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2016第十四次瀬戸内カヤック横断隊レポート 井上 好司

第14次瀬戸内カヤック横断隊レポート 井上 好司

はじめに

 14次の参加メンバーは11名だった。僕が参加した過去2回は18~19名だったから明らかに少ない。少ないなりの良さがあって、今次のチームには誰かに与えられた訳でもない自分の役割を各々が果たしていたような、自立している自己完結したメンバーが集まったある程度成熟したチームの姿を見た気がした。
 ただ初参加者がいないという事にはいささか気になった。12次は6~7人いて13次は1人。そして14次はとうとう0人。10~11次のメンバーは30人を超えいろんなレベルの初参加者がいてその後様々な議論がされたようだ。その議論の結果が初参加者の減少と関係あるかどうかは僕にはわからないが、初参加者がいない年があってもいいと思うけどそれが常態化するのはよくないように思う。
 初参加者を招くのにハードルを低くするようなことはすべきではないが、ハードルの位置がどの辺りなのか見えにくいのも事実で、初参加者が多くなったり誰もいなかったりするのもそれが原因の一つではないか。
そんなことを考え、今回のレポートは12次~14次と3回参加した僕の目線で、アウトドアはやっているけど海の事は知らない、或いはシーカヤックはやってるけど横断隊の事は知らないという人向けに最新の横断隊を紹介するというスタンスで書こうと思うに至った。
 また全く個人的な事だが、中途半端にしかやっていなかった雪山を今シーズンは真面目にやろうと、10月半ばからトレーニングを始め、厳冬期はもちろん初めてとなるGWまで雪山をやってシーズンを閉めようと心に決めていた。と言う訳で横断隊から戻った翌週からアイゼントレに戻りその後ほぼ毎週末アイゼンを履いていた。レポートをじっくり書く余裕を作る自信がなく、今回は小出しの連載で提出というイレギュラーな方法を取らせて頂いた。

1、「横断隊の一日」

 不思議な7日間だ。この7日間の横断隊は無償だけど仕事のようなものだ。海旅から多くのものを賜る。少なくともレクリエーションではない。瀬戸内とは言え初冬の海は厳しい。極めてストイックな旅を強いられる。すばらしい景観・国立公園の景勝地が多々ある中、とにかく目的地に向って前に進むことを最優先とする7日間。14次である今年は小豆島の西端にあるヘルシービーチが集合場所。一昨年、12次に初めて使われた浜だ。毎年交互に出発地と目的地を入れ替える。目的地は山口県上関の祝島。横断隊とは切っても切れない縁のある島。距離はおおよそ260km。
 航海の計画は7日間の日程と集合場所、目的地が決められるだけ。前日集合場所に集まるまで誰が参加するのかわからない。何人集まるのか隊長ですら知らない。7日間毎日リーダーが変わる。前日夜に隊長から明日のリーダーが指名される。当然のことながら登山で言う所の「山行計画書」のような物は作らない。その日の気象条件で航海ルートは変わるしその日のリーダーの考え方よっても変わる。1日目のビバーク地すらおおよそこの辺りとはイメージできても事前には決まらない。今回の1日目のビバーク地が笠岡諸島の小島という小さな島になるとは出発時点でだれにも想像できなかっただろう。もちろんリーダー本人にも。だから計画書のようなものは作れないといった方が正しい。
 海上にはトレースは残っていない。山行記録のような物をネットで探してもありはしない。あったとしてもそんなものは参考にならない。海は天候・潮汐などの組み合わせで毎日変わるから。リーダーを担当する日はその人にとって究極のナビゲーション訓練とリーダー修行をする一日となる。
 横断隊には明確な参加資格というものはないが、大雑把に言うと、装備・漕行・生活技術のすべてにおいて自己完結できる事。プラスαとして、ついて行くのではなく自身でルートプランニングができることが望ましい。あとは10日以上の休みが取れる事。一般的に漕ぐ7日間の前1日と後ろ2日の移動日が必要になる。但し、途中参加途中離脱は認められている。

 標準的な横断隊の一日をご紹介しよう。
 前日夜に隊長から指名されたリーダーが明日朝出発前に行われるブリーフィングの時刻を決める。6時半ごろが多い。各メンバーは出発準備のすべてを整えてブリーフィングを迎えなければならない。起床時間は自由。ブリーフィングに間に合えばいい。朝食を取る取らないも自由だ。そこに縛りはない。
 ブリーフィングではその日のリーダーから、地図を見ながら今日一日の天候・潮汐・行程のイメージが告げられる。前夜リーダーに指名された者はおそらく深酒を控えて予習に専心する。以前は当日朝にリーダーを指名していたこともあったらしい。それなら全員がリーダーを務められるよう予習をしておかなければならないことになる。
 11月下旬の瀬戸内では6時半はまだ暗い。ヘッドライトを点灯させながらのブリーフィング。出艇は7時前になるがその時点ではヘッドライトのいらない明るさになっている。時々ヘッドライトを付けたまま海に出るものがいて笑いものになる。
 特別条件が悪くない日については最低限30km、標準40km、行けるならそれ以上の距離を稼ぐことがリーダーに課せられる。手漕ぎであるシーカヤックは潮と風の影響を受けやすい。追い潮・逆潮、追い風・向い風でスピードが全く変わる。多島海である瀬戸内には島と島に挟まれた狭い海域(これをまさしく瀬戸という)を通らねばならないところもある。有名どころでは「しまなみ海道」。しまなみにはその名も恐ろしい「舟折の瀬戸」と呼ばれる難所もある。そんな瀬戸には逆潮の時間帯には入れない。突っ込んでも前に進めずルームランナー状態になるのだ。「潮待ち」をする場合もある。
 約1時間漕いで10分程度の海上休憩を繰り返すが時には上陸してトイレ休憩。昼飯時には30~50分程度のランチ上陸休憩。16時頃を目安にその日夜を明かす浜を決めて上陸。
 上陸してまずすることは各人の艇を満潮ラインの上まであげる。満積載した艇を一人で動かすことは無理なので、1艇につき4~6人で担いで移動する。身体はインナーまで全身濡れている。かぶった海水と汗。だから浜に上がると冷たい。全艇移動を済ませたら次に流木拾い。焚火の燃料集めだ。朝の7時頃から約9時間漕いできて疲れ切っている身体に鞭打って歩きにくい浜を遠くまで歩いて流木を集める。焚火に火が付いたら火に当たりながら着たまま服装を乾かす。少し乾いたら1枚ずつ脱いでいってインナーまで乾かすのだが、その前に暗闇が迫る。ヘッドライトの用意がないとこの後えらいことになる。火から離れて自分の艇まで行ってライトを装着。本当ならそこでテントも出して張りたいところだが火から離れると寒くてすぐに焚火に戻りたくなる。
人によって様々だが僕はまた焚火に戻ってインナーまである程度乾かしてから艇に戻る。もう真っ暗。艇に戻って着替え、艇の近くにテント設営、明日の為の行動食の補充とマップケースの地図の入れ替えなどを済ませてから食事の準備をして焚火に戻るのがいつものパターンだ。焚火に当たって酒を飲みながら食事を作って、みんなで焚火を囲んで一緒に飲み食いする。至福のひと時だ。
 一息つくのが20時ごろ。その頃から今日の反省会が始まる。当然のことだが飲みながらで良い。リーダーから一日の振り返り、感想や反省の弁。他の者から質問、説明、賞賛等々。この反省会は中身が濃い。とても重要。反省会の締めは隊長から明日のリーダー指名。明日のリーダーから明日のブリーフィング時間が告げられて一日が終了する。

2、「アウトドアするという事」

 横断隊は「シーカヤックガイド養成プログラム」・「シーカヤックガイド道場」なのだそうだ。あの人が言うのだからきっとそうなのだろう。でも僕にはピンと来ない。たぶん僕にとっては違う。あえて言うなら、「海旅人養成道場」。
シーカヤックを漕ぎだしてもう7年ほどになるが最近になって僕はシーカヤックで航海すること海旅をすることが好きなんだという事に気付いた。日帰りでツーリングしたり1~2泊のキャンプツーリングは楽しい。波音を聞きながら気の合った仲間と酒を飲みつつ暗闇を感じ月明りを感じる事の大切さを知ることができたのはシーカヤックに出会えたお蔭だ。一週間程度の商業ツアーに参加するのもとても楽しい。でも自然と向き合っているかというと、向き合っていない訳ではないけど希薄だ。大事なところをガイドに任せてしまって自分で感じ考える機会を失っている。「大事なところ」は言い換えると「最も面白いところ」と言える。
 ルートプランニングを自分でしようとすると当然のことだが自然と正面から向き合うことになる。天候・風向き・潮汐・はるか遠くの低気圧・目に見える地形・目に見えない地形・海底の地形などなど。予想し得るリスクや困難を避けなるべく安全に行けるルートを考える。万一の場合の逃げ場を用意する。アウトドアをするという事はこういう事なんだと思う。
 都会の生活はあらゆるリスクや困難を可能な限り取り除いたところでなされている。都会人はリスクや困難が取り除かれたところで生きている。とても素晴らしいことだ。
 アウトドアをするという事はそのリスクや困難を取り除いていないところに身を置くことに意味があるのではないか?整備された登山道を歩くことや商業ツアーに参加するという事はリスクや困難を可能な限り取り除いたところに身を置いているに過ぎない。リスクや困難を避ける為に感じたり考えたりしなくても安全を保つことができる。「都会感覚のままのアウトドア」。
 シーカヤックを真面目にやっている人なら誰もが感じたことがあるだろう。浜から艇を滑らせて海に浮かんだ瞬間、今まで自分の感覚器官に纏っていた物が取り払われて直接感じ始める快感と怖れ。例えば風の向き・強さ・湿り気など都会ではあまり感じていなかったものを感じ始める。纏っていた物を取り払ったおかげで、自然が僕に様々なことを語りかけてくれているようだ。こんな感覚は商業ツアーや整備された登山道を歩いても少しは感じることはできる。でもその濃度はかなり違う。あたかも自然が僕を迎え入れてくれたかのように思えてくる。
 僕が好きだという航海・海旅とは自分の感覚をそういう状態にして海に出る事だ。(これを山でもできるなら山旅でもいいのだが…)自分の感覚で感じ取りその感じ取ったデータを基に考え行動を決定する。言葉にすれば一行にしかならないがこの内容は膨大だ。プロの将棋棋士が百手先を考えながら一手を打つように、剝き出しになった感覚が感じ取るデータ量は膨大でその中から必要なデータを取捨選択してそれを基に考えて決済する。それを瞬時に、長くてもせいぜい5秒くらいで。
海旅はそんなことを繰り返しつつ行われていく。僕にとってそのトレーニング場になっているのが「横断隊」だという事に気付いた。という事は横断隊は練習の場であって本番ではない。瀬戸内をゲレンデに7日間行われるトレーニング。瀬戸内を道場として行われる修行。本番は山用語では「本チャン」。横断隊が本チャンでないならどこかで本チャンをしなければならない。本チャンをすることのないトレーニングなんて意味ないじゃん。
 という事で今年のGWに初めてソロ遠征をやった。大阪から瀬戸内に入るのにはどうルートをとればいいかから考え始めた。結局和歌山の加太から出艇、友ヶ島経由で淡路島に渡り南岸を西進して紀伊水道を鳴門に渡る。さすがに鳴門海峡に突っ込むのは嫌なので小鳴門海峡を抜けて瀬戸内に入った。これは今後も続けるつもりだ。もちろん海域を替えて。
だから横断隊は「海旅人養成道場」でもあるのだと僕は思っている。ガイドになるつもりのない人も参加していいのです。
 今年3度目の横断隊で初めてリーダーを務めた。横断隊のリーダーはナビゲーション訓練とリーダー修行だと先程(第1編)書いたが、ナビゲーション訓練はリーダーでなくても本人次第である程度はできる。1回目・2回目の時にリーダーについて行きながら僕自身ナビゲーションの練習はやっていた。でもリーダー修行はある程度想像はしていたけどメンバーとして漕ぐ場合やソロで漕ぐ場合とパーティーで漕ぐのとはかなり違う。究極のガイド修行たるゆえんはリーダー修行の行き着く先なのかもしれない。

内田正洋: ハハハハハ・・・そうなんだよ、シーカヤックアカデミーだからして、商業ツアーガイドを育てるというのが始まりだった。もちろん、ガイド志望じゃなくても参加できる・・・とはいえ、商業ツアーガイドは、プロである。プロフェッショナルというのは、本職でもあるけど、専門家や専門的な人まで意味しているから、シーカヤックのプロ養成なんだな。
井上好司: 僕はシーカヤックの専門家になるの?
うーん、海旅人になる、でいいじゃん。
内田正洋: だんだん、専門的になってんじゃん!
井上好司: へー、そーなん?
山屋にこの世界の魅力を伝えようと、いろいろ考えているけど。
内田正洋: 「シーカヤック教書」118ページ、カヤック隊の行動というところを読んで下だされ・・・(*1)
井上好司: 誰かに貸して返ってこない。
内田正洋: 売っている
井上好司: 既に二冊買った。もう買わん。
内田正洋: あげようか?
井上好司: ありがとうございます。お気遣いなく。またお話し聞かせて下さい。
内田正洋: ソロ以外でのシーカヤックの海旅は、チームワークの世界に変化する・・・
井上好司: チームワークの世界にはとても興味が向く。新しい世界への展開とでも言っていいような。
原 康司: プロであろうがアマチュアであろうが海旅人になった後のビジョンをいかに見ることができるか、実践することができるか、それが横断隊の意義。
海から無償で得たものをいかに世の中に還元できるかでしょうね。
井上好司: とりあえず僕の周りの山屋に伝えたくて…
ところがなかなか伝わらないジレンマがあるのです。もっと深めないと…
原 康司: 山を目指す人はいわゆるサミット、オンリーワンを目指す自己完結思考。対して海は陸を目指す、いわゆる人の生活や文化が根づく場所。世俗と無縁では漕ぐことが難しいのも瀬戸内の海の特徴。海は人と人を繋げ国と国を繋げる。そうビジョンが広がるのも海旅でしょうか。
どちらも自然であることには変わりないのですから伝わる人には伝わるのでしょうね。井上さんの文章から気づかされることも多いです。
井上好司: 海と山では目指す場所に違いがあるということに初めて気付きました。
考えたことがなかった。ありがとうございます。
内田正洋: 海旅人のプロ・・・ということになるの。旅は「賜ぶ」であるからして。
原 康司: なるほどー。海旅人のプロ、、、そうですね!
井上好司: 海旅人のプロは海旅人の専門家、ですね。
平田 毅: とても面白かったです。ほんとは海に対してプロもアマもなく、その人の言ってることが本物かにせものか、深いか浅いか、面白いかおもろないか、が肝心なんだと思います。プロが、とかいうとえてして資格などの話に繋がり、中身そのものは形骸化してその分野だけの内輪ノリになりがち。そういうのもまた必要な事だけど、井上さんみたいな立場の人ももっと増えればいいですね。プロと言っても、テクニック的にはああ確かにこの人プロだなあと感心するけど、見識とか感性とかが浅いなあ、なんか貧しいなあ、って人もいっぱいいますから。逆にプロじゃない人がそこらへんを凌駕してしまうといいと思います。そういう意味でもこのレポート面白いですよ。
内田正洋: シーカヤッキングは海旅と翻訳する。英語でシーカヤッキングというのは、他に言葉がないからである。シーカヤックで旅をするという行為に適切な翻訳が海旅なのである。だからして、シーカヤッカーは、海旅人と翻訳する・・・シーカヤックガイドは、海旅人のプロだわな・・・
井上好司: うーん、内田さんがプロという言葉を使うとどうも僕はよくわからなくなる。
三代目や平田さんのプロであろうがアマであろうが関係ないと言った後のコメントは実にすっきり僕の胸に収まるのに。
シーカヤックのプロであるガイドの中にもテクニックは確かにプロでも感性・見識の浅い人もいる。つまり良質の海旅人ではない人もいる、ってことでしょう。「海旅人のプロ」ではなくて「海旅人」でいいように思う。
内田さんとは見てるものが違うんだろうな。そんな気がする。
平田 毅: 修験道でいう先達とか、武芸などでいう師範とかの感じが、プロってことなんじゃないですかね。自分の領域を超えて他者に伝えたり、教えたり、表現したりして影響力を持つ人。で、アマは妙好人みたいな存在。旅することそのものの中身はプロもアマも変わらんけど役割が違うというか。
井上好司: 「プロと言っても、テクニック的にはああ確かにこの人プロだなあと感心するけど、見識とか感性とかが浅いなあ、なんか貧しいなあ、って人もいっぱいいますから」                                 このことは山屋の世界にピッタリ当てはまりますね。体力・技量を磨いてより高みを目指す。高い所に達した者ほど評価される。個々人もそういう意味での高みを目指すことに面白みを覚える。でも山に入って何も感じていない。感じていないから当然何も考えていない。                             いい例が、赤石山脈が大好きという人にリニアをどう思うかと質問しても何も答えが返ってこない。大好きだと言ってる赤石岳のどてっ腹にトンネル掘るんだよと言ってもピンとこない。たぶんそれで赤石山脈やその山麓の自然のサイクルがどう変化することになるかイメージできないんだろうな。これがまさしく「都会感覚のままのアウトドア」。どう変化するかはわからなくても、「それは拙いことになる」というくらいは感じて欲しいと思うのです。
平田 毅: そういう風潮をいずれ一掃したいものですね。
井上好司: 塚本さん、この辺りの話をクライマーである塚本さんに聞いてみたいと思っています。僕の周りの山屋もクライマーにもこの辺の話ができる人がいないのです。
塚本 健: 自分の場合は、山と岩と向き合いながらも、グレード的なものには、「たぶん満足できない」、「それやない」みたいなのを感じながら、クライミングに向き合ってきました。決定的だったのは、ミッドナイトライトニングを登ったときでしょうか。
完登の扉を開けたときには、身体中を通り抜けた万物に対する感謝の念しかなかったのですが、すぐに「さあ、次の扉はお主次第だ」と言われた感じがしました。
ようやく、今、自分の発動の立ち位置に戻り、ここ辺野古や高江に来ています。機会をつくって、春までには大鹿村にも行く予定です。
井上好司: 大鹿村には僕も行ってみたいです。
内田正洋: 行きなさい。ボブがいる・・・

*1「シーカヤック教書」P118 カヤック隊の行動
(前略)
カヤック隊は、それぞれがシーカヤックの船長でもあり、船長の集まりです。初心者であっても漕ぎ手はそのシーカヤックの船長でもあるわけです。そのシーカヤックに責任を持つのが船長であり、初めてシーカヤックに乗った場合でも、そのシーカヤックの動きは船長によって決まります。カヤック隊というのは船団や艦隊なのです。船団の一翼を担う船の船長だという自覚が、最初から求められます。初めてシーカヤックを漕ぐ人であっても、その事実に変わりはありません。
(後略)


3、「4日目」

 今次の参加者は11名だったから3回目の僕にもリーダーが回ってくるのは集合した日から予想していた。誰もがそうだろうと思うが1日目の予習はしていた。ポイントは備讃瀬戸の転流時刻。1315から引き始める。それまで追潮、追風。とはいえ僕は1315までに瀬戸大橋にたどり着くことは全く無理だと思っていた。大槌島まで約25km、それから約10km。0700に出発しても休憩を取りながら35kmを6時間で行けるとは思いもつかず、1315から逆潮が流れ始めて徐々に流れが速くなるのだろうが、備讃瀬戸を逆潮の中手漕ぎで漕ぎ進めなくなるまでどの程度時間の余裕があるのだろうか?1400頃までならまだ逆潮の中前進できるだろうか?そんなことを考えていた。だから昼前に備讃瀬戸を通過できた事に驚いた。というより大槌島への西進中に時速10km出ているらしいと聞いた時点でそんなことがあり得るんだとびっくりしていた。この日の漕行は僕にとって未知の体験だった。
 瀬戸内を横断するにあたって核心部と言える海域が2か所ある。芸予諸島のうち一般に「しまなみ海道」と呼ばれる海域と忽那諸島。多数の島が接近して点在していて潮流の速くなる瀬戸の通過を余儀なくされる。今次で言えば3日目と5日目。ここに新米リーダーを充てることはまずない。それ以外の所ならまあ行き当たりばったりでも何とかなるだろうと思っていた。
 とはいえリーダーの役割を与えられた4日目の朝はやはり緊張していた。3日目のビバーク地は大三島の南岸ほぼ中央付近。前日夜のFBのコメントに僕は「4日目の明日は東北東の風強く、曇り、8時頃から上げ潮。追い風、追い波、向い潮。さあ、倉橋に渡れるか?とりあえず島々の南を岸沿いに。後は野となれ山となれ〜」と書いている。緊張しつつも開き直っているというか冷静さを保とうと努めていたのだと思う。とにかく海に出たら緊張感から解放されて肝が据わるはずだ。早く海に出たいと思っていた。約40km先、芸予諸島の西南端に位置する倉橋島の亀ヶ首まで隊を運ぶことができたら最低限仕事をしたことになると思ってた。ただ午後から東北東の風がさらに強くなる予報だった。そうなれば倉橋島への最後の横断が難しくなる。そんなことを考えながら0630にブリーフィングを行い4日目をスタートさせた。
 山を歩く時もそうだがパーティの先頭に立つと無意識にペースが速くなる。その為意識的にゆっくりと漕ぎ進めた。ゆっくり漕いでいるつもりなのだが隊がどうしても縦長になる。どうも僕のペースが速いらしい。こんなに意識してゆっくり漕いでいるのにおかしい。夏から秋にかけてあまり漕いでいなかったので1~2日目はかなりしんどかったが、4日目になって身体が漕ぎに慣れてきたのかもしれない。単に先頭を漕いでいるからでは説明できない不思議な感覚だった。
 島々の南岸を約25km漕いで1135に上蒲苅島の県民の浜で昼食休憩。1215からブリーフィングをしたいとみんなに伝えた。ここから先をどうするか?自分なりの考えはあったがみんなのアドバイスが欲しかった。僕はこのままもう数キロ岸沿いに西進してから風を見て、上黒島経由で倉橋へ渡るか風がより強くなっていれば倉橋は諦めてさらに西進して下蒲刈島へ向かうかを決めようと思っていた。島から島に渡る時に感じる午前中の風は7~8m程度だったと思う。ところが直接上黒島に向かえばいいと隊長が言う。岸沿いだと風裏なので風の様子がわからない。風の変化を感じる為に沖に出ようというのがその理由だった。風を避けられるうちはできるだけ風裏を行こうと考える僕にはない発想だったが納得できた。直接上黒島に向かい島の付近で風の様子を見てその先どうするかを決める事でみんなも同意した。
 上黒島へ向かう間も縦長になる傾向にあったが後方の様子が午前中とは少し違っていることに気付いていた。最後尾に1艇遅れているのは三澤隊士の場合が多かったがその前のベテラン隊士たちは平気な顔をしている。三澤さんが横断隊広報部長として動画の撮影をしているんだという事は僕の視力でははっきり見えなかったが容易に想像ができた。そういうことなら多少距離が空いても大丈夫、というか危険な距離が空く前に三澤さん自ら距離を詰めて来るだろう。
 1時間以上漕いで完全に風裏から脱した域に至っても風は強くなっていない。というより少し弱まった気がする。これなら倉橋に渡れそうだ。何とか渡りたいという気持ちとは別に冷静に渡れるという判断ができるようになった頃、僕はこの先上黒島には向かわずここから直接倉橋の亀ヶ首に向けて転進すると隊に告げた。その判断に至った理由を説明をせずに。何やら後ろでベテラン隊士が言っている。それも一人ではない。そうなると途端に弱くなる1年生リーダー。先程の転進の英断もどこへやら、説明もせず決断も揺らぎ、すんまへーん、当初の予定通り上黒島へ向かうことに戻してしまった。
 結論から言えばあの転進のタイミングはよかったと思う。ソロ漕ぎなら上出来だったと後で一人反省するときにもそう評価できたはずだ。ところがチームではそうではないのだ。みんなを納得させなければならないという事を思い知らされた。あらかじめ予定を告げているのだからそれを変更する場合はその結論に至った理由を説明し納得させることがリーダーに求められる。そんなことを思い知らされる出来事だった。またあの時点で説明し納得させられなかったのは僕の決断が決して強いものではなくかなりあやふやな決断だったのだろうと後にして思うのだ。ソロだったらそのあやふやさに気付かないで結果オーライという事になっていたのかもしれない。
 その後上黒島付近で海上ブリーフィングの後倉橋に向かう事に決定、16時過ぎになんとか亀ヶ首に到着できた。ぎりぎりなんとか最低限の仕事ができたと安堵した。
 リーダーだったこの日の事を事細かに書こうとすればまだまだたくさんあっておそらくこの5倍くらいのページが必要になるだろう。それでは切りがないので課題一つとお礼を書いてこの章を終える事にする。
 潮に流されていてもそれが分からない。理屈ではどうすれば判断できるかわかったが、感覚的に分からない。これは僕にとって結構やっかいな課題になりそう。
 僕のリーダーにサブとして付いてくれた島津隊士にお礼を言いたい。僕にとっては全面的に頼り切る存在ではなく、心理的には自由でいられて、でも時に的確なアドバイスをくれた。本当はきっとリーダーをしたかっただろうに… ゆーちゃん、ありがとう。

おわりに、

 6日目、今次最大の核心部の一つだったと言ってもいい北からの強風の中の屋代島から本州への横断を終え、上関の横断を控えたつかの間の風裏を漕いでいた頃はちょうど昼飯前の時間帯だった。昼はほとんどいつも袋入りラーメンを食べていたがその日は早ゆでパスタにしようなどと緊張感を解いて考えながら風裏を漕いでいた。昼休憩と言ってもいつもたっぷり時間が取れる訳ではないので早く作って早く食べ終える必要がある。コッフェルやガス・パスタなどが前や後ろのハッチのどこにあって浜に上がってからどう動くのが最も効率的かその順番を頭の中でシミュレーションしながら漕いでいたら、前方の海中から黒い物体が浮き上がってきて僕の艇の底を押し上げた。なんのことはない、前方不注意で隠れ岩に乗り上げたのだ。強くはなかったが後方からの風と波があったので結構やばい状況に陥った。まあその後の顛末は省くが、命に別条がない程度の失敗をいろいろしでかした。小さな失敗も旅の内と考えるか、小さいリスクを一つ一つ潰していく旅をするかは人それぞれの個性かも知れないが失敗は少ない方がいいのは間違いない。次回までの課題としよう。
 こんなレポートで横断隊に参加してみたいと思っている人の最後の一押しの役目ができるかどうか甚だ怪しいが、僕の周りで2名の方が小さく初参加表明しているようだ。その方たちにただただパドリングを続ける7日間とはならないように横断隊の原点ともいうべき「第一次瀬戸内カヤック横断隊結成の趣意書」の抜粋を贈らせて頂いてレポートを終えたいと思う。


*「第一次瀬戸内カヤック横断隊結成の趣意書」抜粋
「日本は、本来のカヤック文化を育んできた人々とほとんど同じ民族が暮らす国家であり、世界でも非常に稀な、成功したモンゴロイドの島嶼国家で、さらには1300年も続く世界最古の国家です。
この日本において、ほとんど唯一の内海、それが瀬戸内海です。この海でカヤックの普及が行われ始めたのは最近のことですが、カヤック自体はこの海よりさらに過酷な環境で育まれてきた舟です。したがって、極北の外洋におけるカヤックの限界性能をこの海で試そうにもそれは不可能なことでしょう。カヤックはこの海には過剰な道具なのかもしれません。
しかし、だからこそ、この海でカヤックをやることの意義は大きいのです。海からまったく離れてしまっている多くの現代日本人。自分たちが島の人間であることさえ、ほとんど忘却の彼方にあり、海流と潮流の違いさえ分かりません。数千年と続いている独自の海洋文化を自覚することもなく、ただ「サシミ」を食べるだけの日本人がここにいます。
世界中の漁師が日本人のために漁をし、養殖さえ行なってくれています。しかし、これだけ深い海洋文化は、世界に類を見ないのです。これだけ海を慈しむ文化、海に感謝してきた文化はないといっていいのです。その価値観を思い出す手段、それが海のカヤックです。
海のカヤックは、現代の日本人が忘れ去った、しかしながら、もっ とも大切な価値観を思い出させる道具であることは間違いありません。」
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瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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