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2018第十六次瀬戸内カヤック横断隊レポート 出口 剛

第16次瀬戸内カヤック横断隊レポート 出口 剛

今次のカヤック横断隊ゴールから、1週間が過ぎた。途中離脱ではあったが、カヤックの経験だけではなく、隊士皆との関わりや、これからの人生の土台となる素晴らしい機会だった。毎日、横断隊の日々を思い胸がアツくなる。参加する事が出来てよかったと心から思う。荒削りですが日々、その時に感じた事、考えた事、思いを話します。細かい所は後から修正版を出すかも知れませんが先ずは。

<11/10 出発7日前> 所属するクラブの小網代湾で練習。荷室前後にクラブに置いてあった角材を積み、積載時の舟を体感。喫水下がり安定感有り、速度もじわりと乗る感じ。舟底接水面が増え曲がらない。

<11/15 出発2日前> 早朝、クラブオーナーから手配をお願いしていたPFDとスプレーカバーを受けとる。今回、名倉さんには艇とビルジポンプ等の器材も快く貸して頂いた。9月に入部したばかりだが此処で小網代湾周辺を自由な時間に漕いで練習出来た事は今次横断隊に参加出来た原動力だ。とても感謝しています。 小網代から葉山に移動。昨年、横断隊に参加の飯山さんと共に航海の実践練習。葉山~江ノ島間を往復して約20Km を漕ぐ。私は本番に近い荷を積んで出発。横断隊の漕ぐペースを教わり、漕ぎの補正をしてもらう。腕漕ぎを直すべく!パドルを今より広く持つ、肩から動かす感じ、足を踏ん張り腰を入れるなど。 岸よりを進むとき山)地形によって回り込む風に注意。水平線にギザギザで海況判断なども教わった。この日は風も穏やか、天気も良く富士山を眺めながら気持ち良く漕ぐ。しかし、復路で軽い三角波に酔ったのか上陸後に疲労がヒドイ。飯山隊士と別れたあとに嘔吐、道中休み休み帰宅。まずい、これで日に40キロ以上漕げるのかしら?挑戦したい気持ちは全く変わらず。しかし、無理な時は1日目でも離脱しよう。

<11/17 出発当日>18:30 飯山さんとモンベルで待ち合わせ。ポギーを家に忘れた事に気づき、やはり必要と判断して買い足す。19時頃、岡山県宇野に出発。

<11/18> 早朝に宇野港に到着。仮眠をとり三澤さん、浩太郎さんを待つ。朝食(サトウのご飯、卵納豆、梅干し)11:57 宇野から小豆島ヘルシービーチに向けて出発。<リーダー三澤さん>穏やかな海、ついに瀬戸内に来たぞ、という興奮を感じながら島並を漕ぐ。途中豊島(てしま)のビーチに上陸して昼休憩(コンビニお握り、バナナ)16:49にヘルシービーチに到着。先に着いた隊士や応援隊の方が出迎えてくれて上陸。緊張したのかラダーを仕舞い忘れていた。危ない、出発前に壊しては大変、気を締めよう。差し入れのおでん、猪鍋、お握り、ミカンを頂きながら焚き火を囲み前夜の宴。隊長の原さんから今次の約束事などお話。新メンバーを中心に自己紹介。  私は、焚き火の煙に燻されながら声を張り皆に伝えた「カヤックを始めたのはこの横断隊に参加したいからです!」一言で言えばそうだけど詳しくはレポートの中で。

今次の新入り隊士は私含め6名、原さんの息子海惺さん(10歳)も2人艇で漕ぐ。 前日は移動で夜走りだったから21時にテントへ。隣り合わせた大介さんが砂浜で寝るのは気持ちいいよとの言葉から、エアマットを使わずに眠る。 

<11/19> 夜明け前に雨音で目覚める。熟睡したけど背中や腰が少し痛い。柔軟で体をほぐす。朝飯(りんかわさんから頂いたお握り、卵納豆、梅干) 湿ったテントや寝袋、荷物を少し手間取りながらカヤックに積み込む。 6:30ブリーフィング<リーダー西原さん>記念撮影をして、いよいよ出発7:00。1日目のフォーメーションはリーダー先頭に新入り隊士が1、2列目。私は1列目を漕ぎ、最初の目標は小島。 友人のドラマー小島ノブさんの言葉を思い出しながら漕ぐ。「バンドの演奏はドラムに頼らず、メンバー全員がリズムを持たなきゃダメ、ドラマーのエンジンだけでは全員を運べない。ひとり一人がエンジンだ!」 横断隊もまったく同じ、自己完結しながら皆で協力して進んでいく。 島で昼休憩(味噌汁、餅のコンロ煮) 瀬戸大橋の右側を通過。海から見ても美しい橋だな、と感じた。 隊の先頭を漕ぐのは気分いいが、他の隊士の漕ぎかたを観察したり、後ろから全体を眺めながらもよいなと思った。西原さんとカヤックの寿命について話す。こまめに手入れをしていけば、永年使えるだろう。一日のゴール手前、静かな入り江を進む。魚が跳ね、水鳥が舞う景色を見て感激、護岸も無く自然豊かな海が嬉しい。 本島(ほんしま)北側の浜に到着16:13。 上陸後も特に疲れはなく、流木集め、焚き火で温まる。 夜の反省会(文字通り、一日のよいも悪いもの振り返り。先ずはリーダーの感想、その後に皆で気付いた事を語り合う。) 私は「一日、瀬戸内の島並み、自然を感じながら気持ちよく漕げました。海上で食べる行動食が旨かった」と伝えた。 「今日の航海で心が折れた人は?」の質問も有り。 私は・・・江ノ島練習の件で心配していたが、体調も気分も充実していた。 夕食(焚き火で炊飯、鰯缶詰)裕治さんが「もっと皆に入り込んで話さんと、時間もないんだからもったいないぞ!」との声掛けが有り難く、嬉しかった。 この晩は裕治さん、塚本さんと最後まで焚き火を囲み語り合った。23:00頃就寝。

<11/20> 4:30頃に目覚める。 朝食(昨夜のご飯コンロ煮、納豆卵、梅干)今朝も艇に荷物を積むパッキングに手間取る。 6:40ブリーフィング、<リーダー工藤さん>6:55出発時に上着袖の防水バンドを付け忘れに気付く。パッキングが下手なのは普段の生活も同じ。これを教訓に方付け上手になりたい。整理整頓は大切で海旅にゆとりを生み、安全航海に向けて備えが出来る。頑張らなくては。 この日も漕ぎが快調、気持ちよく漕ぐ。 海上で、今回の挑戦に送り出してくれた家族や会社の仲間、応援してくれる友人。艇を貸してくれた名倉さん、今回意識して集めたお気に入りの食料に関わる人達。この旅を伝え、共に漕いでみたかった故人たち。色々な人の顔を思い浮かべ、力が湧いてくる。 今日は広島(ひろしま)通過時に小さな流れの中や、午後の軽い三角波をひと漕ぎひと漕ぎ集中しながら越えて行くのが楽しかった。カヤックの魅力は海の動きを直に感じ取れる事だ。漕いでいるときは非常に静かで、風や跳ねる魚、鳥の動き、しりの下に波の力や自然の畏怖を感じる。学生の頃から大好きだったオートバイの乗り味にも似ている。人馬一体。工藤さんもバイクでのツーリングもするそうなので、島並を陸旅も面白そう。今次、隣でよく一緒に漕いだ南畑さんは自分で周囲の隊士を観察し、毎日漕ぎが進化しているという。15:13小飛島到着。
今晩の反省会では「昼間考えていた、横断隊参加に向けて関わってくれた人達を想いながら力強く漕げた。旅から得たものをどう返していくか?も考えて行きたい。」と話した。 周囲の協力者を想う事は、気持ちが折れそうな時に思い出して欲しい、思い出したいとの意識もあった。

<11/21> 未明、体が冷えたのか胃がキリキリと痛み眠れない。痛みで時計も見ず、とにかく眠ろうと思うが眠れず5:00起床。コンロで卵おじやを作り、テント撤収とパッキングしながら少ずつ食べる。食欲も無く、海上でも食べられる様にデッキに残り飯を積む。6:45ブリーフィング、<リーダー浩太郎さん> 7:03出発。 横断隊では、リーダーの指示など、隊士全体に伝わる様、それぞれが復唱し伝達する。 私も初日から声はしっかり出して行こうと決めていて、この日はリーダーが元気良く、更に声を張った。 私は前方を漕ぐことが多かった。声が後ろに届く様、振り向いて伝える事も道中教わり意識して実践。 胃の痛みはまだ治まらず、眠さで半分居眠り状態のまま漕ぐ。眠りこけての沈を想像しては目を覚まし進む。隣を漕ぐ直美さんに胃痛の原因を相談、ストレスも有るのか、先ずは体を温める事。もう一人の女性隊士、花さんは3万年前の航海再現で丸木船を漕ぐメンバーでグレイシャー湾を漕いでいたり、色々な経歴を持つ。アルバイト先の旨いミカンを行動食にしたのは忘れられない。小室浜で昼休憩(梅干、卵おじや、りんご、どら焼)コンロを使う気力も無かったので、食べる事に専念。午後からは食事でも体が温まって来たのか回復傾向に。 フォーメーションを組み、鏡の様な凪いだ海を進む。いつの間にか顔から汗が噴き出すのも気付かず、気持ちよく漕いでいた。これがパドリングハイ。後に聞いたが、この時、後ろの隊士は凪いだ海に全方の引き波が加わり進み難いやっかいな波となるらしい。(パドリングカレント:漕ぎ波) 15:55弓削島(ゆげしま)に到着。 この浜にはホテルが有り、胃痛の事もあったので新入り隊士5名で入浴しに行った。露天風呂に浸かり(5日ぶりの風呂は想像以上に快感!)疲れを癒す。此処で体調をしっかり回復出来たのは助かった。風呂に行ったが、ヒゲを剃ったり、体の隅々まで洗い流すとこれまでの緊張が解けそうだったので、大事な所だけ洗う。 豚汁とビール、お寿司の差し入れを頂く。晩の反省会では、「午前中に胃が痛み大変だった事、体調管理を含めて横断隊は人生の縮図だなと感じた事を話す。」 明日は私と浩太郎さんの離脱日、残り1日を苦手なパッキングをきっちり行い、万全の状態で過ごしたいと伝えた。 夕飯(棒ラーメン、人参、玉ねぎ)この日は寝袋をしっかり閉じ、中にアルミシートを入れて寝た。

<11/22> 5:00起床、体調もよくスッキリと目覚める。寝袋内は汗をかく程温かだった。 小雨の中でテント撤収。朝食(梅干、おしるこ、餅) パッキングも時間内で収まった。 6:45ブリーフィング<リーダー大介さん> いよいよ、しまなみ越えの日。 最善の状況で潮流を超える為に午前中の目的地と明確な時間が伝えられる。 6:56離陸、漕ぎも快調。地元隊士の村上さんが道中に島々や海況を教えてくれる。横断隊では毎日、色々な経歴を持つ隊士のカヤックや海に纏わる情報に感心尊敬の念。 潮流で難所といわれる「舟折れの瀬戸」は16年間で一番穏やかであったという状態で通過。

 昼休憩に浜に上陸、昼食(みそ汁、餅)浩太郎さんから此処で離脱が最善と提案あり、私も同じく離脱を決めて、隊長の原さん、リーダー大介さんに伝える。 他の隊士とも握手を交わし、全員に海図と共に携帯していた「シーカヤック教書」にサインをもらう。 「これっきり」の記念ではなく、次回までに海図の見方、瀬戸内の潮流や島のことなどを勉強する励みに活かそうと思った。離陸する隊士を見送り、着替え、荷を解く。風が強くなって来ている。皆は大丈夫だろうか?と浩太郎さんと話した。

<11/22 艇回送> ブリーフィング、<リーダー浩太郎さん> コンビニへの道路横断では「航路注意!」バスが定刻に来ないと「潮待ちだな・・」と楽しい道中。 それにしても伯方島から宇野まで、5日掛けた所を3、4時間で移動したのはとても違和感が有った。伯方島へは途中のトラックセンターで車を1台にまとめて艇を回収する計画であったが時間も遅くなったので各自の車で伯方島に戻った。 艇を積み浩太郎さんと再会を誓って別れ。私は呉の宮崎さん宅へ向かい、1:00頃到着、宮崎さん、広美さん、陽子さんへ海図を広げて旅の報告。夜遅くに失礼しました。でも楽しい時間でした。 ゆっくりと風呂を頂き就寝。

<11/23 帰路> 10:00呉の家族と別れ、その後は一人横浜へ向けて出発。 広島から大阪まで、ヒッチハイカー(スペイン人教師)を乗せ、みかん食べ食べ、フラメンコ音楽で盛り上がる。横断隊の話はあまり関心がなかったなぁ・・・。 夕食(コンロで炊飯、カレー、コーヒー) 渋滞ありSAで就寝。

<11/24 帰宅> 6:00 江ノ島辺り到着。 朝焼けの海をみて帰ってきたなと実感、地元神奈川の景色もいいなと耽っているとカーラジオから福山雅治。これまでの海旅ともうすぐ家族に会えるなとか色々感情がこみあげて来て更に耽る。このまま艇を返しに小網代へ向う。

名倉さん、メンバー数名と再会。横断隊の皆を想いながら小網代湾~俺の浜まで軽く漕いで離脱、クラブに戻り艇やギアの潮抜き。帰宅すると皆公園に行って留守。地面の落書き、「父ちゃんおかえり」のメッセージが嬉しい。 ただいま! また来年も行ってくるよ。

11/25この日はバンド練習に参加しながら、横断隊の動向が気になる。夕方、祝い島にはリーダー楠さんが引っ張り、無事にゴール。夕闇に浮かぶ祝島の美しい写真に見とれる。横断隊に参加して、天候にも恵まれ、事故も無く過ごせた事は幸いでした。それから、瀬戸内の海に魅了されたけど、日本の色々な海を漕ぎたい、特に地元神奈川の海をもっと知りたいと思ったのも収穫。 もう一度、この挑戦に送り出してくれた家族(特にカミさん)応援してくれた皆さんに感謝の気持ちで満杯です。有り難うございます。私としては、この体験を身近な人達に伝えて行きたい。将来、カヤックガイドとしてか、お手伝いかの形で、カヤックや海に携わり息子達始め、子供達に日本の古くから伝わる叡智、自然の素晴らしさを伝えて行きたい。そして、横断隊に参加してみたい人が居れば、私が受けた様に出来るだけ協力、情報を渡します。声掛けてね。 次回は是非、全工程に参加してみたい。10歳の少年であれ、46歳のおっさんであれ、この海旅はその人を数ミリでも数メートルでも大きく成長させるのは間違いない。 人との出会い、係わり合い。体調管理含め、自分の行動に責任を持つ事、意志決定と状況判断。効率や整理整頓のパッキング術、時間を無駄にしない意識、人生に活かす事が沢山ありました。 初めて会う方ばかりでしたが、共に漕いだ隊士の皆はかけがえの無い仲間です。有り難うございます!!! 

瀬戸内カヤック横断隊、勝手にスポンサー♪ 
新岩城菓子舗(川崎市南幸町の老舗和菓子)どら焼き、栗羊羹、おしるこ最中
高木商店(茨城県神栖市の老舗缶詰製造:鰯缶、秋刀魚缶
モンベル(横浜新山下店):パドリングジョン、ジオライン製ジジシャツ・ジジズボン、シーカヤック講座(2016年受講☆)
宮崎さん、光子さん(呉、春日部在住):干し柿
パドリングウルフ(神奈川県三浦市小網代):カヤック、パドル、テント、その他ギア借用、PFD、スプレースカート等のギア購入手配

漕いだ距離 :およそ計147Km(79.4海里、浬)1海里は1.852 Km、地球上の緯度1分に相当する長さ。
11/18 宇野~小豆島:20.7Km(11.2海里)
11/19 小豆島~本島:39.9Km(21.5海里)
11/20 本島~小飛島:27.5Km(14.8海里)
11/21 小飛島~弓削島:38.8Km(20.9海里)
11/22 弓削島~伯方島:約20Km(10.8海里)※伯方島で離脱

以上、17次瀬戸内カヤック横断隊へつづく


2016第十四次瀬戸内カヤック横断隊レポート 角田 浩太郎

第十四次瀬戸内カヤック横断隊レポート 角田 浩太郎



2016年なんと結婚することになってしまった。人生でもトップクラスの驚きである。

そして慌ただしく式の段取りをしていくと横断隊の日程も決まっていた、スタートは結婚式当日。これはもう致し方ない、キャンセル決定。そんな気持ちでいたが、隊長から連絡があった。事情を伝えるとなんと一度決まったにも関わらずどんでん返しで1週間ずれて参加できることになってしまった。一度決まったのにやんごとなき理由で処理していただき大逆転、もう引けない。式当日も楠隊士と電話で海保連絡の段取りをしていた。。やるしかないのだ。 

パッキング
 過去2回はとかく荷物が多すぎるなどの問題が山積みで朝から大変だったが今回は割とサクサクとパッキングできた。大容量のKingで今まで入らなかったのがどうかと思うが…。特段、離陸時刻に影響が出ることはなかった。人の早い遅いは今はどうでもいい、自分が間に合わせるのが大事。



食事&行動食
行動食で導入した新品の練乳は7日間で2本飲みつくした。コンパクトに済むのでありだけれども、改善したいところ。瀬戸内を漕ぎ進めるのだからしっかり海からの恩恵を自分の力で預かりたいが、魚釣りするゆとりは当分ない。

1〜2日目 
 とにかく肩甲骨が痛い。テントの中で着替えをするのも一苦労なほど痛い。2日目工藤リーダーのときは午後から派手に隊から遅れるし、もうみっともない日々。
 

3〜4日目 
 この辺りから身体が慣れてくるとペースも問題なくなる。岡崎さんからいただいた蛸をみんなで分けた後に工藤隊士と糸井隊士と共同で材料を出し合った蛸飯が本当に美味しくて感激した。岡崎さん、ありがとうございました。夜にいろいろ考えてるが、ゆうじさんの言葉に救われる。 

5日目
諸島への横断はとても緊張したが安全な時間帯に通過。周防大島油宇〜小泊沿岸はジャケットを脱いで快適なくらいだった。もはやツアーじゃないかと錯覚するほどの長閑な時間が流れる。
6日目
 糸井リーダーのそばについて進む。漕ぎ始め、沖家室大橋を抜けて少し景色を眺めていたら気づいたら最後尾。必死に漕ぐも進まない、少し焦った。
朝から張りつめた1日だった。周防大島から本州(皇座山)へアプローチするときは下荷内島北側を通過してから北風にかなり吹かれて隊がバラバラになった。自己判断でとにかく最短距離で本州へ張り付くルートをとった。リーダーに申し訳なかったがとにかく岸に張り付くしか安全性を改善する道がなかったように思う。
リーダーのラダートラブルは結局上陸していないので何が起きたか、そしてどのように対処したかは伝聞のままだった。上陸したい気持ちはあったが、迷って海上にいたので学びの機会を逸した。
上関海峡の横断は第十三次(2015年)でリーダーをやった際に危険な横断になった過去があるので糸井隊士の在り方を注意深く見ていた。隊を横並びにして単独で進む。その後指示を出して一斉に横断。アドレナリンmaxになって漕ぎ進んだが少し北側に寄っていたので工藤隊士より南側に寄るよう注意を受けた。自分があの場面で他人に一言声掛けできる余裕があっただろうか。
蒲井を過ぎてからはどんよりした雲、かなりの大波で面食らった。途中縦隊を組むも一度波に乗ると止まらない。3回乗り続けて落ち着いて振り返ると隊から30mくらい離れていた。とかく沈脱しなくて良かった。
そのまま辛抱強く隊が進むと突然の日差し。後々村上隊士と話したところ「ウソじゃろ!?」と思うほどの進行上の障害だった。糸井隊士も面食らったようだ。
しかし自分としてはどこか落ち着いていた、むしろ横断隊に参加した中で最も感動していたのだ。風と潮流、太陽を感じて海を進むこと、それができることに心からの喜びを覚えた。
終盤の田の浦からの祝島アタックは思いの外苦労した。最後タンカーが左右から相次いで現れたときの糸井隊士の判断は見事だった、自分ならできない。直後に祝島港の中に入るときは糸井隊士が自分に意見を求めた。無事に入れたものの、島津隊士がテトラポットに近づいて最後ヒヤッとした。もう少し自分が早く意見をしていればよかった。
最後祝島に着いたときは感動や充実感というよりどこか落ち着いた感覚だった。無事に旅が終わったな、と。
到着後は連河隊士からいただいたオリーブで祝島で水揚げされた魚を調理する等。祝島での歓迎は当たり前でないことを感じる。

ログ 
 工藤隊士が本橋隊士から引き継いだログ業務を僅かにお手伝い。スマートフォンで記録しようとするも断念、紙とペンが最強ではないだろうか。



海保への連絡はいつも通り。第十二次で一度漕いでいるので多少落ち着いて地形や海峡を見ることができた。経験多い隊士はよりゆとりを持って漕いでいると思うと、早くその領域へ至らなければならない。この海に生まれたものとして。 


 結婚式からゴロゴロと横断隊に流れ込み2016年11月は幕を閉じた。多くの方に祝福していただき恐縮している。日程調整していただいたおかげで今次も素晴らしい経験を積むことができた。隊長をはじめとして共に漕いだ隊士、サポートして下さった皆様、家族、職場に感謝する。自分は3回目の参加だったが、これまでの実績に対する信頼を築き上げた諸先輩方へのリスペクトを反故にすることがないように。
そして誰よりも、ドタバタした結婚式が終わったと思ったら数日で自宅から姿を消して1週間海から帰ってこない新郎に理解を示してくれる妻に感謝します。瀬戸内と地域、家庭の凪を大切に。続きは今後のレポートで!

第十六次瀬戸内カヤック横断隊の日程が決定

2018年11月19日(月) 香川県 小豆島より離陸
     11月25日(日) 山口県 祝島へ着陸予定


皆さま よろしくお願いします。

2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 西原 敬治

第15次瀬戸内カヤック横断隊レポート
西原敬治

【はじめに】

 最初、原隊長から“スマホ禁止令”が出されたときは、「ガラ携の自分には関係ないさ」とたかをくくっていたが、スマホだけでなく時計や海図・コンパスまで実際にご法度になるとは思わなかった。そのためレポートを書くにあたって、以前は工藤隊士やコータロー隊士の詳細なログや三澤隊士のGPSによる航跡図をたよりにしていたが、今回はそうは行かない。「さて、どうしたものか?」とぐずぐずしているうちに、4月になってしまった。ところが、4月15日開催の岡山カヌー駅伝の前夜祭の会場で、ばったり三澤隊士に会ってしまったのである。これ幸いと航跡図のfbへのアップをお願いした。「これで何とかレポートが書けるわい」と一安心したのだが……。
 そもそも、原隊長はどのような考えでスマホ等の排除を宣言したか。それは、隊長が横断隊fbにおいて昨年9月17日にコメントしたことに尽きている。そして、横断隊が“シーカヤックアカデミーの実践版”である限り(自分としては「堪忍してよ」とは思うものの)認めざるを得ない。第15次横断隊がそのような共通認識に基づいて行われた以上、そのレポートを書くのにGPSの航跡図に依存するのはいかがなものか。そんな思いも頭をよぎる。しかし横断隊が修了した現時点で、そこでの約束事に縛られることもあるまいと手前勝手に解釈し、色々迷った末三澤隊士の好意に甘えることにした。(横断隊に参加していない、このレポートの読者に対して弁明しておきますが、三澤隊士は漕航中GPSは一切見ておらず、禁止令には反していません。)


【仕切り直しにはエネルギーが要る(初日~2日目)】

 横断隊参加にして初めての“初日停滞”。予兆は佐賀から祝島へ向う、横断隊0日目からあった。昼前まではうららかな快晴無風だったのに、次第に風が上がり、沖合いに白波が目立つ状態に。「ここがこの状態だと、田ノ浦・祝島間は渡れる状態じゃない」との隊長判断で、急遽清水丸をチャーターし、室津港から出航。案の定、田ノ浦沖鼻繰島を過ぎたころから猛烈なうねり。キャビン外にいた隊士たちは全身潮をかぶり、びしょぬれ状態に。「明日はもっと悪いかも」という声に心が沈む。
 予想たがわず、翌朝出発の浜に向う途中、顔に受ける風は半端ではない。ミーティングでは、海況を目視できるまで待機することに決定。30分後、全員で突堤の先まで行って見渡した沖合いには、無数のウサギ(一説には鯨)が飛び跳ねていた。その後、数時間おきに開いたミーティング時にも状況は改善せず、結局停滞を決断。他の隊士たちの心中は分からぬものの、自分にとっては“蛇の生殺し”状態は多大なエネルギーを吸い取られることとなった。この日唯一の収穫は、島民の皆さんによる上関原発反対の島内デモに参加できたこと。
 翌朝出発前の仕切り直しミーティング。海況は前日よりは、ややましな程度。しかし、2日連続の停滞は、小豆島ゴールを決定的に不可能にしてしまう。全員一致の決定で離陸。すると、”断じて行えば、鬼神も之を避く”と言っては大げさだが、全員無事に田ノ浦到着。その後風裏ということもあってか、長島・室津半島・周防大島の南岸を順調に漕航。沖家室大橋をくぐるだけでなく、片添ヶ浜沖も通過し大鼻手前の浜に着陸。前日の停滞をかなり挽回する。2日連続のリーダー工藤隊士、お疲れ様でした。

【波乱万丈のなか一気に上蒲刈島へ(3日目)】

 翌朝、2年前の第13次横断隊を思い出しながら、何となく「今日は亀ヶ首泊まりだな」と考えていたのだが……。大鼻から結構時間をかけて周防大島東端に到達。情島との間の潮は余り流れていないが、絶え間なく漁船やフェリーが行き交う。それらとの間合いを計りながら一気に横断。問題は情島と津和地島の間の水道。情島の東端から津和地方向を見ると、沖合い20~30m幅が川(と言うより瀬?)になっている。それをものともせず、1人また1人と突っ込んでいく。自分もそれに続く。激流の中では、全力でフォワード・ストローク。それが沈しないための最良の策だと、自分は信じている。もう少しで瀬を抜けられるというとき、緊急事態を知らせるホイッスルが後方から聞こえた。本来なら方向転換し、何が起こったのか確認しなければならなかったが、自分にはそうする勇気・気力がなかった。数分後、井上隊士の沈と、三澤隊士を中心としたレスキューの様子を聞く。そのとき自分の無力さを痛感させられた。これが波乱万丈その1。
 波乱万丈その2。津和地島から倉橋島鹿老渡への海峡横断後の上陸休憩中、リーダーの楠隊士から「今日中に上蒲刈まで行ってしまいたい。そのため、最短コースとして亀ヶ首ではなく、黒島経由で上蒲刈島の恋が浜を目指したい」との提案があった。そのとき自分としては、「初日の停滞を挽回する積極的な案には違いないけれど、結構距離があるよ(後日、地図で測ると黒島まで15km、恋が浜までだと21km)。それに、今何時?」との思いが強かった。たぶん他の隊士も同じ心中だったと思う。しかし、その日の天気と海況が我々の背中を押した。全員でリーダー提案を了承し、休憩地を離陸。恥ずかしながら、自分にはナイトツーリングの経験はない。期待と不安の混ざった心境で、ヘッドランプを首にかけての出発だった。
 案の定、上黒島の沖合いで日没。そこから先は、ヘッドランプだけが頼りの漕航となった。しばらくしてリーダーから、地元である自分に「西原さん、恋が浜どのへんかなぁ?」との質問が……。いくら地元だといっても、真っ暗闇で島影さえ見えない。しかし、自転車で走り慣れた“とびしま海道”、そこを走る車のヘッドライトの流れで、それに答えることができた。問題はそこから先である。疲れた体を1分でも早く休めたいと、一直線に恋が浜に向おうとする自分。一方安全を優先して、まず岸に寄ってから島伝いに目的地に向おうとするリーダー。両者の距離は次第に開いて行く。すかさず後方から「西原さん、リーダーから離れちゃだめ!」の声が。そうでした、すみません。
 こうして、激流のような潮目越え、2つの海峡横断(そのうち1つは横断隊史上最長?)という波乱万丈の1日は終わりを告げたのだった。楠隊士本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

【ひたすら雨の中を漕ぐ(4日目)】

 この日の1番のポイントは“鼻栗・船折のいずれの瀬戸を越えるか?”である。潮止まりの時間は分かっているが、時計禁止の漕航であるためタイミングが計りづらい。とりあえず鼻栗に近づいた時点で判断することにして出発。朝から雨が予想される天気だったが、大三島にかかるころから本降りとなった。雨対策のためにラッシュガードの上にパドリングジャケットを着ていたのだが、長時間雨中を漕いでいると、雨のしみ込みと発汗による蒸れでびしょ濡れ状態に。他の隊士たちも似た状態だったのか、この日の上陸ポイントは“雨が避けられる場所”が望ましいということで鼻栗瀬戸を抜け、多々羅大橋たもとのキャンプ場(そこなら東屋があるとの村上隊士の情報)へ向うことに決定。幸い鼻栗瀬戸は難なく越えられて一安心。しかし雨の勢いは弱まらず、多々羅大橋をくぐるころにはハイポサーミア一歩手前であった。それだけに“瀬戸内応援隊”の森隊士が差し入れてくれた薪と豚汁には大々々感謝!
 この日の最後に残念な(と言うか、思い出したくない)ことが。原隊長から、「西原さん、明日リーダーやる?明後日でもいいんだけど」と指名されたとき、思わず「明日は勘弁してください、明後日にしてください」と翌日のリーダーを三澤隊士に丸投げしてしまったのである。正直言うと、翌日予定されていた横島までの多島海を地図なしにナビゲーションする自信が全くなかったのである。地元でありながら情けない。

【逆風また逆風(5日目)】

 前夜自分はテントの中で地図を見ながら、翌日のコースを“岩城島→生名島→因島(いずれも南岸沿い) →横島”と予想していた。しかし翌朝のミーティングでリーダーの三澤隊士は、そのときすでに強く吹き始めた北西風によって“因島→横島”の横断が危険と判断して、島伝いに北上するコースを提案した。これだと長距離の横断をせずにすむ。
しかしこの安全策も、風の影響からは逃れられなかった。キャンプ地から生名島へ向う途中では強風による波に翻弄され、生名島西岸を北上する間はずっと真正面からの逆風にあえぎあえぎのパドリングで、一息つけたのは高根島との間の水道に入ってからだった。次の強風域は、佐木島から向島に渡る途中。ここでの風はすさまじく、ちょっとでもパドリングの手を緩めると、たちまち艇が風に流されてしまう。そのため、風裏になっている小細島の入江に避難しなければならなかった。
 洋上の小休憩のあと、因島大橋を見渡せる海域まで来たとき橋の下の海面を見ると、遠目にも荒れている様子が見える。そこで、橋をくぐって横島に向かうことをあきらめ、向島の西岸を北上して尾道水道を東進するコースを選択。岩子島・向島を北上するとき、ちょうど高根島・生名島間と同じように風から逃れられると期待したが、何の何のすばらしい向かい風。やっと尾道水道に入って一息ついたものの、今度は不規則な三角波で、とても両岸の眺めを楽しむ余裕はなかった。一日中吹かれまくって、キャンプ地の百島北東岸に到着。

【リーダーを務めるも半日停滞(6日目)】

 いよいよリーダーを務める日。この日の予定コースは選択の余地が少なく単純だ。まずキャンプ地の対岸田島に最短距離で渡り、岸沿いに東進。阿伏兎ノ瀬戸を抜け、しばらく岸沿いに行ってから、海況をみて走島に横断。ここで昼食休憩。その後は、大飛島・小飛島を経由して真鍋島。できれば、そのすぐ東隣の小島まで。実は前年の14次横断隊の初日、追い潮・追い風に恵まれて小豆島から小島まで51km漕げたのである。したがって、翌日条件さえよければ小豆島ゴールは無理でも、手前の渋川海岸まではいけるだろう。出発前のミーティング、そんな思いで前述のコースを提案し、みんなに了承してもらった。
 7時に百島離陸。北西風に悩まされることなく田島に渡り、岸沿いに東進。ここで自分はその日最大のミスを犯してしまった。岸壁の上(海上から5m以上はあった)の釣り人に気づかず、釣り糸を引っ掛けてしまったのである。高い位置にいるとはいえ、沖合いからは釣り人が見えたはずだが、自分の視線は出口である阿伏兎ノ瀬戸であろう方向に向いていたため視認できず、気がついたときには、釣り糸が目前に迫っていた。とっさに上体を伏せてやり過ごせたと思ったのだが、スターンに取り付けたフラッグのポールに引っ掛かってしまったのである。しかも妙な具合に絡まったため、他の隊士に面倒をかけてしまった(このトラブルで、隊の進行を10分近く止めてしまった)。その日の夜の反省会で連河隊士から、「西原さんは釣り人に背を向けたままで、向き直って謝っていなかったが、あれは失礼だ。釣り人へのリスペクトが足りない。」と指摘を受けた。確かに自分は釣りをせず、上陸した浜でしばしば釣り糸や針などを見かけることで、釣り人へのシンパシーは薄い。しかしいずれにせよ“海で楽しむ仲間”であることに違いないのだから、先の指摘を肝に銘じておきたい。
 さて、阿伏兎ノ瀬戸を通過。小室浜海水浴場先の狐崎から走島方向の沖合いを見ると、白波は立っていない。走島への横断を開始。しかし、走島に近づくにしたがって北西風を強く受けるようになった。昼食休憩地として想定している唐船浜を目指して、島の右側から回り込もうとしていた自分に対し、原隊長から「それじゃあ北西風をまともに受けるので、左から行こう」と指示され、それに従う。隊長からはその夜再度「なんであのとき、右から行こうとしたん?」と聞かれた。実は14次横断隊のときも唐船浜に寄ったのだが、そのときの記憶から、自分は同浜が右の崎を回って直ぐの所にあると思い込んでいたのである。しかし本当は島の反対側にあって、左右どちらから行っても距離的には余り変わらない。そして、北西風を避けるためには、風裏である左から行った方が圧倒的に有利なのだ。唐船浜の位置を、出発前に海図で確認しておくべきだった。
 ところで、浜に向って最後の崎(島の東端)を回り込んだとき、真正面からすさまじい風を受けた。昼食時に沖合いを見ると、白波が勢いを増している。このまま予定通り、大飛・小飛島に渡るべきか?その方面の海況を確認すべく、隊長と共に裏の山に登ってみる。そこから東方向を見ると、風はそれほど感じないが、白波が目に付く。隊長は、「ここから見てさえあの程度なら、沖合いに出たらかなりの風と波だろう。無理して出れば、沈しないまでも命からがら島に到着したときには、隊はバラバラになってしまう。」自分はその時点で“停滞”を強く意識した。その数時間後、再度山上から観察するも状況に変化なし。最終的にミーティングを開き、停滞を決定した。しかし自分の中で、その決定が「100%海況の冷静な分析だけでなされた」と言い切る自信はない。心のどこかに「早く肩の荷を降ろしたい」という意識はなかっただろうか。

【えーっ四国上陸?!(最終日)】

 前日夜の反省会で、翌日のリーダーに小豆島の連河隊士が指名された後の雑談で、“最終日のゴールをどこにすべきか”が話題になった。小豆島まで残す距離は70km、現実的には小豆島ゴールは考えられない。そのとき連河隊士から、「多度津にゴールして、金比羅山にお参りに行こう」という提案が。そのとき自分は心の中で、「やめてよ!どうやって帰るの?」と、つぶやいていた。実は、最終ゴール地点からの撤収については、自分が所属する江田島カヌークラブのメンバーに、「高速代とガソリン代はもつから、車で迎えに来て」と頼んであった。それでもまさか、「四国まで来てちょうだい」とは。しかし、その雑談の場の雰囲気と連河隊士の口ぶりから、「単なるジョークだろう」と思っていたのだが……。
 朝のミーティングで“多度津着陸、金比羅山参り”が何の異論もなく承認。荘内半島を目指して走島を離陸。心配された北西風もそれほどではなく、途中の六島までは快調に漕航。しかし、そこから先が大変だった。北西風が徐徐に上がり、六島と荘内半島先端の三崎の中間地点からは強い追い波に苦しめられた。ようやくの思いで半島に取り付き、その後は岸沿いを南下。そのうち風は落ち、最終休憩地の亀笠島からゴールの海岸寺海水浴場浴場までは、V字編隊でゆったりと漕航。祝島スタート時には想像もしていなかった地点への着陸だったが、それなりに感動的なゴールだった。

【おわりに】

 スマホ・海図・コンパス・時計の禁止に止まらず、「来年から1つずつ禁止物品を増やして行ったら、面白いなぁ」と、原隊長はおっしゃる。自分は「えーッ、これ以上何を削るの?」と思ったが、口には出しかねた。確かに上記物品の“漕航中不使用”はプロガイドの皆さんはスキルアップに有効だろう。しかし自分のような、せいぜい月に3~4回しか海に出ない、趣味的カヤッカーにはハードルが高い。特に時計の不使用。今までなら昼食休憩で「××時まで休憩」と指示されたら、それまでは安心して食事や昼寝や排泄ができた。しかし時計なしだと、いつ出発の声が掛かるかと、うかうかしておれない。それに、当初“無補給”を前提とした横断隊だが、今や陸上からのサポートが重要な役割を担うようになっている(応援隊の皆さん、いつもお世話になっています)。リアルタイムの横断隊を発信する、何らかの工夫が必要ではないか。いずれにしても、何万年か前の“五感を研ぎ澄ましたカヤッカーを目指す”ことと、これらのことの調和をどう図るかは、自分ごときではとうてい考えつかない難問のように思える。
 さて、第16次横断隊はどのような横断隊になのやら。来次こそは足手まといにならぬよう頑張りますので、なにとぞよろしくお願いします。

2017第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

第十五次瀬戸内カヤック横断隊レポート 楠 大和

 今次は気温が低く、冷たい北西風の中で過ごす日が多かった。これぞ横断隊の時季、初冬の瀬戸内だなぁ・・・と思いながら厳しい環境の中で海旅ができたと思う。祝島で初日の停滞。フォーメーションの重要性。航海計器の使用禁止。海上でのリーダーの指示。三度の新たな野営地。転覆とレスキュー。日没後の航海。新しいルートの開拓。釣り人への意識。金刀比羅宮へ参拝。ユージさんの存在・・・。七日間の決められた時間を自分でどう考えて動くか、そして漕ぐか。横断隊は実践版シーカヤックアカデミーなので、「自然」と「人」から学べるのが楽しいと感じる。

 ここ数年はパドリングジャケットを脱着し、ポギーを使用せずに漕いでいたが、今次は最初から最後まで防寒対策が必要だった。途中、ポギーが左人差し指の上の皮膚を擦り、傷になり痛かったし、ポギーのせいなのか今までできなかった手のひらのマメも左手にできた。身体のどの部分でも痛みが発生したら気になるので、改善策を考えようと思った。

 一日目、横断隊初となる離陸なしの停滞だった。夜明けから14時まで何度も海を見たが、強風と大きな白波は治まらない状態だった。
 この日はたまたま祝島で原発反対の臨時集会とデモ行進があったので横断隊士も参加し、原隊長は挨拶することができた。本当は室津の広場で行う予定だったが、広場の工事が行われるということで直前に中止が決定したらしい。デモ行進は第六次の七日目(月曜)の夜にタイミング良く参加して以来だが、日中と臨時ということもあってなのか参加者が減っていた。後で原隊長に聞くと、10年前の反対派の状況とは違うことが色々分かった。
デモ行進の後に上映会も開催された。島で過去にどんなことがあったのか、初めて知った隊士もいた。
 夜は祝島の金田さんと出会い、食事まで用意してくれていた。凄く気さくな方で話を聞きながら大笑いし、最終的に金田さんは酔い潰してしまった。前夜はヒサボー家、清水さん、木村先生など島民から熱い差し入れをいただき、たくさん話もできた。15年間の瀬戸内カヤック横断隊と祝島の繋がりから大切な人情を学び、停滞したことは今次の運命だったのかなと感じた。

 二日目、10名の男達で周防大島の小泊まで漕いだ。上関海峡を渡った所で原家の見送りをいただき、子供達はおじさん達へ大きな声で応援してくれた。子供達とはいつか一緒にビールでも飲みながら話せる日が楽しみだ。
 沖家室を通過して野営地を目指したが、工藤リーダーは航海計器がない中、目標地を伝え、隊を誘導することが難しそうだと思った。周防大島の南岸は野営地が多いので、明るいうちに距離をかせぎたいことと野営場所に判断を迷う所もあったと思う。おまけに逆潮だ。初日の停滞で六日間という厳しい時間の中、小泊までよく漕いだと思う。
 小泊は僕の初めての野営地で、焚火をしながら心地よく過ごせた。9度目の瀬戸内横断中に新しい場所で野営できたのが嬉しかった。岩国から角田隊士がビールやお菓子を差し入れに来てくれた。ありがとう。

 三日目、リーダーを任され、上蒲刈島の恋ヶ浜まで漕いだ。夜明けから潮に乗って情島の東側から津和地島の西側ルートを目指した時、井上隊士が転覆してしまった。潮流の中を前後の間隔を空けて、素直な流れに乗りながら漕ぎきる場面だった。転覆した瞬間は確認できず、後者からのレスキュー合図のホイッスルも聞こえない中、後ろを確認すると転覆していた。三澤隊士が潮流の中でレスキューし、工藤隊士が少し距離をとってサポート準備で待機してくれた。レスキュー完了後は目視できた一番近い浜へ上げたかったが、潮の流れで全然近づかない状態。指示を切り替えて北上して潮目を抜け、パドリングで体温を上げてもらいながら津和地の氏紙鼻の手前で着陸した。井上隊士の再装備の準備時間と一緒に早めの昼食をとり、倉橋島へ横断した。
追い潮と比較的安定した海況のこの日は、前半、できる限り楽に距離をかせぎたかった。上蒲刈島まで漕がなければ、翌日の鼻栗瀬戸、もしくは船折瀬戸の転流に間に合わず、小豆島までの航海が難しくなると思っていた。この日は視界が良く、鹿老渡から一気に上蒲刈島へ横断した。向い潮という条件だったが日没までに十分着陸できると思った。しかし予想以上に潮が強く、亀が首を見ながら「オレ達は亀だな」という状態で漕いでいた。目標地点の上蒲刈島はハッキリ見えているが着陸地点は全然見えてこなかった。太陽がどんどん沈むことに「まずい、暗くなる」と責任を感じる。小休憩でヘッドランプと安全フラッシャーを装備してもらい、最後の約3キロは夜行装備を使用しながら上蒲刈島の岸沿いを注意して漕ぐことになった。隊は早朝から離陸しているので体力的にも辛く、暗い中のストレスも高めてしまい、翌日の漕ぎにも影響するかと思うと皆に申し訳ないと思っていた。でも前半に転覆があって、ここまで漕げたことは今次の隊士の気迫が伝わる一日だったとも思う。「暗くならないうちに、家に帰ろう」という言葉を昔からよく聞くが、この言葉が身に染みた。松山からシノちゃんがミカンを差し入れに来てくれた。みんなの疲れていた身体にミカンが身に染みた。

 四日目、雨の中を大三島の多々良キャンプ場まで漕いだ。午前中は追い潮の中をどんどん進むはずだったが、とびしま海道の南側は思ったより反流が強く、ペースが上がらなかった。僕はこの反流場所が今次で一番気になった。もう少しだけ沖に出れば潮に乗れたのかなと思うが、航路もあるし、風も強かったので井上リーダーの判断の難しさが伝わる。難所の鼻栗瀬戸は向い潮になっていたが、漕ぎあがれる状態だったので通過できた。雨で身体がどんどん冷える中、有料キャンプ場の前の浜へ着陸。井上隊士は昨日の転覆もあったのに、気持ちをしっかり持ってリーダーを務めたと思う。
管理人さんが現れて、山口県から漕いできた事情を説明した。浜もキャンプ場の管理区域なので手続きが必要ということで、尾道から「ダイスケ汁」を差し入れに来てくれた森隊士がシノちゃんと一緒に許可の手続きに道の駅まで行ってくれた。雨が凌げる簡易タープがあって、そこで焚き火をしながら話せたのが良かった。松山から島津隊士、弓削島から石田さん、静岡から鈴木くん、シノちゃんとたくさんの瀬戸内カヤック応援隊が集まった。この日、夜の隊長ユージさんの力の見せ所となり、流石だと思った。
 多々良キャンプ場も、僕が横断隊に参加してからの利用は初めてだったので、いい経験になった。

五日目、初めてのルートで百島の東側の浜まで漕いだ。朝一番に多々良大橋を右手に見ながら横断し、荒れた海を漕ぐ中、隊がバラバラになった。最後尾から先頭へ声も笛も届かない状態で、僕は原隊長と一緒に最後尾に着いていた。漕ぐ力や技術、経験の違いなどが関係してくる場面であり、隊として動くことの重要さが分かりやすい場面だったと思う。隊がバラバラになるのはリーダーだけの責任ではなく、個々の「固まっていこう」という意識に関係するのがよく分かる。隊列を組み、全員が無事に漕ぐことが、最終的には近道になるだろうと思った。
この日、弓削島や因島から東への最短ルート横断には厳しい風だった。北西風が強くなる中、しまなみの島々を利用し、風をかわしながらジリジリ進んだ。
佐木島から小細島を前に、北西風がどんどん強くなり海が荒れた。一気に細島の南東を目指すルートだったが三角波にやられ、小細島から離れた隊士と近くの隊士、といった感じで隊はバラバラ状態。この風でも漕ぎあがれると思う隊士と小細島の風裏へ行くだろうと思う隊士がいたと思う。ユージさんは小細島の南西の浜に、風と波で打ち上げられたように見えた。その浜からダンパーでの離陸に苦戦している時、原隊長が着陸してフォローする。海上にいた隊士はいったん後退し、小細島の南から東へ回り込み、浜で全員が合流して着陸した。北西風が落ちるのを待ちながら昼食をすませ、沖に見える白波が小さくなって離陸できた。
この日は三澤リーダーの少しでも東へ進むという気持ちと新たなルート開拓への思いが表れたと感じた。けっこう距離が長かった尾道水道を抜けた後、満越瀬戸から本州の水路を利用し、百島の東へ向かった。水路ルートを知る村上隊士の知識と経験に敬服した。本当に裏技を使ったような気分。
 夜は百島に鈴木カツ君が行動食を持って差し入れに来てくれた。ありがとう。

六日目、強い西風にあたり、走島まで漕いだ。この日の釣り人事件は全員で反省したいところだ。日中にかけて西風があがる予報で、今のうちに距離をかせぎたいと思っていたところ、西原リーダーが投げ釣りの糸に引っ掛かったか、掛かってないかという場面があった。二度。もちろん隊のペースは都度落ちて、漕ぐリズムにも影響した。それ以上にこのフィールドでツアーやツーリングを楽しむシーカヤッカーに影響してしまうなと思った。マナーは釣り人とカヤッカーで互いにあるが、問題を起こさずスマートに漕ぐことが得策ではないかと思う。釣り糸に近づいてしまったことも悪いが、リーダーだけの責任でなく、周りの声掛けや注意力も大切だと反省した。
阿伏兎をまわり走島へ横断する前、雲の動きを見てやばいなと思った。走島まで漕いでいる時も空を何度も見ながら風を意識した。走島で風待ちとなり、その後も海況は回復しないまま野営になった。この日は走島の海上で鞆の浦の岡崎さん、倉敷のナオミちゃんが大きな太刀魚とドーナッツを差し入れしてくれた。夜は内田元隊長、植村隊士、本橋隊士が走島の野営地まで来てくれて、ビールの差し入れまでいただいた。仲間が大勢いて、見守ってくれていることが嬉しかった。

七日目、風が不安定なことと向い潮ということもあって、最終目標地を小豆島から多度津の海岸寺へ変更した。距離と潮流の関係から小豆島まで漕ぐのは現実的に難しかった。渋川海岸はいつもの進路になるので、思い切ってルート開拓と金刀比羅宮へお参りすることにまとまった。横断隊で四国側を漕ぐことは第六次しか記憶に無い。僕は走島から南東へは、第九次の延期中に村上隊士と二人で瀬戸内カヤック遊撃隊として漕いだことがある。蓮河リーダーも気合の入った漕ぎだったのかどんどん進んでいった。
荘内半島の先端は荒れていることが予想できていたが、進路を東へ向けるのが遅くなってしまい潮目に入った。誰かが転覆するかと思うような激しい三角波の中を漕ぐことになった。隊はなんとか四国側へ入れた。最後までそう簡単にはいかない最終日だった。最終着陸地には内田元隊長や先輩隊士が到着を待っていてくれて、皆で金刀比羅宮へお参りに行った。このメンバーでのお参りは、ある意味貴重な経験でもあった。なかなかあの階段を上るのはキツイ。

最終の振り返り。今次はフォーメーションをほとんど組まずに漕いでみた。リーダーが先頭で後方は自由な位置にいたが、隊で動くことはいかにフォーメーションが重要か良く分かったと思う。リーダーは後ろを5秒に1度は見ながら進路やペースも考えるが、隊士が自由な位置だとリーダーは遅れているかの判断がしずらいと思った。声も届かないので伝達もスムーズではない。「もしあの場面で転覆があったらどうしたかな」と思う場面も多々あったと思う。毎日、漕ぐ位置は変えてもいいと思うがフォーメーションは安全確保と出来る限りのスピードアップの為に組んだほうが良いかなと思った。

航海計器については、時計や方位磁針がないことで太陽の位置に敏感になれ、自然の情報で航海できたことがいい経験になった。時間も経過するのが凄く早く感じた。瀬戸内は島が多いので、方向もわかりやすく、おまけに12時のサイレンとかも聞こえてくる。時には11時のサイレンなどもあるので引っかからないようにせねばね。潮汐も岸を見ればある程度分かる。スマフォからもほとんど解放状態で自然からの情報収集に集中できた。ただ、海図だけは航海中も使いたいと思った。朝一と夜だけの記憶では覚えられない所もあったし、瀬戸内を知るきっかけが減ってしまう気がした。案としては、海図は必要だと思う人はデッキにつける。たまに必要な人は、たまに見る。無しで勉強するなら持たない。などなど自由化もいいのかなと思った。みんなが船長だからこそ海図だけは解放してほしいなぁ。

最終日の夜、金刀比羅宮のお参り後の反省会。香川の漁師ビーテンさんからタコをいただいた。ありがとうございます。原隊長と大田隊士(ユージさん)が熱く話し合う中、横断隊士のみんなからユージさんへ還暦のお祝いでシーカヤックをプレゼントすることになった。夜の隊長ユージさんから教わることって大きいんだよなぁ~。ユージさんがFRP艇であと20年ぐらい漕ぎそうなので、楽しみです!

今次は日本一周中の飯山隊士が参加した。20代の元気あるカヤッカーだ。これからの安航も祈ってるよ。

みなさん、第十六次も宜しくお願いします。

2017年12月26日

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瀬戸内カヤック横断隊

Author:瀬戸内カヤック横断隊
2003年第一次瀬戸内カヤック横断隊からの記録を掲載しています。

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