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2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治

第16次瀬戸内カヤック横断隊レポート
西原敬治

【はじめに】
 横断隊のレポートを書くということは、私にとって苦痛な作業です。2011年の第9次横断隊から始まって今次で8本目のレポートとなりますが、毎回“乾いたタオルを絞る”様な思いでキーボードに向っています。
これを読んで下さる方々には申し訳ありませんが、ここには初参加者の初々しい感動や、ベテラン隊士のような海やパドリングについての深い考察はありません。自分自身が今次横断隊の一員として過ごした間で感じたこと、考えたことをありのままに書いただけです。したがって、初日の小豆島離陸から最終日祝島着陸まで網羅的に書くのではなく、あくまで私の心に残ったことだけしか書いてありません。それらは第三者から見れば取るに足らない事柄かもしれませんが、“乾いたタオル”から絞り出した数滴と思ってご容赦ください。

【事前調査より】
 小豆島集合日(11月18日)の数日前、「一応、横断中1週間の潮の状態をみてみるか」と軽い気持ちで調べ(http://sio.mieyell.jp/)てみると、「これはヤバイぞ!」。なんと、初日と2日目が中潮、それ以後6日目までずっと大潮。最終日にやっと再び中潮。ということは、コース中難所である“しまなみ越え(船折or鼻繰)”や“周防大島手前(津和地or諸島)”がどちらも大潮期間中。天気と違って、潮だけは確率100%!この時点で、私の心の中で“3回連続小豆島→祝島完漕”に黄信号が……。ついでに初日の潮流を調査(“潮流推算”で検索)すると、8時ごろから東向き(つまり逆潮)に流れ出し、9時から11時まで1~2Knの逆潮が続く。したがって、小豆島のヘルシービーチを7時に離陸したとすると、9時には直島手前。そこから大鎚島を経由して瀬戸大橋直下の与島に向かい、大橋を越えるのが通常の最短コースなのだが、その間中ずっと強い逆潮の中を漕がなければならない。「こりゃあ、初日から大変じゃー」。
【悪い予感がしたんだ】
小豆島集合日、江田島カヌークラブの仲間に車で送ってもらい、玉野市沼を午後1時過ぎに離陸。4時過ぎヘルシービーチ着陸。到着直前の黒崎沖で、「西原さーん」と呼ぶ声が。どこからするのかと周囲をよく見ると、同じく集合場所を目指していた村上さんだった。「漕ぎ方ですぐ分かったよ」とのこと。オレはどんな漕ぎ方をしてるんだ?
その夜、地元の連河さん心尽くしの差し入れをいただきながらのミーティング。原隊長をはじめ、隊士のみんなと1年ぶりに再会した嬉しさにウィスキーがすすみ、思わず事前調査で得た初日の情報を口にしてしまった。すると、すかさず隊長は「じゃあ初日のリーダーは今回も西原さんね」。西進コース3回連続初日リーダーともなると、酔いと諦め(?)の気持ちから「分かりました、やります」。事前調査の時点で、かすかにしたんだ。悪い予感が……。

【初日リーダーの任務は果たせたか?】
初日未明2時過ぎに目覚め。酔いが去った頭の中には、その日のコースが浮かんでくる。“直島→大鎚島→与島”が逆潮でだめなら、反転流を探しながら本州沿岸を進むしかない。しかし、そこは一度も漕いだことがないエリアで、しかも漕航中は地図(海図)を見てはならないルール。それともう1つ、“どこで瀬戸大橋を超える(くぐる)か?”。沿岸コースの延長上には下津井瀬戸。できればそこは通りたくない。考えれば考えるほど空恐ろしくなり、リーダーを引き受けたことが悔やまれる。「いっそのこと仮病でも使って…」と、あらぬ妄想まで浮かんでくる始末。これではならじとライトをつけ、地図を見ながら頭を冷やして再考する。結局、「沿岸コースといっても、直島南岸までは過去2回のリーダーのときと同じ。そこからは北に進路変更して本州を目指す。いかに初めてのエリアだといっても、どれが本州か分からぬことはないだろう。そして本州に取り付いたら、岸沿いに西進するだけだから地図は不要。そのうち渋川海岸(大きな海水浴場だから、分からず通り過ぎることはあるまい)に着くだろうから、そこで昼食休憩。それ以後のコースは、その場で考えよう。分からなければ他の隊士と相談すればいい。」という考えに落ち着いたころには、出発準備にかからねばならない時間になっていた。
6時50分ブリーフィング開始。未明に考えたプランを提示し、みんなの了承を得た。出発前の記念撮影の後、7時ちょうどにヘルシービーチ離陸。直島南岸までは、①つとめてゆっくりしたペースで漕ぐこと②できるだけ頻繁に後ろを振り返ること-の2点を心がけた(つもりだったが、角田隊士のレポートを読むと、そうでなかったらしい)。逆潮の影響がもろに出て、直島南端に着いたのが11時(時計禁止のルールのため、これ以後の時刻表記は三澤隊士提供によるGPS情報による)。15km余りに4時間もかかったことになる。ここから荒神島南岸を経由して本州(犬戻鼻)を目指すのだが、この海域がこの日1番の要注意エリア。というのも、宇野と高松を結ぶフェリーが超頻繁に行き交っているからだ。特に宇野港を出航したフェリーは、葛島や荒神島の陰になって直前まで見えない。
本州に取り付いてからも、ペースは思うように伸びない(パドルが重い)。おまけに無味乾燥な人工物や工場の連続。こっそりパドリングジャケット下の腕時計をカンニングすると、12時半をとっくに過ぎている。腹も減ってきた。すぐ後ろを漕いでいる、初参加の隊士のみんなの疲労も気掛りだ。「渋川海岸はまだか?」かなり焦りながら漕いでいると、工場地帯が途切れたところにこじんまりした浜を発見。迷わず上陸し、昼食休憩(後から地図で確認すると、小さな鼻の向こう数十m先が渋川海岸だった)。
昼食と熱いお茶で腹を満たし、たっぷり休憩して気分一新。正面前方を見ると、意外に瀬戸大橋が近く見える。「これ以後は岸から離れ、瀬戸大橋を目指そう」という思いが強まる。この日の宿泊地を本島北端を回りこんだ所の海水浴場(12次と同じ)と想定すると、まず大橋手前の釜島を目指し、櫃石島と岩黒島の間を通って大橋を通過するのが最短コースとなる。それを出発前のブリーフィングで提案し、了承を得る。「これで初日リーダーの最低限の任務“瀬戸大橋越え”が果たせる!」と気持ちが高まり、パドルも軽く感じる。後で調べてみると、これは気分の問題ではなかった。昼食場所を出発したのが13時30分。そのときは既に転流時刻を過ぎ、潮は西に向って流れていたのである。“潮流推算”によると流速は釜島までが0.4~1Kn、釜島から本島までが1~2Kn。また、三澤隊士のレポートにも「昼休憩の後は追潮。流れに乗りつつ瀬戸大橋を通過。」とある。
2時間弱で瀬戸大橋直下の櫃石島南端に到着。そこは多少の流れはあったものの、全員難なく通過。目指す本島は目前(約2km)だが、ここの横断も要注意。大型貨物船の航路となっており、右にも左にも細心の注意を払わねばならない。ここも無事通過。しかし、この日最後の最後で大きなミスを犯すところだった。本島の北にある向島は、本島との間が最も狭いところで200m足らず。そのため私の位置からは両島がつながって見え、向島を本島と誤認し、その北側を回ろうとしかけたのである。そのとき後ろから、「西原さん、その島は本島じゃないよ!」との声が(たぶん村上隊士)。そのおかげで遠回りをすることなく、両島の間を抜けてゴール。午前中の逆潮による遅れを昼食後の追い潮で挽回して、何とか初日リーダーとしての任務は果たせたとしよう(甘い?)。

【その他もろもろ】

4日目(弓削島→岡村島・リーダーは森隊士)
この日、心に残ったことが2つあった。1つ目は船折瀬戸の通過。誠にあっけないほどの、完璧なナビゲーションだった。潮止まりの時刻は前もってスマホなどで調べられるにせよ、時計を見ないでぴったりその時刻に合わせるなど、私から見ると“神業”でしかない。長年のガイド業で培った勘と経験を見せ付けられた場面だった。
 2つ目は大下島への緊急上陸。伯方島での昼食休憩の後、大三島南岸に取り付いたころから北西風が徐々に強まり、せっかくの追い潮にも乗り切れない。特に大三島から大下島への横断では、今まで風除けになっていた大三島を離れ、大きく北に開けた海域を漕ぐことになったたため強い北西風をまともに受け、たまらず途中の岩礁に毛が生えた程度の小島(肥島)南岸に張り付かざるを得ないほどだった。やっとの思いで大下島の風裏に漕ぎ入れ西進。「ここまで来れば野営予定地の岡村島に着いたも同然」と一安心したが甘かった。岡村島手前の小大下島との間が、先ほどの大下島・大三島間以上に大荒れだったのである。そのうえ、今度は途中に肥島のような風除けになる島も全くない。わずか2kmほどの距離が、その倍以上に感じられる。ひとまず洋上で集合し、ブリーフィング(私はその直前あるミスを犯したのだが、それについてはレポートの最後で述べる)。結局、小大下島への横断を断念し、大下島で代わりのキャンプ地を探すべく岸沿いに北上(そのときの向かい風もつらかった)。岬を回りこんで、大下港最奥部に数人の偵察隊が上陸するも、適当なキャンプ地は見つからない。次に港から北に見える小さな鼻の上に建つ東屋を目指す。東屋直下の猫の額ほどの砂利浜に艇を乗り上げ、全員上陸。しかし、そこはアスファルト舗装された道路があるだけで、とてもテントが張れる場所ではない。吹きっ曝しで体は冷えてくる、焚き火は焚けない、夕闇は迫ってくる……。小心者の私は気が気ではない。そんな状況でも隊長は冷静だった。しばらくして隊長は「風も多少落ちてきたし、海況もよくなってきたので、予定通り岡村に渡ろう」と指示したのである。
 17時27分、夕闇迫る岡村島観音崎の浜に着陸。こうして今次横断隊で“一番長い(漕航距離)日”が終わった。“いつ如何なる状況でも冷静さを失わず判断すること”を学んだいい機会だった。

5日目(岡村島→倉橋島亀が首・リーダーは飯山隊士)
今次横断隊での下蒲刈島から亀が首への横断は、14次のときとは違って海上の見通しがきき、はっきりと亀が首が視認できて安心して漕げた。途中、広島・松山間のフェリーや高速艇をやり過ごすための洋上休憩が数度あったが、2時間余りで下黒島から亀が首先端に到着した。
この日強く心に刻まれたのは洋上での出来事ではなく、日没後のキャンプ地から眺めた光景だった。焚き火を囲んでみんなが語らうのに耳を傾けながら、亀が首の上空をふと見ると素晴らしい満月が…。野営地はゆるく湾曲した入江の奥で集落は背後の山の裏側にしかなく、正面には漆黒の斎灘が広がっている。そんな人工の光が全くない中で、冴えわたる月光が反射し、海面に光の道が現れている。そして、その道の縁はさざ波によって微妙に揺らめいている。そのとき隊士のみんなの声が一瞬消え去り、自分がその光の道をどこまでも歩いている幻想にとらわれた。

6日目(倉橋島亀が首→沖家室島対岸の浜・リーダーは三澤隊士)
最終日を残して沖家室島対岸に到達できたことは、“祝島ゴール”への大きな前進だった。この日印象深かったのは、出発前のブリーフィングでの三澤リーダーの決断だった。事前調査の所で書いたように“周防大島手前(津和地or諸島)”はコース中屈指の難所で、しかも当日は大潮。こうした条件の下、三澤隊士は“津和地・諸島水道を避け、情島東岸を迂回する”ルートを選択した。彼の技量・経験からしたら、「あえて激しい潮流を漕いでみたい」という思いはあっただろう。しかし、初心者を含めた隊全体の安全を第一に考えての選択だったと思う。このレポートを書いている今、潮流推算を見ると鹿島からの海峡横断を終えて津和地島北の沖合いで洋上休憩していた時点(11時ごろ)で、上げ潮流はかなり弱まっているように見える。しかし、“推算”はあくまで推算である。現に原隊長は休憩中、「隊全体が津和地瀬戸に吸い込まれているぞ」と指摘し、隊は休憩を即時切り上げ西進したのである(うかつなことに、私はそのような状況に全く気づかなかった)。危険を前にして下される決断は、危険から離れた所でなされてこそ価値があるのであって、決断をためらって危険の渦中に突入してからでは“時既に遅し”。その意味でも、安全を第一とした三澤リーダーの決断は的確だったと思う。

最終日(沖家室島対岸の浜→祝島・リーダーは楠隊士)
祝島まで残すところ40km余り。ここまで来たら“何が何でも祝島”という思いが全隊士の胸にあったのではないか。この日しみじみと思い出すことが2つ。1つ目は上関海峡横断後長島南岸を進んでいたとき、1隻の漁船が猛スピードで追い越しざま、我々に罵声を放ったこと。原隊長によると、中国電力から“あぶく銭”をもらった原発賛成派の漁民だろうとのこと。自分の主義・主張に自信があるのなら速度を緩め、我々に議論を吹っかければいいではないか。そうではなく船名を確認されたくないかのように、悪態だけ残して全速力で逃げ去る卑怯さ。怒りを感じるというより、金の魔力に負けた人間の哀れさを痛感した。それと同時に、原発賛成派を身近にしながら、“上関原発を建てさせない山口県民連絡会事務局長”として生活する原隊長の大変さ(したたかさ)を思った。ちなみにこのレポートを書いている今、ネット検索で“上関原発を建てさせない山口県民大集会2019”の開催(3月23日)を知った。原さんすみません。23日は“しまなみ縦走”という自転車イベントに妻と一緒に参加することに前々からしていたので、集会には参加できません。来年は早めに開催日程をチェックし、参加させてもらいます。隊士はじめこのレポートを読まれたみなさん、参加可能な方はぜひご検討ください。下記URL参照。 (https://stopkaminoseki.wixsite.com/kenmin-daisyukai2019)
 2つ目は田ノ浦から祝島までの、あの表現し難い80分間の漕航。田ノ浦到着は16時30分。例年はここで原隊長から上関原発についてのレクチャーがあるのだが、迫り来る日没を慮ってか、それはなし。トイレ休憩後、直ちに祝島に向け離陸。そのとき我々が目にした光景は、横断隊のfbのカバー写真(その日リーダーの楠隊士撮影)のように超感動的なものだったのだが、残念ながら私にはそれを味わう余裕はなかった。心の中は「過去2回(第12・14次)と同じように、明るいうちにあのゴロタの浜に乗り上げたい」という思いのみ(私には“過去の成功事例にこだわる”という性癖があるようだ)。海況に問題はなく、距離も4kmしかないのだが、なかなか思うように前進できない。そうこうしているうちに、日はとっぷりと暮れる(田ノ浦で装着していたヘッドランプは、かなり前から点灯)。そうなると、“夜道に日は暮れぬ”とかえって落ち着く。17時59分、祝島着陸。ある方は洋上の漁船から、ある方は桟橋の上から、横断隊を見守り歓迎してくださった祝島のみなさん、ありがとうございました。また、この1週間いろんな所で心尽くしの差し入れをして下さったサポーターのみなさん、ありがとうございました。

 【おわりに】
 レポートの最後に、本文中で触れられなかった何点かについて書いておきたい。

①排泄について(「えーっ?!」と思う人は読み飛ばしてください)
私は何度も妻と一緒に海外への団体ツアーに参加したが、いつも気になるのは食事のことではなく、排泄のことである。トイレ休憩にバスから降りるたびに「どんなトイレだろう?混んでいないだろうか?うまく用が足せるだろうか?」と、すごく不安になる。横断隊の1週間も事情は全く同じである。キャンプ地に上陸すると先ず、人目を避けて用(“大”の方)が足せる場所を探してしまう。ちなみに今次、用が足せずに不安を抱えたまま朝スタートした日が2日あった。漕航途中のトイレ休憩(“小”の方)でも苦労する。まず準備としてライジャケやスプレースカートを脱ぐという、他の人には不要な作業がいる。それにレイブンパンツやラッシュガードの上げ下げがへたで手間取る。極めつけは、排尿に時間がかかる。これは精神的な原因もあって若いときからそうなのだが、最近は加齢がそれに輪をかけている。【その他もろもろ】の①で、大下島でのブリーフィング直前に私が犯したミスというのは、実はこの事だったのである。ブリーフィングのしばらく前、みんなはある所でトイレ休憩したのだが、私は前記のような事情で「岡村島までもうすぐだから我慢しよう」とパスしてしまったのである。ところが、岡村どころか目前の小大下にさえ渡るのが難しそうだということで急遽1人隊を離脱し、岩陰で用を足した…。まではよかったが、スプレースカートをやっとコーミングにはめ(これにも私は人以上に時間がかかる)前を見ると、何と脱いだライジャケがバウに引っ掛けてあるではないか!“目が点になる”とはまさにこのこと。余りに遅いので様子を見に来てくれた三澤隊士、本当にごめんなさい。そして、荒れる洋上で長時間待たせた他のみなさん、深くお詫びします。実は当日の夜、岡村島での反省会で前述のような事情を正直に話して謝罪しようとしたのですが、アルコールの助けを借りても、さすがに面と向って口にはできませんでした。
こんな私ですが、今度ばかりは「何とかしなければ!」と、あるグッズを2品購入しました。そのうちの1品については、既に有効性(“小”の方)を確認しました。もう1品(“大”の方)については、実地の無人島キャンプで使ってみて確かめようと思います。もし私と同様の悩みをお持ちの方がおられれば(いるわけないか)、こっそりお教えします。

②“小豆島ゴール”はなぜ実現しない?
 私自身、今次で8度目の横断隊参加だが、スタートから最終目的地まで完漕できたのは“小豆島→祝島”のみ(3回)で、逆コースの完漕経験はない。1次から8次までの実績はつまびらかでないが、似たようなものと想像する。これはなぜか。風のことだけ考えれば、西よりの季節風が追い風となる“祝島→小豆島”の方が有利な気がする。わずか8度だけの経験だが、私は次のように考える。横断隊を“鉄”、最終目的地の島を“磁石”とすると、祝島の“磁力”の方が小豆島のそれより、はるかに強力なせいではないかと。何にせよこの現象は、海況や気象条件などの客観的なものではなく、横断隊士各人のメンタル(主観)に根ざしたもののように思えてならない。他の隊士のみなさんは、どうお考えだろうか。
 念のため付言するが、だからと言って「毎年“小豆島→祝島”にすべきだ」とも、「完漕できるまで“祝島→小豆島”を続けるべきだ」とも思わない。現在のように年毎の“入替え制”で良いのではないか。さて、今年(19年)は“祝島→小豆島”。どんな横断隊になるか、今から楽しみだ。(「是非とも完漕しよう!」と言えないヘナチョコ隊士をお許しください)

③陸上移動について
 以前のレポートにも書いたが、私は各隊士の“自宅→スタート地点” “最終上陸地点→自宅”などの移動方法に大いに興味がある。今次のレポートでも、角田・塚本・出口・三澤各隊士の苦労話を読ませてもらい、大いに参考になった。しかし、私にとって15・16次においては前記隊士の皆さんのような思いをせずにすんだ。というのは、所属する江田島カヌークラブの仲間に、ボランティアでの送迎(ガソリン・高速代は西原負担)をお願いしたところ、快く引き受けてくれたのである。本当にありがとうございました。17次以降も仲間の善意に甘えるつもりである。
 最後に、今次横断隊でお世話になった皆様にお礼申し上げるとともに、隊士のみなさんとの17次横断隊での再会を楽しみにしております。それまでお元気で。

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Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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