FC2ブログ



→瀬戸内カヤック横断隊について←




←瀬戸内カヤック横断隊隊員の公開グループページはこちらのバナーから。

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://oudantai.blog98.fc2.com/tb.php/299-c4152aba

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

 今次は気温が低く、冷たい北西風の中で過ごす日が多かった。これぞ横断隊の時季、初冬の瀬戸内だなぁ・・・と思いながら厳しい環境の中で海旅ができたと思う。祝島で初日の停滞。フォーメーションの重要性。航海計器の使用禁止。海上でのリーダーの指示。三度の新たな野営地。転覆とレスキュー。日没後の航海。新しいルートの開拓。釣り人への意識。金刀比羅宮へ参拝。ユージさんの存在・・・。七日間の決められた時間を自分でどう考えて動くか、そして漕ぐか。横断隊は実践版シーカヤックアカデミーなので、「自然」と「人」から学べるのが楽しいと感じる。

 ここ数年はパドリングジャケットを脱着し、ポギーを使用せずに漕いでいたが、今次は最初から最後まで防寒対策が必要だった。途中、ポギーが左人差し指の上の皮膚を擦り、傷になり痛かったし、ポギーのせいなのか今までできなかった手のひらのマメも左手にできた。身体のどの部分でも痛みが発生したら気になるので、改善策を考えようと思った。

 一日目、横断隊初となる離陸なしの停滞だった。夜明けから14時まで何度も海を見たが、強風と大きな白波は治まらない状態だった。
 この日はたまたま祝島で原発反対の臨時集会とデモ行進があったので横断隊士も参加し、原隊長は挨拶することができた。本当は室津の広場で行う予定だったが、広場の工事が行われるということで直前に中止が決定したらしい。デモ行進は第六次の七日目(月曜)の夜にタイミング良く参加して以来だが、日中と臨時ということもあってなのか参加者が減っていた。後で原隊長に聞くと、10年前の反対派の状況とは違うことが色々分かった。
デモ行進の後に上映会も開催された。島で過去にどんなことがあったのか、初めて知った隊士もいた。
 夜は祝島の金田さんと出会い、食事まで用意してくれていた。凄く気さくな方で話を聞きながら大笑いし、最終的に金田さんは酔い潰してしまった。前夜はヒサボー家、清水さん、木村先生など島民から熱い差し入れをいただき、たくさん話もできた。15年間の瀬戸内カヤック横断隊と祝島の繋がりから大切な人情を学び、停滞したことは今次の運命だったのかなと感じた。

 二日目、10名の男達で周防大島の小泊まで漕いだ。上関海峡を渡った所で原家の見送りをいただき、子供達はおじさん達へ大きな声で応援してくれた。子供達とはいつか一緒にビールでも飲みながら話せる日が楽しみだ。
 沖家室を通過して野営地を目指したが、工藤リーダーは航海計器がない中、目標地を伝え、隊を誘導することが難しそうだと思った。周防大島の南岸は野営地が多いので、明るいうちに距離をかせぎたいことと野営場所に判断を迷う所もあったと思う。おまけに逆潮だ。初日の停滞で六日間という厳しい時間の中、小泊までよく漕いだと思う。
 小泊は僕の初めての野営地で、焚火をしながら心地よく過ごせた。9度目の瀬戸内横断中に新しい場所で野営できたのが嬉しかった。岩国から角田隊士がビールやお菓子を差し入れに来てくれた。ありがとう。

 三日目、リーダーを任され、上蒲刈島の恋ヶ浜まで漕いだ。夜明けから潮に乗って情島の東側から津和地島の西側ルートを目指した時、井上隊士が転覆してしまった。潮流の中を前後の間隔を空けて、素直な流れに乗りながら漕ぎきる場面だった。転覆した瞬間は確認できず、後者からのレスキュー合図のホイッスルも聞こえない中、後ろを確認すると転覆していた。三澤隊士が潮流の中でレスキューし、工藤隊士が少し距離をとってサポート準備で待機してくれた。レスキュー完了後は目視できた一番近い浜へ上げたかったが、潮の流れで全然近づかない状態。指示を切り替えて北上して潮目を抜け、パドリングで体温を上げてもらいながら津和地の氏紙鼻の手前で着陸した。井上隊士の再装備の準備時間と一緒に早めの昼食をとり、倉橋島へ横断した。
追い潮と比較的安定した海況のこの日は、前半、できる限り楽に距離をかせぎたかった。上蒲刈島まで漕がなければ、翌日の鼻栗瀬戸、もしくは船折瀬戸の転流に間に合わず、小豆島までの航海が難しくなると思っていた。この日は視界が良く、鹿老渡から一気に上蒲刈島へ横断した。向い潮という条件だったが日没までに十分着陸できると思った。しかし予想以上に潮が強く、亀が首を見ながら「オレ達は亀だな」という状態で漕いでいた。目標地点の上蒲刈島はハッキリ見えているが着陸地点は全然見えてこなかった。太陽がどんどん沈むことに「まずい、暗くなる」と責任を感じる。小休憩でヘッドランプと安全フラッシャーを装備してもらい、最後の約3キロは夜行装備を使用しながら上蒲刈島の岸沿いを注意して漕ぐことになった。隊は早朝から離陸しているので体力的にも辛く、暗い中のストレスも高めてしまい、翌日の漕ぎにも影響するかと思うと皆に申し訳ないと思っていた。でも前半に転覆があって、ここまで漕げたことは今次の隊士の気迫が伝わる一日だったとも思う。「暗くならないうちに、家に帰ろう」という言葉を昔からよく聞くが、この言葉が身に染みた。松山からシノちゃんがミカンを差し入れに来てくれた。みんなの疲れていた身体にミカンが身に染みた。

 四日目、雨の中を大三島の多々良キャンプ場まで漕いだ。午前中は追い潮の中をどんどん進むはずだったが、とびしま海道の南側は思ったより反流が強く、ペースが上がらなかった。僕はこの反流場所が今次で一番気になった。もう少しだけ沖に出れば潮に乗れたのかなと思うが、航路もあるし、風も強かったので井上リーダーの判断の難しさが伝わる。難所の鼻栗瀬戸は向い潮になっていたが、漕ぎあがれる状態だったので通過できた。雨で身体がどんどん冷える中、有料キャンプ場の前の浜へ着陸。井上隊士は昨日の転覆もあったのに、気持ちをしっかり持ってリーダーを務めたと思う。
管理人さんが現れて、山口県から漕いできた事情を説明した。浜もキャンプ場の管理区域なので手続きが必要ということで、尾道から「ダイスケ汁」を差し入れに来てくれた森隊士がシノちゃんと一緒に許可の手続きに道の駅まで行ってくれた。雨が凌げる簡易タープがあって、そこで焚き火をしながら話せたのが良かった。松山から島津隊士、弓削島から石田さん、静岡から鈴木くん、シノちゃんとたくさんの瀬戸内カヤック応援隊が集まった。この日、夜の隊長ユージさんの力の見せ所となり、流石だと思った。
 多々良キャンプ場も、僕が横断隊に参加してからの利用は初めてだったので、いい経験になった。

五日目、初めてのルートで百島の東側の浜まで漕いだ。朝一番に多々良大橋を右手に見ながら横断し、荒れた海を漕ぐ中、隊がバラバラになった。最後尾から先頭へ声も笛も届かない状態で、僕は原隊長と一緒に最後尾に着いていた。漕ぐ力や技術、経験の違いなどが関係してくる場面であり、隊として動くことの重要さが分かりやすい場面だったと思う。隊がバラバラになるのはリーダーだけの責任ではなく、個々の「固まっていこう」という意識に関係するのがよく分かる。隊列を組み、全員が無事に漕ぐことが、最終的には近道になるだろうと思った。
この日、弓削島や因島から東への最短ルート横断には厳しい風だった。北西風が強くなる中、しまなみの島々を利用し、風をかわしながらジリジリ進んだ。
佐木島から小細島を前に、北西風がどんどん強くなり海が荒れた。一気に細島の南東を目指すルートだったが三角波にやられ、小細島から離れた隊士と近くの隊士、といった感じで隊はバラバラ状態。この風でも漕ぎあがれると思う隊士と小細島の風裏へ行くだろうと思う隊士がいたと思う。ユージさんは小細島の南西の浜に、風と波で打ち上げられたように見えた。その浜からダンパーでの離陸に苦戦している時、原隊長が着陸してフォローする。海上にいた隊士はいったん後退し、小細島の南から東へ回り込み、浜で全員が合流して着陸した。北西風が落ちるのを待ちながら昼食をすませ、沖に見える白波が小さくなって離陸できた。
この日は三澤リーダーの少しでも東へ進むという気持ちと新たなルート開拓への思いが表れたと感じた。けっこう距離が長かった尾道水道を抜けた後、満越瀬戸から本州の水路を利用し、百島の東へ向かった。水路ルートを知る村上隊士の知識と経験に敬服した。本当に裏技を使ったような気分。
 夜は百島に鈴木カツ君が行動食を持って差し入れに来てくれた。ありがとう。

六日目、強い西風にあたり、走島まで漕いだ。この日の釣り人事件は全員で反省したいところだ。日中にかけて西風があがる予報で、今のうちに距離をかせぎたいと思っていたところ、西原リーダーが投げ釣りの糸に引っ掛かったか、掛かってないかという場面があった。二度。もちろん隊のペースは都度落ちて、漕ぐリズムにも影響した。それ以上にこのフィールドでツアーやツーリングを楽しむシーカヤッカーに影響してしまうなと思った。マナーは釣り人とカヤッカーで互いにあるが、問題を起こさずスマートに漕ぐことが得策ではないかと思う。釣り糸に近づいてしまったことも悪いが、リーダーだけの責任でなく、周りの声掛けや注意力も大切だと反省した。
阿伏兎をまわり走島へ横断する前、雲の動きを見てやばいなと思った。走島まで漕いでいる時も空を何度も見ながら風を意識した。走島で風待ちとなり、その後も海況は回復しないまま野営になった。この日は走島の海上で鞆の浦の岡崎さん、倉敷のナオミちゃんが大きな太刀魚とドーナッツを差し入れしてくれた。夜は内田元隊長、植村隊士、本橋隊士が走島の野営地まで来てくれて、ビールの差し入れまでいただいた。仲間が大勢いて、見守ってくれていることが嬉しかった。

七日目、風が不安定なことと向い潮ということもあって、最終目標地を小豆島から多度津の海岸寺へ変更した。距離と潮流の関係から小豆島まで漕ぐのは現実的に難しかった。渋川海岸はいつもの進路になるので、思い切ってルート開拓と金刀比羅宮へお参りすることにまとまった。横断隊で四国側を漕ぐことは第六次しか記憶に無い。僕は走島から南東へは、第九次の延期中に村上隊士と二人で瀬戸内カヤック遊撃隊として漕いだことがある。蓮河リーダーも気合の入った漕ぎだったのかどんどん進んでいった。
荘内半島の先端は荒れていることが予想できていたが、進路を東へ向けるのが遅くなってしまい潮目に入った。誰かが転覆するかと思うような激しい三角波の中を漕ぐことになった。隊はなんとか四国側へ入れた。最後までそう簡単にはいかない最終日だった。最終着陸地には内田元隊長や先輩隊士が到着を待っていてくれて、皆で金刀比羅宮へお参りに行った。このメンバーでのお参りは、ある意味貴重な経験でもあった。なかなかあの階段を上るのはキツイ。

最終の振り返り。今次はフォーメーションをほとんど組まずに漕いでみた。リーダーが先頭で後方は自由な位置にいたが、隊で動くことはいかにフォーメーションが重要か良く分かったと思う。リーダーは後ろを5秒に1度は見ながら進路やペースも考えるが、隊士が自由な位置だとリーダーは遅れているかの判断がしずらいと思った。声も届かないので伝達もスムーズではない。「もしあの場面で転覆があったらどうしたかな」と思う場面も多々あったと思う。毎日、漕ぐ位置は変えてもいいと思うがフォーメーションは安全確保と出来る限りのスピードアップの為に組んだほうが良いかなと思った。

航海計器については、時計や方位磁針がないことで太陽の位置に敏感になれ、自然の情報で航海できたことがいい経験になった。時間も経過するのが凄く早く感じた。瀬戸内は島が多いので、方向もわかりやすく、おまけに12時のサイレンとかも聞こえてくる。時には11時のサイレンなどもあるので引っかからないようにせねばね。潮汐も岸を見ればある程度分かる。スマフォからもほとんど解放状態で自然からの情報収集に集中できた。ただ、海図だけは航海中も使いたいと思った。朝一と夜だけの記憶では覚えられない所もあったし、瀬戸内を知るきっかけが減ってしまう気がした。案としては、海図は必要だと思う人はデッキにつける。たまに必要な人は、たまに見る。無しで勉強するなら持たない。などなど自由化もいいのかなと思った。みんなが船長だからこそ海図だけは解放してほしいなぁ。

最終日の夜、金刀比羅宮のお参り後の反省会。香川の漁師ビーテンさんからタコをいただいた。ありがとうございます。原隊長と大田隊士(ユージさん)が熱く話し合う中、横断隊士のみんなからユージさんへ還暦のお祝いでシーカヤックをプレゼントすることになった。夜の隊長ユージさんから教わることって大きいんだよなぁ~。ユージさんがFRP艇であと20年ぐらい漕ぎそうなので、楽しみです!

今次は日本一周中の飯山隊士が参加した。20代の元気あるカヤッカーだ。これからの安航も祈ってるよ。

みなさん、第十六次も宜しくお願いします。

2017年12月26日
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://oudantai.blog98.fc2.com/tb.php/299-c4152aba

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

検索フォーム

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。