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2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治

第15次瀬戸内カヤック横断隊レポート
西原敬治

【はじめに】

 最初、原隊長から“スマホ禁止令”が出されたときは、「ガラ携の自分には関係ないさ」とたかをくくっていたが、スマホだけでなく時計や海図・コンパスまで実際にご法度になるとは思わなかった。そのためレポートを書くにあたって、以前は工藤隊士やコータロー隊士の詳細なログや三澤隊士のGPSによる航跡図をたよりにしていたが、今回はそうは行かない。「さて、どうしたものか?」とぐずぐずしているうちに、4月になってしまった。ところが、4月15日開催の岡山カヌー駅伝の前夜祭の会場で、ばったり三澤隊士に会ってしまったのである。これ幸いと航跡図のfbへのアップをお願いした。「これで何とかレポートが書けるわい」と一安心したのだが……。
 そもそも、原隊長はどのような考えでスマホ等の排除を宣言したか。それは、隊長が横断隊fbにおいて昨年9月17日にコメントしたことに尽きている。そして、横断隊が“シーカヤックアカデミーの実践版”である限り(自分としては「堪忍してよ」とは思うものの)認めざるを得ない。第15次横断隊がそのような共通認識に基づいて行われた以上、そのレポートを書くのにGPSの航跡図に依存するのはいかがなものか。そんな思いも頭をよぎる。しかし横断隊が修了した現時点で、そこでの約束事に縛られることもあるまいと手前勝手に解釈し、色々迷った末三澤隊士の好意に甘えることにした。(横断隊に参加していない、このレポートの読者に対して弁明しておきますが、三澤隊士は漕航中GPSは一切見ておらず、禁止令には反していません。)


【仕切り直しにはエネルギーが要る(初日~2日目)】

 横断隊参加にして初めての“初日停滞”。予兆は佐賀から祝島へ向う、横断隊0日目からあった。昼前まではうららかな快晴無風だったのに、次第に風が上がり、沖合いに白波が目立つ状態に。「ここがこの状態だと、田ノ浦・祝島間は渡れる状態じゃない」との隊長判断で、急遽清水丸をチャーターし、室津港から出航。案の定、田ノ浦沖鼻繰島を過ぎたころから猛烈なうねり。キャビン外にいた隊士たちは全身潮をかぶり、びしょぬれ状態に。「明日はもっと悪いかも」という声に心が沈む。
 予想たがわず、翌朝出発の浜に向う途中、顔に受ける風は半端ではない。ミーティングでは、海況を目視できるまで待機することに決定。30分後、全員で突堤の先まで行って見渡した沖合いには、無数のウサギ(一説には鯨)が飛び跳ねていた。その後、数時間おきに開いたミーティング時にも状況は改善せず、結局停滞を決断。他の隊士たちの心中は分からぬものの、自分にとっては“蛇の生殺し”状態は多大なエネルギーを吸い取られることとなった。この日唯一の収穫は、島民の皆さんによる上関原発反対の島内デモに参加できたこと。
 翌朝出発前の仕切り直しミーティング。海況は前日よりは、ややましな程度。しかし、2日連続の停滞は、小豆島ゴールを決定的に不可能にしてしまう。全員一致の決定で離陸。すると、”断じて行えば、鬼神も之を避く”と言っては大げさだが、全員無事に田ノ浦到着。その後風裏ということもあってか、長島・室津半島・周防大島の南岸を順調に漕航。沖家室大橋をくぐるだけでなく、片添ヶ浜沖も通過し大鼻手前の浜に着陸。前日の停滞をかなり挽回する。2日連続のリーダー工藤隊士、お疲れ様でした。

【波乱万丈のなか一気に上蒲刈島へ(3日目)】

 翌朝、2年前の第13次横断隊を思い出しながら、何となく「今日は亀ヶ首泊まりだな」と考えていたのだが……。大鼻から結構時間をかけて周防大島東端に到達。情島との間の潮は余り流れていないが、絶え間なく漁船やフェリーが行き交う。それらとの間合いを計りながら一気に横断。問題は情島と津和地島の間の水道。情島の東端から津和地方向を見ると、沖合い20~30m幅が川(と言うより瀬?)になっている。それをものともせず、1人また1人と突っ込んでいく。自分もそれに続く。激流の中では、全力でフォワード・ストローク。それが沈しないための最良の策だと、自分は信じている。もう少しで瀬を抜けられるというとき、緊急事態を知らせるホイッスルが後方から聞こえた。本来なら方向転換し、何が起こったのか確認しなければならなかったが、自分にはそうする勇気・気力がなかった。数分後、井上隊士の沈と、三澤隊士を中心としたレスキューの様子を聞く。そのとき自分の無力さを痛感させられた。これが波乱万丈その1。
 波乱万丈その2。津和地島から倉橋島鹿老渡への海峡横断後の上陸休憩中、リーダーの楠隊士から「今日中に上蒲刈まで行ってしまいたい。そのため、最短コースとして亀ヶ首ではなく、黒島経由で上蒲刈島の恋が浜を目指したい」との提案があった。そのとき自分としては、「初日の停滞を挽回する積極的な案には違いないけれど、結構距離があるよ(後日、地図で測ると黒島まで15km、恋が浜までだと21km)。それに、今何時?」との思いが強かった。たぶん他の隊士も同じ心中だったと思う。しかし、その日の天気と海況が我々の背中を押した。全員でリーダー提案を了承し、休憩地を離陸。恥ずかしながら、自分にはナイトツーリングの経験はない。期待と不安の混ざった心境で、ヘッドランプを首にかけての出発だった。
 案の定、上黒島の沖合いで日没。そこから先は、ヘッドランプだけが頼りの漕航となった。しばらくしてリーダーから、地元である自分に「西原さん、恋が浜どのへんかなぁ?」との質問が……。いくら地元だといっても、真っ暗闇で島影さえ見えない。しかし、自転車で走り慣れた“とびしま海道”、そこを走る車のヘッドライトの流れで、それに答えることができた。問題はそこから先である。疲れた体を1分でも早く休めたいと、一直線に恋が浜に向おうとする自分。一方安全を優先して、まず岸に寄ってから島伝いに目的地に向おうとするリーダー。両者の距離は次第に開いて行く。すかさず後方から「西原さん、リーダーから離れちゃだめ!」の声が。そうでした、すみません。
 こうして、激流のような潮目越え、2つの海峡横断(そのうち1つは横断隊史上最長?)という波乱万丈の1日は終わりを告げたのだった。楠隊士本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

【ひたすら雨の中を漕ぐ(4日目)】

 この日の1番のポイントは“鼻栗・船折のいずれの瀬戸を越えるか?”である。潮止まりの時間は分かっているが、時計禁止の漕航であるためタイミングが計りづらい。とりあえず鼻栗に近づいた時点で判断することにして出発。朝から雨が予想される天気だったが、大三島にかかるころから本降りとなった。雨対策のためにラッシュガードの上にパドリングジャケットを着ていたのだが、長時間雨中を漕いでいると、雨のしみ込みと発汗による蒸れでびしょ濡れ状態に。他の隊士たちも似た状態だったのか、この日の上陸ポイントは“雨が避けられる場所”が望ましいということで鼻栗瀬戸を抜け、多々羅大橋たもとのキャンプ場(そこなら東屋があるとの村上隊士の情報)へ向うことに決定。幸い鼻栗瀬戸は難なく越えられて一安心。しかし雨の勢いは弱まらず、多々羅大橋をくぐるころにはハイポサーミア一歩手前であった。それだけに“瀬戸内応援隊”の森隊士が差し入れてくれた薪と豚汁には大々々感謝!
 この日の最後に残念な(と言うか、思い出したくない)ことが。原隊長から、「西原さん、明日リーダーやる?明後日でもいいんだけど」と指名されたとき、思わず「明日は勘弁してください、明後日にしてください」と翌日のリーダーを三澤隊士に丸投げしてしまったのである。正直言うと、翌日予定されていた横島までの多島海を地図なしにナビゲーションする自信が全くなかったのである。地元でありながら情けない。

【逆風また逆風(5日目)】

 前夜自分はテントの中で地図を見ながら、翌日のコースを“岩城島→生名島→因島(いずれも南岸沿い) →横島”と予想していた。しかし翌朝のミーティングでリーダーの三澤隊士は、そのときすでに強く吹き始めた北西風によって“因島→横島”の横断が危険と判断して、島伝いに北上するコースを提案した。これだと長距離の横断をせずにすむ。
しかしこの安全策も、風の影響からは逃れられなかった。キャンプ地から生名島へ向う途中では強風による波に翻弄され、生名島西岸を北上する間はずっと真正面からの逆風にあえぎあえぎのパドリングで、一息つけたのは高根島との間の水道に入ってからだった。次の強風域は、佐木島から向島に渡る途中。ここでの風はすさまじく、ちょっとでもパドリングの手を緩めると、たちまち艇が風に流されてしまう。そのため、風裏になっている小細島の入江に避難しなければならなかった。
 洋上の小休憩のあと、因島大橋を見渡せる海域まで来たとき橋の下の海面を見ると、遠目にも荒れている様子が見える。そこで、橋をくぐって横島に向かうことをあきらめ、向島の西岸を北上して尾道水道を東進するコースを選択。岩子島・向島を北上するとき、ちょうど高根島・生名島間と同じように風から逃れられると期待したが、何の何のすばらしい向かい風。やっと尾道水道に入って一息ついたものの、今度は不規則な三角波で、とても両岸の眺めを楽しむ余裕はなかった。一日中吹かれまくって、キャンプ地の百島北東岸に到着。

【リーダーを務めるも半日停滞(6日目)】

 いよいよリーダーを務める日。この日の予定コースは選択の余地が少なく単純だ。まずキャンプ地の対岸田島に最短距離で渡り、岸沿いに東進。阿伏兎ノ瀬戸を抜け、しばらく岸沿いに行ってから、海況をみて走島に横断。ここで昼食休憩。その後は、大飛島・小飛島を経由して真鍋島。できれば、そのすぐ東隣の小島まで。実は前年の14次横断隊の初日、追い潮・追い風に恵まれて小豆島から小島まで51km漕げたのである。したがって、翌日条件さえよければ小豆島ゴールは無理でも、手前の渋川海岸まではいけるだろう。出発前のミーティング、そんな思いで前述のコースを提案し、みんなに了承してもらった。
 7時に百島離陸。北西風に悩まされることなく田島に渡り、岸沿いに東進。ここで自分はその日最大のミスを犯してしまった。岸壁の上(海上から5m以上はあった)の釣り人に気づかず、釣り糸を引っ掛けてしまったのである。高い位置にいるとはいえ、沖合いからは釣り人が見えたはずだが、自分の視線は出口である阿伏兎ノ瀬戸であろう方向に向いていたため視認できず、気がついたときには、釣り糸が目前に迫っていた。とっさに上体を伏せてやり過ごせたと思ったのだが、スターンに取り付けたフラッグのポールに引っ掛かってしまったのである。しかも妙な具合に絡まったため、他の隊士に面倒をかけてしまった(このトラブルで、隊の進行を10分近く止めてしまった)。その日の夜の反省会で連河隊士から、「西原さんは釣り人に背を向けたままで、向き直って謝っていなかったが、あれは失礼だ。釣り人へのリスペクトが足りない。」と指摘を受けた。確かに自分は釣りをせず、上陸した浜でしばしば釣り糸や針などを見かけることで、釣り人へのシンパシーは薄い。しかしいずれにせよ“海で楽しむ仲間”であることに違いないのだから、先の指摘を肝に銘じておきたい。
 さて、阿伏兎ノ瀬戸を通過。小室浜海水浴場先の狐崎から走島方向の沖合いを見ると、白波は立っていない。走島への横断を開始。しかし、走島に近づくにしたがって北西風を強く受けるようになった。昼食休憩地として想定している唐船浜を目指して、島の右側から回り込もうとしていた自分に対し、原隊長から「それじゃあ北西風をまともに受けるので、左から行こう」と指示され、それに従う。隊長からはその夜再度「なんであのとき、右から行こうとしたん?」と聞かれた。実は14次横断隊のときも唐船浜に寄ったのだが、そのときの記憶から、自分は同浜が右の崎を回って直ぐの所にあると思い込んでいたのである。しかし本当は島の反対側にあって、左右どちらから行っても距離的には余り変わらない。そして、北西風を避けるためには、風裏である左から行った方が圧倒的に有利なのだ。唐船浜の位置を、出発前に海図で確認しておくべきだった。
 ところで、浜に向って最後の崎(島の東端)を回り込んだとき、真正面からすさまじい風を受けた。昼食時に沖合いを見ると、白波が勢いを増している。このまま予定通り、大飛・小飛島に渡るべきか?その方面の海況を確認すべく、隊長と共に裏の山に登ってみる。そこから東方向を見ると、風はそれほど感じないが、白波が目に付く。隊長は、「ここから見てさえあの程度なら、沖合いに出たらかなりの風と波だろう。無理して出れば、沈しないまでも命からがら島に到着したときには、隊はバラバラになってしまう。」自分はその時点で“停滞”を強く意識した。その数時間後、再度山上から観察するも状況に変化なし。最終的にミーティングを開き、停滞を決定した。しかし自分の中で、その決定が「100%海況の冷静な分析だけでなされた」と言い切る自信はない。心のどこかに「早く肩の荷を降ろしたい」という意識はなかっただろうか。

【えーっ四国上陸?!(最終日)】

 前日夜の反省会で、翌日のリーダーに小豆島の連河隊士が指名された後の雑談で、“最終日のゴールをどこにすべきか”が話題になった。小豆島まで残す距離は70km、現実的には小豆島ゴールは考えられない。そのとき連河隊士から、「多度津にゴールして、金比羅山にお参りに行こう」という提案が。そのとき自分は心の中で、「やめてよ!どうやって帰るの?」と、つぶやいていた。実は、最終ゴール地点からの撤収については、自分が所属する江田島カヌークラブのメンバーに、「高速代とガソリン代はもつから、車で迎えに来て」と頼んであった。それでもまさか、「四国まで来てちょうだい」とは。しかし、その雑談の場の雰囲気と連河隊士の口ぶりから、「単なるジョークだろう」と思っていたのだが……。
 朝のミーティングで“多度津着陸、金比羅山参り”が何の異論もなく承認。荘内半島を目指して走島を離陸。心配された北西風もそれほどではなく、途中の六島までは快調に漕航。しかし、そこから先が大変だった。北西風が徐徐に上がり、六島と荘内半島先端の三崎の中間地点からは強い追い波に苦しめられた。ようやくの思いで半島に取り付き、その後は岸沿いを南下。そのうち風は落ち、最終休憩地の亀笠島からゴールの海岸寺海水浴場浴場までは、V字編隊でゆったりと漕航。祝島スタート時には想像もしていなかった地点への着陸だったが、それなりに感動的なゴールだった。

【おわりに】

 スマホ・海図・コンパス・時計の禁止に止まらず、「来年から1つずつ禁止物品を増やして行ったら、面白いなぁ」と、原隊長はおっしゃる。自分は「えーッ、これ以上何を削るの?」と思ったが、口には出しかねた。確かに上記物品の“漕航中不使用”はプロガイドの皆さんはスキルアップに有効だろう。しかし自分のような、せいぜい月に3~4回しか海に出ない、趣味的カヤッカーにはハードルが高い。特に時計の不使用。今までなら昼食休憩で「××時まで休憩」と指示されたら、それまでは安心して食事や昼寝や排泄ができた。しかし時計なしだと、いつ出発の声が掛かるかと、うかうかしておれない。それに、当初“無補給”を前提とした横断隊だが、今や陸上からのサポートが重要な役割を担うようになっている(応援隊の皆さん、いつもお世話になっています)。リアルタイムの横断隊を発信する、何らかの工夫が必要ではないか。いずれにしても、何万年か前の“五感を研ぎ澄ましたカヤッカーを目指す”ことと、これらのことの調和をどう図るかは、自分ごときではとうてい考えつかない難問のように思える。
 さて、第16次横断隊はどのような横断隊になのやら。来次こそは足手まといにならぬよう頑張りますので、なにとぞよろしくお願いします。
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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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