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2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 塚本 健

2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 塚本 健

行程編

【参加するきっかけ】
もうずいぶん前から、上関原子力発電所建設に反対してきた「虹のカヤック隊」のことは耳にしてきた。
ただその当時は、仕事や環境で動けない自分がいた。
いま、自分はライフワークとして沖縄県名護市辺野古に通っている。
辺野古に新しく造られようとしている米軍総合基地の建設を止めたいとの思いをもち、
年に4、5回のペースで、カヤックに乗って海の行動にでている。
カヤックの上から、抗議の声をあげることはもちろんのこと、
フロートやオイルフェンスを引き出したりする作業を止めるため、直接阻止行動をすることもある。
以前、隊長の原さんから、
「辺野古での抗議活動について、みんなの前で話をしてくれないか。」と声をかけていただき、
山口県光市でスライドを交え、辺野古のカヤックチーム「へのこぶるー」について話をしたことがあった。
横断隊としては、2年前の第十四次横断隊のときに、応援側としてはじめて関わることになった。
いつかは参加したいものだと、ずっと前から考えていたが、
当時まだまだ辺野古での弾圧は、目まぐるしく日替わりで変化していく状況であったし、
なにか辺野古で事態が急変した時にはすぐに駆けつけたいと、常にスタンバイしていた。
また、自分が次に目指していたアウトドアにおける目標は、
ヨセミテのEl Capitanでのビッグウォールを登攀することにあったので、
横断隊に参加するのはまだまだ先になるだろうとなんとなく考えていた。
2018年9月30日に沖縄県知事選挙が行われ、玉城デニーさんが当選した。
選挙直後の10月2日から、再び辺野古の現場に行くつもりだったが、台風が来たため中止にした。
辺野古の埋立工事もしばらくはストップするかもしれない。
職場環境においては、まだオープンして2年目の店だが、
スタッフ間の信頼関係もガッチリきまってきて、いい感じで巡航できるようになってきた。
なんだか偶然にいろんな条件が重なり、「横断隊に行ってこい」といわれたような気がした。
自分は重大な決断をする時は、いつもこうした直感に従うことにしている。
今から思えば、横断隊に導かれたのかもしれない。


【前日 2018.11.18(日)】西宮から小豆島への移動日
事前に白石島の原田さんからお借りしたカヤックをハイエースに積み込み、山陽道を西へ。
原田さんとは、2006年に開催された「第五回花崗岩選手権」というボルダリングコンペで白石島に訪れたときからの付き合いになる。
モンベルのフレンドフェアにも「あいらん堂」として何度も出店していただき、
連れ合いの真理もブースで、度々、楽しみながらお手伝いしたりしている。
日生港から小豆島に向かった。
日生港では、車に積んでいたカヤックが5mを超えていたため、車長6m未満での追加料金を徴収されかけたが、良心的な係員さんのはからいで、車長の長さである5m未満にしてもらった。
フェリーは1時間ほどで小豆島の大部港に着いた。
出艇地に向かう前に寄っておきたいところがあった。
それは、池田にある八木さんという製麺所さんだ。
20年前、吉田の岩場にクライミングに行ったときに、立ち寄った製麺所さんで、天日干しでお素麺をつくっておられる方だ。
海とお祭りが大好きな方で、お素麺を送ってくれたときには、海からやってくる御神輿の写真も一緒に送ってくれた。
あまりにも美味しかったので、毎年取り寄せて楽しませていただいている。
八木さんのご自宅周辺も新しく建物がたっていたが、20年ぶりにお孫さんに囲まれた八木さんと再会することができた。
「カヤックでこれから祝島を目指すんです。」と言ったら、この先の潮のことなどを話してくれた。
集合場所であるヘルシービーチへ到着。
出艇前夜、サポートの皆さんとともに第16次横断隊最初の焚き火を囲む。
ここで、初めて顔をあわす人も多い。
初めて横断隊に参加する一年生から自己紹介が始まる。
夜には雨が降り出した。


【1日目 2018.11.19(月)】小豆島から本島まで (リーダーは西原さん)
いよいよ出発だ。
離陸の際、まだスプレースカートも着けてないのに、うちの犬が艇のスターンに乗ってきて、
いきなり沈脱させられそうになったが、鳴く犬をなんとか振り切り、出艇した。
それが、見事なまでに惨めな醜態をさらす。
自分はいつも意気込んだときに、よく失敗する。
自分では失敗とは思ってないが、よくヘマをやらかす。
だいたい、1回目にやっちまう。
ヘマの第一ファクターは、完全なる準備不足。
初めて乗る艇に、初めて手にするパドル。これだけの長距離を漕ぐのもはじめてだ。
いろいろ探るが、いつまでたっても、水をキャッチする感覚がつかめない。
それでも、みんなに遅れてはいけないと、腕漕ぎ全開で漕いでたら、左肩にヅンヅンする痛みがはしりだした。
そして痛みをかばおうとすると、肘が下がる。
トップギアで坂道をこぎ登っているみたいで、腕が回せなくなる。
カヤックを走らせる感覚とは対局の、カヤックを引きずってるような感じで初日は終わった。
16時過ぎに本島に着陸。ほぼ無風だったが、初日からキツイ一日だった。
焚き火タイムと反省会。
西原さんからの報告があった後、ユージさんから最初の質問。
「今日、心が折れた人は?」とあり。
誰も手を挙げない。
次に「じゃあ、心が折れそうになった人は?」との質問あり。
その時焚き火を囲んでいた全員が、「そりゃ、塚本さんじゃろー」と思っていたに違いないが、
心優しい花ちゃんが「私、折れそうになりましたー。」と言ってその場を和ごましてくれた。
自分は、まだ意地をはって「折れそうにもなってませーん。」と強がった発言をたれ流していたが、翌日にはちゃっかりと折れそうになった。


【2日目 2018.11.20(火)】本島から小飛島まで (リーダーは工藤さん)
ちょっとは左肩の痛みも治っているかと、根拠のない期待をもって漕ぎ出したが、あまかった。
左シャフトを押すたびに、ヅン、ヅンと軋むように痛い。前日よりもひどい感じだ。
初日と同じく2列目を漕いでいたが、すぐに後方に遅れてしまう。
「塚本さん、くらいついていきましょう。」
「塚本さん、がんばりましょう。」
隊を前に進めるべく、幾度となくみんなが声をかけてくれるが、身体が動かない。
ようやく追いついたら、隊は出発し、また遅れるの繰り返し。
そうこうしているうちに、もうとっくの昔に乗り越えてきたと思っていた自分のネガティヴな一面が顔を出し始める。
だんだんとみんながかけてくれる声が、素直に受け容れられなくなってきたのだ。
とっくに絶滅したと思っていた悪い「つかもとたけし」の登場だ。
気づいたら、三澤さんが、そんな情けない自分の横についていてくれていた。
この日は、リーダーの工藤さんはじめ、みんなの心労具合は大変なものだったと思う。
自分が、今回の横断隊での最大の反省点を挙げるとすれば、こうしてネガティヴな面をさらけ出してしまったことだ。
隊全体のペースは上がらず、自分があまりにも遅れるために海峡横断の途中で休憩をとったりする始末。
昼休憩のときには、出発のときにちょっとでも素早く出れるようにカヤックを波打ち際に置いていたところ、大型船の引き波に持って行かれそうになった。
失態の連鎖。
この日の予定では、横山海岸まで、最低でも走島まで行く予定だったが、リーダーの判断でかなり手前の小飛島を目指すことになった。
終盤になって、最前列のリーダー工藤さんの横で漕がせてもらい、ペースを合わせてもらってなんとか小飛島着陸。
①自分のせいで、最終目的地である祝島まで行けないかもしれない…。
②みんな、がんばって日程をやりくりして参加してるのに、自分が原因でこの第十六次横断隊をぶち壊してはいけない…。
③明日も、調子を取り戻せなかったら、みんなに迷惑かけないように途中離脱も考えないといけない…。
④大口たたいて、10日間も休みもらって来たのに、ここでリタイアしたら、どんな顔して帰ったらいいのか…。
⑤五十手前にしてこの醜態。こんなんやったか俺は…。
などなど、この2日目は一日中そんなことに心を囚われながら、漕いでいた。情けない奇声もあげた。
最後、着陸の時には余程へばっていたのか、人生初の「降り沈」をする。
絶対そんなことするはずがないと思っていたことをやってしまったことのショック。しかし、この「降り沈」が自分への大きな警鐘となった。
こんなにエグゾーストしている状態では、なにかあった時に正しい判断ができないかもしれないとの危機感を感じた。
再乗艇にも手こずるかもしれない。全然、自己完結できてない。
自分を整えて、やり直そうと決意した。
ハッチに積んできた焼酎もこの日の一杯を最後に、軽量化のため海に流そうと思った。
この日の反省会では、心の内をできるだけ正直に吐きだした。弱いところも、汚いところもすべて。
結果、それがよかった。みんながそのままの自分を受け容れてくれた。
ようやく隊士のみんなと一体になれた感じがした。
これぞ、横断隊なんだとわかると安心できた。単独ではなくみんなで漕ぐことの意味なんだと解した。
とてもいい反省会だった。
よし、明日は、化け変わった良いほうの「つかもとたけし」に戻ろう。


【3日目 2018.11.21(水)】小飛島から弓削島まで (リーダー 角田さん)
すっきりした氣持ちで目が覚める。前日、お湯割り一杯だけにしといたのもあるのかもしれない。
今日は、自分のスタイルに戻ろうと思った。できるだけ自分を拘束するようなものを手放そうと思った。意識も、装備も。
そのように吹っ切れたのは、前日の反省会があったからだ。
まず下半身。締め付けの強いネオプレンパドリングタイツをやめ、厚めのアンダーウェア(ジオラインEXP)の上にレインパンツをはき、足は裸足に。
下半身を楽にしたことで、細かい身体の動きができるようになり、艇の動きを感じられるようになった。
出艇前、リーダーの角田さんに、最初のうちだけペースを落とし気味でいってもらえないか、と頼んだ。
ここまで艇を走らせる感じがまったく掴めなかったので、調子を掴むまでは自分の感覚を優先して、いろいろ探りたいとの理由からだった。
結果、この午前中にじっくり動きを感じる時間がもてたことで、忘れていた感覚を取り戻すことができた。
(そうだった、これだった、これだった。乗車率200%の重い地下鉄を運転する感覚で漕ぐんだった。乗客を揺らしてマイナス妖気をださないように、ゆっくりと速度を上げていき、軌道を滑らすんだったYO!)
高気圧に覆われ、天候も幸いした。ベタ凪の水面を追い潮に乗って驀進。
後から聞くところによると、後方ではパドルカレントで大変だったらしい。
カヤックは海苔の筏の間を進む。暮らしに結びついた瀬戸内の豊かさを感じながら、パドルを回した。
不思議なことに、左肩の痛みはなくなった(かわって、両手に血豆ができたが)。
前日夜、内田さんが「慣れるよ」とコメントしてくれてたとおりになった。
隊はこのまま弓削島に着陸。浜では、サポートのみなさんによる豚汁や、ビール、お寿司、氣持ちの差し入れがあり、ありがたさが染みわたる。
反省会のときに、あだ名付け名人のゆーじさんから「間男(まおとこ)」というありがたいネームをいただいた。
なぜ「間男」なのかというと、反省会のときなど、話しているときに言葉と言葉の間に「間(ま)」があるというのが理由だ。
これだけは言っておくが、夜みんなが寝静まった後に、女子のテントに入ったわけではない。
これは、かなり自分に性格をよく表していて、いつも自分はなにか言葉に出そうとするときに、つまることがよくある。
言葉と自分の思っていることとの間に、微妙な音階のズレや温度差があったときに、言葉に出すのをやめてしまうのだ。
自分の言葉の引き出しが少ないのもあるが、心と発する言葉が違ってでも、その場をやり過ごすのは誠実ではないと思ってしまう。
それ故に、よく黙ってしまうのだ。
それにしても、こうしてユージさんから、こうして、いじくってもらえるようになったことが、何より嬉しい夜だった。
そして、まだギリギリで祝島着陸の目標をつなげたことも嬉しかった。


【4日目 2018.11.22(木)】弓削島から岡村島まで(リーダー 森さん)
前日あれだけ高気圧に覆われていたのに、夜にはまとまった雨が降り出した。
雨の中での撤収も、いつも辺野古瀬嵩の浜で慣れているのでなんともなかった。
ハッチにすぐ積みこめるようにバッグに小分けにして、後はテントをたたむだけの状態に。
砂だらけのテントをたたむのは嫌なものだが、幸いにもここはすぐ上にコンクリートの遊歩道があり、さほど砂に悩まされずにすんだ。
まだ真っ暗だったが、この日のリーダー森さんは早々に出艇できる状態で海をみていた。
この日は大潮。そして核心である舟折瀬戸を通過しなければならない。
大型船が通るこの瀬戸を、潮がとまっている時間をねらっていかなければいけない。
しかも時計や計器なしで。
そして、最も漕力に不安がある私のことは、最大の氣になるファクターであろう。
森さんは、そんなことを頭に入れながら、海を見てたのだろう。
この日は雨対策として、上半身をリバー用のスプラッシュジャケットをやめて、
山用のレインウェア(ストームクルーザー)とアクアテクトリストバンドの組み合わせに変更。(これが一番快適だった。)
離陸の頃には小雨になりはじめた。向かい潮なので、反転流をねらって岸寄りを進む。
自分は相変わらず遅れそうになるが、その絶妙のタイミングでリーダーから的確な檄が入る。
森さんの檄はいつも「おのれ自身と向き合うように!」と言われているかのように的を得ている。経験の裏付けを感じる。
そして一方では「後でたっぷりと、塚本さんの好きな追い潮に乗せちゃるけえ」と言ってくれるように期待を持たせてくれたりもする。
さすが、プロの案内人だ。
途中、潮で大きく流され、隊がニ分することもあったが、沖浦ビーチで潮待ちをし、核心の舟折瀬戸は絶妙のタイミングで通過することができた。
見事なリーダーのナビゲーションだった。
伯方島にて昼休憩。ここで出口さんと、角田さんが途中離脱。握手をして別れる。
朝の予報では、北西の風が午後から吹くとの予報だったが、北東からの風が強く吹いた。
まあ、見事なまでの向かい風、舳先を目標に向けるのも一苦労。途中、楠さんが抵抗になっていたフラッグをたたんでくれた。
なんとか必死のパッチ漕ぎで越えるも、このとき右手首を痛めてしまった。
一旦、大下島の港から上陸して幕営に適した場所を探すも、テントが張れる場所も、焚火をする場所も、艇を安全に上げておく場所もない。
日没が迫りつつあったが、覚悟を決めて岡村島を目指すことになった。
幸いにも風はおさまり、夕陽に向かってパドリング。最後の岬を越えた岡村島の浜に着陸。ようやく焚き火を囲める幸せをみんなで噛みしめた。


【5日目 2018.11.23(金)】岡村島から倉橋島まで (リーダー飯山さん)
大潮。強い向かい潮をかわすために、岸よりをインベタで進む。自分はリーダーのすぐ後ろにつけさせてもらい、1列になって進む。
それでも、岬を過ぎるたびに、潮の流れで大きく外側に放り出される。
ラダーのない飯山さんの艇が、目の前でピョンと横っ飛びするみたいに外側にドリフトする。
それを見ていた自分も、同じ潮の流れに捕まり大きくふくらむ。後ろから「ダメ、ダメ、ダメー!」と声がかかる。
ラダーを大きくきって、またもや内側へ必死のパッチ漕ぎをする。
前日、痛めた右手首が腫れ出した。右手をかばうように漕いだことで、また不自然なパドリングに振れる。
5日目まで来たんだ、なんとか祝島までもってほしいぞこの右手。アクアテクトリストバンドの端から、腫れた腕が明宝ハムみたいにはみ出ている。
この日は、風もあり、ずっと波立っていたが、ふと隊長の艇をみるとそんな状況の中、海惺が力強いパドリングをしていた。
素晴らしい! かっこいい! たのもしい!
道の駅の浜に上陸して、昼休憩。ここでユージさんにアクシデント。
ヌメヌメで滑り、コンクリートに頭を打ってしまったのだ。(それから、ユージさんの調子がおかしくなる。みんなの心配が大きくなってくる。)
自分も、この日は何故だか胃の調子が悪くて、うまくペースに乗れない。
お昼に食べたリゾッタも、行動食として摂ったナッツバーも、すべて瀬戸内の魚たちへの撒き餌にしてしまった。
この日も、自分ひとり遅れ気味になりながら、亀が首を回り込み倉橋島の浜に着陸した。
誰もいない静かな浜だった。
上陸してすぐに、隊長と海惺が鉄鍋をさげて浜の端に消えていった。
しばらくして戻ってきた。鉄鍋の中に入っていたのはヒジキ。焚き火で炊いて、海のミネラルをみんなで吸収した。
なんだか、より海に融合した感じがした。
この日、月夜の反省会でも自分の弱さをこぼした。
ちょっとした言い合いになりかけ、またもや、氣もちの梁が崩れ落ちそうになったが、
「隊として強くなくていいんや。個として強くなればいいんや。」という隊長の一言で、得心した。
結果として、隊は再びまとまった。これぞみんなで漕ぎ続けることの意味だ。


【6日目 2018.11.24】 倉橋島から周防大島へ (リーダー 三澤さん)
すっきりした気持ちのいい朝を迎えた。今日中に周防大島までつけてないと祝島ゴールは厳しいという。
日の出とともに漕ぎ始める。朝日の美しさに心をうたれる。
誰かが「来年の年賀状写真はきまりだな。」ってつぶやいた。
今日も、潮の早いところを通過するとのことだった。天気は快晴。暑いぐらいだった。
リーダーの三澤さんの隣につけさせてもらい漕ぐ。天候がよかったのもあるが、自分でもこんなペースでいいの?と感じるくらい余裕をもって漕ぐことができた。
今回の横断隊で、はじめて雑談をしながら漕ぐことができ、心底からほぐれた。
頑張って意気込んでるだけではだめだ。心も体も開かないと。
やっぱり、ゆんたくは大事。
順調に巡航して、目的地である周防大島の南側、沖家室島向かいの浜に着陸。ここは丸石の浜でとても快適。砂に悩まされなくてよい。
陸からサポート隊も合流。ありがたい差し入れをいただく。
ここまでもいろんな方がサポートに来てくれたが、そんなサポートチームの方々の笑顔が何よりも嬉しい。感謝。
この日の反省会では、ようやく祝島が射程距離に入ってきたという実感で、みんなが笑顔だ。
リーダーを務めた三澤さんは、余程神経をすり減らしたのであろうか、焚火の横で早々に撃沈していた。ほんとお疲れさまでした。
この日は、前日、言い合いになった飯山さんと遅くまで語りあった。
「これがあるから、横断隊だけは毎年参加したいと思うんですよね。」と飯山さん。
自分も、また参加したいと思った。
夜の焚火はすばらしい。


【7日目 2018.11.25(日)】 周防大島から祝島へ (リーダー 楠さん)
いよいよ最終日。ここまでのリーダーが、つないでつないで、ここまで来た。
2年前にカヤックで渡りたいと思った田ノ浦から祝島への横断はできるだろうか。
今日の予報では、どの予報でも西風が強くなるとのことだった。
途中、一隻の船が我々に怒鳴りながら、猛スピードで脇を通り過ぎた。
何を言ってるのか聞き取れなかったが、我々に敵意をもっていることだけはすぐにわかった。
隊長の話によると、原発誘致になびいてしまって、お金をもらっちゃた人ではないかとのことだった。
やっぱりそうなのか。かなしいよ、とても哀しい。
原発マネーによって、海や、仲間、ご先祖などを裏切ってしまったことによる後ろめたさ。一生ついてまわるであろう後悔の念。
これは、つらい、きついと想像する。
この人達も救いたい。それができるのは、人類の総意として、この惑星から原発をなくす決断をすることしか方法はないと思う。
そして、それは人類がチェルノブイリとフクシマを経験した今、できると思う。やろう。
自分たちは、もう核はこりごりなんだ。
いままで他の現場でも、同じようなことがあった。
長良川の河口堰建設反対運動に参加していたときには、わざと挑発するように爆音を鳴らしに来たジェットスキーがいたし、
辺野古ではカヤックでの一日の行動を終えて浜に上がったときに、右翼の車が来て、通せんぼされたことがあったりした。
ほかにもたくさん事例はある。
こんなことがあったときにいつも感じるのは、
なんで、こんな海や川で、心がデフォルトで穏やかになる自然の中で、
人を攻撃するモードになれるのかなあ、ということだ。
(自分は、他人に踏まれたことよりも、踏んでしまったことの方がいつまでも記憶に残り、突然叫び出したくなる衝動に駆られるんだ。)
話は、大きく脱線してしまった。でも、漕ぎながら、一瞬のうちにそんなことを考えた。
予想以上に強い西風に悩まされる。特に長島まではきつかった。
でも、ようやく見慣れたところまで来た。心は自然と軽くなる。
上関海峡の横断では、みんなで全力漕ぎで競漕をする。西原さんがぶっちぎり。
日没までの残り時間が気になり始めた頃に、田ノ浦上陸。
2年前、応援で田ノ浦に来たとき、原隊長がみんなにここで話していたことを思い出す。
「横断隊の目的のひとつは、ここ原発建設予定地である田ノ浦に来ること。そして祝島の人たちの話を聴くこと。」
そう話していたのを、はっきりと覚えている。
そして自分の身体で、ここ田ノ浦まで漕いできて、その意味が刻み込まれる。
香川県、岡山県、広島県、愛媛県、山口県、そして地元の兵庫県。
カヤックで漕いできたけど、どこが行政上の県境なのかはわからない。
だけど、これだけはわかる。ここ瀬戸内は「海の途(みち)」なのだと。
ずっとずっと、風を感じ、潮を感じ、生き物たちを感じ、つながれてきた命を感じ、人はこの海とともに生きてきたんだってことがわかる。
この原子力発電所建設計画は、上関原発建設計画ではなく瀬戸内原発建設計画なのだ。
浜でトイレを済ませ、建設予定地のフェンスを見ていると、中から年配の警備員が浜に出てきた。
ここでは人感センサーと監視カメラが、現役で稼働している。いまだ建設計画は立ち消えになってはいない。
田ノ浦を後に。祝島への最後の横断。
ひさぼうさんの船が、ちょっと距離をとって伴走してくれる。
祝島の左端に沈みゆく落陽をみながらのパドリング。途中からヘッドランプを点けて漕いだ。
祝島が近づいてきたとき、もう一隻左後方にいる漁船が気になった。
後からわかったことだが、祝島の漁師、たみちゃんもお迎えに来てくれていたのだ。
ついに祝島の港に入る。防波堤の上から、島の人たちの拍手で迎えられた。
暗闇の中、仲間たちがラダーを畳む音が、パタンパタンと響いたときこの旅の終わりを実感した。
寝袋など、最小限の荷物だけを持って、島の民家へ。
テーブルの上には、直美さんが腕をふるってくれたお料理が並ぶ。
第16次瀬戸内カヤック横断隊最後の反省会、というか報告会。
隊長から隊員への話が印象的だった。
「いま、みんながいるこの家で、何度も何度も、こうして島の人たちと集まって、原発建設計画を止める話しあいをここでしてきました。」
そうなんだ。
ここに見える景色は、その時当事者でなかった自分にとっては「久しぶりの畳の上でありがたい。」ぐらいのものでしかないが、
ずっとずっと闘ってきた、隊長や島の人たちに見えているこの空間はぜんぜん違うんだと認識した。
この海を守るために、この人たちは凄い闘いを続けてきたんだって。
ここまで漕いできて、感覚と風景が一致した瞬間から、涙が止まらなかった。
自分が関わってきた辺野古や高江のシーンとも重り、涙に拍車をかけた。
友達や仲間の逮捕、怪我、救急搬送、精神的苦痛、トラウマ…。
1週間の身体的疲れも作用してか、自身の中にある氣が丸裸になったようで、ただぼろぼろと涙を流した。
そして、同時に希望も沸き起こった。
こうして、まだ、上関原発はできていない。
そして、辺野古の新総合基地もできていない。
ちょっとかもしれないが、自分が動くことで、創っていける未来がある。
そう思うと、次に続く力が漲って(みなぎって)きた。
この海の途を渡って  核のない未来へいこう
この海の途を渡って  基地のない未来へいこう
思っているより近い未来へ  みんなで いこう

~ 行程編 おしまい ~


番外編
はじめて1週間の横断隊生活を経験し、この経験で得たことを、日常に、仕事に、チームづくりに活かし、還していきたいと思いました。
これから参加しようとする方の参考にはならないかもしれませんが、記録として、記憶として、残しておきます。

【装備と食糧計画】
今回、カヤックとパドル以外は、ずーーと使い慣れたものばかりを持って行くようにした。
フラッグは、以前から使用しているモンベル製のシットオン用フラッグを加工して取り付けた。
原田さんから艇とともにお借りしたカマボコ型デッキバッグがとても使いやすかった。ボトルや食料、ヘッドランプなども素早く取り出せる。
慣れたキャンプ生活はとても快適で充分な休息を取ることができた。
テントは、27年前に購入したムーンライト3型。自分が寝ている寝袋の場所を中心に、どこに何をどのような状態で置いておくかは、習慣化されているので、ヘッドランプがなくても、すぐに必要なものを手にすることができる。山か海かの違いはあれ、パッキングの段取りも自動化されているので、起床してからの準備も素早く、テント生活はまったくストレスがなく充分な休息につながった。
アウトドアでの睡眠は、我を忘れてぐっすり眠るものではないことを経験上識っていたことも大きかったと思う。
冬山でも、テントの壁を通じて、風の変化や、テントを埋めようとする雪の降り積もり具合などを感じて寝る。横になっていても、常に感覚ははたらいている。電化製品のスリープ状態だ。だから休めていないかといえば、全く逆で、日中オンになりっぱなしの意識と感情の回路を切断しているだけで、感覚だけにゆだねているだけで、身体にも精神的にも充分な休息になることを識っている。
オンになっている意識や感情は、かえって自分を縛りつける。
意識と感情と感覚が融合したときこそ、次の段階に昇華するように感じている。
食糧はできるだけ軽量化に努めた。
水は、途中で補給できると予想し、8リットルのみ。焼酎の大型ペットボトル2本におさめた。
朝は、マルタイ棒ラーメンと、スティックコーヒー。
朝のうちに、ジェットボイルで沸かした熱湯を、アルパインサーモボトルにつめておく。
昼は、そのお湯を入れて3分でできるリゾッタ(もしくはサタケのマジックパスタ)、とブレンデイのスティックコーヒー。
素早く温かい食事が摂れるので、気持ち的にもゆったりできた。
夜は、基本的に米を炊くか、ナンを焚き火で焼いてカレー。
行動食はナルゲンボトルにナッツバーや、スポーツ羊羹、ドライフルーツなどをパンパンに入れ、止まる度にまめに補給する。
途中、芳地さんからいただいた「こんぶ梅」がめちゃめちゃ美味かった。
出口さんは、おばあちゃんの干し柿を持ってきていたが、和的な行動食は心を豊かにしてくれる。
加藤文太郎みたいに、甘納豆と小魚なんかもいいかもしれない。次回の候補にしておこう。
ちなみに、酒は芋焼酎の紙パックを1本。それと祝島に着いたら飲もうと持っていったオリオンビール(名護工場製)を1缶。
ストーブはジェットボイル。ガス缶は2つ持っていったが、1缶で十分だった。焚き火でも調理できるのでお湯を沸かすだけなら余裕だった。

【モンベルと横断隊】
自分は、1995年に起きた阪神淡路大震災がきっかけで、以前に勤めていたシステム会社を辞めた。
そのとき、モンベルが最初のアウトドア義援隊として、六甲店をベースに、テントやタープ、寝袋などを被災者に供出しているのを知った。
そして、この会社に関わりたいと思い、当時、関西では2番目のクライミングジムがある六甲店で、アルバイトとして雇ってもらったのがはじまりだ。
(まさかその後、その六甲店で7年間も店長として任されることになるとは思わなかったが。)
当時は、バブル経済の末期。それでもまだ建設省が先頭にたって、全国各地でコンクリートによる自然破壊はすすめられていた。
すでに、長良川河口堰はできてしまっていたが、公共事業の名のもとにダムが造られてきた。
また、原生林や自然林を伐採しながらも、観光開発という名目でスキー場やゴルフ場が造られてきた。
アルバイトから正社員としての入社面接の際に、「モンベルでやってみたいことは何ですか?」
という質問があった。
「多くの人がフィールドへ出ていくことで、本当の自然の素晴らしさにふれることにより、個々が自発的に自然を守ろうとする、そんな社会意識を醸成したい。」
というようなことを答えた。
そのときの思いは1ミリも変わっていない。
かえって強くなり、ようやく将来的ビジョンをもって語ることができるようになってきた。
そして自分の場合、そのビジョンを達成するにあたっての近道は、モンベルの一員でいることだと信じている。
自分が入社した頃にくらべると、ずいぶんモンベルは大きくなった。
もはや、アウトドア用品を販売するだけでなく、アウトドア文化を拡げるという責務がある。
まさに、自分が抱いていた夢が次なる目標にある。
かつて、システム会社の一員として勤めていたこともよかった。
自分には、会社員として勤めあげることの自負と誇りがわかる。
同期だった仲間たちには、部下をもち、決裁権をもっている者もいるだろう。
実質的に経済界を支えている、多くの会社員や行政職員の意識に、生活者の意識に、「アウトドア」という観念が浸透することで、意識の土壌は変わっていく。
そして、それにはやっぱり海からの視点が必要なのだ。
横断隊に参加するまでは、海というのは陸を区切る境であるという観念が、自分のどこかにまだあった。
しかし、カヤックで旅することで、海こそ「つながり」そのものだということがわかった。
海のアウトドアという観点が加われば、さらにアウトドア文化は深化し、拡がっていくだろう。
自分もモンベルも、「山」を原点としてきたが、そうした意味でも、この会社でやるべきことはまだまだある。
 
【声をあげることについて】

自然の中に身を置くことは、氣もちいい。
その心地よさを享受して、これから先、自然を大切にしたいと考えるのは当然だ。

だけど、

海が埋め立てられようとしていること、
自然林が伐採されようとしていること、
核関連施設が造られようとしていること、
止まっていた原発が再稼働されること、

そんなことを知っていながら、そこに触れずに、自然の素晴らしさだけを語ることは、自分はできない。

自然を消費するだけでは、真の満足を感じれない。

心の芯からの悦びを感じたいから、そんな心の不一致を消化したいから、
そこを解決すべく、環境を守るための、いわゆる「運動」の現場に出向くことがある。

学習会、講演会、環境シンポジウム、現場での阻止行動…。
なんとかしたいから、その場に駆けつける。

イタいやつだと思われているかもしれない。

でも、「今、動かなきゃ」と心が発するときには、自分はその発動に従うようにしている。
だから、現場に行くのだ。

行動にはリスクが伴う。
逮捕されるかもしれない、怪我するかもしれない、ネット上でたたかれるかもしれない、それらが原因で仕事に穴をあけることがあるかもしれない…。
それらのリスクも想定しながら、考えに考えて、それでも行動の現場には行ける範囲で行く。

自分側からの勝手な思い込みかもしれないが、会社の上層部では、
「うちには、こうして辺野古に通って、カヤックで抗議行動に出たりしている社員もいるんですよ。」ぐらいに、考えてくれてはるんではなかろうか、と思っている。
そこのところが、自分が感じている会社との信頼関係だ。

会社全体として、組織全体として、原発や新基地建設に反対する立場を表明するのはすばらしいと思う。
たしかに、ダム建設反対の立場や、原発反対の立場を、企業の名前を全面的に出して表明することによる社会的影響力は強いとは思うが、
企業として表明しなくても、個々として、日頃から自然なこととして、このように考えているスタッフで構成されている会社にいることを誇りに思う。

自分は、原発の問題や、基地建設問題を解決するヒーローでありたいとは思わない。

ただ、普通の会社員が、ショップ店員が、カヤッカーが、クライマーが、オジサンが、
こうして環境問題について、たまに声をあげ、シャウトしていることに誰かが氣づいてくれたらなあ、とはちょっと思う。

そうして個々として、声をあげる仲間が増殖している頃には、
自分たちが望む未来に塗りかわっていることだろう。

横断隊に参加したことで、
誰も取りこぼすことなく、みんなで望む未来へ行くんだというイメージが掴めたように思う。

【ゆめを語ること】
自分の創りたい景色を想像する
自分が思う未来を創造する
近い未来をつかむのさ
みんなが
ごきげんに
おだやかに
朽ちていけるように
にんげんだけじゃないぞ
鳥も
魚も
菌類も
ごきげんに
朽ちていけるように
そんな普遍的な未来をめざそう
冒険は必要さ
それをしなけりゃ
しぼんでしまうぞ
みんなで
いこうぞ

~ 番外編 おしまい ~

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2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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