの点でわずかではあるが進歩したこともあるだろう。しかしそれ以上に、隊士一人ひとりの名前を覚え(教師でありながら、生徒の名前を覚えるのがとても苦手なのです)、その人となりに触れ、わずか10日足らずではあるが横断隊という集団生活を重ねる中で得られたものだと思う。それらは“シーカヤックアカデミーの実践版”という本質からはズレているかもしれないが、私の心を暖かく豊かにしてくれる。
 そんな訳で、今回のレポートは以前のものに比べ、肩の力が抜けて(抜け過ぎて?)いて、「何だこれ、出しゃぁ良いってもんじゃないんだよ!」と言われそうですが、レポート提出という“最低限の義務”は果たしたということで、お許しいただきたい。

【何となく予期した初日リーダー指名】
 小豆島集合日の11月17日、玉野市沼の漁港横のビーチから13:10離陸。2年前と同様のコース(豊島北端の虻崎→豊島・小豊島間を南下→小豊島南端→小豆島黒崎)をとり、20km先のヘルシービーチを目指す。翌日からの本番にとっておきたいような快晴無風の小春日和のもと艇は進み、15:25ヘルシービーチに着陸。出迎えてくれたのは、5分割艇を宅急便で送り、身一つで小豆島に乗り込んできた井上隊士。彼から事前に、「今回は少人数の隊になるらしい」と聞いていたが、まさかぎりぎり2桁の11人になるとは。
 艇をタイドラインに並べ、各人があらかたパッキングを終えたころには陽もとっぷりと暮れ、前夜祭が始まる。1年ぶりに酌み交わす酒は格別だ。しかし、そのとき私の頭を占めていたのは……。今次の横断隊に参加するに当って私は、「もしリーダーに指名されたら、進んでそれを受けよう。いやしくも前回(13次)のように、スタート前夜の宴会で“リーダーだけはご勘弁を”と泣きを入れるような恥ずかしい真似はすまい」と心に決めていたのである。そのために、①どの日に指名されても良いように、全コースの中でポイントになる地点の干満の時刻を事前に調べる(私はスマホ不所持、ちなみに初日のポイントは与島)②その日のコースに関して分からないことは、積極的にベテラン隊士に聞く③素人のナビゲーションは批判されて当たり前、批判は“成長の糧”-の気構えで臨んだ。そして“どの日に指名されても”とは言っても、その中で特に“初日”の指名を強く望んでいた。実は2年前、小豆島スタート初日のリーダーに指名された私は、そこでいくつかの大きなミスを犯してしまった。「是非それらの失敗のリベンジがしたい!」そんな私の心の中を見透かしたように、原隊長は翌日のリーダーに私を指名したのである。“以心伝心”を強く感じた瞬間だった。

【リベンジはできたか】
 6:30出発前のミーティング。この日の天気は晴れ。東よりの微風。ポイントとなる瀬戸大橋直下の与島の干潮は7:24、満潮は14:01。追い風・追い潮の絶好のコンディション。私はそうした状況を説明し、①この日の第一目標を“昼食休憩前に瀬戸大橋を超える”こと。②宿泊地は昼食休憩後のミーティングで、時間・隊士たちの余力・潮流や風などの海況などから判断して決定する-と提案し、了承された。
6:50小豆島ヘルシービーチ離陸。まず豊島南端の礼田崎を目指す。その途中、小豊島の南にさしかかったころ、前方やや左11時の方向に特徴的なおむすび形の大槌島を確認。前回はこれを怠ったために、礼田崎を過ぎた地点で大槌島を探したが柏島の陰になって確認できず、あらぬ方向(豊島の岸沿いに北上)に隊を導いてしまった。今回は迷わず直島と柏島との間へ直進。これで第1関門通過。やがて柏島が迫り、岸近くの生簀のブイが見えてきた。前回も直島・柏島間の狭い海域をかなり速い上げ潮が流れており、前を行く艇のためにブイの発見が遅れ、後ろからの上げ潮によってブイに押し付けられる形で、ある隊士が沈してしまったのである(まきよ隊士ごめんなさい)。リーダーとしてはブイの存在を早めに後方に知らせ、もっと生簀から離れたコースを取るべきだった。今回はその教訓を生かし、両島のど真ん中を無事通過。これで第2関門通過。
直島・柏島間を抜け大槌島を正面に望める広い海域に出ると、GPSの速度表示がぐんぐん上がり、瞬間最大速度は12.8km/hに。一瞬「大槌に寄らず、上げ潮が強いうちにそれに乗って直接瀬戸大橋に向ったほうが…」とも考えたが、離陸してからもう3時間近く、予定通り上陸休憩することにする。ところが問題発生。上陸予定地点まで10m余りの所で激しい潮流に阻まれ、漕げども漕げども岸に近づかないのである(今から思えば、上げ潮が大槌島にぶつかり、そこで左右に分かれる、その流れが原因か)。そのとき、力まかせに上陸しようとする私の背後から、「西原さん、そこに上がるのは無理!」。その声に素直に従い島の西側に回り込むと、そこは遠浅の磯で艇のボトムが気になったが、潮流はほとんどない(風ウラならぬ潮ウラ?)。休憩後、一路瀬戸大橋へ。1時間後、与島手前で海上休憩。このまま橋をくぐることを全員で確認(前回は大槌休憩で時間を取りすぎ、橋直前に来たときには下げ潮が始まっていて一旦与島に上陸して潮待ちした=私の失敗その3)。しかし橋直下の与島北端と、その北の橋脚として使われている佐羽島の間の、幅がわずか200mの海域はかなり荒れているのが分かる(水深が浅いのか)。それにかまわず直進。結果的には11人全員、沈することなく無事に瀬戸大橋を超えたのだが、他の隊士には申し訳なかったと思っている(井上隊士からは直後に「沈寸前だった」と言われたし、村上隊士は後日fbで「この時は、ほんとしびれたなあ…」とコメント)。実は洋上休憩後に漕ぎ出すとき、佐羽島とその北側の岩黒島の間(幅約1km)の方が穏やかに見えた(工藤隊士はレポートで「右の橋脚の方を見るとそんなに波立ってなかったのでそちらを通った方がよかったんではないかと思いました」)。それにもかかわらずそちらを選ばなかったのは、「一刻も早く橋をくぐりたい」との願いから、それがとてつもない遠回り思えたため。そしてそれ以上に“前回のリベンジ”を意識するあまり、2年前と同じコースにこだわったためではなかったか。今回最も反省すべきポイントだと思う(しかし、とにかく第3関門通過)。
こうして11:20瀬戸大橋を通過し、本島東端に昼食休憩のため上陸。この時点で、私の本心は「今日の仕事は終わり」だった。後は無理のない範囲で、どこまで西進できるか。これについても何人かのベテラン隊士のアドバイスに助けられた。(その1)昼食休憩に上陸する前だったか後だったかタイミングは忘れたが、楠隊士から「午後は、このまま本島・広島の南岸をまっすぐ西に向った方が良くないか」と助言された。“午前中に瀬戸大橋を超える”という最大の目標を達成し、心が軽くなった私は前回のコースへのこだわりからも解放され、初めてのコースに対する興味と、“瀬戸大橋からストレートに遠ざかりたい”という思いからそれに従った。(その2) 本島・広島の南岸を西進し、2時間かけて広島南端の早崎にたどり着いたとき、自分を含めて隊の体力はかなり消耗しているように感じた。ヘルシービーチを離陸してから休憩時間を除いて6時間漕いで来たことに加え、午前中味方してくれた追い潮(上げ潮流)も途絶えていた。真西には佐柳島、その手前に小島が見えている。小島までの距離は5km。「この海峡横断はちょっときついかな?キャンプできるかどうかも分からないし…それより北上して小手島に向う方が、途中まで広島の岸沿いに進めるので、精神的に楽では?」判断に困った私は、迷わずベテラン隊士たちに相談した。そのとき(たしか原隊長だったと思うが)「小島にもキャンプできる所があるよ。隊としては初めての島だけど、行ってみよう」とのアドバイスが。早速、休憩中の隊士たちに集まってもらい“小島への海峡横断”を提案すると、思いはそれぞれあったろうけれど、賛成してくれた。しかし予想にたがわず、この横断は体力的にも精神的にも結構きつく(三澤隊士はfbで「広島からの最後の海峡横断は逆潮で失速。もしかして体力の問題?(笑)」とコメントしている)、中間地点での洋上休憩を挟んで16:00小島着陸。振り返ると、意気揚々と超えてきた瀬戸大橋が小さく霞んで見えた(自己満足と言われるかもしれないが“リベンジできた”と総括したい)。
さて、この項を終わるに当ってお詫びしなければならないことがある。実はその夜の焚き火を囲んだ反省会で、私に対してどのような批判があったか全く覚えていないのである。辛口の批評をして下さった隊士の皆さん、誠に申し訳ありません(こんなことだから「いつまでたっても成長しない」って言われるんだろうなぁ)。

【2日目以降について】
ここでは2日目以降印象に残っている事柄を、逐条的にコメントする。
・ 2日目、昼食休憩に上陸した小室浜(鞆の浦と阿伏兎観音の中間地点)。着陸するときには何の困難も感じなかったのだが、40分後に離陸しようとするときには、腰高ほどの波がブレイクしている状態に。船の引き波とは異なり、なかなか収まりそうにない。そんななか、私は艇を波に対して直角に、半分海に浮かべた状態から乗り込み、離陸しようとした。しかし、荷物を満載した艇のスターンはなかなか浜から離れず、思った以上に高い波が一波二波と押し寄せ、容赦なく海水がコックピット内を満たしていく。「完全に水舟になってしまう!」その瞬間艇は浜を離れ、最悪の事態は免れた。それでも艇は半水舟状態。ビルジポンプで排水しなければならないが、何とポンプは後ハッチ上にバンジーで固定してあったのである!結局ほかの隊士に頼んでポンプを取ってもらい、やっと排水できた。(教訓その1)ブレイク状態の浜から離陸するときには、スプレイスカートをきちんとつけてから。(教訓その2)格好つけて自力で離陸するのでなく、後ろに人がいる場合は遠慮なく押してもらうよう頼む(その方がみんなに迷惑をかけずにすむ)。(教訓その3) ビルジポンプの使用が予想される場合は、事前にポンプは手の届くところに(当たり前?)。原隊長曰く、「ブレイク状態の浜へは、経験のあるものが最初に上がり、最後に出る」。そんな“経験者”に、いつになったらなれることやら。
・ 3日目の午前中は、断続的に雨に降られた。特に昼食休憩場所の伯方島沖浦ビーチ手前では、激しい夕立のような雨に見舞われた。その中、私はラッシュガード1枚で漕いでいたのである。それまでに、雨具代わりのパドリングジャケットをハッチの中の防水バッグから取り出すチャンスは何度かあった。しかし、「どうせすぐ止むだろう」とか「ジャケットを着ても内で蒸れて、濡れてしまうのなら同じこと」と甘く考えていた。だが激しい雨に打たれて(少し痛いほどだった)体温を奪われることで、体力をかなり消耗してしまった。したがって、こんなときはパドリングジャケットを何時でも着られるように、手元においておく必要を痛感した(これもベテランから見れば「アッタリマエじゃないの!」ということだろう)。
・ 4日目。上蒲刈の県民の浜から下黒島経由で倉橋の亀ヶ首を目指しての海峡横断。その日リーダーの井上隊士から「西原さん地元なんだから、どれが亀ヶ首か教えてね」と頼まれたのだが、黒島での洋上休憩のときいくら目を凝らしても亀ヶ首を特定できなかった。倉橋の山並みは何とか見えるのだが、海面近くが霧に覆われ「あそこが亀ヶ首」と示すことができなかったのである。そこで、海図とコンパスを使って大体の方向を割り出し、「はっきり分からないけれど、この方向に間違いないと思う」と、誠に頼りない助言(?)しかできなかった。しかし30分余り漕いでいく内、徐々に見えるようになって、無事横断できた。これと同じような経験を、私は初日にしている。大槌島から与島に向うとき、スタート時点で与島を特定できなかったのだが、「おそらくこの方向だろう」と見当をつけて漕いでいくと、だんだん見えてきたのである。(教訓)スタート時に目標がはっきり見分けられなくても、大体の方角さえ間違っていなければ、そのうち見えてくる。(これもアタリマエ?)

・ 6日目。昼食休憩直後、上関海峡手前で糸井リーダーの艇がラダートラブル。最寄の浜に緊急上陸し、原隊長初め数人のベテラン隊士たちが修理に当たり、私を含め大半の隊士たちは洋上でそれを見守っていた。結局10分余りで再出艇できたのだが、後で「あんなときはみんな上陸して協力し合うべきでは?」という意見も出された。しかし上陸後のカヤックの運び上げのような場合は全員の協力が必要だが、艇のトラブル発生時には、それなりの道具とスキルを持った隊士が少人数で事に当った方が良くはないか。私自身、第11次横断隊でラダートラブルに見舞われたとき、実際に修理に当ってくれたのは連河隊士ら数人だったが、それ以外の隊士たちに対し「冷たいなぁ」なんてことは毛ほども思わなかった。だが今回のトラブルに関して反省すべき点はある。(その1)過去の経験から、トラブルに備えた部品や工具は持ってきていた。しかし、それらはバウの一番奥に丸めて詰め込んでいたので、それを取り出すにはほかの荷物をすべて出してしまわねばならなかった。もうすこし出しやすい位置にパッキングしなくては。(その2)実際に修理に当らなくても、側でよく見ていれば色々勉強になっただろうと思う。そのいい機会を逃してしまった。

【おわりに】
 小豆島・祝島間を完漕したのは、今回で2度目である。そのどちらも小豆島→祝島であって、逆コースの完漕はない。たまたまなのか、それとも何か理由があるのだろうか。個人的には、“小豆島→祝島”の方がテンションが上がる気がする。
 最後に差し入れしてくださったサポーターの方々、歓待してくださった祝島の皆さん、ありがとうございました。そしてお世話になった隊士の皆さん、第15次横断隊での再会を楽しみにしています。お元気で。
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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